Astray

雲乃みい

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第3部

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雨は土日と続いて、月曜は梅雨の晴れ間になった。
今朝方まで降っていたせいで地面は濡れていたが空はすっきりと青い。
また始まる一週間に、頭の中では仕事のことだけを詰め込む。
小テストの準備をすることを考えながら職員室への階段を上っていれば、かけ上がってくる足音とともに背中に衝撃が走った。
バランスを少し崩しかけて踏みとどまり横を向けば鈴木が何故か睨みつけてくる。

「よお」
「おはよう」

いつもなら朝はうっとうしいくらいに元気に挨拶してるのが珍しい。
だが俺には関係ないことだし、挨拶を返して歩き出す。

「おい、葛城」
「なんだ」
「なんだじゃねぇだろ! お前、金曜日!」

学校だというのに鈴木はわりと大きい声でなじるように言ってくる。

「だから、なんだ」
「ああ? お前、ふざけるな。繭莉ちゃんお持ち帰りして―――」
「お前には関係ないだろ」
「関係あるに決まってんだろ!! 昨日かなこから電話あってびっくりしたんだからな。繭莉ちゃん、泣いて」
「鈴木」
「あ?」

確かに―――あの日泣き出しそうな顔をしていた、初対面の女の顔が浮かぶ。

「お膳立てしたのはお前、それに乗ったとしたって、それから先は当人同士のことだろ」
「お膳立てしてやったから言ってんだろ。お前な」
「―――おはようございます」

階段の踊り場で立ち止まっていた俺たちに、声がかかった。
同時に俺と鈴木は視線を向けた。
階下からのぼってくるのは遥。

「……おはよう」
「よお、おはよう! 澤野」

遥はぎこちない笑顔で歩いてくる。
正直―――朝から声をかけてくるとは思わなかった。
もちろん、ここは学校だし今は登校時間だ。
偶然の可能性のほうが、いや……それでも、ここを通るのはあえてかもしれないけど。
俺と鈴木は歩き出すではなく、自然と道を譲るように左右にはけた。
遥は俺と鈴木を見比べて軽く頭をさげると通り過ぎようとして、足を止めた。

「あ、あの、葛城先生」

鈴木に背を向け、俺を見る遥。

「……どうした?」

"教師"として返事をする。

「……どうしても……わからないところがあって……今度聞きに行ってもいいですか?」
「……」

鈴木には見えていないだろう遥の表情は必死で、また泣いたのか目の端が赤い。
金曜の夜、あのときが最後でもう遥は俺に声をかけてこないだろうとそう思っていた。

「……どこがわからないか言えば授業で」
「もちろんいいに決まってるだろー」

だけど俺はふたりきりになるつもりはない。
それを込めた返事をしかけていたら鈴木が明るい声で遮った。
否応なしに遥は鈴木の方を振り向かなくてはならなくなる。

「……いい、ですか?」

恐る恐る聞きかえす遥に鈴木は教師然とした爽やかな笑顔で頷いた。

「もちろんだよ。葛城先生は忙しそうだから、なんなら俺が教えてやってもいいしな。澤野は教えがいのある生徒だったからさ、たまには俺も前見たいに勉強見てやりたかったんだよ」
「……」
「……」

予想外のことを言いだす鈴木に俺はただ無言で、遥は一瞬身体を縮こまらせた。
遥の考えなんて鈴木が知るはずもないからしょうがない。
鈴木は、

「今日放課後なら見てやれるから、準備室にくればいい」

と続けてポンと遥の頭に手をのせ、撫でた。

「……」
「……っ、は、はい。ありがとうございます」
「おう。気にするなー。じゃあ放課後な」
「……はい。失礼します」

遥は鈴木に、そして俺に一礼すると足早に去っていった。
俺はそれに続くように再び歩き出す。

「お前のせいでイライラしてたけど、遥ちゃんのお陰で癒されたなー」
「……生徒の名前ちゃん付けで呼ぶな」
「いいじゃねーか。遥ちゃん可愛いし」
「……お前な」

そう言えばこの前も意味のわからないことを言っていたな、こいつ。
ちらり横目に見れば、鈴木もちょうど俺を見て、緩く口角を上げた。

「遥ちゃん見てたら、貧乳でもいいかも、って思うわ最近」
「―――……なに言ってるんだ、お前」
「思ったことそのまんま。あー放課後楽しみが出来たな」
「……」

上機嫌に言う鈴木の真意は知れない。
俺はただ目を背け、ようやく職員室に着いた。





***





「そうそう。正解。やっぱり澤野は覚えが早いな」

準備室に響く鈴木の明るい声。
背後では鈴木が遥の勉強を見ている。
放課後はあっという間に来て、朝言った通り遥はここへ来た。
物言いたげに俺を見た遥には気づいたが黙って自分のデスクについた。

「……そんなことないです」

ぎこちない返事に見てもいないのに眉を下げ微笑しているだろう遥は想像に難くない。
が、俺はただ自分の仕事をするだけだ。

「……あの、ありがとうございました。忙しいのにすみません」
「ん? もういいのか?」
「はい」
「他に分からないところあったら教えてやるぞ。遠慮なく言えよ?」
「……ありがとうございます。でも、もう大丈夫です」
「そっか?」
「はい……本当にありがとうございます」

席を立つ音が響く。

「またいつでも聞きに来いよ」
「はい。―――……先生、さようなら」
「ああ。気をつけてな」

ドアが開く音が次いでして、

「……葛城先生、さようなら」

と、俺へと声がかかった。
一瞬間を置いてペンを持ったま少しだけ振り返る。

「さようなら」

教師としての返事。

目を合わせることはなくすぐにデスクに向き直る。
間があき、ドアの閉まる音がした。
俺は出していた書類を片付け、今日した小テストの答案を取り出し採点をはじめる。

「遥ちゃんやっぱ可愛いなー。教えがいもあるし」

予告なしにした小テストだったがざっと答案を見る限り正解率は高そうだ。
赤ペンを走らせてると鈴木が俺を呼んだ。

「なぁ、葛城」
「なんだ」
「また遥ちゃんがわからないところ聞いてきたら俺教えてやってもいいか?」
「……」
「ほら一応お前が担任だからさー」
「……別に誰が教えようがかまわないだろ」
「だよな」

明るい快活な笑い声がして、

「俺から声かけてみようかなぁ。遥ちゃん遠慮して聞きにこなさそうだもんな」

にやにやとそんなことを言う鈴木に―――。

「お前」
「ん?」
「気持ち悪い」
「なんだよ、気持ち悪いって。俺は可愛い生徒のことを考えてやってるだけだろう」
「……」

うそくさい、と内心呟いてまだ話しかけてくる鈴木をスルーした。

"遥ちゃん"。

遥をそう呼ぶ、その言葉がひどく気持ち悪く。
俺はキリのいいところで休憩がてら煙草を吸いに準備室を出ていった。




***
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