2 / 8
氷の魔法使い
しおりを挟む*
ユキさんの住まいは、我が家から徒歩で十分ほど行ったところにある、二階建ての賃貸アパートだった。
彼の姿こそ見かけないが、買い物のときなんかに、建物の前は何度か通ったことがある。
出会った場所と話の流れから、さほど遠くないのだろうとは思っていたけれど、想像以上にご近所さんじゃないか。
「部屋、どこですか?」
『105』
「了解です」
部屋番号を聞き出してから通話を切り、万が一ヤバイ展開になったらとにかく大声で叫びながら走って逃げよう、と決意しつつ前に立つと、インターホンを鳴らすより先に鍵の開く音がした。
「いらっしゃい」
ドアが開いて、彼が姿を見せる。
「どうも。昨日はありがとうございました」
礼を言って、借りていたマフラーを差し出す。もちろん、きちんとネットに入れて洗濯して、小さめの菓子折りと一緒に、ちょっとしゃれた紙袋に入れてある。
どういたしまして、と受け取った彼は、
「あ、そうそう」
思い出したように呟くと、部屋の奥に引っ込んでいった。
ややあって、何かを手に玄関へと戻ってくる。
「はい。例の、いいもの」
あぁ、そういえばそんなことも言っていたな、と何気なく彼の手もとを覗き込んで、
「わぁ……」
思わず感嘆した。
彼が持っていたのは、深型の青いトレー。厚い氷が張られ、その中央には、大きな雪の結晶が描かれていた。
輪郭を太くして丸みを持たせ、かわいらしくデフォルメされた緻密な六角形が、まるで宝石を守るみたいに、氷の中に閉じ込められている。
「これ、ユキさんが……?」
「うん。もう溶けちゃったけど、他にもいろいろ作ってるんだ」
彼は心なしか自慢げに答えて、スマホに残されている写真を見せてくれた。
花びらの一片一片、葉っぱの模様に至るまで、繊細に再現されたバラ。とある企業のロゴマーク。中には平面でなく、立体的に彫られた白鳥や竜もあった。
「……すごい」
安直だけど心からの称賛が、自然とこぼれ出る。いろんな感情がめぐりめぐって、最後の最後に残った、シンプルな一言。
「いつからやってるの?」
「んー、二年くらい前かな? 場所も手間も取るから、君が今見てる、立体系の大がかりなやつは、たまにしかできないけどね」
なんだろう、この気持ち。魅了という言葉が似合う、のめり込むような感覚。
「――たい」
「えっ?」
「私も作ってみたい!」
気づけば叫んでいた。
簡単なことじゃないのは、一目見ただけで分かる。でも、それでも、この世界に触れてみたい。ほんの少しでいいから。
そんなふうに思っている自分に、たぶん、頭の片隅にいるもうひとりの冷静な自分が、一番驚いていた。
言ってしまった後で、渋い顔をされるだろうかと構えたが、彼は目を丸くして、それから意外にもやわらかく微笑んだ。
「分かった。明日は無理だけど、来週末にできるように準備しとく」
「本当!? 約束だからねっ!」
快諾に驚いて念を押せば、力強いうなずきが返ってきた。
「俺、嘘はつかないよ」
公園で出会った不思議な彼は、不審者なんかじゃなくて、氷の魔法使いだった。
*
つい、勢いで約束してしまった。べつに後悔はしてないけど。
生あたたかい湯気に包まれながら、浴槽の中で来週末のことについて思案する。
一番手っ取り早い氷アートは、生花やドライフラワー、木の実などを容器に並べ、水に浸して凍らせるやり方だが、彼女はそれでは納得しないだろう。「小学生じゃないし……」とか言っていじけそうだ。
俺も、実物を入れるのはあんまり好きじゃないし、せっかくなら、彼女にまつわるものをモチーフにしてちゃんと彫りたい。――となると、やはりあれだろうか。
難易度は一気に上がるが、土台を小ぶりにしておけばどうにかなるだろう。
それにしても、やけにサバサバして勝気な子かと思っていたのに、突然あんな、子犬みたいな顔されたら――
「……たまんねぇだろ」
って、おいおい。
口をついた一言に自分自身で引いて、わけも分からず頭まで浴槽に浸かった。
今日は、のぼせるのが早そうだ。
1
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
某高陸上部の日常撮れちゃいました。
白波光里
青春
これは、某高陸上競技部の日常である。
わたし、椿水音は某高校陸上部に入部したが、愉快な仲間達や少し変わった(?)先輩や楽しそうにする後輩など少し変わった陸上部の愉しいお話。
吹奏楽の甲子園
みこと
青春
私は高校生の時、吹奏楽部に所属していました。
担当楽器はトランペット。
そして、その吹奏楽部の最大の目標が。
『吹奏楽コンクール全国大会金賞』
でした。
中学生、高校生の吹奏楽部による吹奏楽コンクールの全国大会は、30年以上同じ会場で開催されていました。
高校球児が甲子園を目指すように、その会場を目指す中高生の姿により、いつしかその会場は「吹奏楽の甲子園」と呼ばれるようになりました。
全国大会は10月の終わりから11月の初め頃に開催されますが、予選は7月から8月に開催されます。
本作は、全国大会を目指す主人公の夏の物語です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あいつ 〜あれはたぶん恋だった〜
西浦夕緋
青春
先輩達に襲われた俺をあいつは救ってくれた。
名も知らぬ少年だ、見るからにやばそうな奴だった。
俺はあいつを知らなかったがあいつは俺を知っていた。
名も知らぬままに別れた。消えることのない記憶だ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる