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第七章 面倒事の始まり

7-15 デュホールユリ戦役 その二

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 北方三国の内、最も西方に位置するフローゼンハイム王国軍の前衛は、予定通り1日正午過ぎにジェスタ王国との国境線であるグナウゼア街道のパラディス峠を越えていた。
 パラディス峠の国境線は両側が五十尋ほどの高さを有する切り立った崖であり、峡谷のような形を呈している。

 そうしてその峡谷を前衛が抜ける前にフローゼンハイム軍の悲劇が始まった。
 前衛軍の最も前方に位置していた兵士たちの真上で、轟音を立てて東側の崖が崩落を始めたのである。

 この崩落で膨大な土煙が巻き上がり、それが収まったころには前衛数百人が瓦礫の下に埋もれていた。
 後方に位置していた兵士たちが倒れた仲間を救出しようと動き始めた途端に二度目の崩落があった。

 二度目の崩落で更に数百人が犠牲になったのである。
 悪いことは重なるもので、二度の崩落に呼応するように峡谷部分の始まりの部分でも突如崩落が始まり、ついには峡谷全体が崩落を始めたのである。

 膨大な土煙の中に阿鼻叫喚の声が上がり、実に五千名もの兵士が崩落に巻き込まれていた。
 後続の部隊はたまたま崩落地帯に足を踏み込んでいなかったから助かったようなものの、そこから先へは進軍できなくなった。
 道がなくなったからである。

 足場は極めて悪いくとも一応瓦礫の上を徒歩で動くことはできるが、支援物資を運ぶ輜重隊の動きは止められてしまう。
 膨大な物資を人力で運ぶとなれば、長期の野戦には絶対に耐えられないのである。

 仮に街道の崩落現場を復旧させようとするならば多くの人手と日数が必要になるだろう。
 街道の復旧には最低でも数か月程度の時間がかかりそうである。

 しかも一万二千の軍勢の実質4割を失っているのだから以後の戦闘は難しい状況にある。
 フローゼンハイム軍は指揮官の判断で二千名の兵士を復旧作業のために残して撤退することを決めたのである。

 フローゼンハイム軍が同盟国に呼応して別の街道に軍勢を差し向けることは可能だが、それはこのグナウゼア街道からではない。
 別の街道となれば、最寄りはアブレ西街道になるが、事前にサングリッド公国との調整を念入りに行う必要があるだろう。

 何しろフローゼンハイム国からアブレ西街道に至るにはどうしてもサングリッド公国の公都であるサングリアスの至近を通過せねばならないからである。
 都の近くを他国の大軍が通過するのは誰しも喜ばないだろう。

 しかしながら、フローゼンハイム国からの東向け街道はそれしかないのである。
 フローゼンハイム軍の判断はやむを得ないものだった。

 こうして北方三か国の内、二か国の侵攻が実質的に止められたのである。
 両国からの現状を知らせる通報は早馬を使ってサングリッド公国に伝えられたが、公都サングリアスにその知らせが届いたのは、中秋後(月)3日の夕刻だった。

 この情報を前線に伝えるにはどんなに早くても更に丸々一日を要する。
 三か国による侵攻が不可能になった今、何としても作戦遂行は開戦前に止めなければならないのだが、それができなかった。

 サングリッド公国は実質独力でジェスタ王国に立ち向かわねばならなかったのであるが、さらなる悲報がその夜に届いた。
 アブレ西街道を侵攻中のサングリッド公国第二軍が、ハーム峠の峡谷部分を通過中に崩落に巻き込まれ第二軍七千の軍勢が甚大な被害を受けて作戦遂行不可能との報告だった。

 サングリッド公国王バンス・ヴァイデルンドは、これらの報告を受けて、明らかに恣意的な策謀を感じ取っていた。
 二つの街道で同じような峡谷の崩落で軍の侵攻が止められ、今一つの街道では魔物の出現で実質的に軍の侵攻が止められている。

 こうした稀な災害が一つなら起こり得るだろう。
 然しながら同時期に二つ重なることは滅多に無いし、それが三つともなれば絶対に偶然ではなく人の意志が働いているはずだ。

 如何なる方法を用いているのかは不明だが、二つの峡谷の崩落とこれまでに見たこともない魔物の襲撃は特定の人物が関わっているに違いない。
 可能であるとすれば、ジェスタ王国王都の黒飛蝗の襲来をほとんどたった一人で防いだ男ファンデンダルク卿の仕業に違いない。

 それが分かっていながら何も手が打てない公国王であった。
 作戦中止の命令を携えた早馬は既に出したが、既に予定日から二日も過ぎている以上戦端は開かれているはず。

 仮にこちらの手の内を見越したジェスタ王国の策謀であるとしたならば、サングリッド公国の第一軍八千名は、ジェスタ王国主力軍と接敵することになる。
 仮にジェスタ王国軍の半数の勢力を当てられてしまえば、第一軍は間違いなく壊滅するだろう。

 元々、サングリッド公国軍は、海兵は強いが、陸軍はさほどの強兵ではないのだ。
 公国王バンス・ヴァイデルンドは、暗澹たる思いで目の前が真っ暗になっていた。

◇◇◇◇

 サングリッド公国第一軍のザナディ司令官は、我と我が目を疑っていた。
 第一軍の先鋒は1日夕刻にはアブレ東街道の出口であるヒブレノール高原に差し掛かっていた。

 だが目の前に見えるのは、第一軍の倍以上の軍勢が堅固な陣を設けて待ち構えている姿だった。
 今回の作戦は奇襲であることが肝要である。

 その奇襲が奇襲でなくなったときは作戦自体が破綻する。
 しかしながら、一方でこの待ち伏せがこのアブレ東街道だけのものならば、自分の仕事はできるだけ目の前の軍勢を引き付けておくことだ。

 そうすれば味方の第二軍、フローゼンハイム軍、カトレザル軍が手薄なジェスタ王国の王都を脅かし、前面の敵もその侵攻に対応するために軍勢を割くことを余儀なくされるだろう。
 それまでの辛抱である。

 第一軍で前面の敵を打ち負かすことはできないが、少なくとも守りを固めて敵を引き付けて置くことは可能なのだ。
 しかしながら、自軍の守りを固めた途端、背後から伏兵集団が現れた。

 その数は優にサングリッド第一軍に匹敵する。
 そうして前面の敵側から降伏勧告があった。

 そこで伝えられた情報は青天の霹靂であった。
 何とフローゼンハイム軍、サングリッド第二軍、カトレザル軍の三方面軍がいずれも大きな被害を受けて進軍が不可能になり撤退したというのである。

 情報が正確なのは、その三方面軍の兵力を正確に言い当てたことから間違いが無いと思われる。
 あるいは敵軍の謀略かもと疑いつつも、退路を断たれて三倍の敵に包囲されている現状では、討ち死に覚悟での突撃か、降伏するしか道が無かった。

 三倍の敵が相手の野戦では、間違いなくサングリッド第一軍の全滅は必至である。
 これが二倍程度ならすぐさま撤退すれば、何割かの損害はあっても祖国へ生還する望みもあったが、強力な陸軍力を有する三倍の敵が相手ならば無理である。

 自分一人なら名誉のためにここで討ち死にもやむを得ない。
 しかしながら八千の将兵には祖国に家族もいるのだ。

 その将兵を巻き込むわけには行かない。
 最終的にザナディ司令官は戦わずして降伏の道を選んだのだった。

 かくして、北方三国が絡む戦役は終わりを告げた。
 後にこの戦役はデュホールユリ戦役と呼称されるようになった。

 中秋後(月)初旬のこの季節、いずれの街道にも薄いピンク色のデュホールユリが咲き誇っていたからである。
 因みに、このデュホールユリは、死者に手向ける花としても有名であった。

 ◇◇◇◇

 サングリッド公国にジェスタ王国に抗する力はなかった。
 第一軍が降伏し、第二軍はその半数を失うか戦闘不能に陥っている状況にあり、残りの兵力をかき集めても8千にも満たない。

 そうしてそのうちの半数以上は海軍の船乗りなのだ。
 サングリッド公国第一軍の降伏から20日が過ぎてフローゼンハイム王国とカトレザル王国にはジェスタ王国からの特使が訪れていた。

 ジェスタ王国に敵対するなら潰すとの明白な脅迫であった。
 その上で今回のジェスタ王国侵攻作戦の代償として高額の賠償金を請求されたのである。

 ジェスタ国宰相のさじ加減でさほど無理ではない額を提示してきたことから、フローゼンハイム王国とカトレザル王国両国はそれを受諾した。
 一方、サングリッド公国へも特使が訪問し、こちらにはそれなりの賠償額とともに捕虜の将兵の身代金が請求され、更にはサングリッド公国王バンス・ヴァイデルンドの退位並びに青の搭への幽閉が要求された。

 青の搭とは、サングリッド公国にある伝統的な禁固刑の収監場所である。
 公都の北端に位置する優雅な形をした尖塔であるが、昔から貴人を幽閉するために使われていた監獄なのである。

 最終的に公国王の反対の意向にもかかわらず、公国の重臣たちの手により半強制的にバンス・ヴァイデルンドは青の搭へ収監された。
 公国王の跡目は、公国王太子であるシュミエル・ヴァイデルンドが継いだのだが、同時に厄介な揉め事が持ち込まれた。
 
 エシュラック王国から、ワレザルでの野盗襲撃は、公国王からの指示によりなされたものでジェスタ王国侵攻作戦の一環であることが暴き立てられ、ワレザルの受けた被害の損害賠償を求められたのである。
 新公国王にとっては、寝耳に水の話であったが、調べてみると公国王の直臣組織である諜報部隊に指示がなされ、そこからアレシボ皇国とデラコア宣侯国に存在する傭兵団に依頼されたものであることが確認された。

 このため、膨大な賠償金請求に応じざるを得ず、公国は前公国王の後始末に戦役後数年を要したのである。

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