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第二章 契約と要員確保
2-9 マネージャー見習い その二
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ベアトリス・フェアチャイルドは、市内中堅どころのディクロック銀行に勤務する23歳である。
女子大を卒業後、この銀行に入って一年余りになるが、勤務環境は最悪である。
二ヶ月前、行内一の美人と言われたマリアン・フォーブスが突然辞めた。
彼女は同期入社であるが、ハイスクール卒業なのでベアトリスよりも給与は低く抑えられている。
ベアトリスと同じく窓口業務についていたが、主任が行内でお局様と呼ばれる36歳の独身女性であり、何かとマリアンに辛く当たっていた。
早い話がブスの叔母さんが若く可愛い女の子に八つ当たりしているのだが、主任と言う立場でパワハラをしているのである。
ベアトリスは何くれとなくマリアンを庇ってあげていた。
もう一人、悪いのがいて担当係長がセクハラをするのである。
ベアトリスも何度となくお尻を撫でられたりしている。
ある日更衣室で帰り支度をしていて、ふと忘れ物に気づいて行内事務室に戻ってみると、係長がマリアンを床に押し倒していた。
ベアトリスは思わず怒鳴った。
慌てて係長が離れ、いや冗談、冗談と誤魔化していたが、放置すればマリアンがどうなっていたかわからない。
マリアンは泣いて抱きついてきた。
その後数日して、マリアンは退職届けを郵送で送ってきたのである。
その日からお局様のベアトリスいじめが執拗に始まった。
それでも何とか我慢していたが、ある夜、超過勤務を課長から命じられて残っていた時、今度は課長がベアトリスに襲い掛かってきた。
頭取の親戚筋に当たるエリートの若い課長で独身ではあった。
ベアトリスが見るところ縁故だけで課長になった男であり、左程の能力がある男とも思えなかった。
だから、その男が床に押し倒して結婚してやるから俺の言うことを聞けなどといわれても、絶対にいやだった。
必死に抵抗しているうちに、何故かお局様が現れた。
「あら、お若いだけあってお盛んですこと。
ベアトリスさん、ここは神聖な職場ですよ。
何を考えているんですか。
課長、仕事が無いなら早く帰られては如何ですか?」
済ました顔でそう言われてはさすがに課長も不機嫌な顔で引き上げていった。
お局様に助けられてしまったわけではあるが、本来お局様が戻ってくる理由など無い。
陰でこっそり見ていたに違いない。
だが、「結婚」と言う言葉を聴いたので、邪魔しに現れたに違いないのである。
真偽の程はわからないが、多分そんなことだろう。
翌日出勤したら、噂になっていたらしく、こっそりと同期の者が教えてくれた。
ベアトリスが課長を誘って淫らなことをしていたと言うことになっているのである。
ベアトリスは早退届を出して、アパートに帰宅した。
それが二日前のことであり、昨日と今日も体調不良を理由に休み、アパートで退職を考えていた。
そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンでどなたと尋ねると女性の声でメリンダ・ブレディと名乗った。
メリンダという名に何か記憶に引っかかるものもあったが、その時はわからなかった。
チェーンをかけたままドアを開けて覗くと、確かに若い女性であり、マリアンよりも数段上の美人に思えた。
「失礼ですが、どのような用件でしょうか?
貴方にお会いしたことは無いように思いますが・・・。」
「はい、初めてお目にかかると思います。
用件は、転職の御希望はないものかとお伺いに参りました。」
「あの・・・。
転職と言うと、今の仕事を辞めて、別の職に就けとおっしゃりますの?」
「はい、もしそのお気持ちあれば、是非、貴方にお勧めしたい仕事がございまして参りました。」
「あの、・・・・。
どなたにもそのようなことを言われるのですか?」
「いいえ、取り敢えず貴方だけですね。
他の方はほぼ決まったようですので。」
ベアトリスは若干躊躇したが、話だけは聞こうと決めた。
「では、立ち話も何ですから、中へ入ってください。」
ベアトリスはドアを一旦閉めて、チェーンを外し、ドアを開いてメリンダという女性を中へ入れた。
部屋の中は一応綺麗に片付けてある。
居間のソファを勧めて、自分もその向かいに座った。
メリンダは佇まいも品があって上流階級の娘を思わせた。
職業がモデルであっても可笑しくない容姿を持っている。
「それで、どのようなお話でしょうか。」
「はい、実はMLSという音楽関係の会社が新たに結成するボーカルグループの専属マネージャーの仕事です。
御興味がおありでしょうか?」
「専属マネージャーという仕事がよくわかりませんが、・・・。
芸能界での経理担当なのでしょうか?」
「確かにそのような仕事もございますが、むしろ仕事の手配師的なお仕事になるかと思います。
例えば、スケジュール管理をしたり、移動の際の交通機関の手配をしたりなど雑用係に近いお仕事になるかと思います。」
「では、タレントさんの付け人みたいなお仕事ですか?」
「そうですね。
それに近いかもしれません。
ただ付け人さんはタレントさんのお世話だけでいいのですが、マネージャーは会社との接触、出演依頼先との交渉などもう少し幅広い仕事があると思います。
付け人さんはメイドさん、マネージャーは執事兼監督のようなものですね。」
「経理ならともかく、とても私に勤まるとは思えませんが・・・。」
「そうですか?
私どもでは貴方なら務まると思っているのですが・・・。」
「何故でしょうか。
私の今の仕事を御存知ですか?」
「はい、ディクロック銀行の窓口業務をされておられますね。」
「どこで調べられたか知りませんがその通りです。
私は、今のところ銀行業務の一部を知っているだけです。
他に取り得もありませんし、お役には立てないと思います。」
「でも、転職の意図はあるのですね?」
「ええ、まぁ。
事情があって、今の職場を辞めようかと思っています。」
「では、新たな職場としてまた銀行をお探しになりますか?」
「いいえ、銀行の職場は、引き抜きの場合はともかく他行からの転職は認めません。
信用が第一の職場ですので、職場を変わるような人物は基本的に採用しないのが原則なんです。」
「どのような職におつきになるつもりですの。」
「今のところはあてがありません。
それに、まだ、辞めるかどうかも決めていません。」
「そうですか。
でも、多分、お辞めになるつもりなのですね。」
見透かしたようにものをいう人だが何故か腹も立たなかった。
「そうかもしれません。」
「どのようなことで辞職を迷っていらっしゃるかは知れませんが、解決できる問題であれば辞めないほうが宜しいかと存じます。
ですが、貴方お一人で解決できない問題であればお辞めになったほうがいいと思います。
貴方は私よりも年上ですが、少なくともまだやり直しが効く年齢です。
でしたら、迷うより、辞められたら宜しいと存じます。」
「辞めて貴方が勧める職に就けとおっしゃるのですね。」
「はい、その通りです。
そうしていただければ私どもも助かりますので。」
「先ほど他にもいらっしゃるようなお話し振りでしたが、そのお仕事に勧誘されたのは何人なのですか。」
「貴方を含めて四人だけです。」
「で、何人の方がお受けになりました?」
「貴方を除く三人です。」
「その方達は業界の方なのですか?」
「いいえ、MLS社員がお一人いらっしゃいますが、この方はマネージャーの仕事とはかけ離れた録音の仕事をしておりました。
ま、それでも業界の人にはなるかもしれませんね。
お一方は建設事務所の事務員の方。
もう一人は地方都市の楽器店の店員さんです。」
「私と同じ女性もいらっしゃるのですか?」
「はい、建設事務所の方は女性で24歳、貴方より一つ年上ですね。
後のお二人は男性です。」
「普通このような形で一本釣りをされるのでしょうか?」
「さぁ?
多分しないのだろうと思います。
普通はMLSの社員として応募してきた者から採用し、適性を見てマネージャー・アシスタントとして養成してからマネージャーにする。
そのような手順を踏むと思います。」
「今回だけ何故特別なのでしょう。」
「私どもが貴方を望むからです。」
「私どもと申しますと、そのMLSという会社ですか?」
「いいえ、私と兄、それに二人の仲間です。」
「あの、良くわかりませんが。
貴方はMLSの方では無いのですか?」
「ええ、MLSの社員ではありません。
私と兄マイケル・ブレディ、それにアローフェリスという男女ボーカルデュエットのメンバーであるサラ・ウォーレンとその兄ヘンリー・ウォーレンの四人が新たにボーカルグループを結成することになっています。
その新たなボーカルグループがMLS社と契約して音楽活動をはじめることになっています。」
「あの、失礼ですが、今マイケル・ブレディさんとおっしゃいましたか?」
「はい、私の兄ですが、なにか?」
「そうして貴方がメリンダ・ブレディさん。
じゃ、昨年の長者番付でトップになられたブレディ兄妹ですか?」
「はい、そのようなこともございましたね。」
「でも、何でそんな方が芸能界に?」
「仲間二人の希望がありましたので、そうしています。」
「仲間と言うのはアローフェリスのお二人・・・。
私はアローフェリスの歌が好きなんですよ。
二人のハーモニーがとても綺麗だから。」
ベアトリスは一瞬アローフェリスのデビュー曲のB面を思い浮かべていた。
「特に、トワイライト・パープルが好きでした。」
「そうですか。
それを聞いたらウォーレン兄妹が喜ぶでしょうね。
彼らもA面よりB面のほうが好きだったみたいですから・・・。」
「あら、ごめんなさい。
余計な話をしてしまって。
でも、億万長者のあなた方がどうして私を望まれるのでしょうか。
先ほども申したとおり、私には何の取り得も無いと思いますが・・・。」
「詳しい理由は申し上げられませんが、貴方には特別な能力があるのを私達が知っているからです。
ですから、貴方に私達のマネージャーをしていただきたいのです。」
「でも、いきなりは難しいと先ほど言われたばかりではないのでしょうか?」
「ええ、その通りです。
ですから三ヶ月の間は、専属マネージャーの見習いをしていただきます。
指導する方は、MLSで一番の腕利きマネージャーを予定しています。
三ヶ月間の見習い期間中にマネージャーとしての能力があると認められれば、MLSが専属マネージャーとして正式採用いたします。」
「仮に、その能力が無いとなればどうなりますか?」
「その心配は無いと思いますが、万一そのような事態になれば、貴方を私達が個人的に雇いたいと思います。」
「個人的に?
そうですね、・・・。
びっくりするほどのお金持ちですものね。
でも、転職した場合幾らぐらいの報酬がいただけるのでしょうか。」
「三ヶ月間の見習い期間中の報酬は私どもが出します。
三ヶ月間で二万五千ほどになると思います。
その後専属マネージャーになれば年俸で10万ドレル以上をMLSが保証することになっています。」
「10万・・・。
マネージャーのお仕事ってそんなに給料が高いのですか?」
「高い方もいらっしゃるみたいですね。
見習い期間中指導者になる方は、確か年俸で30万ドレルほどのはずです。
でもこれは例外中の例外ですからあまり参考にはならないでしょう。
平均では年収8万前後と聞いています。
お若い方や経験の浅い方はもっと安いでしょうね。」
「もう一度お伺いしたいのですが、何故、一面識も無い私を選ばれたのでしょうか。
そこがどうしても気になります。」
「困りましたねぇ・・・。
先ほども申したとおり、貴方には特殊な能力があります。
それは私達が見ると明らかにわかることなんです。
貴方は暗闇の中で光る灯台のような存在なんです。
だから、私達は貴方が必要なんです。
これ以上は、今は申し上げられません。」
「では、私は、あなた方に必要とされているのですね?」
「その通りです。」
「わかりました。
私が必要とされている人間なのかどうか確認するためにも参りましょう。
どのような手続きをすればいいのでしょうか。」
「そうですね。
明日にでも私の家に来ていただけませんか。
実は、このアパートは引き払っていただかねばなりません。
三ヶ月の見習い期間及びその後二年間ほどは私達と起居を共にしていただこうと思っています。
貴方が泊まれる部屋は十分ございますが、貴方は結構家財が多いようです。
一度、家に来ていただいて貴方が住む部屋を見ていただくといいでしょう。
その上で必要な物を運び込んでください。
仮に、このアパートを倉庫代わりで使うなら、倉庫業者に頼んでトランクルームを借りたほうが宜しいと思います。」
「わかりました。
明日、銀行に辞職願いを出して、その足でお宅に伺いたいと存じます。
住所はどちらになるでしょうか?」
メリンダは住所と電話番号を記載したメモを出した。
「こちらです。
広い敷地を持った大きな家ですのですぐにわかると思います。
但し、表札は出ておりません。
もし、道に迷われたようなら、電話をかけていただければ迎えに参ります。」
別れの挨拶をして、メリンダは去っていった。
ベアトリスは、いやな職場の想い出を断ち切るべく、辞職願いを書き始めた。
女子大を卒業後、この銀行に入って一年余りになるが、勤務環境は最悪である。
二ヶ月前、行内一の美人と言われたマリアン・フォーブスが突然辞めた。
彼女は同期入社であるが、ハイスクール卒業なのでベアトリスよりも給与は低く抑えられている。
ベアトリスと同じく窓口業務についていたが、主任が行内でお局様と呼ばれる36歳の独身女性であり、何かとマリアンに辛く当たっていた。
早い話がブスの叔母さんが若く可愛い女の子に八つ当たりしているのだが、主任と言う立場でパワハラをしているのである。
ベアトリスは何くれとなくマリアンを庇ってあげていた。
もう一人、悪いのがいて担当係長がセクハラをするのである。
ベアトリスも何度となくお尻を撫でられたりしている。
ある日更衣室で帰り支度をしていて、ふと忘れ物に気づいて行内事務室に戻ってみると、係長がマリアンを床に押し倒していた。
ベアトリスは思わず怒鳴った。
慌てて係長が離れ、いや冗談、冗談と誤魔化していたが、放置すればマリアンがどうなっていたかわからない。
マリアンは泣いて抱きついてきた。
その後数日して、マリアンは退職届けを郵送で送ってきたのである。
その日からお局様のベアトリスいじめが執拗に始まった。
それでも何とか我慢していたが、ある夜、超過勤務を課長から命じられて残っていた時、今度は課長がベアトリスに襲い掛かってきた。
頭取の親戚筋に当たるエリートの若い課長で独身ではあった。
ベアトリスが見るところ縁故だけで課長になった男であり、左程の能力がある男とも思えなかった。
だから、その男が床に押し倒して結婚してやるから俺の言うことを聞けなどといわれても、絶対にいやだった。
必死に抵抗しているうちに、何故かお局様が現れた。
「あら、お若いだけあってお盛んですこと。
ベアトリスさん、ここは神聖な職場ですよ。
何を考えているんですか。
課長、仕事が無いなら早く帰られては如何ですか?」
済ました顔でそう言われてはさすがに課長も不機嫌な顔で引き上げていった。
お局様に助けられてしまったわけではあるが、本来お局様が戻ってくる理由など無い。
陰でこっそり見ていたに違いない。
だが、「結婚」と言う言葉を聴いたので、邪魔しに現れたに違いないのである。
真偽の程はわからないが、多分そんなことだろう。
翌日出勤したら、噂になっていたらしく、こっそりと同期の者が教えてくれた。
ベアトリスが課長を誘って淫らなことをしていたと言うことになっているのである。
ベアトリスは早退届を出して、アパートに帰宅した。
それが二日前のことであり、昨日と今日も体調不良を理由に休み、アパートで退職を考えていた。
そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンでどなたと尋ねると女性の声でメリンダ・ブレディと名乗った。
メリンダという名に何か記憶に引っかかるものもあったが、その時はわからなかった。
チェーンをかけたままドアを開けて覗くと、確かに若い女性であり、マリアンよりも数段上の美人に思えた。
「失礼ですが、どのような用件でしょうか?
貴方にお会いしたことは無いように思いますが・・・。」
「はい、初めてお目にかかると思います。
用件は、転職の御希望はないものかとお伺いに参りました。」
「あの・・・。
転職と言うと、今の仕事を辞めて、別の職に就けとおっしゃりますの?」
「はい、もしそのお気持ちあれば、是非、貴方にお勧めしたい仕事がございまして参りました。」
「あの、・・・・。
どなたにもそのようなことを言われるのですか?」
「いいえ、取り敢えず貴方だけですね。
他の方はほぼ決まったようですので。」
ベアトリスは若干躊躇したが、話だけは聞こうと決めた。
「では、立ち話も何ですから、中へ入ってください。」
ベアトリスはドアを一旦閉めて、チェーンを外し、ドアを開いてメリンダという女性を中へ入れた。
部屋の中は一応綺麗に片付けてある。
居間のソファを勧めて、自分もその向かいに座った。
メリンダは佇まいも品があって上流階級の娘を思わせた。
職業がモデルであっても可笑しくない容姿を持っている。
「それで、どのようなお話でしょうか。」
「はい、実はMLSという音楽関係の会社が新たに結成するボーカルグループの専属マネージャーの仕事です。
御興味がおありでしょうか?」
「専属マネージャーという仕事がよくわかりませんが、・・・。
芸能界での経理担当なのでしょうか?」
「確かにそのような仕事もございますが、むしろ仕事の手配師的なお仕事になるかと思います。
例えば、スケジュール管理をしたり、移動の際の交通機関の手配をしたりなど雑用係に近いお仕事になるかと思います。」
「では、タレントさんの付け人みたいなお仕事ですか?」
「そうですね。
それに近いかもしれません。
ただ付け人さんはタレントさんのお世話だけでいいのですが、マネージャーは会社との接触、出演依頼先との交渉などもう少し幅広い仕事があると思います。
付け人さんはメイドさん、マネージャーは執事兼監督のようなものですね。」
「経理ならともかく、とても私に勤まるとは思えませんが・・・。」
「そうですか?
私どもでは貴方なら務まると思っているのですが・・・。」
「何故でしょうか。
私の今の仕事を御存知ですか?」
「はい、ディクロック銀行の窓口業務をされておられますね。」
「どこで調べられたか知りませんがその通りです。
私は、今のところ銀行業務の一部を知っているだけです。
他に取り得もありませんし、お役には立てないと思います。」
「でも、転職の意図はあるのですね?」
「ええ、まぁ。
事情があって、今の職場を辞めようかと思っています。」
「では、新たな職場としてまた銀行をお探しになりますか?」
「いいえ、銀行の職場は、引き抜きの場合はともかく他行からの転職は認めません。
信用が第一の職場ですので、職場を変わるような人物は基本的に採用しないのが原則なんです。」
「どのような職におつきになるつもりですの。」
「今のところはあてがありません。
それに、まだ、辞めるかどうかも決めていません。」
「そうですか。
でも、多分、お辞めになるつもりなのですね。」
見透かしたようにものをいう人だが何故か腹も立たなかった。
「そうかもしれません。」
「どのようなことで辞職を迷っていらっしゃるかは知れませんが、解決できる問題であれば辞めないほうが宜しいかと存じます。
ですが、貴方お一人で解決できない問題であればお辞めになったほうがいいと思います。
貴方は私よりも年上ですが、少なくともまだやり直しが効く年齢です。
でしたら、迷うより、辞められたら宜しいと存じます。」
「辞めて貴方が勧める職に就けとおっしゃるのですね。」
「はい、その通りです。
そうしていただければ私どもも助かりますので。」
「先ほど他にもいらっしゃるようなお話し振りでしたが、そのお仕事に勧誘されたのは何人なのですか。」
「貴方を含めて四人だけです。」
「で、何人の方がお受けになりました?」
「貴方を除く三人です。」
「その方達は業界の方なのですか?」
「いいえ、MLS社員がお一人いらっしゃいますが、この方はマネージャーの仕事とはかけ離れた録音の仕事をしておりました。
ま、それでも業界の人にはなるかもしれませんね。
お一方は建設事務所の事務員の方。
もう一人は地方都市の楽器店の店員さんです。」
「私と同じ女性もいらっしゃるのですか?」
「はい、建設事務所の方は女性で24歳、貴方より一つ年上ですね。
後のお二人は男性です。」
「普通このような形で一本釣りをされるのでしょうか?」
「さぁ?
多分しないのだろうと思います。
普通はMLSの社員として応募してきた者から採用し、適性を見てマネージャー・アシスタントとして養成してからマネージャーにする。
そのような手順を踏むと思います。」
「今回だけ何故特別なのでしょう。」
「私どもが貴方を望むからです。」
「私どもと申しますと、そのMLSという会社ですか?」
「いいえ、私と兄、それに二人の仲間です。」
「あの、良くわかりませんが。
貴方はMLSの方では無いのですか?」
「ええ、MLSの社員ではありません。
私と兄マイケル・ブレディ、それにアローフェリスという男女ボーカルデュエットのメンバーであるサラ・ウォーレンとその兄ヘンリー・ウォーレンの四人が新たにボーカルグループを結成することになっています。
その新たなボーカルグループがMLS社と契約して音楽活動をはじめることになっています。」
「あの、失礼ですが、今マイケル・ブレディさんとおっしゃいましたか?」
「はい、私の兄ですが、なにか?」
「そうして貴方がメリンダ・ブレディさん。
じゃ、昨年の長者番付でトップになられたブレディ兄妹ですか?」
「はい、そのようなこともございましたね。」
「でも、何でそんな方が芸能界に?」
「仲間二人の希望がありましたので、そうしています。」
「仲間と言うのはアローフェリスのお二人・・・。
私はアローフェリスの歌が好きなんですよ。
二人のハーモニーがとても綺麗だから。」
ベアトリスは一瞬アローフェリスのデビュー曲のB面を思い浮かべていた。
「特に、トワイライト・パープルが好きでした。」
「そうですか。
それを聞いたらウォーレン兄妹が喜ぶでしょうね。
彼らもA面よりB面のほうが好きだったみたいですから・・・。」
「あら、ごめんなさい。
余計な話をしてしまって。
でも、億万長者のあなた方がどうして私を望まれるのでしょうか。
先ほども申したとおり、私には何の取り得も無いと思いますが・・・。」
「詳しい理由は申し上げられませんが、貴方には特別な能力があるのを私達が知っているからです。
ですから、貴方に私達のマネージャーをしていただきたいのです。」
「でも、いきなりは難しいと先ほど言われたばかりではないのでしょうか?」
「ええ、その通りです。
ですから三ヶ月の間は、専属マネージャーの見習いをしていただきます。
指導する方は、MLSで一番の腕利きマネージャーを予定しています。
三ヶ月間の見習い期間中にマネージャーとしての能力があると認められれば、MLSが専属マネージャーとして正式採用いたします。」
「仮に、その能力が無いとなればどうなりますか?」
「その心配は無いと思いますが、万一そのような事態になれば、貴方を私達が個人的に雇いたいと思います。」
「個人的に?
そうですね、・・・。
びっくりするほどのお金持ちですものね。
でも、転職した場合幾らぐらいの報酬がいただけるのでしょうか。」
「三ヶ月間の見習い期間中の報酬は私どもが出します。
三ヶ月間で二万五千ほどになると思います。
その後専属マネージャーになれば年俸で10万ドレル以上をMLSが保証することになっています。」
「10万・・・。
マネージャーのお仕事ってそんなに給料が高いのですか?」
「高い方もいらっしゃるみたいですね。
見習い期間中指導者になる方は、確か年俸で30万ドレルほどのはずです。
でもこれは例外中の例外ですからあまり参考にはならないでしょう。
平均では年収8万前後と聞いています。
お若い方や経験の浅い方はもっと安いでしょうね。」
「もう一度お伺いしたいのですが、何故、一面識も無い私を選ばれたのでしょうか。
そこがどうしても気になります。」
「困りましたねぇ・・・。
先ほども申したとおり、貴方には特殊な能力があります。
それは私達が見ると明らかにわかることなんです。
貴方は暗闇の中で光る灯台のような存在なんです。
だから、私達は貴方が必要なんです。
これ以上は、今は申し上げられません。」
「では、私は、あなた方に必要とされているのですね?」
「その通りです。」
「わかりました。
私が必要とされている人間なのかどうか確認するためにも参りましょう。
どのような手続きをすればいいのでしょうか。」
「そうですね。
明日にでも私の家に来ていただけませんか。
実は、このアパートは引き払っていただかねばなりません。
三ヶ月の見習い期間及びその後二年間ほどは私達と起居を共にしていただこうと思っています。
貴方が泊まれる部屋は十分ございますが、貴方は結構家財が多いようです。
一度、家に来ていただいて貴方が住む部屋を見ていただくといいでしょう。
その上で必要な物を運び込んでください。
仮に、このアパートを倉庫代わりで使うなら、倉庫業者に頼んでトランクルームを借りたほうが宜しいと思います。」
「わかりました。
明日、銀行に辞職願いを出して、その足でお宅に伺いたいと存じます。
住所はどちらになるでしょうか?」
メリンダは住所と電話番号を記載したメモを出した。
「こちらです。
広い敷地を持った大きな家ですのですぐにわかると思います。
但し、表札は出ておりません。
もし、道に迷われたようなら、電話をかけていただければ迎えに参ります。」
別れの挨拶をして、メリンダは去っていった。
ベアトリスは、いやな職場の想い出を断ち切るべく、辞職願いを書き始めた。
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