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8話 魔法を解かれて
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ゆっくりと目を開くと、窓から差し込む優しい光が、私の視界を柔らかく照らし出した。
微睡みのような感覚から覚醒するにつれ、ぼやけた視界が徐々にクリアになっていく。
「ふぁ……っ!!!!!!」
のんきに伸びをしようとした私は、目の前の光景に気付き、声にならぬ悲鳴を漏らした。
見開いた目に映った鮮明な視界の中に、酷く顔色を悪くしたリアスの顔が飛び込んできたのだ。
あまりに具合が悪そうで、心臓が縮み上がった。
すると、何を勘違いしたのだろうか。
目覚めた私の反応を見るなり、リアスはただでさえ血の気を失ったような顔に、絶望の影を落として口を開いた。
「ちゃんと、魔法が解けたみたいだね……。本当に今までごめん。すぐに離婚の手続きをするから――」
「待って、リアス」
サッとベッドから起き上がり、私はぎこちなく口を動かす顔面蒼白になった彼の手を掴んだ。
そして告げた。
「私、あなたのことが好きよ」
「え?」
「私、ちゃんとあなたのことが好き……。魅了魔法にかかっていなかったみたいっ……!」
心の曇空が一気に晴れ上がるようだった。
私がリアスを愛する気持ちは、目覚めてもなお健在だったのだ。
リアスを見るだけで愛おしく感じるし、彼の戸惑う姿すら可愛く思える。
抱き締めたりキスしたりすることだって、厭わず彼にしてあげたいと思える。
――これで好きじゃないなんて、ありえないわ。
嬉しさが込み上げた私はその想いが伝わればと、はしゃぎながら彼の首に腕を回して頬に口付けた。
「リアス、私たち離婚せずに済むわね!」
そう言ったところ、なぜかリアスは私の腕を掴んでするりとその頭を抜いた。
「リアス?」
予想外の行動に戸惑い彼を見つめると、真顔のまま目だけを見開き、顔を真っ赤に染め上げた彼の姿が映った。
また、彼は見つめる私と目が合うなり、キスした頬にパッと手の甲を添え、信じ難いものでも見るような視線をこちらに向けた。
リアスのこの挙動に、私は思わず首を傾げた。
魔法は解けて一件落着のはずなのに、どうしてこのような反応をするのか分からないのだ。
すると、リアスが突然後ろに振り返った。
「どうなってる!? 魔法を解くのに失敗したのかっ?」
リアスが驚きの籠った声を発した方を見ると、そこにはアルチーナがいた。
彼女はリアスにかけられた言葉がよほど心外だったのだろう。軽く眉をひそめ、肘を覆うように腕を組み直した。
「そんなわけないじゃない。ちゃんと魔法は解けているはずよ」
非常に落ち着き払った声だった。
だが、リアスはどうにも納得できないらしく、再び口を開いた。
「じゃあ、どうしてエリーゼはこんなことを言うんだ?」
「それは……奥様があなたを好きだからじゃない?」
よく言ったわ、アルチーナ。
私は彼女の返しに、心の中で鳴り止まぬ拍手を送りながら賛同した。
まさにその通りだもの。
しかし、リアスは懲りなかった。
「そんなわけない。きっと魅了魔法が残っているから、こんなことを言うんだ」
そう言い張るリアスの言葉に、私は自身の耳を疑った。
――アルチーナは分かるのに、どうして夫のリアスが分かってくれないの?
私にかけられていた魅了魔法が解けたと、リアスがあまりに信じてくれない。
そのため、私は辛抱たまらず彼に声をかけた。
「ねえ、リアス」
名前を呼ぶと、背を向けていた彼が私の方に反射的な速さで向き直った。
「私にかけられた魔法はちゃんと解けたわよ。どうして頑なに否定するの?」
「っ……」
リアスは根拠もなしに、誰かを疑うような人ではない。二年も夫婦をしていれば、それくらい分かる。
「ねえ、リアス。教えてちょうだい。何かそう思う理由があるんでしょう?」
彼の本音を聞き出そうと、あえて優しく声をかけた。
すると途端に、リアスは言いようのない悔しさを滲ませるように顔を歪ませた。
「……ロベルト・ウィンクラー」
「え?」
「君が本当に好きなのは、ロベルト・ウィンクラーのはずだからだ」
あまりに想定外過ぎる。そんな人物の名前を出されて、私は思わず動揺した。
「どうして、そこでロビンが出てくるの?」
まるで意味が分からなかった。
だが、リアスにはそう考えた彼なりの理由があるのだろう。
記憶の片端から疑われそうなことを懸命に思い出していると、彼の方が先に口を開いた。
「君がロベルト卿に、二十歳までに婚約者ができなかったら結婚しようと言われて、いいよって答えていたじゃないか」
リアスの言葉を聞き、背後のアルチーナが「あらやだ、奥様!」なんて声を漏らす。
一方、リアスはこれまでのとめどない思いを溢れさせるように、早口で言葉を続けた。
「俺が魅了魔法をかけたきっかけは、間違いなく彼の存在があったからだ。エリーゼを他の誰のものにもしたくなかったっ……」
彼はそこまで言うと、深呼吸のようなため息をついた。続けて、弱り切ったか弱い声を零した。
「あのとき君は、あと半年もすれば二十歳だった。だから……焦ったんだ」
……まさか、リアスがロビンのことをこんなにも気にしていたとは。
これまで一度たりとも、そう考えたことは無かった。
思ってもみなかった。
ロビンこと、ロベルト・ウィンクラー。
彼は確かに、当時十九歳の私に結婚しようと言った。私も間違いなく、その話に乗った。
ただ私の場合、ベルガー公爵家が行き遅れの娘がいる家門だと泥を塗られないようにする、という目的ありきで成立したもの。
つまり、貴族としての義務を果たしつつ、双方の社会的地位を保証するための結婚話だったのだ。
だから、私は彼に恋情という思いは欠片も抱いていなかったし、今も抱いていない。
それは彼も同じはずだ。
だって、そもそもの私とロビンの関係は、実質姉弟だったから。
微睡みのような感覚から覚醒するにつれ、ぼやけた視界が徐々にクリアになっていく。
「ふぁ……っ!!!!!!」
のんきに伸びをしようとした私は、目の前の光景に気付き、声にならぬ悲鳴を漏らした。
見開いた目に映った鮮明な視界の中に、酷く顔色を悪くしたリアスの顔が飛び込んできたのだ。
あまりに具合が悪そうで、心臓が縮み上がった。
すると、何を勘違いしたのだろうか。
目覚めた私の反応を見るなり、リアスはただでさえ血の気を失ったような顔に、絶望の影を落として口を開いた。
「ちゃんと、魔法が解けたみたいだね……。本当に今までごめん。すぐに離婚の手続きをするから――」
「待って、リアス」
サッとベッドから起き上がり、私はぎこちなく口を動かす顔面蒼白になった彼の手を掴んだ。
そして告げた。
「私、あなたのことが好きよ」
「え?」
「私、ちゃんとあなたのことが好き……。魅了魔法にかかっていなかったみたいっ……!」
心の曇空が一気に晴れ上がるようだった。
私がリアスを愛する気持ちは、目覚めてもなお健在だったのだ。
リアスを見るだけで愛おしく感じるし、彼の戸惑う姿すら可愛く思える。
抱き締めたりキスしたりすることだって、厭わず彼にしてあげたいと思える。
――これで好きじゃないなんて、ありえないわ。
嬉しさが込み上げた私はその想いが伝わればと、はしゃぎながら彼の首に腕を回して頬に口付けた。
「リアス、私たち離婚せずに済むわね!」
そう言ったところ、なぜかリアスは私の腕を掴んでするりとその頭を抜いた。
「リアス?」
予想外の行動に戸惑い彼を見つめると、真顔のまま目だけを見開き、顔を真っ赤に染め上げた彼の姿が映った。
また、彼は見つめる私と目が合うなり、キスした頬にパッと手の甲を添え、信じ難いものでも見るような視線をこちらに向けた。
リアスのこの挙動に、私は思わず首を傾げた。
魔法は解けて一件落着のはずなのに、どうしてこのような反応をするのか分からないのだ。
すると、リアスが突然後ろに振り返った。
「どうなってる!? 魔法を解くのに失敗したのかっ?」
リアスが驚きの籠った声を発した方を見ると、そこにはアルチーナがいた。
彼女はリアスにかけられた言葉がよほど心外だったのだろう。軽く眉をひそめ、肘を覆うように腕を組み直した。
「そんなわけないじゃない。ちゃんと魔法は解けているはずよ」
非常に落ち着き払った声だった。
だが、リアスはどうにも納得できないらしく、再び口を開いた。
「じゃあ、どうしてエリーゼはこんなことを言うんだ?」
「それは……奥様があなたを好きだからじゃない?」
よく言ったわ、アルチーナ。
私は彼女の返しに、心の中で鳴り止まぬ拍手を送りながら賛同した。
まさにその通りだもの。
しかし、リアスは懲りなかった。
「そんなわけない。きっと魅了魔法が残っているから、こんなことを言うんだ」
そう言い張るリアスの言葉に、私は自身の耳を疑った。
――アルチーナは分かるのに、どうして夫のリアスが分かってくれないの?
私にかけられていた魅了魔法が解けたと、リアスがあまりに信じてくれない。
そのため、私は辛抱たまらず彼に声をかけた。
「ねえ、リアス」
名前を呼ぶと、背を向けていた彼が私の方に反射的な速さで向き直った。
「私にかけられた魔法はちゃんと解けたわよ。どうして頑なに否定するの?」
「っ……」
リアスは根拠もなしに、誰かを疑うような人ではない。二年も夫婦をしていれば、それくらい分かる。
「ねえ、リアス。教えてちょうだい。何かそう思う理由があるんでしょう?」
彼の本音を聞き出そうと、あえて優しく声をかけた。
すると途端に、リアスは言いようのない悔しさを滲ませるように顔を歪ませた。
「……ロベルト・ウィンクラー」
「え?」
「君が本当に好きなのは、ロベルト・ウィンクラーのはずだからだ」
あまりに想定外過ぎる。そんな人物の名前を出されて、私は思わず動揺した。
「どうして、そこでロビンが出てくるの?」
まるで意味が分からなかった。
だが、リアスにはそう考えた彼なりの理由があるのだろう。
記憶の片端から疑われそうなことを懸命に思い出していると、彼の方が先に口を開いた。
「君がロベルト卿に、二十歳までに婚約者ができなかったら結婚しようと言われて、いいよって答えていたじゃないか」
リアスの言葉を聞き、背後のアルチーナが「あらやだ、奥様!」なんて声を漏らす。
一方、リアスはこれまでのとめどない思いを溢れさせるように、早口で言葉を続けた。
「俺が魅了魔法をかけたきっかけは、間違いなく彼の存在があったからだ。エリーゼを他の誰のものにもしたくなかったっ……」
彼はそこまで言うと、深呼吸のようなため息をついた。続けて、弱り切ったか弱い声を零した。
「あのとき君は、あと半年もすれば二十歳だった。だから……焦ったんだ」
……まさか、リアスがロビンのことをこんなにも気にしていたとは。
これまで一度たりとも、そう考えたことは無かった。
思ってもみなかった。
ロビンこと、ロベルト・ウィンクラー。
彼は確かに、当時十九歳の私に結婚しようと言った。私も間違いなく、その話に乗った。
ただ私の場合、ベルガー公爵家が行き遅れの娘がいる家門だと泥を塗られないようにする、という目的ありきで成立したもの。
つまり、貴族としての義務を果たしつつ、双方の社会的地位を保証するための結婚話だったのだ。
だから、私は彼に恋情という思いは欠片も抱いていなかったし、今も抱いていない。
それは彼も同じはずだ。
だって、そもそもの私とロビンの関係は、実質姉弟だったから。
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