ELYSION

スノーマン

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第2章 フェアリーテイルの雫

第39話『紡ぐ思い出の跡』

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 東のルーク領からここまで歩いて来る道のりは、行きよりも辛く体力も使い果たしていた彼らには厳しいものだったけれど、誰一人弱音を吐いたりはしなかった。

 体は疲れていても足取りは軽く。天気は快晴、涼しい爽やかな草の匂いが鼻を抜けていく。
 緑豊かなミラナ領の大地に広がる草原を歩き、ベレット村に着いたのは昼過ぎの事だった。

 村の敷地に入れば、何も知らない村人たちがいつものように明るく挨拶をしてくれる。
 ただ一人、『魂のふんどしの舞』を指導してくれた村長にだけは、事情を説明してあったので目が合ったジークは会釈を返して行く。

 相も変わらずのボロボロの宿舎は、土壁も剥げていてみすぼらしい。
 裏にいるウシの様子を見たところ、馬車として手伝ってもらっていた亜人達と仲良く草を食べていた。
 そんな彼らへ軽く挨拶をしてドアをノックする。

 一度目のノックの後、バタバタと騒がしい足音が聞こえ、勢いよくバン! とドアが開かれた。

 その際、ジークはドアにビンタをされたのだが、それはいいとしよう。

 ドアノブを握ったジゼルは、驚いたように目を見開き五人の姿を見ていたが、レイズの隣で同じく目を丸くしていたリズを見つけると急ぎ足で踏み出した。
 
 小柄な体躯でなりふり構わず前に立っていたハツとレイズを押しのけ、真っ直ぐに躊躇いなく。
 かつて見捨ててしまった哀れな子供の手を引き、強く抱きしめた。
 これにはジークやシャオロンも驚き、互いに顔を見合わせてしまう。

 リズは、自分よりも少しだけ背の低いジゼルに抱きしめられ、戸惑い目を泳がせている。
 混乱する頭の中に浮かんだのは、彼女に対して自分が何をしてしまい、何をしなければいけないという二つ。
 
「……あ」

「ごめんなさい……! あなたを見捨てたこと、ずっと後悔していた。あなたが最初に家へ来た時、私に復讐をするつもりじゃないかって、疑って……また逃げたわ」

 ジゼルはリズの言葉を遮り声を上げた。
 最初にジゼルの家を訪れた時、リズがまだネクラーノンとして行動していたのを彼女は見抜いていたのだ。
 あの時、自分のしでかしたことに怯え、手を払ってしまった子供が報復に来たのだと思っていた。

「う……リズは思ったことがうまく言えない……」

 生まれて初めて女の人に抱きしめられたリズは、どうしたらいいのかわからずに困っている。
 
「ちゃんと自分で言え。うまく言えなくてもいい」

 その背中をレイズは優しく叩いた。勇気づける片割れの言葉にリズは頷く。
 すぅ、と息を吸うと決意し、涙を零すジゼルに正直な気持ちを伝える。

「一家もろとも殺してごめんなさい。でも、リズは昔のことをよく覚えていないので、貴方の事は知らなかったから大丈夫」

「いや、ストレートすぎだろ! しかも全然、大丈夫じゃねぇだろ! どういう空気でそれ言ってんだよ!」

 怒涛の勢いのドストレートすぎる謝罪にレイズは突っ込んでしまった。さすがキレッキレのツッコミ力である。

「いいえ、私はあなたと同じ癒しの魔力を持っているから、死んでいないわ」

 そしてジゼルはジゼルで大真面目に返している。

「お、同じペースの人な気がする……」
「わかル」

 なんとなく、ジゼルとリズは同じ雰囲気が漂っている気がするジークだが、元々リズはジゼルの姉をモデルにしているので当然といえば当然なのだろう。
 シャオロンも同感だと、死んだ魚のような目で頷いている。
 
「だから、あなたは誰もあやめてなんかいないわ」

 幼い子供をあやす母親のようにふわりと優しく笑うジゼルは、リズの空色の瞳を見つめてそう言った。

 大好きだった姉の瞳と癒しの魔力はこの子に受け継がれ、新しい人生を歩み始めている。
 ひとりの人間として生きる事を選んだリズを、今度こそ祝福して支えたいと思っていた。

 だから、この手をとった。今度こそ離さずに見守ってあげようと誓っていた。

「本当のお母さんはもういないけれど、これからは私があなたのお母さんになるわ」

「ジゼルかあさま?」

「ええ、そう」

 自分を抱きしめるジゼルに頬を寄せたリズは、目元は無表情のまま少し恥ずかしそうに口元を緩めた。

「ジゼルかあさま、あったかい」
「そうよ、これが人よ」

 ずっと会いたくてたまらなかった『母親』に抱きしめてもらったリズは、愛情を浴びて満足そうに微笑む。
 例え、本当の母親じゃなくても愛情は本物だ。それでいい。
 愛で出来た思い出の糸が、またひとつ結ばれていく。

「なんていい話なんだ……」

 ジークはまたもマフラーで涙を拭っている。そして、騒ぎを聞いた村人たちが集まって来てしまった所で、ようやく宿舎の中に入るのだった。

 おなじみのボロ小屋には、外観とは真逆で綺麗に掃除されて整えられた家具や備品、おまけに温かくて美味しそうなごちそうまで用意されている。

 旨味たっぷりの野菜スープの隣に、さりげなく呪いの薬草スープが並んでいたが、ジークは見なかったことにした。

「なんか、毒物が見えた気がしたさ」
「俺は見なかったぞ」

 同じく、呪いの薬草スープに気付いていたハツがボソリと呟き、ジークは真顔で否定する。

「美味しそうだネ! あとで作り方を聞いておこうかナ」
 
 あまり見かけない珍しいメニューに、料理が好きなシャオロンは興味津々だ。
 ジークがテーブルに並べられた料理を眺めていると、パタパタと足音が聞こえてきた。

「ジゼルママ、この人たちが助けてくれたのー?」
「早く食べようよー!」

 やってきたのは、ジゼルさんの子供のうち二人。男の子のピートと、女の子のエルミナだ。
 ジゼルは無邪気な二人に微笑みかける。
 
「ほら二人とも、今日から家族がもう一人増えるって話したこと、覚えてるかしら?」
「覚えてるよ、この人が新しい家族なんでしょ?」

 そう言って、エルミナは飴玉のようにまんまるな目をリズに向け、じっと見つめて言う。

「ママから、あなたのことは聞いてるの」
「……」

 まるで、心の中を覗き込むような純粋な視線に、リズはまた戸惑ってしまう。

 この子もまた、斬り捨ててしまった一人なのだ。謝らなけば、という思いと、どう話したらいいのかわからない、という思いがグルグルと回る。

 そんな心境を知ってか知らずか、エルミナは、にっこりと笑って言った。

「あなたの目、お空みたいですごくキレイね!」
「!」
「ステキよ!」

 えへへ、と可愛らしく笑うエルミナ。
 思いもよらない反応に驚くリズは、助けを求めて仲間を見る。
 そうしていると、今度はピートがリズの上着の裾を引き、ムスッとした顔で聞く。
 
「さっきママと話してるの聞いたぞ。お前、男なのか? 男なら兄ちゃんで、女なら姉ちゃんだぞ?」
「こんなキレイなお顔だもん。お姉さんよ?」
「いや、兄ちゃんだ!」
「お姉さんだってば!」

 不器用ながら受け入れてくれたピートにエルミナが口を挟み、リズ本人が答える前に言い合いとなってしまっている。
 
「なぁレイズ、リズは君の弟なんだろ? 違った?」
「本人に聞け」

 実のところ、ジークも少し気になっていたのでレイズに聞いてみると、実に彼らしい返事が返ってきた。

「んん…………」
 
 眉を寄せて考えていたリズは、言い合いをしている年下の弟妹の頭に手を伸ばす。

 そうして、自分がしてもらったように優しく撫でると、無意識に口元を綻ばせて言った。
 
「リズはリズだよ。これまでも、これからもずっと」

 人形のように整った顔立ちのリズは、母親のミリアムに似ていて可愛いが、特に女性的でもない。
 加えて、本人の精神年齢が肉体に追いついていないので、それも相まってふわふわとした不思議な存在に見える。

 肉体は十七歳の純粋な子供である。
 
「う……うるせぇ! とにかく、これから家族になるんならヨーシャはしないからな!」

「ほわー……やっぱりお兄さんの方がいいかも……」
 
 不意を突かれ、顔を真っ赤にしたピートは照れ隠しに悪態をつき、エルミナは顔面に見とれていた。

 その様子を見ていたジークは、自分の顔を触りながらレイズに訊ねてみた。
 
「もしかして、君たちは顔がいいのかい?」
「は? 首から上は自信しかねぇわ」

 ここでもまた、彼らしい辛辣な答えが返ってきたのだった。


 ――こうして、無事にジゼルとの和解が出来たことに安心し、その日は彼女が用意してくれた料理を腹いっぱいに食べ、思う存分よく眠ったジーク達は別れの朝を迎える。

 翌朝のベレット村の出口にて、ジーク、ハツ、シャオロンの三人は、荷物を抱えたジゼル一家と、レイズとリズの二人を見送りに出て来ていた。

「じゃあ、私達はこれで森に帰るわ。本当にありがとう」
「いいえ、こちらこそ色々とお世話になりました。ありがとうございます!」

 そう言って、手を振って帰って行くジゼルとオルム、それと子供たちを見えなくなるまで見送る。

 ジークの手には、ジゼルから頂戴した彼女の髪の毛が一束握られてる。
 これをレオンドール本部に送り、彼女を始末したと見せかける為だ。正直、すぐにバレてしまう気がするが、その時はその時だとジークは開き直っていた。

 白い雲が流れて行く。今日は旅に出るには一番いい日だ。

 レイズは、暖かい陽射しを眩しそうに見つめ振り返った。

「じゃ、俺らも行くか」

傍にはリズがいる。

「あ! レイズ、ちょっと待って!」

 はっと思い出したジークは、ポケットを漁るとばつが悪そうに苦い顔をした。

「実は、君が大事にしていたリボン。ちょっと焦げてたけど拾ってたんだよ。でも、君の家で俺の上着ごと燃えちゃったみたい……」

「お前、わざわざそんな事で引き留めたのかよ」

 口は悪いレイズだが、その横顔は穏やかだ。
 
「そんなもんなくたって、もう大丈夫だ。俺は、俺のやりたいように生きて、その結果に後悔はしてねぇ。リズを連れ戻せたなら後は何でもいいんだよ」
 
 青いフレームの眼鏡を指で持ち上げたレイズは、そう言って三人に背を向ける。

「また、会えるといい」

 不揃いの髪を切りそろえ、残していたサイドの左髪を耳にかけたリズも続く。
 青空に映える水色の髪には、思い出のリボンが結われていた。

「ああ、二人とも。ありがとう、きっとまた会おうな!」

 ジークは頷き、ここで別れてしまう二人に手を振って送ってあげる。
 
「いつか会った時は、色んな話を聞かせてネ!」
「俺様は、まだあんな負け方は納得してねぇさからな!」

 シャオロンも明るく手を振り、ハツは未だにリズに負けた事を根に持っているが見送りには来ていた。

 今日、レイズとリズは子供の頃に約束していた夢を叶える旅に出るのだそうだ。
 せっかく出会えた仲間と別れるのは寂しいジークだが、笑顔で見送ると決めていた。
 
 だから、次に会えたら仲間として胸を張っていられるよう、遠くなっていく二人の背中が見えなくなるまで手を振っていた。

 

 ――――
 
 
「さて、海に行くにはまず北のアルタファリアに向かうか!」

 草を踏み歩きながらレイズは持っていた地図を広げて言う。
 隣を歩くリズが小さく口を開く。

 
「……リズは、これからきっと薬が欲しくておかしくなる。海を見られたら何か変われるのかな?」


 いつものように表情は変わらないリズだが、これから先は薬の依存症とも向き合わなければならない。言葉端に影が落ちる。

 レイズは片割れがこれからの事に不安を抱いていることに気付いていた。
 この苦しみは、共に背負うものだ。


「心配すんな。ジゼルさんも言ってたろ。薬の依存症はゆっくり治していくしかない。それに、次第に精神も肉体に追いついて来るだろうってよ!」

「ん」
 
 わざと明るく振る舞い、リズを励ます言葉をかける。そんなレイズの思いもわかっているリズは、ゆっくりと頷くのだった。

 長く夜を過ごしていたレイズと、出口のない暗闇で生きていたリズにとって外の世界は刺激にあふれていた。

 西のミラナ領の街に立ち寄れば名物を食べ歩いてみたり、街角で退屈そうに眠るネコを撫でたり。
 街の人が管理している花壇に咲いている名前のわからない花を眺めたりもした。

 夕方になれば宿に泊まり、枕を投げ合っては店主に注意され、満腹になるまで食事をしてお日様の匂いがするフカフカのベッドに飛び込んで寝る。

 行き先を巡って言い合いもした。
 立ち寄った街で祭りがあれば参加し、見よう見まねで踊ったりもした。

 それでも、もちろん楽しいことばかりじゃない。

 レイズは、薬の副作用で夜中に幻覚を見て奇声を上げて暴れるリズを押さえて宥めて、泣き疲れて眠るまでついていてあげた。

 深淵の底から立ち上がろうと、必死に苦しんでいる片割れに自分が出来る償いはあまりなく、解毒剤の事を思い出していたが、どうしようもない無力感は消えてくれはしない。
 
 起きればまた次の街に向かう。一日一日が色鮮やかに変わり、同じ街がないのと一緒で同じ日はひとつとしてない。
 
 人を殺める仕事を嫌っていたリズは、少しずつ自分の欠片を集めながら過ごしていき、自己犠牲だらけの生き方をしていたレイズもまた、自分自身のために生きていく。
 
 広くて大きな世界を、たった二人で自由に旅をするのが夢だった。

 まるで子供の頃に戻ったように、無邪気に遊ぶ姿は昔からずっと一緒にいた双子のようだ。

 知らない街に行って、知らない景色を見る。そのどれもが本当に楽しくて、きらきらと輝く宝物のように感じられた。


 ーー数日の旅の終点は、北のアルタファリア領へ向かう船が出る港街となる。

 その街は、立ち入った時からすでに魔物の襲撃にあっており、来たことを後悔するほど荒れていた。

 建物は崩れかけ、道行く人の姿はない代わりにエリュシオン傭兵団が慌ただしく駆けまわっている。
 通りには人が誰もいない。なにより、あれほど楽しみにしていた海は上陸しようとする魔物で溢れきっているではないか。

 それもそのはずで、この街に配置されているエリュシオン傭兵団が、次々に海から這い上がってくる魚類系の魔物を倒してはまた海に放り込んでいるのだ。
 ヘドロのように濁った色をした水面からは、とてつもない悪臭も立ち込めている。

「こりゃどうするよ……誰かにいつ船が出るのか聞いてみるか」
 
 本で見た海は、透き通ったあお色をしていていたはず……レイズは溜息をついた。
 慌ただしく走り回る傭兵たちを眺めるリズは、「海って薬草スープみたいな色だったのか」と呟いている。
 
 船着き場まで歩く二人の横を傭兵が走り抜けて行き、魔物に追われて戻ってくるまでがワンセットみたいなものになっていて、レイズは道を塞ぐ魔物が邪魔で魔銃で撃ち倒しながら進む。

 すると、船着き場で一人の男が魔物に襲われているのが見えた。

 同時に、リズが滑る足場を蹴り、魔物を斬り捨てた。

「あ、すみません、これからアルタファリアに行く船は出ますか?」

 レイズは、頭が魚になっている魔物に襲われている船員を助け、何でもないことのようにそう訊ねる。

「あ、あぁ……二、三日すれば船は出るかもだが、こっちに戻る便はしばらく出ないと思う……」
 
 船員は、一瞬「へ?」というように素っ頓狂な声を出していたが、魔物に襲われた恐怖の中でも律義に教えてくれた。

 混乱を極めた街を顔色変えずに歩く二人の方が異常なのだが、当の本人たちは気付いていない。

「そうですか、感謝します」
 
 そんな彼に軽くお礼を言い、拾った棒で倒した魔物を突いているリズを見た。

「だとよ、どうする? 行けばしばらく戻って来れねぇとよ」
「リズは、ミラナ領が好き」

 即答したリズの後ろで、魔物に襲われて逃げ惑う傭兵団の姿が見える。明らかに人間側が劣勢だ。
 
「それに、海は大勢でみた方がもっと綺麗に見える気がする」

 襲い掛かってきた魔物を指先の魔法で凍らせたリズは、ポツリとそう話す。

「……だな!」

 レイズは、肩の力を抜いてフッと笑い、魔銃の弾数を確認した後、お決まりの眼鏡の端を持ち上げる。
 
「ま、そろそろ魔物も見飽きたし、いい加減に仕事しないとだな」

「お金がないとご飯が食べられない。それは大変」
 
 それに答えるようにリズも装備していた双剣を抜き、握り心地を確かめる。

レイズは気だるげに片割れと顔を見合わせ、リズもまたレイズの目を見て頷く。

「そんじゃま、行くか。リズ!」
「ん。帰ろう、レイ」
 
 
 自分と片割れしかいなかった世界で生きていた二人は、今、自分達の意志で新しい第一歩を踏み出した。

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