フツーさがしの旅

雨ノ川からもも

文字の大きさ
上 下
15 / 22
🍁秋

十四歩目 子猫と新たな始まり

しおりを挟む

 *

 テリトリーに戻ると、ドライトがしずんでいく夕日をやけに真剣な表情で見つめていました。彼のひとみの緑色は弟猫のそれとよく似ているけれど、やっぱり少しちがいます。深みがあるのです。緑に青や黄を混ぜたような、複雑な色合いをしています。きっとその目で、色々なものを見てきたのでしょう。
「おう、お帰り」
 マノルに気づくと、彼は安心したようにほおをゆるませました。ただいまの代わりに、マノルのお腹が間抜けな音を鳴らします。
「なんだ、パンを食べてきたんじゃないのか?」
「今日、女の子がいなかったから……」
 不思議そうにたずねられ、苦笑いして答えました。
「そうか、そりゃ残念だったな。わざわざ会いにいったのに」
「たまにはそんなこともあるよ」
 会話しながら、マノルは足もとにいたダンゴムシをつかまえてくわえると、ドライトのとなりに座りこみます。
「でもいいんだ、兄弟に会えたし」
 ダンゴムシを口にふくんだままつぶやくと、ドライトがおどろいた様子で、ぱっとこちらをふり向きました。
「会った……のか?」
「うん、街でたまたまね。ちょっと大変だったけど、ちゃんと話せてよかった」
 明るい声で言って、ダンゴムシをのみこみます。小さなアリ一匹でためらっていたことがうそのようです。
 突然の報告に目を丸くしていたドライトも、マノルの笑顔を見ると、よかったな」とほほ笑んでくれました。
 と、急に真面目な顔になってマノルを見つめます。一体どうしたのでしょう。少し緊張しながら次の言葉を待っていると、ドライトが口を開きました、
「……なあ、マノル。実は近いうちに引っこしをしようと思ってるんだが、どうだ?」
 いきなりの提案に、今度はマノルが「えっ」と声を上げます。
「引っこし? どうして?」
 たずねると、彼はしぶい顔をして「まぁ、アレだよ……」と言葉をにごしました。
「あいつに居場所を知られちまったし」
 ドライトが「あいつ」と呼ぶのはキジ猫だけです。たしかに、大けがを負わせたきり会っていませんから、またいつ現れて何をしてくるか分かりません。
「それに、もうすぐ雪が降る。その前にもっと街へ行きやすい場所を確保しておいたほうがいいと思ってな。明日からしばらく留守にするかもしれない」
 街、という言葉に、マノルは目の色を変えました。
「え? 街!? 新しいテリトリーってどうやってさがすの? ボクも一緒に――」
「ダメだ」
 低い声できっぱりと言われ、少しびっくりしてしまいました。マノルはしゅんと肩を落とし、ふたりの間を流れる空気が、とたんに重たくなります。
「あ、あのなっ」
 気まずい雰囲気を察したのか、ドライトがあわてて会話をつなぎます。
「テリトリーを広げたり変えたりするためには、他のノラとのケンカがつきものなんだよ。お前、もうあんなの見たくないだろ?」
 気づかうようにたずねられ、マノルは、キジ猫がやって来た雨の日のことを思い出してみました。
 迫力とおそろしさに満ちた取っ組み合い、キジ猫のお腹に残った痛々しい傷、そこからしたたる黒ずんだ赤。
 想像しただけで身ぶるいしてしまいます。
「……分かった、待ってる」
 ぬぐえない不満を感じつつも、ふくれっ面でうなずきました。
 するとドライトは、ごめんなというふうに小さく笑って、
「いい子だ。テリトリーを守るのも大事な仕事だからな」
 と、顔をなめてくれました。恥ずかしさとうれしさで、ほおが熱くなります。
「ちゃんと帰ってきてね……?」
「当たり前じゃないか」
 マノルの言葉に、彼はなんの迷いもなくそう答えましたが、その言葉を心の底から信じることはできませんでした。
 キジ猫とのような大げんかを毎日続けていたら、体にたくさんの傷が残るでしょう。命が危険にさらされることだって――きっとあるのです。
「ひとりでヒマになるだろうけど、街に行って時間をつぶすといい」
 心配するマノルをはげますためか、彼は自然な流れで話題を変えました。
「そんなの、毎日になっちゃうよ……」
 すねた口調でそう答えると、
「いいさ。お前だってもう赤んぼうじゃないんだ。自分ひとりで責任を持って生活することも覚えておけ」
 思いのほか、そんなことを言われました。それだけマノルを認め、信用してくれているのだと思いますが、なんだかあまりうれしくありません。パンの味をしめて狩りをサボるなと言ったのは、彼なのに。
 明日から、ドライトのいない毎日が始まります。

「――ノル」
 ふわふわとした意識の中で、そっとだれかがささやきました。
「マノル」
 名前を呼ばれている気がします。重たいまぶたを持ち上げると、いつもと同じ緑色のひとみがそこにありました。
「そろそろ出るよ」
 彼の言葉に、ねむけが一気にふっ飛びます。
「もう行っちゃうの?」
 泣きそうな声で不安げに問うと、彼はだまってうなずきました。まだ太陽も出ておらず、空は白いもやにつつまれています。初めて町に行った朝と同じ景色なのに、あのときとは真逆に、マノルの心は重くしずんでいました。
「……いつ帰ってくる?」
「分からない。できるだけ早く帰ってくるようにするから」
 あいまいな返答が、不安をいっそう大きくさせます。
「やっぱりボク――」
 言いかけた言葉をさえぎるように、ドライトは優しく首をふりました。その瞬間、目のおくがじわりと熱くなります。
「……一個だけ、お願い聞いてくれる?」
 うつむいて、痛いくらいにくちびるをかみしめ、かすれた声で言いました。泣いてはいけません。
「ボク、もう一回……ねるから。だから、それまで……」
 生あたたかいしずくがひとつ、空色のひとみからこぼれ落ちたとき、ドライトがしずかに寄りそってくれました。いつも以上にぴたりとくっついて。
「絶対帰ってくる。だから安心しろ」
 マノルは、その大好きな背中に頭を預けて、なみだでうるんだ目をつむります。
 こんなに悲しい朝は、もう二度とやって来てほしくありません。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

あさはんのゆげ

深水千世
児童書・童話
【映画化】私を笑顔にするのも泣かせるのも『あさはん』と彼でした。 7月2日公開オムニバス映画『全員、片想い』の中の一遍『あさはんのゆげ』原案作品。 千葉雄大さん・清水富美加さんW主演、監督・脚本は山岸聖太さん。 彼は夏時雨の日にやって来た。 猫と画材と糠床を抱え、かつて暮らした群馬県の祖母の家に。 食べることがないとわかっていても朝食を用意する彼。 彼が救いたかったものは。この家に戻ってきた理由は。少女の心の行方は。 彼と過ごしたひと夏の日々が輝きだす。 FMヨコハマ『アナタの恋、映画化します。』受賞作品。 エブリスタにて公開していた作品です。

ままならないのが恋心

桃井すもも
恋愛
ままならないのが恋心。 自分の意志では変えられない。 こんな機会でもなければ。 ある日ミレーユは高熱に見舞われた。 意識が混濁するミレーユに、記憶の喪失と誤解した周囲。 見舞いに訪れた婚約者の表情にミレーユは決意する。 「偶然なんてそんなもの」 「アダムとイヴ」に連なります。 いつまでこの流れ、繋がるのでしょう。 昭和のネタが入るのはご勘弁。 ❇相変わらずの100%妄想の産物です。 ❇妄想遠泳の果てに波打ち際に打ち上げられた、妄想スイマーによる寝物語です。 疲れたお心とお身体を妄想で癒やして頂けますと泳ぎ甲斐があります。 ❇例の如く、鬼の誤字脱字を修復すべく激しい微修正が入ります。 「間を置いて二度美味しい」とご笑覧下さい。

処理中です...