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完結後の番外

SS くっついた後〜本編後までの穴埋め 後編

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 教会のヒーラーによる告解・相談所は、実際に聖堂の告解室を借りて行われた。
 告解室は、2つの扉がついた小部屋である。それぞれの扉から入ると、中は壁で左右に仕切られ、司祭と信者が格子のついた小さな窓からやり取りができるようになっている。
 顔を見せなくていいのは、クレアにはありがたかった。
 希望した通り、相手は女司祭のようで、声の様子から高齢だと分かる。
 これは通常の告解ではないため、落ち着いた口調でいくつか説明が事前にあった。
 クレアは告解を求めているわけではないので、同意すると、
「では、始めましょうね」
 女司祭は優しく開始を宣言する。
 彼女は、クレアに、心のまま、悩んでいることや、辛いこと、子供の頃の記憶などを話すように促した。
 しどろもどろに語る内に、司祭から質問がある。
「クレアさんは、ご両親に撫でてもらったり、抱き締めてもらったりしたことはありますか」
 思い出そうと記憶の引き出しを掻き回してひっくり返してみても、ひとつも見つけられなかった。親から撫でたり抱きしめられたりした記憶がない。
「……ありません」
 テストで酷い点を取ったように、クレアは項垂れて回答する。
「そうですか……それはとても辛かったでしょう」
 辛い……私は辛かったのだろうか? クレアはよく分からなかった。
「そうね、クレアさん。子供の頃の自分の気持ちを思い出してみて下さいね。今の理性と客観視できる大人のあなたではなく、あなたの心の中にいる、子供のあなたがどう感じているか、正直に教えてほしいの」
「子どもの……私……ですか……」
「そうです。そこにお人形さんが置いてあるでしょう。よかったら、それを子供の自分に見立てて話してみてくださいね」
 クレアは、告解室のすぐ手の届く棚に置いてあるぬいぐるみのような少女の人形を手に取った。
 ずいぶんくたくたでぼろぼろだ。目の部分のボタンが取れそうだった。
 これが私……子どもの私……
 女司祭は、クレアが子どもの時に受けた仕打ちを聞き、その時どう感じたか、ひとつひとつ感情を確認していった。
 旅行で置いてきぼりにされたこと。
 家族皆は楽しそうにしていたこと。
 急に怒鳴られたこと。
 言い訳するなと言われたこと。
 可愛げがないと言われたこと。
 文句を言うなら出て行けと言われたこと。
 頭を叩かれたこと。
 弟や妹たちの前で、お姉ちゃんはお前達より馬鹿だ、と笑いものにされたこと。
 無駄飯食いだと言われたこと。
 うちのこではない、橋の下で拾ってきたとジョークを食卓で飛ばされたこと。
「そう、そう、とても辛かったですね……」
 抱きしめられたことがないこと。
 頭を撫でられたことがないこと。
 人の手が頭の上に来ると怖いこと。
 殴られるかもしれないから。
 人とご飯を食べるのが落ち着かないこと。
 笑いものにされるから。
 怖い。
 家族くらいに誰かが近くによってくるのが怖い。
「よく話してくれましたね……」
 喉が熱くて痛い。クレアは手の甲で目を擦った。
 今まで、防御反応のためか、深く考えたことがなく、誤魔化してきたことだった。
 口にして、記憶を辿っていくと、その都度、こどものクレアは「辛い」「悲しい」「怒った」「恥ずかしい」「惨めだ」と感情を訴えた。
 手の中でぎゅっと握りしめられているボロボロの人形はクレアだった。
「本当は、子どもは、安全な場所で、泣いている時も、笑っている時も、何かをチャレンジした時は成功の可否に関わらず、愛されなければいけません。成功しても、失敗しても、貶されず、そのまま肯定してもらえるから、どんな自分も大切にされていると感じられるのです」
 司祭は優しく語りかけた。
「子どものクレアさんの責任ではありませんよ。ご両親の責任なのです。クレアさんが苦しいのは、そうされなかった子どもの自分が、自分を守るために一生懸命、傷ついた自分の存在を隠していたからかもしれませんね。でも今、クレアさんはちゃんと見つけてあげましたね」
 クレアは人形を握り込んだ。
「今のクレアさんが、彼女とお話してあげてください。子どものころに受けた仕打ちは、低年齢からそうね、14歳位までは、その人の人生を決定づける信念や価値観を強固に形成してしまうと言われます。もちろん、良い価値観もありますが、真逆のものもあります。我慢しなくてはならない、甘えてはいけない、感情を表に出してはいけない、そういうことに覚えはありませんか」
「……あります。今は、同僚からもアドバイスされて、甘えなくちゃとも思ってて、でも甘え過ぎてはいけなくて、全然加減がわからなくて……ゼロか100しかできなくて……全部相手に負担をかけるくらいなら、何も甘えないほうがいいと思ってしまって……どうしたらいいのかわからないんです」
「よろしいのですよ、クレアさん」
 女司祭は肯定した。
「急に、こうしなければならない、こうしてはいけない、というこれまでの価値観を否定しなくて良いのです。緩めてあげるだけ」
「緩める……ですか?」
「甘えなくちゃと焦る私がいてもOK、甘えてはいけないと思う私がいてもOK、さぁ、繰り返してみてくださる?」
 クレアはそのまま繰り返してみた。すると、少し焦って自分を否定する気持ちが緩まるのを感じた。
「あの、少し気持ちが……締め付けていたのが、楽になりました」
「良かったです。クレアさんがおっしゃったとおり、大切にされている、愛されていると思える子供の頃の記憶がないと、条件付きで、これができるから認められる、価値があると思ってしまうの。逆に失敗してしまうと、自分が無価値のように感じてしまう」
 覚えがありすぎた。後遺症で、自分が周りに迷惑をかけて、もしもっとひどい状態になったら、無価値になってしまう、そうしたら代理出産を引き受けていただろうとクレアは思いつめて恐ろしく感じていた。
「あの……もしかして、愛されて育てられた人は、何もできなくなっても、自分を無価値に感じないのですか……?」
「泣いたり怒ったり失敗したりしても、大切にされたという記憶があるということでしょうね。それは、大人になっても、辛い時や苦しい時、力になってくれるものです」
「そうなんですね……」
 何もできなくなったから、無価値になるといった白黒二分ベースで自己判断しないということなのだろうか。
 クレアは他人に対してそうは思わないけれども、自分に対してはそう考えてしまう。
 ああ、そういうことか、と腑に落ちた。
 甘えなくちゃ。でも、相手に迷惑をかけて、甘えすぎるくらいなら甘えないほうがいい。この白黒思考も、ここにつながっていたのか。
 子どもの自分と全部、過去と現在がつながっている。
「ご自分を最大に支援できるのは、ご自分自身です。ご両親に伝えたかったこと、それは怒りでも構いません。本人たちに伝えなくていい、子どもの自分の声を、こうだったんだね、そうだったんだね、と聞いて、彼女に伝えてあげて下さい。彼女が癒やされれば、子どもの頃に形成した価値観や信念も、今のあなたに不要か必要かが見えてきます。不要であれば捨ててもいいけれど、否定しなくてよいです。私はどう感じているか。そう感じる自分がいてもよい、オーケーだと緩めてあげて下さい」
 司祭は付け加えた。
「クレアさんは、子どもの自分を、大人の理性で律している方とお見受けしました。あなたが頑張っているように、大事なのはバランスです。共依存をクレアさんはとても恐れているように見えます。相互依存を目指してみて下さい」
「相互依存?」
「自立した者同士は、一本一本の木です。木がそれぞれ必要に応じて、相手が求めるまではじっと見守り、助けてと言われたら助け合う。不要な時はそれぞれの木が立っているのです。一本の木ではできないことも、森を形成すれば、さらなる恵みを与えてくれます。相手を尊重し、あなたが、ではなく、私が、どう感じているのか。どう望んでいるのか。率直に、素直に、感情を伝えてみてください。わがままではないかと気になるなら、相手を尊重した伝え方を心がければ大丈夫。クレアさんはもうできていますから、素直に、私はどう感じているか、どうしたいのかを相手にお伝えしたら良いと思いますよ」
「……ありがとうございます」
 クレアは深々とお礼を言った。

 ■■■

 甘えたらいい、というのは、悩んだクレアが飲み会で夫婦仲の良いものにコツを聞いたり、どうしたら相手を喜ばせられるのか尋ねて、返ってきたアドバイスである。
 彼らも、女司祭のように、素直に伝えたらよいというようなことは言っていたのだが、理屈でクレアはよくわからなかった。
 甘えるってどのくらい?
 わからない……
 親に甘えたことも、甘やかされたこともないクレアには、適度な加減というものが分からなかった。
 ただ、司祭に相談してみて、わからない自分でもいいんだ……とぼんやり思えてきた。
 素直に伝えるというのは、私は貴方を喜ばせたいけれども、どうしたらいいのかわからないので、教えてほしいと言えばよいのだろうか。
 相手を尊重して、ということは、限界値を相談したらいいのか。甘えてみたいけれど、どの程度がいいのかわからないと、素直に聞けばいよい?
 クレアは色々作戦整理して、恥を忍んで、年齢にも関わらず、わからないから教えてほしいとヒューゴにお願いすることにした。
 彼の屋敷に招かれ、そういえばヒューゴの私室に通されたことがないクレアである。
 結婚前の男女だからだろうか。貴族の作法はよくわからない。
 いつも応接室で対応され、食事はまた別室でとる。
 まあいいか、とクレアはまず今日やることに集中した。
 自分のしたいことを全面に押し出してもヒューゴは困るだろう。
 様子を見ながら、ひとつひとつゆっくり伝える。
 嫌そうだったら止める。
 よし、とクレアは深呼吸した。
 応接室のソファで適度な距離を置いて、ふたり座っていつものようにお茶をする。
 クレアは、カップをソーサーに戻すと、スターフェローさん、と改めた。
「あの、スターフェローさんに、お願いがあるのですが……」
 カップを手にしていたヒューゴが、ゆっくりとすみれ色の目を見開く。
「無理に聞いて頂く必要はなくて……その、お話だけ、まずは聞いていただいてもいいですか……?」
「もちろんです……! あの、なんでも……なんでも聞きます……!」
 身を乗り出すようにして、はっとしたようにヒューゴは姿勢を正すと、どうぞ、と恥じたように促した。ぱらりと、彼の額に銀色の髪が一房垂れ、慌てぶりが見て取れる。
 クレアもびっくりしたが、なんでも聞くというのはよく考えてほしい。クレアがめちゃくちゃを言ったらどうする気なのだろう。
「あの、わたし、ええと、」
 整理してきたはずなのに、いざとなると、クレアは混乱して舌が回らなくなった。裁判であれこれ言ったよりも、よほど緊張する。
「その、ドラゴンハートのこともそうですが、私が大変だった時に、スターフェローさんには、ずっと見守って頂いて、あの、たくさん、よくして頂いて……た、大切に、大切にされてるのがわかって、とても、う、嬉しくて……」
 ヒューゴは更にすみれ色の瞳を大きくして、黙って聞いている。
 膝の上で握りしめた両手が、力を込めすぎて感覚がなくなってくるのをクレアは感じた。
「たくさん、してもらって、るので、私も、何か返したくて……私も、スターフェローさんを喜ばせることをしたいんです」
 クレアは焦るあまり、相手の様子を見るというのを頭からふっとばして、自分の手を見ていたので、ヒューゴの喉が上下したのは気づかなかった。
「も、もちろん、無理に喜んでもらいたいわけではないので……あの、私、お恥ずかしながら、家が……ああだったので、スターフェローさんをどう喜ばせたらいいのかよくわからなくて……」
「あ……」
「さ、先にリサーチしたんです。職場の人とか、冒険者の皆さんとか、ええと、相談室とか……」
「……」
 クレアは何だか情けなくなってきた。目を見て話せ、と思う。一方的になってないか、相手をちゃんと見て話しなさい、クレア! と自分を叱咤した。
「みんな、甘えたらいいって、あの、でも、スターフェローさんは違うかも」
「違いません」
 真顔で素早く断言され、スターフェローさんの希望をうかがうべきですよね、と続けるはずの言葉はぶった切られた。クレアはまごつく。
「えっと……はい……でしたら、私も甘えてみたいけれど、どのくらい甘えていいのか、本当に恥ずかしいんですが、わからなくて……スターフェローさんがどういうのなら大丈夫か、教えてほしいんです」
「……私はなんでも」
 低い声で言われる。え、とクレアは困ってしまった。なんでもって、何でも受け入れるのはさすがにないだろう。限度があるはずだ。
 クレアが困ったのがわかったのか、ヒューゴは「実際にしてみて頂けますか?」と言った。
 それでありなしを判定するらしい。
 クレアはうつむき、あの、じゃあ、立って……とお願いする。
 優雅に立ち上がり、じ、と見下ろすヒューゴに、思い切って、クレアは彼の胸に手を置き、ぴと、と頭を預けた。
 性交するわけでもなく、何も無いのに、ぴたりとくっついて、身体を預けている。あたたかいお湯につかったように安心した。
 クレアは肩の力を抜き、目を閉じて、
「だいすき……」
 と本心から我慢せず、素直に率直に、自分の気持ちを口にする。
 そうしたら、ヴァキャッ、と凄まじい音がして、テーブルが真っ二つに割れた。
「……」
 驚きのあまり硬直する。
 庇うようにヒューゴが反対側にクレアを抱き込んで、目をつぶると、「すみません……」と謝罪した。コントロールが……と言葉を濁す。ヒューゴがやったらしい。
 ヒューゴはしばらくなにがしか葛藤していたようだが、「私の私室に……私室に来てもらってもいいですか?」と囁くように尋ねた。
 瞳孔が縦になっている。
 クレアはその目に覗き込まれ、呆然としていたが、あ、とようやく気付いた。
 ヒューゴの私室は、竜の寝床なのだ。
 私の寝床に連れ込んでもいいですか、と尋ねられている。
 獣相の男たちは、多かれ少なかれ、世話好きで、給餌をしたり、贈り物をしたり、巣作りして求愛する習性がある。
 でも、ドラゴンの寝床は別格だ。
 寝床に敷き詰めた宝物の上で、ドラゴンは午睡する。
 そして、そこに無断で入った宝盗人を、ドラゴンは許さない。
 爪で引き裂き、ブレスで焼き殺す。
 ヒューゴは理性の人だけれども、この人にとっても、竜の習性のそれが抑え難くあるのだ。
「まだ明るいですし……なにも……なにもしません。私の私室に……その、いてくれるだけで」
 いてくれるだけで、いいんです、とヒューゴはかつて見た白い竜のように、彼の額をクレアに擦りつけた。
 クレアは、小さな白い竜が、首を項垂れ、黙ってポロポロと涙を流していたのを思い出して、胸が張り裂けそうに、ぎゅうっとなる。
 人型のヒューゴも、小さな竜の彼も、あの時涙をクレアのために流してくれたこの青年を、竜を、クレアは抱きしめたいと思った。
 ふたりは、それから竜の寝床で、ヒューゴがたいそう興奮して、クレアを抱き締め、交代でクレアも小さな白い竜になった彼を抱き締めさせてもらった。了承をもらって、撫で撫でする。
 クレアは、この優しくて理性的で、自分を律して、我慢して、時々ちょっと力のはみ出してしまうらしい青年を、白い竜を、とても愛していた。





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