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第五章 催事と出来事

5-3 マルス ~大地の精霊グラストン

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 マルスとアンリがマルビスの公爵邸の庭園を散歩しているときに、不意に目の前にやたら派手な出で立ちの若者が姿を現した。
 赤と黒がまだら模様の道化師のようなタイツと身体にぴったりとしたシャツ、赤と黒の端境線には金色が使われている。

 容姿は全体的に細身だし、顔もきちんと整っているのできちんとした身なりをすれば貴公子に見えるはずであるが、何せ髪形が火炎のように天に向かって突き出している上に奇抜な衣装なので一見すると仮装舞踏会にでてくる悪ふざけの若者にしか見えないだろう。
 現れ方からして妖精か精霊に違いない。

「やぁ、君がマルスかい?」

 若い男は気軽に声を掛けてきた。
 マルスは普段の笑顔を絶やさずに言った。

「あぁ、マルスは僕だけれど、君は?」

「僕の名はグラスマン。
 大地の精霊だ。
 風の精霊フォビアからとても風変りな人間に出会ったと聞いてね。
 会いに来た。
 傍にいるのがアンリだね。
 初めまして。」

 数々の妖精や精霊にも出会ったアンリも少々のことでは驚かなくなっていた。
 フォビアなどは女のアンリが見ても恥ずかしく思うような薄衣しか着ていないのである。

 豊満な胸の乳房はもちろんのこと乳首までもが明瞭に見えてしまいそうな薄衣はアンリにはとても着られそうにない。
 その意味では目の前にいる若い男に見えるグラスマンが如何に奇抜な衣装で現れようがさほど気にはならない。

「初めまして、随分と派手な格好がお好きなんですね。」

「あぁ、この格好かい?
 うーん、パターンがいくつかあるんだけれど一応順番があってね。
 今回はこの衣装を選ばざるを得なかったんだ。
 これから5千年ほどもこの格好が変わらない。
 見苦しいかもしれないが勘弁してほしい。」

 アンリが驚いたように言う。

「5千年?
 グラスマン様ってそんなに長生きするの?」

「ああ、まぁ、人間の尺度から言えば長生きだろうね。
 この姿は二千年前からだけれど、7千年に一度は模様替えをしている。
 僕が意識を持ち始めてからならば4億年は超えているよ。」

 アンリの目は真ん丸になった。

「4億年?」

「灼熱の岩が次第に冷えて岩となりはじめてから4億5千万年ほど。
 僕はそれらの集合体でもある。
 妖精や精霊の世界も狭いものだよ。
 顔なんざぁ見飽きてしまうほど変わらないからねぇ。
 だから7千年ほどのサイクルで衣装だけは変えてやるのさ。
 尤も、人間と話をするのは久しぶりだな。
 あれは前の衣装のときで最初の方だったから8千年前かな。
 ネリヤと言ってね。
 初めて会ったときは可愛い子だった。
 次に会ったときは子供を連れていたな。
 ネリヤは話せたが子供は無理だったようだ。
 ネリヤとは10度ほども会ったかな。
 最後に会った時は随分と年老いていた。
 多分そのまま寿命が来たんだろうな。
 4、5年経った頃には居なくなっていた。
 確か墓はあったはずだけれど、今は多分地面の下に埋もれている。
 その意味では君らは若いけれど、若すぎると言うほどじゃない。
 ネリヤとは彼女が5歳の時に遭ったからね。
 これまで君らの評判を聞いたことは余りなかった。
 少なくとも妖精や精霊と話ができる人間があれば、すぐにわかるはずなのに。」

「それは仕方がないね。
 僕らが妖精や精霊と話をし出したのはほんの10日余りほど前だから。
 それまでは君らがいると言うことも知らなかった。」

「へぇ。
 オーラの比較的小さなアンリはともかく、マルスはそんなレベルじゃないけれど。
 覚醒したのは何時の事だい。」

「半年ほど前。」

「半年前?
 可笑しいな。
 そんなことがあれば気づくはずだけれど・・・。」

 マルスは危険を感じてわざわざ異世界に転移して覚醒したことを意図しながら隠した。
 自分がおそらくはこの世界に非ざる者であることを今は隠しておこうと思ったのだ。

「まぁ、例外はたくさんあるのじゃない?」

「例外?
 そんなものはあっても知らんよ。
 何しろネリヤの場合しか知らないからね。
 ネリヤが覚醒した時は大地が震えた。
 マルスはネリヤよりはるかに大きなオーラを持っているから、より大きな兆候があってもおかしくないはずだ。
 アンリはまだ覚醒していないな。
 アンリはネリヤ程じゃないにしても覚醒の時の兆候はあるだろうな。
 経験じゃなく予感にしか過ぎないけれど。」

「大地が震えて被害があったのかい?」

「まぁ、僕の基準から言えば大したことはないが、それでも山が崩れて村が二つほど埋まってしまって、そこに住んでいた者は全滅だ。
 生き残ったのはネリヤ一人だった。」

「ネリヤが何歳の時の話?」

「ネリヤの場合は、覚醒する前は、話などできなかったよ。
 覚醒して初めて話ができた。」

「じゃぁ、5歳の時・・・。
 アンリが覚醒前とどうしてわかったの?」

「あぁ、そいつは・・・・。
 ネリヤと話はできなかったが、僕は覚醒前の彼女を知っている。
 ネリヤのオーラはアンリと一緒で脈動していた。
 だからアンリは覚醒前だと思った。」

「一つ教えて欲しい。
 アンリのオーラの規模はネリヤと比べて大きい、それとも小さい。」

「アンリの方が少し大きいかな。
 何でそんなことを知りたいんだ。」

「ごめん、君が何を見て覚醒の兆候は、ネリヤ程じゃないと判断したのがわからなくて・・・。」

「なんだ。
 そんなことか。
 脈動の幅がネリヤほど大きくないんだ。
 脈動の周期もネリヤ程早くも無い。
 だからそう思った。」

 マルスは小さく頷いた。

「なるほど、一応筋が通っている。
 ありがとう。
 実はアンリが覚醒する時は不安でね。
 少なくともここで大地が震えて被害が出るようじゃ困るから、・・・。
 どうしようかと迷っている。」

「そうか、・・・。
 なるほど、・・・・。
 だがマルスが付いているし、左程の心配もいらないだろうよ。
 じゃぁ、折角顔見知りになったのだし、いい機会だから、一つ君たちの心配事になりそうな事を教えておこう。
 近々、海の底で地震が起きる。
 ここでも地震は感じられるだろうが左程じゃない。
 だが大津波が起きる。
 ここの入り江は深いが、それでも全体としては徐々に狭まっているから、入り江の奥にある港に達する時にはかなりの高さになるだろう。
 この屋敷のある場所まで津波が到達することはないが、屋敷の前の坂道の半分ぐらいまでは津波が押し寄せるだろうな。」

 アンリの顔がやや引きつった。

「まぁ、そんな大きな津波が?
 それは何時なのですか?」

「うーん、まだはっきりとはしないな。
 15日から20日ぐらい後になるとは思うが・・・。
 地震が起きる前には知らせてあげよう。
 少なくとも三日ぐらい前にはわかるだろう。」

「このマルビス以外で被害に遭いそうなのはどこかあるかい?」

「ああ、津波は地震が起きる場所から放射状に発生するからね。
 海岸線が平坦な部分では大したことは無いだろうが。
 それでも優に人の丈を超える津波がくるだろう。
 特に、海から急激に浅くなるような場所や、入り江になっていて徐々に狭くなっている場所はかなり危ないかもな。」

「その場所を教えてくれるかい?」

「ああ、いいよ。
 だが、普通の人間に知らせるつもりならやめておいた方がいい。
 結構大きな地震が内陸部で有った時は、ネリヤに伝えてやったんだが、ネリヤがいくら説得しても誰も耳を傾けなかった。
 だからまっとうに話しても誰も聞きはしないよ。」

「それでも、何か警告ができればと思う。」

「お人よしだな。
 マルスは・・・。
 でもそういう人間は嫌いじゃないぜ。」

 グラスマンは、地形から読み取れる危険な場所を瞬時に伝えてきた。
 それから言った。

「どうやら屋敷で二人の居場所を探しているようだね。
 じゃぁ、また来るよ。
 元気でね。」

 グラスマンが不意に消えた。
 昼餉ひるげの時間でカレンとメリッサが二人を探しているのが間もなくわかった。

 二人は屋敷に戻ることにした。
 およそ140年前にマルビスは大津波に襲われ、多くの住民が亡くなっていた。

 その時も感じられる地震はあったが地震で被害は起きなかった。
 それからしばらくして津波が押し寄せたのだ。

 津波が押し寄せてきたとき、彼らには逃げ延びる術が無かった。
 津波はあっという間に街並みを飲み込んだからである。

 高台近くに居た者だけが生き残ったのである。
 二人でマルビスの歴史を調べていてわかったことだった。

 140年前と今ではマルビスの人口が大きく違っていた。
 当時マルビスは現在のマルビスの半分ほどの人口であった。

 それでもおよそ7万もの人々が亡くなっている。
 仮に同じ津波が襲えば14万から15万の人が亡くなる可能性がある。

 二人は当時の様子を詳細に記録から調べた。
 城塞の中で一番被害が大きかったのは街の中であった。

 多くの木造住宅が流されその中に居た人が亡くなっている。
 その後、街が再建されたとき領主であるサディス公爵家は、石造りの家を奨励したが、20年も経つとその奨励が忘れ去られて徐々に手軽な木造住宅が増え始め、現在では市街の半分が木造住宅である。

 大通りは石造りの家が多いが裏通りの街並みは木造の住宅が多いのである。
 さらに西側の平野部もなだらかな斜面となっているので広範囲に田畑が海水に浸かり、農作物が駄目になった。

 幸いにしてサディス公爵家は古い言い伝えを守って収穫の一部は緊急用に丘の蔵に残してあるので当座の食糧は賄えるが長期的には難しい。
 140年前は王都を含め多くの領主から支援の食糧を出してもらってようやく危難を逃れたようだ。

 但し、当時はおよそ3万の人口が残っただけであり、規模が違いすぎる。
 仮に20万人もの難民が出れば、荘園の経済を大きく圧迫することになるだろう。

 津波を避けることは難しい。
 マルスならばその力を使って、湾口を封鎖することによって津波そのものをマルビスに及ばないようにできるかもしれないが、被害はマルビスだけではない。

 エルモ大陸の北部およびアザリオン大陸の南部全域に及ぶであろうことがわかっている。
 その中でマルビスだけが被害を受けない理由が見つからないのである。

 そうした場面で力を使えばいつの時点で疑われることが有り得るのである。
 マルスとアンリの力の秘密は守られなければならなかった。

 マルスのカルベックへ戻る日が近づいていたが、マルスは当面カルベックに戻らないことを決めた。
 少なくともマルビスでの被害を最小限度に抑える努力をしてからカルベックに戻ることにしたのである。
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