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第一章 プロローグ

1-4 アリス ~豪華客船

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 私(アリス)が、シャトル便の搭乗口に行くと二つほど長い列ができていたが、その列は二等船室と三等船室の客であった。
 一等船客と特一等船客の搭乗口は別の入り口であり、列ができるほどの客はいないようだ。

 私の乗船券は一等であり、待たずに搭乗口を通過できた。
 シャトルのキャビンも内部で仕切られた別枠の席で有り、上級クラスの先客は数えるほどしかいなかった。

 もっともキティホークの出発に間に合うシャトル便はこの後3便ほどあるから全体の乗客数は不明である。
 遅くなるほど込み合うらしいというネット情報が有ったので早いシャトル便を予約したのである。

 別にアルタミルで用事があるわけではないから、早目にキティホーク号に乗船して待っていた方が良いと思ったのだ。
 豪華客船でもあるキティホーク号には、色々な設備が整っている。

 パンフレットで見る限りは、余暇を過ごす施設は有りすぎるほどある。
 午後1時のシャトル便で軌道衛星まで約2時間半、キティホークの出航時間は午後7時の予定である。

 座席に座ると間もなくフライトアテンダントがキャビンに現れ、何くれと世話を焼いてくれる。
 事故が有った時に余り役には立ちそうもないのだが、四点支持のシートベルトを締めて10分程待つと、カウントダウンが始まった。

 カウントゼロで急激な加速度が生じ、身体がシートに押さえつけられる。
 ジャンプ式離陸では、リニアモーターで水平位置から徐々に45度の角度へと傾斜してゆくレールの上をシャトルが突っ走る。

 一定の速度に達すると更にロケット・ブースターで加速して、長さ15セトランのジャンプレール上を僅かに25秒で滑走し、高度200トランを45度の角度で更に上空へと飛翔するのである。
 離陸速度は毎時700セトランを超えることになる。

 その後も内蔵するシュワルツ型推進エンジンを使って、毎秒7セトランの周回衛星速度まで加速するのである。
 高度2万トランまでは騒音が激しいが、それを過ぎると空気密度が極端に過疎になるから静かになる。

 そうして毎秒7セトランに達すると加速を止めて無重量状態がやってくる。
 それから惑星上空2万7千セトランに位置する軌道衛星の高度まで達するのにおよそ1時間半、徐々に軌道衛星に近づいて、軌道衛星の格納庫に収まるまで、席を離れてはいけないのがルールである。

 但し、生理現象など止むを得ない場合はフライトアテンダントの手を借りることになる。
 初めて無重量状態を経験する人が気持ち悪くなって嘔吐する場合もあるので、フライトアテンダントは結構忙しい。

 私は修学旅行を含めて二度目の宇宙旅行だが、落っこちるというイメージが付きまとう無重量状態が必ずしも気持ちがいいものとは思えないものの、吐き気をもよおすほどではない。
 客室前面にあるスクリーンには青く光るアルタミルとこれから向かう軌道衛星が映し出されていた。

 軌道衛星の格納庫に到着してもしばらくは客席を離れることはできない。
 シャトルが固定され、また格納庫の扉が閉鎖されて、格納庫内が充気されるまでの時間が必要なのである。

 それらの作業が済んで初めて天井にあるランプが黄色から緑に変わる。
 シートベルトを外しても差し支えないという表示と同時に機内アナウンスがかかる。

「シャトルは無事に衛星格納庫に到着いたしました。
 お客様は係の指示に従って、下船下さるようにお願いします。
 なお、軌道衛星内では遠心力による疑似重力が御座いますが、地上の五分の一程度でございますので、ご注意ください。
 移動の際に余り力を入れますと天井に頭をぶつける方もいらっしゃいます。
 また、皆様の乗船されるキティホーク号は既に乗船準備を整えて皆様をお待ちしておりますので、このまま乗船ゲートにお進み頂きますようお願い申し上げます。」

 重力が五分の一の世界では何をするにしてもゆっくりと動くことが肝要である。
 余り力を入れると身体が浮き上がるし、他の人にぶつかったりして迷惑をかけることにもなる。

 一等以上の船客は二等以下の船客とは別系統の連絡口と通路を使って、キティホーク号へと導かれる。
 シャトル基地と同じで、そもそも船内に入るゲート口が異なるらしい。

 通路はわずかながら機械油のにおいがした。
 軌道衛星は直系1.3セトランほどの円環を8つほど持った円柱構造であり、中央シャフトを中心に円筒とその外の円環がゆっくりと自転している。

 概ね1分半で一回の自転をしているので
 角速度Vは1000×3.14/90=45.35トラン/毎秒である。

 遠心力α≒V 2/Rであるから、およそ2.06トラン/毎秒 2の擬似重力が発生している。
 つまりは概ね5分の1の擬似重力があることになる。

 円筒の外側内殻部及び円環の外側内殻部は外側に向いた擬似重力が生まれているのである。
 シャトル受付で預けた手荷物は別の貨物シャトルで軌道衛星に運ばれ、作業員の手でキティホークに搭載され、後ほど部屋まで届けられることになっている。

 円環部内殻の通路は曲面であり、前進しても自分の位置はいつでも谷の底にいる。
 傾斜しているように見えるが歩いてみると平面と同じ感覚である。

 いずれにしろ結構な距離を移動して、乗船口へ続くタラップに到達したのは午後4時少し前であった。
 通路もタラップもトンネル状であり、窓が無いので外部を見ることはできない。

 従って乗客が自分の乗る船の大きさをその目で見ることはできないのが残念である。
 マクルーアンス星間クルーズ会社のパンフレットによれば、キティホーク号は14年前に建造された比較的新しい星間航行客船であり、厚さ52トラン、幅208トラン、長さ314トランの板が長さ方向を軸に十字に交わっている形を思い浮かべ、その軸方向を中心に、長さ484トラン、最大径122トランの先細りの砲弾形状が取り付けられているような特殊な形状である。

 砲弾から翼のような板が四方に張り出している形を思い浮かべるとそれがキティホークの姿である。
 空気抵抗のない宇宙空間でしか使えないデザインだし、お世辞にも格好がいいとは言えないが、乗員乗客の利便性を考えるとこんな形になったようである。

 乗組員は1500名を超え、最大旅客定員は1800名余りに及ぶ。
 おそらくは、仮に船体を眺めることができたとするならば異形ではあってもかなり壮観なものだろう。

 船は船首部を円環外郭につけているため常時下向きの遠心力が発生し、擬似重力が生じている。
 キティホークぐらいの質量を有する物体が外殻に取りつくだけで、衛星の重心が偏心することになるので係留の場合は、反対側の位置にわざわざ水を入れた大きなタンク船を振りだしてワイヤーの長さで調節するようだ。

 船が出航する際には、旅客船が出航すると同時に反対側からタンク船も離脱するのである。
 軌道衛星の回転運動はそれでもかなり影響を受けることにはなるが、何もしないよりは低減されている。

 従って大型船の出港の際に衛星に乗っていると必ず擬似重力の乱れから船の離脱がわかるそうである。
 単純に言えば、大型船の着船、離船により衛星自体が揺れるのである。

 タンクに入れる水の量とワイヤーが長くなればなるほど角運動量の関連性でより大きな質量を係留することができるようになる。
 タラップに入って乗船口に向かうと徐々に空気の質が変わって行くのがわかった。

 船の方から微風が来ているのである。
 船に無尽蔵の空気が有るわけではなくタラップの下を空気が循環し、衛星側の空気はフィルターを通して濾過され、衛星に戻される仕組みになっているのである。

 貨物船口のタラップはともかく、客専用のタラップはどこでもそうしたシステムで客船内の空気の清浄度を保つようにしているようである。
 軌道衛星の汎用清浄システムと比べると段違いの装備が施してあるらしい。

 乗船口のゲートをくぐるとそこは船内であるが、船首部であるためにそこからエレベーターを三度乗り換えてようやく船内の受け付けに到達できる。
 エレベーターを三つに分けているのは万が一の事故を想定して隔壁による空気漏れを防ぐ構造になっているからである。

 仮にエレベーターが船首部から船尾部まで貫通しているとエレベーターの竪穴に空気漏れが発生するだけで船全体が影響を受けるからである。
 二等船客や三等船客は更に下部に降りなければ受付に到達できないようになっている。

 いずれにしろ、私は他の一等船客と一緒に上級受付に案内された。
 ホテルのクロークを思わせる受付で乗船券を渡すと、予め登録された網膜パターンをセンサーで読み込み、部屋のカードキーが手渡された。

 糊のきいた襟の高い青い制服を着た女性が部屋まで案内してくれた。
 部屋の有る位置は船首先端部からおよそ120トランも下方にあるので、擬似重力は4分の一近くになっている。
船尾方向に降りて行くにつれて、擬似重力は増大し、船尾付近では0.4G近くになっているはずである。

 部屋はC127号室、広い居室と寝室それに部屋の大きさに比べれば小さなキッチンとバストイレが付いており、寝室にはかなり大きめのウォークインクローゼットが備えられている。
 内装は非常に立派である。

 モース・チーク材を多用した重厚な造りは、アルタミルの社宅ではとてもお目に掛かれない贅沢品である。
 調度品も磨き上げた構成材が黒光りしており、ドールヒノキのどっしりとしたテーブルと革張りの応接セットとがよく調和している。

 寝室はツインであるが、一方のベッドは幅が大きくゆったりとしている。
 少々寝相が悪くてもベッドから転げ落ちることはまず無いだろう。

 床は歩いても音がしないほど分厚いモザイク模様の絨毯である。
 重力が小さなこともあって床からの弾力でふわふわとする感じさえする。

 部屋まで案内してくれたカスリンという女性が「貴女の部屋の担当です。」と自己紹介し、部屋の各種装備の扱い方を丁寧に教えてくれた。
 一等船客の場合、専属でメイド役を務めるものが一室に一人配属されるのだが、それがカスリンであった。

 これが二等船客になると5室に一人、三等船客では10室に一人の配属になる。
 これから目的地のメィビスに着くまで50日近くも世話になることから、私は、最初にチップを大目に渡してあげた。

 千ルーブを渡すと目を丸くして驚きながらも喜んで受け取ってくれた。
 おそらくは彼女の固定賃金の二日分ぐらいに相当すると思うのである。

 予め読んだガイドブックによれば、通常は50ルーブから100ルーブが相場の筈である。
 但し、専属のメイドが付く場合には最初に大目に渡してあげると親身に世話をしてくれると記載してあったのである。

 毎朝掃除に来る筈なので枕の下に何がしかのチップを置くのが慣例であり、そのほかの従業員にもサービスに応じてチップを渡すことになっているから、100ルーブ紙幣と50ルーブ硬貨はそれぞれ100枚ずつ用意してある。
 レストランでは概ね50ルーブ、その他の手が掛かるサービス業で100ルーブが相場の様である。

 現金の持ち合わせがない場合は、クロークで現金代わりの小さなベットコインを貰って金券代わりに使ってもいい。
 その清算は下船時にクレジットカードから引かれることになる。

 余ったり、使ったベットコインは持ち主が船内の換金所で現金に換えられる。
 但し、換金手数料が10%も取られるから、同じ金額で有れば現金の方が受け取る側に喜ばれる

 ベットコインはカジノで使っているものであるが、最小金額が50ルーブ、最大金額10万ルーブまである。
 カスリンは私と同じぐらいでおそらくは20代になったか、ならないかの年頃である。

 身長は私よりも大分低いが、動きが活発で働き者の感じだ。
 船の中での飲食は基本的に料金に含まれているのだが、デリバリーなどを頼むと追加料金になるし、アルコール類はワインを含めて基本的に有料である。

 そうした追加料金は部屋のカードキーで支払いが可能であるが、チップだけはカードキーに頼るわけには行かないシステムになっている。
 尤も三食の食事は通常の大人の人を目安に造られており、大食漢の人には量的に足りないだろうから、別途特別料理を出してくれるレストランで食べることも出来るようになっている。

 たまにはお仕着せの料理ではなく好みの食事も楽しめるように各種の有料レストランが船内にある。
 そのために欠食表があり、定例の料理を食べずに最初から別のレストランに行くことも可能なのである。

 滅多にないことなのだから、機会が有ればそうした特別料理のお店にも行ってみるつもりではいる。
 但し、若い娘が一人でそう言ったレストランに入るのも気が引ける。

 普通ならば夫婦とか恋人とかで連れ添って行くべき場所のように思えるのだ。
 私が有名な美食家であれば一人で行くのも構わないだろうが、生憎と私はそれほどの美食家ではない。

 私は、母やベアトリスさんが一生懸命に作ってくれるお料理を食べていただけで、大学に入ってからは多少料理の手伝いもしたが、少なくとも人に出せるような料理を作る自信は全くない。
 そんな者が美食家を気取ってもすぐに化けの皮がはがれるに決っている。

 身のたけにあった動きをするしかないだろうと思ってはいる。
 カスリンの話では、今日の夕食は出航後の午後8時に予定されている。

 正装で一等、特一等の専用食堂に行かねばならないようだ。
 船内では概ね1週間に一度は正装による食事会があるという情報は予めネットから仕入れていた。

 その際に余りラフな服装をしていると周囲からひんしゅくを買うことになるようだ。
 これはネットに書き込んでいた体験談を読んだだけの情報でしかないのだが、頼れるのはそれしかなかった。

 一応手持ちのドレスらしきものは三着用意してはあるが、その後が続かない。
 カスリンに船内のモールが開いているかどうか尋ねてみると、第一陣のお客様が乗船されるときから開店していますと答えてくれた。

 預けたトランク二個が部屋に届けられるのは45分後ぐらいになるらしいので、カスリンに荷物の受け取りを頼み、私はモールに出かけることにした。
 部屋に備え付けの船内ガイドをしてくれるハンディタイプの情報端末を片手にハンドバックを持って部屋を出た。

 船内のどこに行くにしてもこの情報端末は欠かせない。
 何しろワンフロアーが3000から5000平方トラン以上の広さを有し、垂直方向にそれが80階層もあるのである。

 そのうち旅客が利用できるのは約半分の空間ではあるものの、合計すると普通の陸上競技場ならば3個分、観客10万人が収容できる大規模な競技場でも付帯施設を含めて丸々1個分ほどの広さになる。
 ほぼ一階層分の面積を締めるジムナシアを例外としても、どの施設に行くにしても船内ガイドは必需品である。

 特にモール街は立体迷路のように入り組んでおり、目当ての店を探すだけでも一苦労する。
 現金は左程持っていないが、アルタミル中央銀行と提携しているディフィビア第一銀行に中央銀行から口座を移送してもらい、同時にDIXと呼ばれるディフィビア連合共通のクレジットカードを作ってもらっているので、支払いに困ることは無い。

 船内ではクレジットカードに連動したカードキーとサインでどこでも買い物ができるはずである。
 尤も、ディフィビア第一銀行メィビス本店に口座を移動するだけで往復6日の日数が掛かっている。

 光の速さでもアルタミルから195億セトランも離れているワームホールまでほぼ18時間、そこからワームホールを経由してワームホール出口から210億セトラン離れたメィビスに到達するまで更に20時間なのでほぼ二日を要することになり、銀行内の事務処理で2日、その返事が戻って来るまでに2日掛かっているのである。
 従って到底光速には達しえないキティホークが、物理的に移動しなければならないワームホールまで概ね23日かかり、更にワームホールから24日かけてようやくメィビスの軌道衛星に到達するのは無理からぬことである。

 ワームホールは、恒星中心からかなり離れた宙域に存在するためにどうしてもそれだけの日数が掛かってしまうのである。
 統計的に180億セトランから220億セトランの範囲にあるワームホールが多く、アルタミルの一つしかないワームホールも、メィビスの8つもあるワームホールもその距離内にある。

 但し、中には非常にワームホールが離れた場所にある星系もあり、最大は1200億セトランの距離が有る星系もあると聞いている。
 メィビスに通じるワームホールの出口にそんな星系は無いのだが、仮にメィビスとつながっていた場合、半分の約600億セトランを加速し、残りの600億セトランを減速しなければならないから、1Gの加速度でも中間点まで40.5日ほど、合計81日も掛かることになる。

 まぁ、光の速さでも110時間以上かかってしまう距離なのだから無理もないことでは有る。
 およそ500年も前にワームホールは偶然に発見されたものであるが、それ以後人類の居住圏は拡大の一途を辿った。

 そうした中で人種や経済状況、信教、政治思想などが絡まって人類の文明圏は大きく三つに分かれた。
 共産主義を至上原理とするヒルブレン共産同盟圏、ブーラ教を信奉するブーラ原理教会連邦、そうして自由経済と個人の権利を重視するディフィビア連合の三つである。

 他にも皇帝を至高の地位とするギデオン帝国、小さな星系群でできている公国や共栄圏などが存在するが、他の三つの勢力圏と比べるとさほど大きくは無く、ギデオン帝国がディフィビア連合の五分の一程度の勢力だろう。
 これら複数の勢力圏は実際の立体宙域図ではかなり入り組んではいるものの、ワームホールのシナプス図から見ると離れてはいてもかなり密接なつながりがある宙域に限られているのである。

 例えばアルタミルに最も物理的に近い居住可能星系はギデオン帝国のホワン侯爵領であるが、アルタミル近傍のワームホールからは直接の経路が無い。
 ために僅かに3.2光年の距離でありながら、恒星間航宙船にとっても遠すぎる距離となっているのである。

 因みにキティホークがワームホールに入る速度は光速の8%程度になるが、その速度をもってしてもワームホールを使わずにホワン侯爵領に到達するには40年ほどの歳月が必要となり、とても交易対象にはならないのである。
 メィビスまでは17.8光年もありながら僅かに50日足らずで到達できるならば、その昔の大洋航海で貨物を遠隔地に運ぶ帆船の場合とさほど変わらずに交易が成立することになる。

 メィビスは8つものワームホールを抱える交通の要衝でもある。
 そのうち6つはディフィビア連合圏内の恒星系へつながるワームホールであり、残り2つはヒルブレン共産同盟圏とギデオン帝国圏への通路である。
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