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🍁秋
十四歩目 子猫と新たな始まり
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テリトリーに戻ると、ドライトがしずんでいく夕日をやけに真剣な表情で見つめていました。彼のひとみの緑色は弟猫のそれとよく似ているけれど、やっぱり少しちがいます。深みがあるのです。緑に青や黄を混ぜたような、複雑な色合いをしています。きっとその目で、色々なものを見てきたのでしょう。
「おう、お帰り」
マノルに気づくと、彼は安心したようにほおをゆるませました。ただいまの代わりに、マノルのお腹が間抜けな音を鳴らします。
「なんだ、パンを食べてきたんじゃないのか?」
「今日、女の子がいなかったから……」
不思議そうにたずねられ、苦笑いして答えました。
「そうか、そりゃ残念だったな。わざわざ会いにいったのに」
「たまにはそんなこともあるよ」
会話しながら、マノルは足もとにいたダンゴムシをつかまえてくわえると、ドライトのとなりに座りこみます。
「でもいいんだ、兄弟に会えたし」
ダンゴムシを口にふくんだままつぶやくと、ドライトがおどろいた様子で、ぱっとこちらをふり向きました。
「会った……のか?」
「うん、街でたまたまね。ちょっと大変だったけど、ちゃんと話せてよかった」
明るい声で言って、ダンゴムシをのみこみます。小さなアリ一匹でためらっていたことがうそのようです。
突然の報告に目を丸くしていたドライトも、マノルの笑顔を見ると、よかったな」とほほ笑んでくれました。
と、急に真面目な顔になってマノルを見つめます。一体どうしたのでしょう。少し緊張しながら次の言葉を待っていると、ドライトが口を開きました、
「……なあ、マノル。実は近いうちに引っこしをしようと思ってるんだが、どうだ?」
いきなりの提案に、今度はマノルが「えっ」と声を上げます。
「引っこし? どうして?」
たずねると、彼はしぶい顔をして「まぁ、アレだよ……」と言葉をにごしました。
「あいつに居場所を知られちまったし」
ドライトが「あいつ」と呼ぶのはキジ猫だけです。たしかに、大けがを負わせたきり会っていませんから、またいつ現れて何をしてくるか分かりません。
「それに、もうすぐ雪が降る。その前にもっと街へ行きやすい場所を確保しておいたほうがいいと思ってな。明日からしばらく留守にするかもしれない」
街、という言葉に、マノルは目の色を変えました。
「え? 街!? 新しいテリトリーってどうやってさがすの? ボクも一緒に――」
「ダメだ」
低い声できっぱりと言われ、少しびっくりしてしまいました。マノルはしゅんと肩を落とし、ふたりの間を流れる空気が、とたんに重たくなります。
「あ、あのなっ」
気まずい雰囲気を察したのか、ドライトがあわてて会話をつなぎます。
「テリトリーを広げたり変えたりするためには、他のノラとのケンカがつきものなんだよ。お前、もうあんなの見たくないだろ?」
気づかうようにたずねられ、マノルは、キジ猫がやって来た雨の日のことを思い出してみました。
迫力とおそろしさに満ちた取っ組み合い、キジ猫のお腹に残った痛々しい傷、そこからしたたる黒ずんだ赤。
想像しただけで身ぶるいしてしまいます。
「……分かった、待ってる」
ぬぐえない不満を感じつつも、ふくれっ面でうなずきました。
するとドライトは、ごめんなというふうに小さく笑って、
「いい子だ。テリトリーを守るのも大事な仕事だからな」
と、顔をなめてくれました。恥ずかしさとうれしさで、ほおが熱くなります。
「ちゃんと帰ってきてね……?」
「当たり前じゃないか」
マノルの言葉に、彼はなんの迷いもなくそう答えましたが、その言葉を心の底から信じることはできませんでした。
キジ猫とのような大げんかを毎日続けていたら、体にたくさんの傷が残るでしょう。命が危険にさらされることだって――きっとあるのです。
「ひとりでヒマになるだろうけど、街に行って時間をつぶすといい」
心配するマノルをはげますためか、彼は自然な流れで話題を変えました。
「そんなの、毎日になっちゃうよ……」
すねた口調でそう答えると、
「いいさ。お前だってもう赤んぼうじゃないんだ。自分ひとりで責任を持って生活することも覚えておけ」
思いのほか、そんなことを言われました。それだけマノルを認め、信用してくれているのだと思いますが、なんだかあまりうれしくありません。パンの味をしめて狩りをサボるなと言ったのは、彼なのに。
明日から、ドライトのいない毎日が始まります。
「――ノル」
ふわふわとした意識の中で、そっとだれかがささやきました。
「マノル」
名前を呼ばれている気がします。重たいまぶたを持ち上げると、いつもと同じ緑色のひとみがそこにありました。
「そろそろ出るよ」
彼の言葉に、ねむけが一気にふっ飛びます。
「もう行っちゃうの?」
泣きそうな声で不安げに問うと、彼はだまってうなずきました。まだ太陽も出ておらず、空は白いもやにつつまれています。初めて町に行った朝と同じ景色なのに、あのときとは真逆に、マノルの心は重くしずんでいました。
「……いつ帰ってくる?」
「分からない。できるだけ早く帰ってくるようにするから」
あいまいな返答が、不安をいっそう大きくさせます。
「やっぱりボク――」
言いかけた言葉をさえぎるように、ドライトは優しく首をふりました。その瞬間、目のおくがじわりと熱くなります。
「……一個だけ、お願い聞いてくれる?」
うつむいて、痛いくらいにくちびるをかみしめ、かすれた声で言いました。泣いてはいけません。
「ボク、もう一回……ねるから。だから、それまで……」
生あたたかいしずくがひとつ、空色のひとみからこぼれ落ちたとき、ドライトがしずかに寄りそってくれました。いつも以上にぴたりとくっついて。
「絶対帰ってくる。だから安心しろ」
マノルは、その大好きな背中に頭を預けて、なみだでうるんだ目をつむります。
こんなに悲しい朝は、もう二度とやって来てほしくありません。
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