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会話が途切れたにも関わらず、向かい合って立ち尽くしている二人の間に割って入ったのは、沙月さんの夫である久慈さんだった。男女の、しかも女性の方は元社員ということもあり、痴情のもつれを期待するような好奇な視線が、帰社する社員や通行人から投げられていたからだ。
「どういう事情だ?」
とりあえず歩道の隅に全員で移動すると、久慈さんは沙月さんに説明を求めた。某かの過去は絡むにせよ、甘やかなものではないと判明したせいか冷静だ。
「結婚式で一度紹介したきりなんだけど、私の友人に加奈という子がいたのを憶えていない?」
「悪い。ちょっと思い出せない」
「仕方がないわよ。その加奈とこちらの拓海くんが、大学時代に、そう、親しかったのよ」
おそらく沙月さんも動揺していたのだろう。今は私への配慮からか言葉を濁している。拓海は拓海で口を噤んだまま、申し訳なさそうに横に佇む私を見下ろしている。
「訳ありのようだな」
久慈さんはばっさり切った。
「要するに沙月の友人と野田の旦那は昔つきあっていた。別れた後は音信不通で、お前達も久々に顔を合わせた。本当に偶然」
「健人、そんな露骨に」
「隠すのは誰の為にもならない。特に野田」
仕事モードにでも入ったかのように、久慈さんは淡々と自分の予想を語る。全く知らない内容ではないし、久慈さんの心遣いは非常にありがたいのだが、彼が私を野田と呼ぶ度に拓海の眉がぴくぴく反応していた。
「でも別に未練を残しているとか、よりを戻したいわけではないんだろう? 沙月の友人も、野田の旦那も」
「ない」
きっぱりと断言する拓海に久慈さんは頷いたが、一方の沙月さんは悲しそうに唇を噛んだ。
「加奈の方は探してたのよ、拓海くんのこと」
真っ直ぐに拓海へと向けた視線が、徐々に私に移った。幾分俯き加減で躊躇いがちに零す。
「忘れられなかったそうよ。嫌いで別れたんじゃないし、二人は誰もが羨むほど仲がよかったもの」
ふいに視界が遮られたと思ったら、拓海が庇うように私の前に体をずらしていた。
「拓海くんが遺言に従う為だけに結婚したと知ったら、加奈はきっとこの先も諦められない筈よ」
表情は窺えないけれど悪意は感じない。たぶん私に対する遠慮よりも、友人の長年の想いを伝えたいのかもしれない。
「それは二人が話し合うしか、解決の道がなさそうですよねえ」
のほほんとした声が我知らず洩れていたらしい。この場の全員が私に注目した。
「詩乃、正気?」
呆れたように睨むかすみに、私はわざとらしく腕を組んで唸った。
「だって人伝ての話じゃ埒があかないし、私達がここで揉めても意味がない。かと言って喧嘩の火種も抱えたくない。となると当事者同士に委ねるしかないじゃない?」
けれど一気にみんなの表情が渋くなった。自分も当事者でしょと久慈くんが呻いたのを合図に、沙月さんや拓海までが声を揃えて指摘する。
「仕事じゃないんだから」
こんなときでもお腹は空く。かすみ達四人と別れて拓海の車で帰途に着いた私は、今日こそはとスーパーで秋刀魚を買った。熱々の塩焼きで食べるつもりだ。鼻歌を歌いながら食事の準備をする私を、拓海はダイニングテーブルに座って眺めている。
「本当にお前の言動は謎だ」
出来上がったご飯を前に、拓海は毒気を抜かれたような顔で、頂きますと手を合わせる。田舎に帰省する度、
「作ってくれた人に感謝して食べなさい」
三船のおばあちゃんにびしびし躾けられていたのだそうだ。
「軽蔑されたらどうしようかと思った」
秋刀魚に舌鼓を打っていると、拓海が所在無げな様子で呟いた。
「その発想はどこから」
「自分が蒔いた種とはいえ、結婚前に遊び相手がいると匂わせていただろう?そこに昔の女が出てきたら、あれこれ勘繰られても仕方がない」
「疑う要素、ある? そもそも終わった話だよね? え? もしかして拓海の中ではまだ燻ってるの? 私は久慈さんが過去の人になってるから、てっきり拓海も同じだとばかり」
もしやまたもや早とちりかと、箸を置いて身を乗り出すと、拓海は両手で私を制した。
「俺だってとっくに終わってる」
安堵の息を吐いて続ける。
「出ていかれるんじゃないか、正直はらはらした」
「そんなことしないよ。トイレには閉じこもるけど」
「そうか。いや、そうだったな」
昨日の光景が浮かんだのだろう。楽しげに肩を揺らした。
「詩乃といると、大抵のことはどうにかなりそうな気がしてくる」
「あ、でも確認しておきたいことがある! 拓海、加奈さんだっけ? その人とも同じベッドで眠れてたんだって? 私ちょっとショックだったよ?」
「その話誰から……って、久慈か」
またあいつめとぼやいて額を押さえると、拓海はこれには事情がと小声でぶつぶつ零してから、ふいにきょとんとした顔で問い返した。
「ショック、だった?」
「拓海は私としか眠れないんだと、勝手に思い込んでたんだよね」
とんでもない勘違いと嘆くと、
「詩乃、恋愛の「れ」くらいには進んだと解釈してもいいか?」
拓海は非常にに嬉しそうに口元を綻ばせた。
「どういう事情だ?」
とりあえず歩道の隅に全員で移動すると、久慈さんは沙月さんに説明を求めた。某かの過去は絡むにせよ、甘やかなものではないと判明したせいか冷静だ。
「結婚式で一度紹介したきりなんだけど、私の友人に加奈という子がいたのを憶えていない?」
「悪い。ちょっと思い出せない」
「仕方がないわよ。その加奈とこちらの拓海くんが、大学時代に、そう、親しかったのよ」
おそらく沙月さんも動揺していたのだろう。今は私への配慮からか言葉を濁している。拓海は拓海で口を噤んだまま、申し訳なさそうに横に佇む私を見下ろしている。
「訳ありのようだな」
久慈さんはばっさり切った。
「要するに沙月の友人と野田の旦那は昔つきあっていた。別れた後は音信不通で、お前達も久々に顔を合わせた。本当に偶然」
「健人、そんな露骨に」
「隠すのは誰の為にもならない。特に野田」
仕事モードにでも入ったかのように、久慈さんは淡々と自分の予想を語る。全く知らない内容ではないし、久慈さんの心遣いは非常にありがたいのだが、彼が私を野田と呼ぶ度に拓海の眉がぴくぴく反応していた。
「でも別に未練を残しているとか、よりを戻したいわけではないんだろう? 沙月の友人も、野田の旦那も」
「ない」
きっぱりと断言する拓海に久慈さんは頷いたが、一方の沙月さんは悲しそうに唇を噛んだ。
「加奈の方は探してたのよ、拓海くんのこと」
真っ直ぐに拓海へと向けた視線が、徐々に私に移った。幾分俯き加減で躊躇いがちに零す。
「忘れられなかったそうよ。嫌いで別れたんじゃないし、二人は誰もが羨むほど仲がよかったもの」
ふいに視界が遮られたと思ったら、拓海が庇うように私の前に体をずらしていた。
「拓海くんが遺言に従う為だけに結婚したと知ったら、加奈はきっとこの先も諦められない筈よ」
表情は窺えないけれど悪意は感じない。たぶん私に対する遠慮よりも、友人の長年の想いを伝えたいのかもしれない。
「それは二人が話し合うしか、解決の道がなさそうですよねえ」
のほほんとした声が我知らず洩れていたらしい。この場の全員が私に注目した。
「詩乃、正気?」
呆れたように睨むかすみに、私はわざとらしく腕を組んで唸った。
「だって人伝ての話じゃ埒があかないし、私達がここで揉めても意味がない。かと言って喧嘩の火種も抱えたくない。となると当事者同士に委ねるしかないじゃない?」
けれど一気にみんなの表情が渋くなった。自分も当事者でしょと久慈くんが呻いたのを合図に、沙月さんや拓海までが声を揃えて指摘する。
「仕事じゃないんだから」
こんなときでもお腹は空く。かすみ達四人と別れて拓海の車で帰途に着いた私は、今日こそはとスーパーで秋刀魚を買った。熱々の塩焼きで食べるつもりだ。鼻歌を歌いながら食事の準備をする私を、拓海はダイニングテーブルに座って眺めている。
「本当にお前の言動は謎だ」
出来上がったご飯を前に、拓海は毒気を抜かれたような顔で、頂きますと手を合わせる。田舎に帰省する度、
「作ってくれた人に感謝して食べなさい」
三船のおばあちゃんにびしびし躾けられていたのだそうだ。
「軽蔑されたらどうしようかと思った」
秋刀魚に舌鼓を打っていると、拓海が所在無げな様子で呟いた。
「その発想はどこから」
「自分が蒔いた種とはいえ、結婚前に遊び相手がいると匂わせていただろう?そこに昔の女が出てきたら、あれこれ勘繰られても仕方がない」
「疑う要素、ある? そもそも終わった話だよね? え? もしかして拓海の中ではまだ燻ってるの? 私は久慈さんが過去の人になってるから、てっきり拓海も同じだとばかり」
もしやまたもや早とちりかと、箸を置いて身を乗り出すと、拓海は両手で私を制した。
「俺だってとっくに終わってる」
安堵の息を吐いて続ける。
「出ていかれるんじゃないか、正直はらはらした」
「そんなことしないよ。トイレには閉じこもるけど」
「そうか。いや、そうだったな」
昨日の光景が浮かんだのだろう。楽しげに肩を揺らした。
「詩乃といると、大抵のことはどうにかなりそうな気がしてくる」
「あ、でも確認しておきたいことがある! 拓海、加奈さんだっけ? その人とも同じベッドで眠れてたんだって? 私ちょっとショックだったよ?」
「その話誰から……って、久慈か」
またあいつめとぼやいて額を押さえると、拓海はこれには事情がと小声でぶつぶつ零してから、ふいにきょとんとした顔で問い返した。
「ショック、だった?」
「拓海は私としか眠れないんだと、勝手に思い込んでたんだよね」
とんでもない勘違いと嘆くと、
「詩乃、恋愛の「れ」くらいには進んだと解釈してもいいか?」
拓海は非常にに嬉しそうに口元を綻ばせた。
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