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🌙二夜目 一途な彼女の未練

嫌な予感

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「ねぇ、あなた、魔女よね?」
 テリトリーをパトロールする傍ら、次なる依頼者を探して夜道を歩いていた僕は、背後から聞こえた声に、ぎくりと跳ね上がった。
 直感が警告する。振り返っては、ならない。
 隠れ身の魔法が効くのは、魔力を持たない生身の人間だけなので、しっかりマントを着てフードをかぶっていても、亡者たちには僕らが見えるのだ。
 魔女と幽霊が共存する世界。
 亡者同士の争いを避けるため、成仏を魔女に手伝ってもらえるかどうかは運に任せろ、という暗黙の了解がある中でも、稀に図太く自分から声をかけてくる者がいる。
 そして、そういう亡者はたいてい、依頼内容や性格に難ありだ。
 目をつけられてしまったらどうするか。答えは――逃げるべし。
「あっ、ちょっと!」
 僕は引き止める声に耳を貸さず、小鳥遊家まで全力疾走した。
 今日は金曜だから、沙那も寝ないで僕を待っているはずだ。
 追われている気配がする。
 幽霊に追いかけられてるって、冷静に考えたら結構ホラーだな。
 まあもう慣れっこだけどっ!
 速度を緩めず、いつも通り出窓から沙那の部屋に滑り込むと、
「うおっ! なになに!? どうしたの!?」
 僕のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、パジャマ姿の沙那が動揺した声を上げる。
 答える余裕もなく、急いで窓を閉めようとしたが、
「そんなに逃げなくても……」
 亡者が顔を見せるほうが早かった。
 緩く巻いた栗色のロングヘアが特徴的な女性だ。
「追ってくるからだよっ!」
 ぴしゃりとはねつけても、亡者はまったく怯まず、ずかずかと室内へ侵入してくる。
「えっと、この人が今回の依頼者さん……?」
 ためらいがちに尋ねた沙那の一言に、
「そうなのー!」「違うっ!」
 亡者と僕の、真逆の返答が重なった。
 僕は思わずキッと亡者を睨みつける。
「なに強引に押し通そうとしてるんですか? 僕はあなたに追いかけられただけで、何も頼まれてないし、協力するなんて一言も言ってない」
「え~、せっかく見つけたのにぃ……」
「人をモノみたいに言わないでください」
 ああだこうだ言い合っていると、
「まぁまぁ。よく分からないけど、とりあえず話だけでも聞いてあげたら?」
 とげとげしい空気を取り成すように、沙那が控えめに口を挟む。
「依頼者を探す手間が省けたと思って……ね?」
 重ねて後押しされ、僕はうんざりしながら頭の後ろを掻いた。
 沙那はお人好しすぎるのだ。
 再会に関する依頼じゃなかったら、すぐさま追い返してやろう。
 そう思いながらも、
「……お名前とご用件は?」
 渋々話を進める。
 すると、亡者は分かりやすく目の色を変え、咳払いして姿勢を正した。
 フリフリとしたピンクのトップスに、白のプリーツスカートと、なんだか甘ったるい格好をしている。
一条いちじょうはるです。ちなみに、亡くなったのは今から十年前――二十歳になる手前でした」
 また十年越えの古株か……
 亡者は、自己紹介に訊いてもいない情報を付け加えながら、話を続ける。
「それで、あたしの願いなんですけど――生前の恋人に会いたいんです」
 うわ~、めんどくさ。
 反射的にそう思ったとき、
「彩、心の声、漏れてる……」
 横から、沙那に苦笑交じりでたしなめられた。
 どうやら声に出ていたらしい。
 なんだそのありきたりな願いは。だいたい、「生前の恋人に会いたい」という言い方も、自己陶酔的で好きじゃない。
 身勝手亡者あるあるだ。
 よりによって、がっつり再会の依頼だし。
 しかし、あからさまに不機嫌な僕を気にするふうもなく、亡者は驚きの言葉を口にした。
「聞いた話だと、あなたが魔法をかければ、あたし、人間に戻れるのよね?」
「えっ」
 でた。身勝手亡者あるあるその二。なぜだか妙にこちらの事情に詳しい。
 しかもちょっと間違ってるし。どこから聞いた話だよ。
「ねぇねぇ、早くかけてよ」
 ふてぶてしい亡者の一言に、僕は短くため息をついて壁にもたれかかった。
「それが人にものを頼む態度ですか? そもそもこの状況で人間に戻ってどうする気? 彼の居場所は? 仮に分かってたとしても、今会いに行ったところで、怪奇現象だとか、疲れて幻を見ただとか思われて終わりそうだけど?」
 苛立ちのまま質問攻めにすれば、亡者は平然と「ん~、たしかに……」なんて呟く。
「彼がよく訪れる場所は知ってるんですけど、こんな時間じゃいないかもですね」
 ひとり納得した様子でそう言うと、わけの分からない敬礼をした。
「じゃ、今日はこれで帰ります。明日また来ますから、そのときはちゃんと、魔法かけてくださいね?」
「ちょっ、まだ決まったわけじゃ――」
 言いかけた僕を無視して、亡者は出窓から逃げるように去っていく。
 本当に他人の話を聞かない人だ。結局押し切られてしまった。
 嘆息してから、
「あーもうやだやだ。こんなのやりたくないぃ~」
 力なく出窓の枠に突っ伏して、喚いていると、
「彩って、大人には厳しいのね」
 沙那がどこか楽しげにそんなことを言いつつ、隣に並んだ。
「べつに、大人だからとか子供だからとかじゃなくて、単純にあの人が苦手なだけだよ。なんか、盲目的だから」
 顔を上げ、亡者が去っていった遠くのほうを恨めしく見つめながら、素っ気なく答えた。
 今回の案件、嫌な予感しかしない。
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