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そのさんじゅういち

食の恐怖

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 俺はクリスマスに死ぬかもしれない…とリシェは恐々とする。
 そんなもやもやした気持ちで寮に戻ると、ラスが続けて室内に入って来た。
 リシェを探していたのか、妙に息が切れている。
「…先輩!!俺が迎えに行くまで待ってて下さいって言ったじゃないですかあ!!」
 何故か半泣きの状態のラスは、リシェにそう言うなり彼を引き寄せてぎゅうっと抱き締める。ぐえ、と変な声を出しつつも彼の過度なスキンシップには完全に慣れたようで「離せ」と両腕で押しのけた。
「俺は今お前に構っている余裕なんてないのだ」
「?…どうかしたんですか?」
「どうしたも何も…」
 それまで起きた事を事細かく説明した後、はぁ…と深い溜息を吐く。
「このままでいくとクリスマスが俺の命日になるだろう。あの女、忘れた頃にやってきて俺に余命宣告してきやがった。何なんだ?悪魔の使いか?」
 良かれと思ってやっていたのが、却って裏目に出てしまうというリゼラの運の無さもそうだが、リシェも過剰に反応し過ぎなのではないかと思う。
 ラスは「まぁまぁ…」と宥めた。
「そこまで凄かったんですか?前回…」
「お前、あのチョコを見ただろうが。ガッチガチに固いと思ったら急に粘土のような物が流れてきて、クレヨンを食ってるような味がしたんだぞ。後味はまるで泥水だ。俺は一体何を食わされていたんだ?むしろ、果たしてあれはチョコだったのか疑問だ。何か邪術で作り上げた物じゃないのか?」
 挙句には見事に腹を壊して熱まで出たんだぞと苛立つ。
 完全な健康体を取り戻すまで一週間は経過したかもしれない。
 それなのにまた何かを作って持ってくる算段でいるのだあの女は、とリシェは敵意を丸出しにして歯軋りした。
「そこまで不器用には見えなかったんですけどねぇ…ラッピングも綺麗だったし。特に悪意を持っているって訳でも無いとは思いますけど…」
 言いながら、ラスはまたライバルの肩を持ってしまったとハッと気付く。心の中で頭を抱え、冷や汗を流していた。
 しかしチョコといえども、普通に溶かして成型させればどうにかなるような気もしなくはないのだが彼女はどうアレンジしてそのような物を作り上げてしまったのだろう。
 あまりギリギリしてたら癖がついてしまいますよ、とラスはリシェの頰を両手で覆った。彼の頰は柔らかく、甘いものを好んで食べる割には吹き出物が一切無いので非常に触り心地が良い。
 ふにふにと軽くマッサージしながら「次はちゃんと美味しいかもしれませんし」と続ける。
 気休めを普通に言いのけるラスに、リシェは「適当な事をいうな!!」と吐き捨てた。当事者ではないからそんな悠長な事を言い張れるのだと泣きながら怒り出し、こちらは生命の危険があるんだと主張する。
「それならお前、俺の代わりに食え!!」
「無理です!!それだけは!!」
 基本的にリシェの言う事に関しては比較的イエスマンのラスが嫌がるという事は、彼も良く理解しているのだろう。リゼラの調理能力が壊滅的に酷いという事に。
 リシェにプレゼントされたバレンタインチョコの残酷な出来栄えを目の当たりにしたせいなのか、完全に嫁にしてはいけないタイプだと本能的に察知したのかもしれない。リシェに食ってみろと言われた瞬間、全身全霊で拒否感を覚えてしまった。
「だっ…大体、俺が貰った物ではないですし!!先輩に贈られた物なんですから、俺が口にするのは向こうにも失礼ですよ!!」
「その贈られた物で俺は命を落としそうになったんだぞ!!」
「命を落としそうな物を俺に薦めないで下さい!!まだ死にたくないです!!う、受け取るだけ受け取って、そのまま口にしなければいいじゃないですか!!」
 泣いたままのリシェはぴたりと勢いを停止させた。
「…そ、そうか。別に受け取るだけでいいのかもしれないな…」
「そ、そうですよ…」
 気持ちだけ有難いと思うのが一番ですから、と説得する。
 ようやく落ち着いてきたのか、リシェは確かに受け取るだけで大丈夫だよな…と泣くのをやめると「別にあの女が中身を出して俺に無理矢理食わせる訳でもないだろうし」と考えを改めた。
 それなら大丈夫かもしれない。
「その日に会わなければ良いのだ。真っ先に寮に戻れば何の問題もないはず」
「は…はあ…」
 確かに前回の苦しみを目の当たりにすると、リシェがひどく警戒してしまうのは無理もない。
 また寝込む姿を見るのも可哀想だと思う。
「上手い事スルー出来たら良いんですけど…」
 リシェは恐怖のクリスマスを想像しながら「死ぬか生きるかの瀬戸際だな」と呻いていた。
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