121 / 124
第六夜 それは、まるで
第15話
しおりを挟む
『今日は楽しんできて』
携帯の画面に表示されている受信メール。
もう4時間ほど前にはいってきていたそれを薄暗いバーのソファ席で眺めた。
そのメールに気づいたのは仕事終わりだった。
入っていた時間は捺くんのバイトが始まる直前くらいだろう。
捺くんが自宅に戻ったのあの日が一昨日。
昨日は互いに忙しかったせいかタイミングがあわずにメールだけのやり取りだった。
"あのこと"には触れないまま、ただいまからバイトだというメールと、疲れた。これから叔母さんたちと飲む、というバイト終わりのメールだけ。
そして今日もきっとメールだけだろう。
今から行ってくると会社を出るときに返信はしておいた。
女々しくこうして捺くんからのメールを見るのは何度目だろう。
明日は会う予定になってはいるけれど――会って、そしてどうすればいいんだろうか。
きっと"あのこと"は避けて通れないし。
この二日間気づけばそのことばかりが頭を占めてしまっていた。
思考は完全に行き詰まっていてまったく前には進めていないけれど。
ため息をつきウォッカベースのカクテルを口に運んだ。
離れたところにあるドアが開く音が静かに聞こえ、ついで足音がふたつ近づいてくる。
携帯をしまい顔をあげたところで、
「お疲れ~。待たせた?」
「久しぶり」
と、智紀と晄人が姿を現した。
「少し早く着いて、悪い先に頼んだんだ」
テーブルの上のカクテルをかざして見せる。
「いーよ、別に」
笑いながら智紀が俺の向かいに座り、
「……腹減った」
俺の横に晄人が腰を下ろした。
「俺、ビール」
「はい、晄人」
「サンキュ」
ネクタイを少し緩めた智紀が言い、俺がメニューを晄人に渡した。
このバーはなかなか料理も美味しくてメニューに載っていなくても材料がそろえば作ってくれるときもある。
「ピザとラザニア、あとソーセージの三種盛り。ビール」
テーブルにメニューをポンと置いた晄人は言いながら煙草を取り出していた。
智紀がカウンターへと手を上げ、やってきたバーテンダーに注文する。
「それにしても暑いねー」
もう9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日々は続く。
ほんの少し汗ばんでいる首元を拭いながら智紀も煙草を咥えていた。
三人それぞれ違う銘柄の煙草の煙が混じり薄暗い室内に立ち上っていく。
すぐにビールは運ばれてきた。
「ま、9月だけど暑気払いな感じでね? はい、お疲れカンパーイ」
いつもの爽やかな笑顔を浮かべた智紀がグラスを片手に音頭をとり、それぞれのグラスを軽く合わせた。
美味しい、と一気に飲んでいる智紀から隣の晄人へと視線を向ける。
「今日、実優と昂大(コウタ)は?」
「俺の実家。これで週末は向こうに拘束されるな」
晄人と実優は、実優が高校を卒業すると同時に結婚をした。
だけど実優が短大に進学予定だったためなのか子供が出来たのは去年。
とはいっても在学中に妊娠して、出産したのが卒業後だけれど。
「何人作る予定なんですか? せんせー?」
からかうように目を細める智紀に晄人が軽く舌打ちする。
いまだにたまにだけれど実優が晄人のことを"先生"と呼ぶことがあって、そのせいか、いや元が教師生徒だったからだろうけれど智紀がこうやって晄人をからかうのはよく見る光景だった。
「作れるだけ作るだけだ。で、捺は相変わらず元気なのか?」
智紀を軽くにらみながらさらっと答えた晄人が俺を見る。
たぶん智紀からの追い打ちを避けるために俺のほうに回ってきたんだろう。
「……うん、元気だよ。がんばってる」
"相変わらず"という単語に苦笑しながら、カクテルを飲む。
二年近く智紀の会社でバイトしていたこともあって晄人は捺くんのことを名前で呼ぶようになっていた。
「若いからねー、そりゃ元気だろう」
ああ俺も二十台に戻りたい、とわざとらしく嘆いている智紀。
それに笑いながら――捺くんのことを思い出し、もう一口二口とカクテルを飲み進めた。
「若いといえば智紀のハニーだってまだ若いだろ?」
捺くんの話をいまする気にはなれずに晄人と同じように今度は智紀へと話を振った。
あえて"ハニー"と普段なら俺が呼ばなそうな言い方をしてみれば片眉を上げた智紀がおかしそうに笑う。
「まあねー。若いよ。いいよねー、若い子は」
「ジジ臭いな」
「俺達の中で一番オッサンは晄人だから」
「なんでだよ」
「ほらパパだしー?」
「確かに」
「うるさい」
「いやーしかし晄人がパパねー。まぁでも昂大は実優ちゃんに似て可愛いし、晄人に似ずに人懐っこくていい子だよね」
「……うるさい」
ふたりのやりとりについ笑ってしまう。
うるさいと言いながらも晄人はそんなに嫌そうなわけでもない。
話の途中料理が運ばれてきて食べながら最近の昂大についての話に花が咲く。
7月の晄人の誕生日とごく近くに生まれた昂大は捺くんにもよく懐いていて会いに行くたびに若いからか遊び相手にさせられている。
くたくたになるまで振り回されて遊ばれている捺くんを思い出し、カクテルを喉に流し込む。
人生の中で結婚して子供を産んでというのは多くの人間が経験することだ。
俺達はもう30を過ぎていて、子供がいてもおかしくない。
でも晄人をのぞけばいま男と付き合っている智紀と俺には縁のない話だ。
「次は女の子にしてくれよ。俺が名づけ親になってやるからさ」
「却下だ」
「冷たいねぇ、親友に対して」
「お前が名づけ親になるならよっぽど優斗の方がいい」
「え、俺? いいの、つけて」
「可愛い名前だったらいい」
「えー? 俺だって可愛い名前つけれるんだけど?」
だけど先がどうなるかなんてわからない。
携帯の画面に表示されている受信メール。
もう4時間ほど前にはいってきていたそれを薄暗いバーのソファ席で眺めた。
そのメールに気づいたのは仕事終わりだった。
入っていた時間は捺くんのバイトが始まる直前くらいだろう。
捺くんが自宅に戻ったのあの日が一昨日。
昨日は互いに忙しかったせいかタイミングがあわずにメールだけのやり取りだった。
"あのこと"には触れないまま、ただいまからバイトだというメールと、疲れた。これから叔母さんたちと飲む、というバイト終わりのメールだけ。
そして今日もきっとメールだけだろう。
今から行ってくると会社を出るときに返信はしておいた。
女々しくこうして捺くんからのメールを見るのは何度目だろう。
明日は会う予定になってはいるけれど――会って、そしてどうすればいいんだろうか。
きっと"あのこと"は避けて通れないし。
この二日間気づけばそのことばかりが頭を占めてしまっていた。
思考は完全に行き詰まっていてまったく前には進めていないけれど。
ため息をつきウォッカベースのカクテルを口に運んだ。
離れたところにあるドアが開く音が静かに聞こえ、ついで足音がふたつ近づいてくる。
携帯をしまい顔をあげたところで、
「お疲れ~。待たせた?」
「久しぶり」
と、智紀と晄人が姿を現した。
「少し早く着いて、悪い先に頼んだんだ」
テーブルの上のカクテルをかざして見せる。
「いーよ、別に」
笑いながら智紀が俺の向かいに座り、
「……腹減った」
俺の横に晄人が腰を下ろした。
「俺、ビール」
「はい、晄人」
「サンキュ」
ネクタイを少し緩めた智紀が言い、俺がメニューを晄人に渡した。
このバーはなかなか料理も美味しくてメニューに載っていなくても材料がそろえば作ってくれるときもある。
「ピザとラザニア、あとソーセージの三種盛り。ビール」
テーブルにメニューをポンと置いた晄人は言いながら煙草を取り出していた。
智紀がカウンターへと手を上げ、やってきたバーテンダーに注文する。
「それにしても暑いねー」
もう9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日々は続く。
ほんの少し汗ばんでいる首元を拭いながら智紀も煙草を咥えていた。
三人それぞれ違う銘柄の煙草の煙が混じり薄暗い室内に立ち上っていく。
すぐにビールは運ばれてきた。
「ま、9月だけど暑気払いな感じでね? はい、お疲れカンパーイ」
いつもの爽やかな笑顔を浮かべた智紀がグラスを片手に音頭をとり、それぞれのグラスを軽く合わせた。
美味しい、と一気に飲んでいる智紀から隣の晄人へと視線を向ける。
「今日、実優と昂大(コウタ)は?」
「俺の実家。これで週末は向こうに拘束されるな」
晄人と実優は、実優が高校を卒業すると同時に結婚をした。
だけど実優が短大に進学予定だったためなのか子供が出来たのは去年。
とはいっても在学中に妊娠して、出産したのが卒業後だけれど。
「何人作る予定なんですか? せんせー?」
からかうように目を細める智紀に晄人が軽く舌打ちする。
いまだにたまにだけれど実優が晄人のことを"先生"と呼ぶことがあって、そのせいか、いや元が教師生徒だったからだろうけれど智紀がこうやって晄人をからかうのはよく見る光景だった。
「作れるだけ作るだけだ。で、捺は相変わらず元気なのか?」
智紀を軽くにらみながらさらっと答えた晄人が俺を見る。
たぶん智紀からの追い打ちを避けるために俺のほうに回ってきたんだろう。
「……うん、元気だよ。がんばってる」
"相変わらず"という単語に苦笑しながら、カクテルを飲む。
二年近く智紀の会社でバイトしていたこともあって晄人は捺くんのことを名前で呼ぶようになっていた。
「若いからねー、そりゃ元気だろう」
ああ俺も二十台に戻りたい、とわざとらしく嘆いている智紀。
それに笑いながら――捺くんのことを思い出し、もう一口二口とカクテルを飲み進めた。
「若いといえば智紀のハニーだってまだ若いだろ?」
捺くんの話をいまする気にはなれずに晄人と同じように今度は智紀へと話を振った。
あえて"ハニー"と普段なら俺が呼ばなそうな言い方をしてみれば片眉を上げた智紀がおかしそうに笑う。
「まあねー。若いよ。いいよねー、若い子は」
「ジジ臭いな」
「俺達の中で一番オッサンは晄人だから」
「なんでだよ」
「ほらパパだしー?」
「確かに」
「うるさい」
「いやーしかし晄人がパパねー。まぁでも昂大は実優ちゃんに似て可愛いし、晄人に似ずに人懐っこくていい子だよね」
「……うるさい」
ふたりのやりとりについ笑ってしまう。
うるさいと言いながらも晄人はそんなに嫌そうなわけでもない。
話の途中料理が運ばれてきて食べながら最近の昂大についての話に花が咲く。
7月の晄人の誕生日とごく近くに生まれた昂大は捺くんにもよく懐いていて会いに行くたびに若いからか遊び相手にさせられている。
くたくたになるまで振り回されて遊ばれている捺くんを思い出し、カクテルを喉に流し込む。
人生の中で結婚して子供を産んでというのは多くの人間が経験することだ。
俺達はもう30を過ぎていて、子供がいてもおかしくない。
でも晄人をのぞけばいま男と付き合っている智紀と俺には縁のない話だ。
「次は女の子にしてくれよ。俺が名づけ親になってやるからさ」
「却下だ」
「冷たいねぇ、親友に対して」
「お前が名づけ親になるならよっぽど優斗の方がいい」
「え、俺? いいの、つけて」
「可愛い名前だったらいい」
「えー? 俺だって可愛い名前つけれるんだけど?」
だけど先がどうなるかなんてわからない。
1
お気に入りに追加
355
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。
ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。
だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる