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別れ

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ドアを開けて彼に話しかけた。

「サットン卿」

「どうした?」

「お話があります。中に入っていただけますか」

「分かった」

ドアを開けたまま中に入って来た彼は目に涙を浮かべていた。

サットン伯爵家に滞在していたと聞いた。
確か妹のように面倒を見てくれていたとか。

「サットン卿。記憶を失くす前にサットン家にとてもお世話になっていたのですね。
ありがとうございました。
そして今も心配してくださっているのですね」

「…君は私をケインと名で呼んでいた。
妹のペーズリーと仲が良くて。
家族との蟠りに耐えきれず、サットン邸に身を寄せた。

私が仕事に行く時は見送って、帰ると出迎えてくれた。それがとても嬉しかった。
もう1人の将軍のことはお祖父様と呼んで、一緒に遊んでいたよ」

「そうなのですね」

「何か知りたいことでも?」

「子爵家を去ろうと思います。ですが私には身を寄せる場所も力もありません。記憶はまるでありませんが保護してもらえますかと 大公閣下にお伝え願います」

「直ぐでもいいか?」

「はい。明日でも1ヶ月後でもかまいません。
その前に一つだけ。大公閣下が私の実父だということは本当ですか」

「間違いない」

「子爵家にお金を払っていただきたいのです」

「君の意志か?」

「はい。当時着ていた服とこのバングルだけが本来の私の物です。靴さえ履いておりませんでした。
ドレスもワンピースも既製服とオーダーをそれぞれ何着も。靴も下着も寝巻きも帽子もハンカチも何もかも買い与えてくださいました。食事も化粧品も何から何まで。外出すれば何か買ってくださいました。
それは子爵家の…領民のお金でもあります。
私は家族でも領民でもなく、まともに働いてもいません。ノアム様がどう思おうとお返しすべきです」

「分かった。受け取らない場合は別の方法で対価を払うよう大公閣下に掛け合う。だから泣かなくていい」

「ううっ…」

「頑張ったな。心細かったな……いい子だ」

頭を撫でるその手に懐かしさを感じた。

「騒ぎになるだろうから、明日の朝食後に大公閣下に来ていただく。その時に子爵に話をするから、君は何も心配せずにいなさい」

「はい」

「さあ、ベッドに戻ろう」


サットン卿は退室し、私は眠れぬ夜を過ごした。




翌朝。朝食をとって一時間後、大公閣下が現れた。

誰かに言わせてはいけないと思った。

「ノアム様。私はこれから大公閣下と子爵家を去ります」

「アンジェリーヌ!?」

「これ以上、ご迷惑をお掛けしたくありません」

「迷惑なんかじゃない!」

「ですが、子爵家を支えてくださる皆様や領民の皆様のことを考えたら、私はここに居てはいけないのです。何の働きも出来ていない居候がいては、嫁いで来てくださる方に申し訳ありません。
それに、リタさんを迎えて差し上げないと」

「何のことだ!」

「1日置きに会って 愛して差し上げるほどの方ですから、平民だとしても恋人としてお迎えすることは可能ですわ。そのままになさるのは可哀想です」

「あれは違うんだ…」

「私はお側にいても何もして差し上げられません。
ご慈悲をありがとうございました」

「アンジェリーヌ!」

「子爵、彼女の意思を尊重するのだったな?」

「っ!!」

「これは娘にかかった費用の補填だ。受け取って欲しい。受け取って貰わねば領民から預かっているお金を無関係の自分に使われたと娘が気に病む。
その代わり、与えてもらった服などは持っていく。
構わないね?」

「……アンジェリーヌ、どうして」

「ノアム様の幸せを祈っております。
ご恩は忘れません。命を助けていただきありがとうございました」

「騎士と侍従が荷造りを手伝うから、部屋に向かいなさい」

「はい。ノアム様、失礼します」

「アンジェリーヌ!」




***サラ(アンジェリーヌ)が
   退室した応接間では***


「子爵。心から感謝している。娘の命の恩人だ」

「…やれることをやったまでです」

「サラを愛したのだね?」

「……はい」

「私はサラが愛したのなら子爵でも男爵でも 平民でなければ構わない。
もちろん素行調査はさせてもらう。本人や家門に問題があってはいけないからね。使用人だって調査する。
だけど他にも女がいては許すわけにはいかないな」

「あれは娼館の女です」

「1日置きに通っていたら、それは愛人と言うんだ」

「彼女を傷つけない為です!」

「……そこは感謝する。だが、サラに知られてしまった。サラはリタという娼婦を愛人だと判断した。
それは取り返しがつかない。
何故サラが知ったのだ?」

「別れた妻が最近その娼館で働き出したのです」

「実家に戻らなかったのか」

「婚姻により妻の実家に支援しました。
ですが1年後、妻はここで男爵に抱かれていたのです。まだ跡継ぎがいない男爵の子を産むと誘惑していました。
私とは避妊薬を使っていたと……。
あの女は、子爵家が王都に屋敷を構えていないのを知らなかったのです。
王都で楽しく暮らしたくて、王都に屋敷を持つ男爵に乗り換えようとしたのです。
故に 目撃した夜に、離縁届に署名させて男爵と一緒に追い出しました。
なのに娼館に流れ着いて 荒い顧客が付き、私が別の女を買っていることを知って 今更復縁を懇願していたのです。
二度目の懇願のときにアンジェリーヌが居合わせてしまいました。あの女はリタとのことも話して聞かせてアンジェリーヌを追い出し、自分が入り込もうとしたのです」

「経緯は分かった。だが、サラを愛しているのなら自重するべきだった。
その元妻は私が処理しておこう。名は何というのだ?」

「パトリシアです」

「分かった。今までありがとう。
新たな出会いを祈っている」



【 ノアムの視点 】

荷物が無くなった客室を見ていた。

「ご主人様」

「ローズ。一人にしてくれ」

「アンジェリーヌ様からこれを」

渡されたのは小さなクマのぬいぐるみだった。
以前私の瞳の色で作ったクマと同じで…ただ、今 渡された色はアンジェリーヌの瞳の色だった。

「お揃いか」

「アンジェリーヌ様のお気持ちが表れておりますね」

「どんな?」

「気持ちの大きさや種類はわかりませんが、ご主人様をお慕いしていらしたのは確かです。
そうでなければ互いの瞳の色で対のぬいぐるみなど作って贈りません」

「ローズっ…俺は…アンジェリーヌを…」

「ええ。存じております。素敵なレディでしたね」

「小屋にも行けない…思い出が強すぎる」

「領内に空き家を探しますか?」

「今は何もできない」

「側近にお任せください。バートに伝えます」


アンジェリーヌのベッドに横になった。
彼女の匂いがする。

「っ……」

涙が止まりそうにない。
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