ひとつ屋根の下

瑞原唯子

文字の大きさ
上 下
25 / 33

第25話 タイムリミット

しおりを挟む
「遥、もう見合いをして結婚しなさい」
 祖父の剛三がそう命じるのを、遥は直立したまま表情も変えずに受け止めた。先日、大伯母からも見合い相手を見繕っていると聞かされたし、呼び出された時点でこの話だろうとほぼ確信していたのだ。
 執務机にはお見合い写真らしきものが山積みにされている。剛三は若干うんざりした面持ちでそれを見やると、一番上からひとつぞんざいに取り、中の写真に冷ややかな目を向けながら言う。
「大地たちのこともあって、遥にはしかるべき家のお嬢さんをという声が大きい。個人的にはおまえたちを応援していたし、味方になるつもりでいたが、よりを戻せないのでは仕方あるまい」
「僕はまだあきらめていません」
 遥は強気に訴える。
 しかし剛三が気持ちを動かされた気配はなかった。手にしていたお見合い写真を無造作に元の場所に戻すと、まっすぐに遥を見据え、厳しさすら感じさせる真剣な声音で諭すように告げる。
「現実を見ろ。三年以上ふられつづけているのだぞ。七海の気持ちがおまえに向くことはもうない。そのくらいおまえだってわかっているのだろう。ときにはあきらめるしかないこともある」
「……最後にもうすこしだけ時間をください」
 遥は背筋を伸ばし、まじろぎもせずひたむきに見つめ返して訴える。泣いてはいないが泣き落としのようなものだ。剛三は半ばあきれたような目つきになりながら、溜息をついた。
「強要や脅迫は絶対に許さんぞ」
「承知しています」
「七海が成人するまでは待とう」
「ありがとうございます」
 遥は静かに答え、深々と一礼して剛三の執務室を辞した。
 自室に戻る途中、うららかな陽気に誘われるようにふと足を止める。格子窓のガラス越しに庭のほうへ目を向けると、満開の桜並木が風にそよぎ、薄紅色の花びらがひらひらと舞い落ちるのが見えた。

 七海は現在十九歳。成人するまであと約三か月だ。
 認めたくはないが剛三の言ったことはもっともだと思う。正直、遥自身も七海とよりを戻すのはもう難しいと感じている。これまで三年三か月、何度告白しても受け入れてもらえなかったのだから。
 遥は現在二十七歳。まもなく七海の保護者としての役割にも区切りがつき、結婚を考えるにはちょうどいい頃合いである。いつまでも見込みのない片思いにうつつを抜かしているわけにはいかない。
 だが、急に言われてもすぐには気持ちを切り替えられない。せめて悔いの残らないようにもうすこしだけ足掻かせてほしい。そのあとは素直に剛三に従う。七海を好きになるまえの人生設計に戻るだけのこと——。
 心臓がギュッと引き絞られるように痛む。
 七海と出会わなければこんな気持ちを知ることもなかった。それでも出会わなければよかったと思えないのが憎らしい。小さく吐息を落とすと、その痛みを振り切るように颯爽と足を進めた。

「遥!」
 自室の扉を開けようとドアノブに手を伸ばしたとき、足音を聞きつけたのか、隣の部屋から七海があわてた様子で飛び出してきた。その手にはきのう遥が貸したミステリ小説が握られている。
「それ、もう読み終わったの?」
「うん、下巻も貸してくれる?」
「もちろん」
 その返事に、七海は嬉しそうな顔を見せる。
 そういえば上巻はひどく続きが気になる終わり方をしていた。ラスト数行でぞわりと鳥肌が立ち、混乱し、下巻を読むまで落ち着かないような。七海も同じ気持ちになったのかもしれないと思い、くすりと笑う。
「入って。ちょうどお茶にしようと思ってたところだから、ついでにつきあってくれると嬉しいんだけど」
「うん」
 すぐにでも下巻を読みふけりたいところだろうが、笑顔で頷いてくれた。遥は扉を開け、どうぞと彼女を促しながら中に足を進めると、ベッドサイドの内線電話でお茶の用意を頼んだ。

 しばらくして使用人が紅茶を運んできた。
 レースのカーテンを通したやわらかな陽射しが満ちる中、手際よくティータイムの用意がなされる。二人の前にはそれぞれティーカップが置かれ、中央にはティーポットと籠入りクッキーが並べられた。
 さっそくゆらりと湯気の立ちのぼる熱い紅茶を飲みながら、いつものようにとりとめのない話をする。件のミステリ小説については、七海が下巻を読み終わったら語り合おうと約束した。

「じゃあ、僕はそろそろ戻ろうかな」
 話が途切れると、七海はカップに半分ほど残っていた紅茶を一気に飲みきって、そう切り出した。いつもはもっとのんびりとティータイムを楽しんでいるのに、今日は明らかに性急である。
「早く下巻が読みたい?」
「ん、まあね」
 からかうように尋ねると、彼女は気まずそうに苦笑を浮かべてそう答える。二人で話をしているあいだも、ときどきではあるが手元の下巻に目を向けており、気もそぞろになっていることはわかっていた。
「でも遥も仕事が忙しいみたいだしさ」
「いまはそんなことないけど」
「剛三さんに呼び出されたんだろ?」
「ああ……」
 なぜそんなことを知っているのかと不思議に思ったが、遥が自室にいなかったので、執事の櫻井にでも居場所を尋ねたのかもしれない。
「今回は仕事の話じゃないよ」
「あ、そうなんだ」
「そろそろ見合いしろって」
 七海は静かに息を飲んだ。しかし驚いた様子を見せたのはその一瞬だけで、そう、とたいして興味がないかのようにつぶやくと、ティーポットから自分のカップに紅茶を注いで一口飲む。
「僕は見合いなんかしたくないんだけど」
「そんなわがまま言える立場じゃないんだろ?」
「……まあね」
 遥は目を伏せ、ひそかに奥歯を噛みしめた。
 いつからだろう。七海への想いを口にしようとすると、彼女は心を閉ざすようになってしまった。そっけない態度で話をそらしたり、淡々とあしらったりするばかりで、真剣に向き合ってくれないのだ。
 いまだに武蔵のことが好きだと知られたくないのだろうか。最初のうちはそれを理由に遥の告白を断っていたのだが、いつしか理由は言わなくなった。尋ねても答えてくれなくなった。そのこととも符合する。
 あるいは富田の言うように、もはや遥を恋愛対象として見ていないのかもしれない。気の合う友人ではあるが付き合うつもりはないと。そのことに申し訳なさを感じて隠しているのなら、辻褄は合う。
 いずれにしても、遥にできるのは最後にもういちど告白することくらいである。そのために猶予をもらったのだ。きちんと準備をして、どうにか悔いの残らないように気持ちを伝えなければと思う。
 それでもきっと答えは変わらない。せめて理由だけでも聞かせてほしいところだが、それも難しいだろう。だから——凪いだ紅茶の水面を見つめつつ、腿に置いた両手をそっと握りしめる。
「ねえ、今度の七海の誕生日にさ」
「ん?」
 七海は飲んでいた紅茶のティーカップを置きながら、怪訝な顔をした。急に三か月も先の話を切り出されたのだから無理もない。遥は安心させるようにやわらかく微笑んで続ける。
「一緒にどこか飲みに行こうよ」
「飲みに……って……え、お酒?」
「そう、二十歳のお祝いも兼ねて」
「うん!」
 最初こそ面食らっていたが、二十歳のお祝いと聞くと喜んで頷いてくれた。前々からお酒に興味を示していたのだ。未成年のうちは飲まないよう言いつけてあるので、その日が初めてになるだろう。
 告白を断られたら、二人きりで飲みに行くのはおそらく最初で最後になる。七海の成人を祝い、一緒にお酒を飲み、それを思い出にしてこの気持ちに区切りをつけよう。遥はひとりひそかに決意を固めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Andante - アンダンテ -

瑞原唯子
恋愛
彼女から寄せられる好意を煩わしいとしか思わなかった。彼女の想いに応えるつもりはなかった。なのに、いつしか少しずつ距離が縮まっていて――。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

再会ロマンス~幼なじみの甘い溺愛~

松本ユミ
恋愛
夏木美桜(なつきみお)は幼なじみの鳴海哲平(なるみてっぺい)に淡い恋心を抱いていた。 しかし、小学校の卒業式で起こったある出来事により二人はすれ違い、両親の離婚により美桜は引っ越して哲平と疎遠になった。 約十二年後、偶然にも美桜は哲平と再会した。 過去の出来事から二度と会いたくないと思っていた哲平と、美桜は酔った勢いで一夜を共にしてしまう。 美桜が初めてだと知った哲平は『責任をとる、結婚しよう』と言ってきて、好きという気持ちを全面に出して甘やかしてくる。 そんな中、美桜がストーカー被害に遭っていることを知った哲平が一緒に住むことを提案してきて……。 幼なじみとの再会ラブ。 *他サイト様でも公開中ですが、こちらは加筆修正した完全版になります。 性描写も予告なしに入りますので、苦手な人はご注意してください。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...