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そのじゅうろく

第二の記憶保持者

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 …やっぱ俺、諦め切れないんです。
 リシェがロシュの元に行くのが決定した数日後、ラスは準備に忙しい彼に告げていた。
 同じ剣士になれば常に一緒に居られると思っていたのに、それも束の間の幸せだったなんて思いたく無かった。
 リシェはやや困った顔をしていたが、やがてふっと自分に向けて軽く笑うと、別にこっちの仕事を辞める訳じゃないと言う。
「俺はロシュ様の護衛も追加でこなすだけで、時間が合えばこっちの任務も遂行する。今までと変わりはしないよ」
 年下に見えない程の落ち着きっぷりだった。
 彼の感情というものはどこへ行ったのか。
 自分を押し潰して生きているのではないかと思う程、リシェは年齢の若さにしては感情というものが欠如していた。

「俺はお前の思うようには動かないからな!」
 一方、こちら側のリシェは半泣きになるわ喚くわ落ち込むわの超ネガティブな感情が盛んに繰り広げられていた。
 ラスは感情豊かな彼を見るのもまたいいなと思っていたが、どうにも複雑な気分になってしまう。
 こちらのリシェは喜怒哀楽の怒と哀の感情が著しく発達し過ぎている。元々の性質がそうなのか、とにかく悲観的な感情が溢れていた。
 少女に見間違えられる位に容姿は整っているのに、こんなにもネガティブだとは勿体ない。
「だから俺が起きた時はもう居なかったんですか」
「当たり前だ!お陰で俺は今凄く眠いのだ、どうしてくれるんだ!」
 いつもの学校の屋上。
 早めに登校した甲斐もあって、今日は昼のパンにありつけたリシェは牛乳と一緒にパンを飲み込むと、探しに来たラスを見るなり苦情を言っていた。
「なあんだ。それなら膝枕してあげますよ!俺は先輩の為なら喜んで何でもしてあげられるし」
 ぱあっと明るく笑いながら両手を広げ、ラスはリシェにさあさあと促した。
 しかし、彼を警戒するリシェはふるふると首を振って「そんな事を言いながら卑猥な事をするのだろう」と舌打ちする。
「え、して欲しいの?」
「嫌だ!」
「やっぱりこういうのはお互い良く知り合ってからの方がいいでしょ、先輩」
「良く知り合っても嫌だ!」
「そんなあ、向こうでは恋人だったのに?」
 またもや都合良く嘘をついた。
 ラスはリシェに近付き、後ずさる彼の肩を抱く。
「向こうって何…」
 やはりリシェは知らないのだ。こちらの世界は、自分にはかなり有利だと心の中でガッツポーズをする。
 あの人が彼に近付き、親密になる前に。
「先輩は知らなくていいのです」
 意味が分からず固まるリシェの耳元に囁いた。
 さらりと彼の黒髪に指を絡め、ラスはゆっくりリシェを観察する。
 …めちゃくちゃ白いし睫毛長っ…。
 ひくひくと怯えて上向き目線になるリシェの頰に指先を滑らせてから口元を浮かせると、彼はひっとらしくない声を上げた。
 先輩、離しませんよと小さく言い、ラスは彼の唇を奪おうとしたその時だった。
「いけませんよ、まだ高校生がそのような事をしては!!」
 突然飛んできた大人の声。
 リシェはばっとラスから離れた。
「不純な行為は教師として見逃せませんね!というか、むしろ私のリシェに手を出すなどと言語道断です!」
 私のリシェという言葉に、ラスは反応する。

 …まさか。

 まさか、この人も向こうの世界の記憶を持って来たのかと。
 それはラスにとって最悪のパターンだ。
 何しろ彼はリシェとの繋がりが強固なのだから。
「ひいい」
 リシェはやはり半泣きになった。
「何でだよ、ここには変態しか居ないのか」
 屋上入口からこちらに近付く青年を見るなり、リシェは引き気味に嘆いた。
 幸い記憶が無い為か、元のロシュとの繋がりも知らないようだ。
「こんにちは、リシェ」
 美貌の保健医はリシェを見下ろし、悪意の無い優しい微笑みを向ける。ラスは二人の間に無理矢理入り込むと、挑戦的な目をしながら「何か用ですか?」と聞いた。
 彼にだけは先輩を渡したくない、と。
 ロシュは「へえ」とこちらをじろじろと眺める。
「あなたも、ですか」
 …その言葉ですぐ理解した。

 まさかこいつまで!!

 ラスは若さながらの対抗心を剥き出しにし、ロシュを見上げる。
「いい所を邪魔する為に来たんですか」
 絶対に抜け駆けなんかさせるかとラスは感情を押し殺して問う。一方でロシュは「おやおや」とわざとらしく困惑した。
「ここは学び舎ですよ。そんな場所で生徒同士が如何わしい事をするのはどうかと思いましてね」
 二人が言い合いをする中、リシェはぐすぐすと泣きながら食事を摂り、屋上の角に寄って校舎の下を眺めていた。
 そんな彼に気付かずにラスとロシュは火花を撒き散らして言い合っている。
「こんな所に居るよりも、ちゃんと保健医らしく保健室にいた方がいいんじゃないですか。いつ具合が悪い生徒が来るか分からないでしょ」
「君達にも昼休みがあるように、こちらも昼休みがあるんですよ。それに生徒達はみんな元気ですからね。そんなに頻繁に生徒は来ない。たまには上からの景色を見てみようとしたら偶然君達を見つけたので見過ごす訳にはいかないでしょう?」
「人様の恋愛ごとに無関係な人がしゃしゃり出てくるのもどうかと思いますけど?」
 苛々しながらラスはロシュに言った。
 彼はこの世界でもリシェを奪おうとしているに違いないのだ。
「無関係かどうか、あなたは良く知っているでしょうに」
 妖しく意味深な笑みを浮かべるロシュは、やはりその美貌もありぞくりとさせられる。
 くそ、絶対渡さないからな!とラスが心底ギリギリさせている最中、人知れず角に居たリシェは見渡せる下界を眺めながらハッと気付く。
 真っ黒なビニール袋を持って正門から入ってくる何者かの姿が見えた。視力は抜群にいいリシェは、その袋が異常に蠢いていたのを確認するや否や、がばっと素早い反応を示した。
「もしかしたらあいつか…!!」
 牛乳を飲み干し、手持ちのゴミ袋に食べたパンや空のパックを突っ込むと急いで駆け出す。
「あっ!?先輩!?」
「リシェ!?」
 勝手に喧嘩をしそうな二人を無視し、リシェは屋上から階下へ猛ダッシュする。
 意味不明な言葉を残しながら。
「逃がすか、ナマコ野郎!!」
 ナマコ?
 ラスは目が点になってしまう。
 あの様子だと、相当怒っている模様。
 意味が分からず、二人は呆然とその場に立ち尽くしていた。
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