上 下
8 / 17

8話 魔法を解かれて

しおりを挟む
 ゆっくりと目を開くと、窓から差し込む優しい光が、私の視界を柔らかく照らし出した。


 微睡みのような感覚から覚醒するにつれ、ぼやけた視界が徐々にクリアになっていく。


「ふぁ……っ!!!!!!」


 のんきに伸びをしようとした私は、目の前の光景に気付き、声にならぬ悲鳴を漏らした。


 見開いた目に映った鮮明な視界の中に、酷く顔色を悪くしたリアスの顔が飛び込んできたのだ。
 あまりに具合が悪そうで、心臓が縮み上がった。


 すると、何を勘違いしたのだろうか。


 目覚めた私の反応を見るなり、リアスはただでさえ血の気を失ったような顔に、絶望の影を落として口を開いた。


「ちゃんと、魔法が解けたみたいだね……。本当に今までごめん。すぐに離婚の手続きをするから――」
「待って、リアス」


 サッとベッドから起き上がり、私はぎこちなく口を動かす顔面蒼白になった彼の手を掴んだ。
 そして告げた。


「私、あなたのことが好きよ」
「え?」
「私、ちゃんとあなたのことが好き……。魅了魔法にかかっていなかったみたいっ……!」


 心の曇空が一気に晴れ上がるようだった。
 私がリアスを愛する気持ちは、目覚めてもなお健在だったのだ。


 リアスを見るだけで愛おしく感じるし、彼の戸惑う姿すら可愛く思える。


 抱き締めたりキスしたりすることだって、厭わず彼にしてあげたいと思える。


――これで好きじゃないなんて、ありえないわ。


 嬉しさが込み上げた私はその想いが伝わればと、はしゃぎながら彼の首に腕を回して頬に口付けた。


「リアス、私たち離婚せずに済むわね!」


 そう言ったところ、なぜかリアスは私の腕を掴んでするりとその頭を抜いた。


「リアス?」


 予想外の行動に戸惑い彼を見つめると、真顔のまま目だけを見開き、顔を真っ赤に染め上げた彼の姿が映った。


 また、彼は見つめる私と目が合うなり、キスした頬にパッと手の甲を添え、信じ難いものでも見るような視線をこちらに向けた。


 リアスのこの挙動に、私は思わず首を傾げた。
 魔法は解けて一件落着のはずなのに、どうしてこのような反応をするのか分からないのだ。


 すると、リアスが突然後ろに振り返った。


「どうなってる!? 魔法を解くのに失敗したのかっ?」


 リアスが驚きの籠った声を発した方を見ると、そこにはアルチーナがいた。


 彼女はリアスにかけられた言葉がよほど心外だったのだろう。軽く眉をひそめ、肘を覆うように腕を組み直した。


「そんなわけないじゃない。ちゃんと魔法は解けているはずよ」


 非常に落ち着き払った声だった。


 だが、リアスはどうにも納得できないらしく、再び口を開いた。


「じゃあ、どうしてエリーゼはこんなことを言うんだ?」
「それは……奥様があなたを好きだからじゃない?」


 よく言ったわ、アルチーナ。
 私は彼女の返しに、心の中で鳴り止まぬ拍手を送りながら賛同した。


 まさにその通りだもの。


 しかし、リアスは懲りなかった。


「そんなわけない。きっと魅了魔法が残っているから、こんなことを言うんだ」


 そう言い張るリアスの言葉に、私は自身の耳を疑った。


――アルチーナは分かるのに、どうして夫のリアスが分かってくれないの?


 私にかけられていた魅了魔法が解けたと、リアスがあまりに信じてくれない。
 そのため、私は辛抱たまらず彼に声をかけた。


「ねえ、リアス」


 名前を呼ぶと、背を向けていた彼が私の方に反射的な速さで向き直った。


「私にかけられた魔法はちゃんと解けたわよ。どうして頑なに否定するの?」
「っ……」


 リアスは根拠もなしに、誰かを疑うような人ではない。二年も夫婦をしていれば、それくらい分かる。


「ねえ、リアス。教えてちょうだい。何かそう思う理由があるんでしょう?」


 彼の本音を聞き出そうと、あえて優しく声をかけた。


 すると途端に、リアスは言いようのない悔しさを滲ませるように顔を歪ませた。


「……ロベルト・ウィンクラー」
「え?」
「君が本当に好きなのは、ロベルト・ウィンクラーのはずだからだ」


 あまりに想定外過ぎる。そんな人物の名前を出されて、私は思わず動揺した。


「どうして、そこでロビンが出てくるの?」


 まるで意味が分からなかった。
 だが、リアスにはそう考えた彼なりの理由があるのだろう。


 記憶の片端から疑われそうなことを懸命に思い出していると、彼の方が先に口を開いた。


「君がロベルト卿に、二十歳までに婚約者ができなかったら結婚しようと言われて、いいよって答えていたじゃないか」


 リアスの言葉を聞き、背後のアルチーナが「あらやだ、奥様!」なんて声を漏らす。


 一方、リアスはこれまでのとめどない思いを溢れさせるように、早口で言葉を続けた。


「俺が魅了魔法をかけたきっかけは、間違いなく彼の存在があったからだ。エリーゼを他の誰のものにもしたくなかったっ……」


 彼はそこまで言うと、深呼吸のようなため息をついた。続けて、弱り切ったか弱い声を零した。


「あのとき君は、あと半年もすれば二十歳だった。だから……焦ったんだ」


 ……まさか、リアスがロビンのことをこんなにも気にしていたとは。
 これまで一度たりとも、そう考えたことは無かった。
 思ってもみなかった。


 ロビンこと、ロベルト・ウィンクラー。


 彼は確かに、当時十九歳の私に結婚しようと言った。私も間違いなく、その話に乗った。


 ただ私の場合、ベルガー公爵家が行き遅れの娘がいる家門だと泥を塗られないようにする、という目的ありきで成立したもの。


 つまり、貴族としての義務を果たしつつ、双方の社会的地位を保証するための結婚話だったのだ。


 だから、私は彼に恋情という思いは欠片も抱いていなかったし、今も抱いていない。
 それは彼も同じはずだ。


 だって、そもそもの私とロビンの関係は、実質姉弟だったから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!

奏音 美都
恋愛
 ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。  そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。  あぁ、なんてことでしょう……  こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

そんなあなたには愛想が尽きました

ララ
恋愛
愛する人は私を裏切り、別の女性を体を重ねました。 そんなあなたには愛想が尽きました。

不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする

矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。 『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。 『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。 『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。 不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。 ※設定はゆるいです。 ※たくさん笑ってください♪ ※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!

婚約者候補を見定めていたら予定外の大物が釣れてしまった…

矢野りと
恋愛
16歳になるエミリア・ダートン子爵令嬢にはまだ婚約者がいない。恋愛結婚に憧れ、政略での婚約を拒んできたからだ。 ある日、理不尽な理由から婚約者を早急に決めるようにと祖父から言われ「三人の婚約者候補から一人選ばなければ修道院行きだぞ」と脅される。 それならばと三人の婚約者候補を自分の目で見定めようと自ら婚約者候補達について調べ始める。 その様子を誰かに見られているとも知らずに…。 *設定はゆるいです。 *この作品は作者の他作品『私の孤独に気づいてくれたのは家族でも婚約者でもなく特待生で平民の彼でした』の登場人物第三王子と婚約者のお話です。そちらも読んで頂くとより楽しめると思います。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

処理中です...