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† 特別篇――トランシルヴァニア編・序章 “闇夜ニ咲クハ鮮血ノ薔薇” (前)
しおりを挟む東欧には、吸血鬼の伝承が語り継がれる。
実在した領主などの残虐性から発展したと聞き及ぶが、いかにも中世らしい創作だ。
その昔、人々は夜の闇を恐れていたのだから無理もない。
しかし、今日の世においても闇はどこにでもある。
むしろ街が明るくなるほど文明に逆行して、人々の心は影を濃くするばかりのようだ。
それは、目を背けようと無くなることはない。
悪魔は人の内に棲むというが、心の暗がりに潜み、他者を糧として喰らう習性は元人間に通ずるものがある。
まるで、作者の受け入れがたい本質を押しつけたかのごとく、両者の遺伝子には似た闇が流れているのだ。
吸血鬼とは人間が変化してなるものだというのに、これではで恐れる側であったはずの人間そのものが現代に生きる吸血鬼のようではないか。
吸血鬼が消えたのではない。
豊かさを増す社会で得た一つの確信――人間という存在が吸血鬼のように、私には思えてならないのだ。
日本国行政省筆頭執政官 生天目鼎蔵
執政官室。平成の大政変以来、約十年に渡り日本の舵取りを続けてきたこの部屋で、男は年越しで職務にあたっていたせいか、その姿態は独裁者というには弱々しかった。
「護衛をしてもらった時以来かね、三条少尉殿。ああ、楽にしてくれ」
無機質な壁を背に固まったままの女士官に、かすれた声で彼は呼びかける。
「正月早々にすまないが、今しか二人きりになれなくてね。というのも、君に密命があるのだ。率直に言うと、イタリア艦隊の様子がここのところ怪しいので探ってきてほしくてね」
その言葉に見開かれる、大きな瞳。
「伊海軍の動向は話題になっておりますが、なぜ軍を介さず執政官御自ら直々にぼく……私のような尉官へ――」
「どうやら君の古巣が絡んでいるようでね。軍も政府も動かせないのだよ」
柔らかな声色と冷たい眼光が彼女に迫る。
「まあ偶然、現地で極少数の知人と出くわして合流した場合まではあずかり知らぬがね。いずれにせよ、君はローマにゆくべきだ」
疲れきっている人間とは思えない静かでいながら凄まじい重さの圧力に、百戦錬磨の彼女が事の重大さを理解するのに時間はかからなかった。
† † † † † † †
(中)に続く――――
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