アンリレインの存在証明

黒文鳥

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「そりゃあ彼が君の地雷を見事に踏んだにしたって、ちょっとやり過ぎだってことは自覚してるよね? そうでないと私も困ってしまうんだけど」

 細い指先でこめかみを揉むようにして、ミーティア・二ルフェリアは溜息を吐く。
 言葉だけは第二研究区の主任という立場らしく、けれど相変わらず研究室のソファに踏ん反り返る彼女に威厳というものは欠片も見て取れない。
 正午を回ったばかりだが見てくれは深夜の泥酔したおやじである。
 背もたれに腕を乗せ、長い脚は自然と外へ開く。
 とっくに脱いでいたハイヒールが、つま先に当たってカツンと音を立てて倒れる。
 気にした様子もないミーティアはその体勢のまま「久々にやらかしてくれたものだよ」と、ぼやいた。
 それはともかくその格好はどうなんですかね。
 喉元まで出かかった言葉を、レンは空気を読んで飲み込んだ。
 いつもより一段階上のだらけ振りは、主任が例の件の後始末に奔走した末の結果だと理解している。
 あのトークショーから、二日。
 世間も財団もそれなりに大騒ぎをしているらしい。
 当事者でありながら実感に乏しいのは、あれから丸一日を寝て過ごし外の情報を得る機会がほぼなかったからである。
 出勤前に流し見たいつものニュース番組で、ジャックが休養宣言をして一切の取材を断っているらしいことは辛うじて知っているが。

「ジャック・コーディン氏は各方面で大炎上。自業自得だけど、配信されていたショーの映像があちこち出回って叩かれているようだよ。一応市警の捜査も入るみたいだし、多分再起は厳しいんじゃないかな」
 
 ミーティアはだるそうに顔だけこちらに向ける。
 そうなるだろうと思ったから、アンリエッタに触れるのはやめておいてもいいと言ったのだ。
 決断したのは彼だが、確かに大き過ぎる代償だったかもしれない。
 同席を求めるまでもなく何故か研究室に押しかけて来たアルエットは、ミーティアの言葉にも特別何の感慨も抱かないようだ。
 レンのデスクのすぐ後ろ、本棚に軽く寄りかかってつまらなそうにしている。
 
「彼本人は仕方ないにしたって、彼に関わる仕事をしてた人たちは大変だろう。今後はね、レン君。諸々影響が出そうな時はきちんと連絡をくれたまえよ」

 レンはデスクチェアに腰掛けたまま、ミーティアの忠告に静かに頷いた。
 実際トークショーはあの後再開することなく観客は退出させられたという。
 ジャックの危険行為を止めるにしても、多方面に迷惑をかけたのは事実だ。
 素直でよろしい、と主任はようやく微笑む。
 
「今回は対策班が全面的に擁護に回ってくれたから良いけど、財団上層部に目を付けられたくはないだろう? 君だってデータ憑きだ。NICSに連れ戻されたら、流石の私だって手も足も出ない」

「NICSに連れ戻されちゃう?」

 その言葉にアルエットはふと顔を上げて、聞き返す。
 別にNICSで暮らしても平気なんて言っていたはずだが、その言葉の端には僅かに不安が滲む。
 ミーティアは意外そうな顔をして、彼女を見返すと首を振った。

「君が? いやいや君は今回の件、別段責任は問われていないだろう? レン君が君の名前を伏せた理由、わかってなかったのかな。財団としても監督者の問題行動で、君は寧ろこれまでの予測不能な行動を改めてレン君の指示をきちんと聞いていたと評価されているんだけどね」

 アルエットは「名前を、伏せる」と呟き、今度はレンに視線を向けた。
 明確に彼女を庇おうと思っていたわけではない。
 何か言いたげな気配を無視して、「イグナートさんにもお礼を言わないといけませんね」とレンはデスクの上の端末を眺める。
 画面には、ほぼ完成した始末書。
 これを提出すれば今回の件はそれ以上のお咎めなしで終わるらしい。
 減給や聴取くらいは覚悟していたが、対策班が擁護してくれたと言うから恐らくイグナートの口添えがあったのだろう。
 けれどイグナートにお礼と聞いて、ミーティアは心底嫌そうに眉を顰めた。

「お礼? 冗談だろう。そんなものは必要ないさ」

「……はあ、そうですか」

 仲でも悪いのか。
 ミーティアはサイドで纏めた栗色の髪を乱暴に指で梳いて、身体を起こす。
 ソファが反動で軋み、すぐ隣に積み上がっていた本が数冊崩れて床に落ちた。
 彼女はゆったりとした動作で本を拾い上げ、その背表紙を撫でる。
 濡れたような唇の端に、好戦的な笑みが浮かんだ。
 
「まんまとしてやられたものだよ。もちろんほとぼりが冷めるまで、調査なんて以ての外。対策班から打診があったとしても、君の上司として一切許可出来ない」

「主任、それは」
 
 引っ掛かりを感じたレンが問う前に、アルエットが「何故?」と声を上げた。
 
「私とレンはセットで、一緒に調査に行くのが仕事だよ」

 それは明確な反論だった。
 寄りかかっていた本棚から背を離して、アルエットはミーティアに数歩近寄る。
 
「まだ対処依頼はたくさん来ているんだよね? それなら私とレンがお仕事をするのは当然だと思うな」

 へぇ、とミーティアは少しだけ驚いてみせた。
 アルエットからそんな反論があるとは思っていなかったようだ。
 彼女はついとつま先でハイヒールを拾い上げて立ち上がる。
 その距離は僅か数歩。
 窓際のデスクからレンは状況を飲み込めないまま、二人を交互に見た。
 
「そう、対処依頼はまだまだ呆れるくらい寄せられていると聞くよ。あの儀式がでっちあげの危険なものだったと公になって、実際挑戦してみるなんて馬鹿な真似をする人間は減っただろうけどね」

 だが発生した『ウロ様』というRデータは、未だ野放しだ。
 そしてその儀式を行う人間も、決して零にはならない。
 対策班はこれから感染するRデータであるウロ様をどうにかしなくてはならないわけだ。

「ウロ様ってRデータが存在する限り、現状は変わらない。手当たり次第対処に向かってその本体を見つけるしかないだろう。いや本当に、猫の手だって借りたいだろうね」

 ミーティアはふぅ、と息を吐いて頬に手を当てた。
 だったらとアルエットが口にするのを、彼女はすっと指先を立てて止めた。
 
「だけど実はとても簡単な解決方法があるんだよ」

 窓から入る日差しが翳った気がした。
 いや、研究室の光量に変化はない。
 ただミーティアの苛立ちを、レンが視覚的にそう捉えただけだ。
 思わず左手に視線を落とす。
 簡単な解決方法。
 そこまで言われてようやく、気付く。

「解決方法が、あるの?」

 アルエットが子どものように目を丸くする。
 頷いて微笑むミーティの瞳が、弓形に細められた。

「そうとても簡単さ。レン君が、ウロ様を呼べば良い」

 ウロ様が儀式を行った人間の元に現れるものであるのなら、レンがそれを呼び出せば良い。
 とてもシンプルな結論だ。
 それが結果としてどういう現象になったとしても、レンにはシオがいる。
 どれほどの脅威であったとしても、Rデータからであればレンは必ず身を守ることが出来る。
 そして呼び出したウロ様を対策班が解体なり破壊なりすれば良いのだ。
 
「どうかな? 確実で単純でとても明快な解決方法だろう」

「ーーーーそう、だね。レンがウロ様を呼べば」

 アルエットは納得しながらも、戸惑ったように言葉を区切る。
 事実そうして対処することに、レン自身は抵抗がなかった。
 ただそれが財団における立場を絶対的に変化させるものであることは、十分に理解している。
 ミーティアは艶やかに声を上げて笑う。
 
「そうだろう? そしてレン・フリューベルというデータ憑きは、そういう価値を確立させるわけだ」

「価値……?」

「感染するRデータを自ら呼んで無事に生き延びるなんて実績、財団じゃあ表彰ものだろうね! 実に便利な人材じゃないか。Rデータに対する良い『餌』になるんだから」
 

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