上 下
137 / 139

† 特別篇――トランシルヴァニア編・序章 “闇夜ニ咲クハ鮮血ノ薔薇” (前)

しおりを挟む

 東欧には、吸血鬼の伝承が語り継がれる。
 実在した領主などの残虐性から発展したと聞き及ぶが、いかにも中世らしい創作だ。
 その昔、人々は夜の闇を恐れていたのだから無理もない。
 しかし、今日の世においても闇はどこにでもある。
 むしろ街が明るくなるほど文明に逆行はんして、人々の心は影を濃くするばかりのようだ。
 それは、目を背けようと無くなることはない。

 悪魔は人の内に棲むというが、心の暗がりに潜み、他者ひとを糧として喰らう習性は元人間きゅうけつきに通ずるものがある。
 まるで、作者にんげんの受け入れがたい本質を押しつけたかのごとく、両者の遺伝子には似た闇が流れているのだ。
 吸血鬼とは人間が変化してなるものだというのに、これではで恐れる側であったはずの人間われわれそのものが現代に生きる吸血鬼のようではないか。

 吸血鬼が消えたのではない。
 豊かさを増す社会で得た一つの確信――人間という存在まものが吸血鬼のように、私には思えてならないのだ。


             日本国行政省筆頭執政官 生天目鼎蔵



 執政官室。平成の大政変以来、約十年に渡り日本の舵取りを続けてきたこの部屋で、男は年越しで職務にあたっていたせいか、その姿態は独裁者というには弱々しかった。
「護衛をしてもらった時以来かね、三条少尉殿。ああ、楽にしてくれ」
 無機質な壁を背に固まったままの女士官に、かすれた声で彼は呼びかける。
「正月早々にすまないが、今しか二人きりになれなくてね。というのも、君に密命があるのだ。率直に言うと、イタリア艦隊の様子がここのところ怪しいので探ってきてほしくてね」
 その言葉に見開かれる、大きな瞳。
「伊海軍の動向は話題になっておりますが、なぜ軍を介さず執政官御自ら直々にぼく……私のような尉官へ――」
「どうやら君の古巣が絡んでいるようでね。軍も政府も動かせないのだよ」
 柔らかな声色と冷たい眼光が彼女に迫る。
「まあ偶然、現地で極少数の知人と出くわして合流した場合まではあずかり知らぬがね。いずれにせよ、君はローマにゆくべきだ」
 疲れきっている人間とは思えない静かでいながら凄まじい重さの圧力に、百戦錬磨の彼女が事の重大さを理解するのに時間はかからなかった。


               † † † † † † †



                (中)に続く――――


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...