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24 忙しげな彼
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ある程度乾いたわね。
「シド、終わりましたよ」
「ん? あ、ああ……終わったのか」
返ってきたシドの言葉は、いつものシドよりも少し気の抜けたものだった。
「もしかしてお眠りでしたか?」
「……少しだけだ」
髪を乾かすだけで眠るなんて、相当疲れているのだろう。早く休ませてあげた方がいいわね。
「タオルは私が片付けておくので、もうお部屋で休んでください」
「ああ」
シドは少し眠たそうな声で短い返事を返す。そしておもむろに立ち上がると、私に振り返った。
「結構気に入った。……ありがとう」
「えっ……」
「じゃ、もう寝るから」
シドはそう言い残すと、何ごとも無かったように長い足を生かし、あっという間に自室に引っ込んだ。
私は彼の姿を見送った後、さっきまで彼が座っていたソファーの沈んだ痕跡を見つめた。
「ありがとう……か」
初対面のシドは、怖くて厳しい印象があった。だけど、日々をともにしていると、案外怖い人という訳ではないと思い始めていた。
確かに、言い方はきついときがある。はっきりモノを言うからだ。
ただ、それで傷付いたと思ったことは無い。彼は嫌みな言い方をしたり、罵ったりしないからだ。
それに、シドは自分が間違っていたと分かったら、自分から謝ってくれる。意外にも私の働きを認めてくれるし、それをきちんと伝えてくれる。
――もしかして、結構いい上司なのでは?
何となく、頬が緩みそうになる。
「気に入ってくれたんだ」
彼の言葉が脳内をリフレインし、何だか急に気分が良くなってきた。
偏見でしかないが、絶対にお礼なんて言いそうにない彼のお礼には、何とは言えない心を刺激するものがあった。
――なんだかんだ、やっぱり天使なんだな。
お礼を言うのは善の本能とか……?
なんて思うが、理由はどうだっていい。
また機会があれば、髪を乾かしてあげよう。
その思いを胸に秘め、私はタオルを握った手にギュッと力を込めた。
◇◇◇
髪を乾かしてから数日後、シドは滅多に帰って来なくなった。家にいる時間も、以前よりもっと少なくなった。
「ねえねえ、アール」
少し休憩をしようと、リビングのソファーに座ったアールに話しかける。
「どうされたですか? 」
「シドって、どうして最近帰って来ないか分かる?」
「お仕事がとっても忙しいと言ってたですよ」
アールはそう言うと、しょぼんと背中を丸めた。
「寂しいです……」
「そうね。今日は帰って来てくれると嬉しいわね」
アールは私の言葉に一つ頷きを返した。
「……オーロラさん」
「うん?」
「シド様の部屋に行ってもいいですか?」
きっとベッドで寝るつもりだろう。
「いいわよ。さっき掃除を頑張ってくれたから、そのぶんたっぷり休んでね」
「ありがとうなのです……。では、行ってくるですね!」
「ええ、ベリーが帰ってきたら約束通りジャム作りをするから、そのとき呼びに行くわね」
「分かりましたです!」
ハキハキと返事をしたアールは、スクっと立ち上がる。そして、シドの部屋にとてとてと駆けると、部屋の扉を開け飛び込むように中に入った。
「ベリーが食材調達から帰ってきたら、晩御飯も考えないと……」
アールが扉に入ったのを確認し、一息つく。すると、ふと頭にシドのことが過ぎった。
――そう言えば、最後に見たシドは元気がなさそうだったな……。
いつも寝不足そうだし、体調万全には見えない。いったいどこで、何をしているのだろうか。
人間にはいわゆる死神と呼ばれるような仕事をしていると言っていた。だからこそ、一つ疑問に思うことがあった。
――そんなに人が死んでるってわけ?
あまりにも忙しそうなものだから、一度シドに死神はあなたしかいないのかと訊ねた。
すると、いわゆる死神は俺の他にも百はいるという答えが返ってきた。
「だったら、こんなに働き詰めなんて異常じゃない?」
そんな独り言が、私以外誰もいないリビングの空気に解けて消える。
シーンと聞こえそうなほどの静けさ。その中で、スッと目を閉じる。
そして天を仰ぐように顔を上げると、ふと最後に会ったとき彼に言われた言葉を思い出した。
『俺に休む時間なんて無いんだ。俺のことは気にせず仕事に励め』
あのとき言われた言葉が脳内をグルグルと回る。
――シド、大丈夫かな?
しっかり者に見えるのに、どこか危うげなあの彼を思い出すと、自然と心配の気持ちが込み上げた。
出会ってから三カ月ほどしか経っていないというのに、随分と情が移ったものだ。
「また髪を乾かす機会があったら、大丈夫そうか確認しないとね」
一度彼の髪を乾かして以来、いつしか私が彼の髪を乾かすことが当たり前の作業になっていた。
最初は私から乾かすと言い始めたが、次第に彼から私に頼むようにもなった。そして、最終的にどちらからともなく、ソファーに移動して髪を乾かすことが、ルーティンとなったのだ。
すると回数を重ねるにつれ、彼と私のあいだに会話をする機会が増えた。
まあ基本的には、今日一日あったことや、ベリーとアールの話を私が一方的にするだけなのが……。
でも、たまにシドの話を聞くこともあり、この他愛ない時間は私が彼の様子を確認する機会にもなっていた。
「今日は帰って来てほしいわ。主に倒れられた、私が困るもの!」
――いっそのこと、シドに聞こえていたらいいのに。
そんな気持ちを抱きながら、私は深呼吸をして再び仕事にとりかかった。
「シド、終わりましたよ」
「ん? あ、ああ……終わったのか」
返ってきたシドの言葉は、いつものシドよりも少し気の抜けたものだった。
「もしかしてお眠りでしたか?」
「……少しだけだ」
髪を乾かすだけで眠るなんて、相当疲れているのだろう。早く休ませてあげた方がいいわね。
「タオルは私が片付けておくので、もうお部屋で休んでください」
「ああ」
シドは少し眠たそうな声で短い返事を返す。そしておもむろに立ち上がると、私に振り返った。
「結構気に入った。……ありがとう」
「えっ……」
「じゃ、もう寝るから」
シドはそう言い残すと、何ごとも無かったように長い足を生かし、あっという間に自室に引っ込んだ。
私は彼の姿を見送った後、さっきまで彼が座っていたソファーの沈んだ痕跡を見つめた。
「ありがとう……か」
初対面のシドは、怖くて厳しい印象があった。だけど、日々をともにしていると、案外怖い人という訳ではないと思い始めていた。
確かに、言い方はきついときがある。はっきりモノを言うからだ。
ただ、それで傷付いたと思ったことは無い。彼は嫌みな言い方をしたり、罵ったりしないからだ。
それに、シドは自分が間違っていたと分かったら、自分から謝ってくれる。意外にも私の働きを認めてくれるし、それをきちんと伝えてくれる。
――もしかして、結構いい上司なのでは?
何となく、頬が緩みそうになる。
「気に入ってくれたんだ」
彼の言葉が脳内をリフレインし、何だか急に気分が良くなってきた。
偏見でしかないが、絶対にお礼なんて言いそうにない彼のお礼には、何とは言えない心を刺激するものがあった。
――なんだかんだ、やっぱり天使なんだな。
お礼を言うのは善の本能とか……?
なんて思うが、理由はどうだっていい。
また機会があれば、髪を乾かしてあげよう。
その思いを胸に秘め、私はタオルを握った手にギュッと力を込めた。
◇◇◇
髪を乾かしてから数日後、シドは滅多に帰って来なくなった。家にいる時間も、以前よりもっと少なくなった。
「ねえねえ、アール」
少し休憩をしようと、リビングのソファーに座ったアールに話しかける。
「どうされたですか? 」
「シドって、どうして最近帰って来ないか分かる?」
「お仕事がとっても忙しいと言ってたですよ」
アールはそう言うと、しょぼんと背中を丸めた。
「寂しいです……」
「そうね。今日は帰って来てくれると嬉しいわね」
アールは私の言葉に一つ頷きを返した。
「……オーロラさん」
「うん?」
「シド様の部屋に行ってもいいですか?」
きっとベッドで寝るつもりだろう。
「いいわよ。さっき掃除を頑張ってくれたから、そのぶんたっぷり休んでね」
「ありがとうなのです……。では、行ってくるですね!」
「ええ、ベリーが帰ってきたら約束通りジャム作りをするから、そのとき呼びに行くわね」
「分かりましたです!」
ハキハキと返事をしたアールは、スクっと立ち上がる。そして、シドの部屋にとてとてと駆けると、部屋の扉を開け飛び込むように中に入った。
「ベリーが食材調達から帰ってきたら、晩御飯も考えないと……」
アールが扉に入ったのを確認し、一息つく。すると、ふと頭にシドのことが過ぎった。
――そう言えば、最後に見たシドは元気がなさそうだったな……。
いつも寝不足そうだし、体調万全には見えない。いったいどこで、何をしているのだろうか。
人間にはいわゆる死神と呼ばれるような仕事をしていると言っていた。だからこそ、一つ疑問に思うことがあった。
――そんなに人が死んでるってわけ?
あまりにも忙しそうなものだから、一度シドに死神はあなたしかいないのかと訊ねた。
すると、いわゆる死神は俺の他にも百はいるという答えが返ってきた。
「だったら、こんなに働き詰めなんて異常じゃない?」
そんな独り言が、私以外誰もいないリビングの空気に解けて消える。
シーンと聞こえそうなほどの静けさ。その中で、スッと目を閉じる。
そして天を仰ぐように顔を上げると、ふと最後に会ったとき彼に言われた言葉を思い出した。
『俺に休む時間なんて無いんだ。俺のことは気にせず仕事に励め』
あのとき言われた言葉が脳内をグルグルと回る。
――シド、大丈夫かな?
しっかり者に見えるのに、どこか危うげなあの彼を思い出すと、自然と心配の気持ちが込み上げた。
出会ってから三カ月ほどしか経っていないというのに、随分と情が移ったものだ。
「また髪を乾かす機会があったら、大丈夫そうか確認しないとね」
一度彼の髪を乾かして以来、いつしか私が彼の髪を乾かすことが当たり前の作業になっていた。
最初は私から乾かすと言い始めたが、次第に彼から私に頼むようにもなった。そして、最終的にどちらからともなく、ソファーに移動して髪を乾かすことが、ルーティンとなったのだ。
すると回数を重ねるにつれ、彼と私のあいだに会話をする機会が増えた。
まあ基本的には、今日一日あったことや、ベリーとアールの話を私が一方的にするだけなのが……。
でも、たまにシドの話を聞くこともあり、この他愛ない時間は私が彼の様子を確認する機会にもなっていた。
「今日は帰って来てほしいわ。主に倒れられた、私が困るもの!」
――いっそのこと、シドに聞こえていたらいいのに。
そんな気持ちを抱きながら、私は深呼吸をして再び仕事にとりかかった。
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