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SS ヒューゴくん♡ って呼ばない事件

前編

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 いつまで、スターフェローさんて、家門呼びなの、と個人的に友人でもある魔法使いの冒険者、ウェンディに尋ねられた。 
「ずっと、スターフェローさん固定じゃない?」
 本日は早仕舞の日で、ギルドも閑散としている。
 ギルドのテーブルに肘をつき、魔法使いのウェンディは、気だるげにカウンターにいるクレアの方を見ていた。ダウナーにレインボーカラーのマジカルドリンクをストローで吸う唇はちゅるんと厚めで、ピンク色のまつげには小粒の真珠が乗せられている。コットンキャンディのようにペールピンクからペールヴァイオレットのツートンカラーの髪がキラキラとんがり帽子の下で不思議な虹彩を放っているのだ。
 クレアは聞かれて、「……」と真顔になった。
 内心どっと汗が出ている。
「クレアちゃんは~恋人を名前で呼べないんだァ」
 キャハハ! と笑う彼女の背後から、熊獣人のケインが、「くぉらっ」と怒声をあげた。
「ウェンディ! てめぇは、つきあい立てのふわふわな真面目カップルをからかうんじゃぁねぇ! 破局させようったって、そうはいかねぇぞ!」
「違いますぅ」
 ウェンディは唇を尖らせた。
「大体~ふわふわって何よぉ、それにふたりともつき合ってからけっこう経ってるでしょ~! あとカップルが破局するのは獣人の浮気男のせい~」
「ぁあ?! オレぁ、カーチャン一筋だぞ?!」
 ギャアギャアと喚くふたりに、一言割って入るか悩んでいると、いつの間にか静かになって、ケインの方がおそるおそるクレアに、
「マジで破局秒読みなのか……?」
 と顔色悪く娘の彼氏事情を聞く父親ヅラで尋ねてきたので、クレアは無の顔になった。
「ウェンディに丸め込まれないで下さい」
 無の顔だが、これだと腕は立っても今まで悪辣な連中に騙されてきたんだろうなぁと思わされた。字が読めなかったり、あまり事務に慣れなかったりする冒険者をいいように使って、差額の報酬を不正に誤魔化す悪徳ギルドもあるという。
 うちのギルドを拠点にして頂ければ、わたくしどもが墓場までしっかりサポートしますので……! と内心職業ソウルを燃やすクレアだ。命を張っている現場に、正当な報酬が渡らないのはおかしい。
「もー、私らの報酬はおいといてぇ。あと、墓場は死んでるし……殺さないで……」
「ウェンディ、人の心を読むのは止めなさい」
「そんなのクレアの顔見たら、誰だって分かるってぇ」
 ネェ、と同意を求められたケインが、「ア?」と椅子を引きながら、素でわからなそうなので、ウェンディは「マジかよ、こいつ」という顔をした。どすん、と巨体で腰を下ろす彼を、ウェンディはなかったことにしたらしい。クレアの方に視線を戻した。
「それはそうと、いつまで家門呼びなの、ヒューゴくん♡ って呼んでみないの?」
「……」
 クレアは視線をそらす。
「業務中なので……」
「はい、うそー。もうクレア上がりの時間よね?! さっきタイムカード切ってたモーン」
 どこを見ているんだ、と思わずにはいられない。
「おいおい、サービス残業ってやつじゃぁねえかァ? よくねぇぞ、そういうのは。おっさんでも知ってるぞ、よくねぇんだよ」
 重々しくケインにも言われてしまう。あと、単に「サービス残業」という言葉を使いたいだけに見える。
 タイムカードを切ったら、ちょっとだけ、窓口に座ってるだけでいいから! と腹を壊した男性職員に死にそうな顔で頼まれ、引き受けただけだ。帰るつもりでいたので、あとは制服をロッカーで着替えて手荷物を取り出すくらいだったが、致し方ない。
 クレアは更に無言になり、ニヤついてるウェンディに、小さな声でぼそぼそと言った。
「……から」
 ウェンディはつば広なとんがり帽子の下で、耳にわざとらしく手を当てて、
「ハァ~聞こえませんけどォ?! ギルド職員さーん、もっと大きな声でェ、おねがいしまーす」
 冒険者は得てして『こう』だ。クレアが立ち直ってから、遠慮も何もなくなった。もういっそ、さっさと情報を与え、黙らす方が早い。口汚く思いながら、クレアは自棄糞に応じた。
「スターフェローさんはスターフェローさんなので! 問題ありません!」
 ケインがクレアの剣幕に、あっけにとられている。一方、ウェンディはゲラゲラ笑ってこたえていない。
 そしてヒューゴ本人がギルドの入口から現れて、藍色のコートを腕にかけたまま、「はい……」と驚いたように返事したので、クレアは硬直した。ヒューゴは相変わらず、ギルドにミスマッチなハイエンドの上質な身なりで、どうにも浮いているし、本人もきょとんとしている。青年が迎えに来てくれたこのタイミングで、ウェンディたちと彼の話をしているなんて地獄の食い合わせだ。
 空気絶対読めないマンのケインが、卓に身を乗り出した。
「おう、スターフェローの兄ちゃんじゃねえか。ちょうどアンタの話をしてたんだよ」
 隣国の竜公子相手に気安すぎるが、ヒューゴはヒューゴで戸惑いながら全く気にした様子もない。冒険者のケイン相手にも丁寧に応じた。
「私の話ですか……?」
「それがよぉ、ウェンディがクレアの姉ちゃんになんであんたのことをヒューゴくん♡ って呼ばねーのかって……」
「竜公子様、クレアより先に、おっさんに『ヒューゴくん♡』って呼ばれてかわいそう……」
「おめーがそう言ったんだろ?! いや、そりゃあともかくよ、マジにあんたら破局寸前なのか?」
 デリカシー行方不明のケインに、目を見開いたウェンディが腹を抱えて、もはやキャハハを通り越し、ギャハギャハ笑っている。
 こ、こいつら……とクレアは切れそうだ。
 しかし、ケインに悪気がないので怒れない。
「俺が言うのもなんだけどよぉ、クレアの姉ちゃんは、わかりにくいけど、いい職員だからよ、あんま傷つけないでやって欲しいんだよな」
 謎のフォローまで始めて、完全にヒューゴがクレアをふる前提である。失礼の極みだ。ウェンディはテーブルに突っ伏して、ぴくぴく痙攣している。本当にこいつは友人だろうか。とうとうケインが椅子から立ち上がった。
「まぁ、別れるのは当人らの問題だからよ、口出すのもなんだけどな、ふるならしっかりケジメつけてくれよ。ずるずる引き伸ばしはかえってよくねぇ」
 ケインは分かったように重々しく言う。
「そんときゃ、いい奴にはいい御縁だ。クレアの姉ちゃんさえよけりゃあ、俺が気の良い連中を、何人か紹介しようかと思ってよォ」
 人の話を遮らずに聞くヒューゴは、面食らいつつもしばらく黙って耳を傾けていた。
 しかし、急速にすみれ色の目が色濃くなり、ぎょろ、とケインを凝視する。
「ぬ゛お゛、っ?!」
 ケインが熊獣人の巨躯にあるまじき奇声を上げ、椅子を蹴倒しながら飛び退った。刈り上げた黒髪から毛深い全身の黒黒とした体毛まで、ぶわぶわに逆立っている。
 はっとしたのはヒューゴだ。柳眉を下げ、慌てて謝罪した。
「申しわけない、竜相のコントロールに失敗したようです。失礼をしました」
「お、おぅ、これが竜相か、やべーな、これ察するにちょこっとだよな、やべーな……」
 ケインは鳥肌の立ったらしい腕を擦っている。ヒューゴの方も丁寧に謝りつつ、はっきりとケインの想像を否定し、訂正していた。
「……ですので、別れるなどありえません」
 コートを腕にかけたまま、物腰穏やかだが、目が笑っていない。
「クレアさんが直接ご希望されない限りは、ご紹介は不要かと」
「おお、そうか! 俺も安心したぜ! 聞いたか、ウェンディ」
「アンタが勝手に暴走したんでしょォ、巻き込まんといてくれますゥ?! 竜公子さまァ、アタシ無関係なんで! 熊の首はご自由にドォぞォ!」
「ウェンディ、俺にゃよくわかんねーが、お前、強いもんに巻かれすぎだろ。あと俺の首勝手に贈呈すんのやめてくれる?」
「アンタは空気読めなさすぎなのぉ! それより、さっきからクレアが置物になってるけど、あなたたちって、竜公子様はクレアさんって呼んでるのに、クレアはスターフェローさんって家門呼びなの?」
 ヒューゴが銀色のまつげをまばたかせ、反応に困ったような顔をした。
「私は特に……」
「そうなんです? ヒューゴくん♡ って呼ばれたくないんですのォ?」
 妙な丁寧語を使い出したウェンディだ。クレアは頭が痛い。
「スターフェローさんは気にしてないし、べ、別にいいでしょ!」
「えぇ~そうなのォ? さっき、スターフェローさんはスターフェローさんなので! とか叫んでたけど、あれ何ィ? こだわりでもあるの~?」
 クレアがこいつらどうやって黙らす……と考えていると、逆にヒューゴの方は興味を惹かれたらしい。
「それはどういう? 確かに仰るとおり家門はスターフェローですが……」
 今まで聞かれたことはなかったが、なにか別の意があるのを、正確に汲んだようだ。ナチュラルに追求されて、クレアは言葉に詰まる。
「そ、それは……」
「はい」
「あの、スターフェローさんは、スターフェローさんという感じがするので……」
 何を言ってるんだ、とクレアは自分でも思った。内心半泣きだ。何より、とりあえず座っててくれと頼まれたといえども、この状態は良くない。
 頭を冷やし、業務中なので、と再度口にしようとした時だ。
 腹を壊していた職員がすっきりした顔で出てきて、「うう、ハミルトンさんごめん。ありがとう、助かったよ、交代します」と声をかけてきた。
 そういうことなので、とクレアは断り、早足でロッカーに向かった。


 着替えてから出てくると、ヒューゴに迎えの馬車に乗るようエスコートされた。今日は彼の屋敷に招かれている。馬車が動き出すと、業務中に質問して邪魔をしてしまったことを詫びられたのだが、どう差し引いてもウェンディが悪い。クレアの方がかえって恐縮する。ヒューゴは巻き込まれ事故だ。
 クレアはもたもたと説明した。
「その、スターフェローさんの家門の響きが、とても綺麗で、好きなんです」
 ヒューゴは少し驚いたようだが、黙って聞いている。
「スターフェローさんに似合ってる……と勝手に思ってて……」
 スターフェローさんはスターフェローさんなので! と言ったとおりで、それ以上も以下もない。クレアはしどろもどろになる。
「スターフェローさんはスターフェローさんという感じがするんです……でも、あの、やはり、お名前で呼んだほうがいいですか?」
 至極今更なことを聞いている気がした。
 珍しく、ヒューゴは質問に対してしばらく無言になった。
 「ええと」
 凄く言いにくそうだ。ウェンディにからかわれて、ケインには破局だなんだと勘違いまでされたが、もしや本当に……?! 
 私、やっぱり、弟たちにも言われたけれど、プライベートな人間関係でも頑固で、きっとそれがいけなかったんだ……クレアがまた内心半泣きになりかけると、伝わってしまったらしい。慌ててヒューゴが否定した。
「違います、ここで言い難くて!」
 参ったな、とヒューゴは白手袋を履いた片手で顔を覆い、手を降ろすと、クレアを窺うように見た。
「軽蔑なさらないで頂けるとありがたいのですが」
 と前置きする。
「……クレアさんが、その、ええと、つまり、舌足らずに、甘えたみたいに……」
 段々ヒューゴは目を合わせられなくなったように、視線が泳ぎだす。
「『すたーふぇろー、さん』、と呼んでくれるのが……好きで……」
 さすがに、どういう場面の話か、クレアも察した。
「正直、凄く……たまらない気持ちになります。なのでこのままでいいです」
 申し訳ない、と手袋の十指を組んだまま、じっと視線をそこに固定している。
 どういう時にそういう呼び方をするのか、クレアも完全に理解した。ヒューゴの性格からして、恋人にも昼間からそういう雰囲気ではない時には言わない内容だ。クレアも最終的に言葉にならず、ぎこちなく「……はい」となった。


 馬車が屋敷についてから、クレアはまだ頭がカオスだった。
 ただ、ウェンディたちのからかいにも一理ある。
 やってみたところで特にリスクはないし、何事も試してみてだと思い直した。
 意を決して「ひゅ、ひーくん」と舌を噛んで呼びかけたら、ヒューゴがフリーズして、一拍後に、グラスが割れた。次に、花瓶が砕けた。最後、時間差で壁に亀裂が入って、クレアは二度と呼ぶまいと封印したのである。



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