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5.褒めてください

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そんな私を納得がいかなそうな顔をして見ている天野さんの手元に視線を移した。

「資料、どうでした?」

午後に食材を仕入れる業者へ開発部とともに打ち合わせへ出る彼から頼まれた資料。

少しずつ任される仕事が大きくなってきている気がして、毎日勉強の積み重ねでついていくのに必死。

庶務課にいた頃だって仕事に不満はなかったけど、彼の補佐をするようになってからは仕事が楽しくて仕方ない。

こうやって大きなプロジェクトが進んでいくのを、一番トップで指揮をとっている人の近くで見ていられる幸せを噛みしめる毎日。

天野さんに認められたい。頼られたい。

その想いは日増しに強くなっていく。

「ああ、良く出来てた」

急に変わった話題に眉を顰めながらタブレットに少しだけ視線を落として、また私に戻ってくる。

ゆっくりと近付いてくる天野さんの大きな瞳に見つめられ、ぎゅっと胸が掴まれたように疼く。

「なぁ。褒めて欲しい?」

正午まであと三十分以上あるこの時間、給湯室を使う人はあまりいない。

このフロアは上の企画や開発、商品部などの多くの人と関わる部署と違い、総務や経理、法務など主に事務手続きを行う書類を相手にする部署ばかり。

静寂というわけではなくても、上に比べればかなり静かなオフィスで同じ会社とは思えないほど。

そんなフロアの隣りにある給湯室で繰り広げられる会話は、誰に聞こえてしまうかもわからない。

「ど、どういう意味……」
「答えて。わかってんだろ?」

意地の悪いニヤリとした笑い方。

他の女性社員には優しく笑いかけるのにどうして私にだけ。

ずっとそう思ってきたけど、あれは優しくしようと笑ってるのではなく、ただ笑顔を貼り付けているのだと気がついたのはいつだったか。

軋轢をうまない人のいい笑顔で周囲と一線を引いていると気がついて、その線の内側に入れるのはどんな人なんだろうと考えた。

名前で呼ぶことを許された紅林さんを思い浮かべると、どうしても胸がチクリと痛む。

先程毅然とした態度で私を庇ってくれた彼女は、目の前の彼の一体なんなのか。

そもそも私だって、彼にとってどんな存在なのか。

屋上で奪われたファーストキスが脳裏を過る。

“褒める”という言葉に隠された甘い誘惑に惑わされてしまいそうで、私はキッと天野さんを睨む。

「言って下さい」
「何を」
「言うべきこと」

可愛くないと思われても、面倒くさいと思われても、言葉を聞けない限りは私だって動けない。

慣れてるあなたと違って、私は完全な初心者なんですから。そんなこと絶対に口には出さないけど。

「じゃあ翔って呼べよ」
「それじゃないです」
「うるせぇ、呼べって」

これじゃあこの前の飲み会帰りの二の舞だ。

わかってるけど私から引くことなんて出来ない。

線の中に入ってこいと手招きをされても、言葉で“おいで”と言ってもらわないと動けない。

「……なぁ、蜂谷」
「はい」
「ランチ。今度は二人で行こう」

たったそれだけの言葉。不貞腐れたような声で誘ってきたのが可笑しくて、本当はもっと求めていた言葉があるはずなのについ頷いてしまった。

ゆっくりと下りてきた影。

ここは会社で、新しくなって利用者も増えた給湯室で、お昼休憩前の就業時間中だと警鐘を鳴らす私がいる一方で。今から自分の身に起こることをずっと期待していたんだからと白旗を上げる私もいる。

「天野さん」

ゆっくりと彼の名前を呼ぶ。

「……ねぇ」
「なんだよ」
「褒めて下さい。翔さん」

淹れ直したコーヒーは、やっぱり冷めてしまっていた。



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