降ってきた結婚

文月 青

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気づいたら灯りが消され、二人でベッドに傾れ込んでいた。私に覆い被さった拓海は、薄闇の中でしばらくこちらをみつめ、ゆっくりとキスを落とした。角度を変えて何度か繰り返すと、やがて黙々と次の作業を始める。

「つかぬことをお伺いしますが」

少々思案したものの、疑問を放置してはいけないという久慈さんの教え通り、私は静かな息遣いだけが潜む寝室で声を上げた。

「どうした? 辛いか?」

両脇に肘をついて心配そうに訊ねる拓海に、罪悪感めいたものを覚える。

「それは大丈夫。あの、私は他の人と経験がないから分からないんだけど」

「うん? 言ってみろ」

何故か嬉しそうな夫に首を傾げつつ、問題解決に動く。

「その、こういうときは、基本的には無言なの?」

お喋りしながらでは変かもしれないが、恋愛抜きで夫婦になった私達はともかく、他のカップルも好きとか愛してるとか甘い囁きもなく、ひたすら事に集中するのみなのだろうか。困ったように拓海が洩らした吐息が、首筋を掠めてぴくりと身が震えた。

「……俺に今ここでトトロでも歌えと?」

「歌えるの?」

「一応。ちなみにナウシカとラピュタと魔女の宅急便もな」

マイク片手に難しい顔をした拓海が、カラオケでジブリソングを歌う。その姿を想像しただけで、私は笑いが止まらなくなってしまった。

「全く、ベッドの中で爆笑する女なんて詩乃ぐらいのもんだ」

呆れながらもふっと口元を緩め、お互いの額をこつんと合わせる。

「だからこれ以上好きになりたくないんだよ」

「それって、恋愛の「れ」の字くらいには進んでる?」

おかしな例えだなと呟いた後、拓海は顔を上げて指先でそっと私の唇をなぞった。ドキドキとぞくぞくが押し寄せてくる。

「詩乃はまだ俺のことを好きになってはいないだろう?  なのに俺だけどんどん惹かれていって、結局好きになれませんでしたなんて言われた日には、さすがに再起不能になりそうで。なまじ結婚しているだけに」

優しいのにどこか切ない声音に、意味もなく泣きたくなり、私はとっさに口走っていた。

「こうしてると心臓が飛び出しそうになるけど、それは好きには入らない?」

「おそらく緊張だろうな。まあ、でも、ありがとな」

そうして再び拓海は体を重ねた。トトロは歌わんからなと補足して。




修羅場の予感がします。いえ、私と拓海ではありません。二人は昨夜いちゃいちゃ、ではなくて今朝も同じベッドで目覚めましたから。快挙だと当の本人も二日続けてびっくりです。私もちょっと嬉しいです。でも何か大事なことを忘れているような。ああ、今はそれどころでは!

「拓海くん、よね?」

隣に並んで立っていた女性が、驚いたように声を絞り出した。拓海が苦しげに表情を歪めている。

退勤後の会社の前で、車で迎えに来る拓海を待っていた私と、お目付役の久慈くんと冷やかしのかすみと久慈さん、そして買い物帰りに合流した久慈さんの奥様の沙月さつきさん。総勢五名で屯していたところに現れた拓海に、瞠目して彼の名を呼んだのは沙月さんだった。

「お久し振り、です」

動揺していたのか、一拍おいて弾かれたように拓海は頭を下げた。その様子を固唾を呑んで見守る野次馬四名。いや、もしかしたらそのうちの二名は当事者。

「久慈さんの奥さんと詩乃の旦那さん、知り合いだったの?」

ひそひそと当然の質問を口にしたかすみに、久慈くんが慌てたように答えた。

「会話に名前が出たことはないけど」

「ただの友人じゃないってことかしら。あの雰囲気は……」

そのやり取りを耳にしつつ、私と久慈さんは目を見交わせる。漫画じゃあるまいし、いくら何でも過去に二人は恋人同士だった、なんて展開はないと思うが。が、だったらどうしよう? 

「うわあ、やだよ俺。兄貴のお嫁さんと友達が実は、とか」

考えていることは一緒らしい。久慈くんが想像したくないと頭をぶんぶん振る。

「それを言ったら俺と野田、大場かはどうなる。己の連れ合いだぞ。妙な妄想は捨てろ」

「こんなときまでふざけなくていいです」

真剣なのだろうが緊急時にまで習慣が抜けない久慈さんに、私はげんなりして肩を竦めた。もっともこの場で二人の愛が再燃したら、私と久慈さんはお払い箱。

「結婚したのね」

沙月さんの一言で拓海が私を一瞥した。酷く焦っているのか、視線を落ち着きなく彷徨わせている。

「奥さんが主人の後輩だなんて、世の中狭いわね」

狭すぎだよと零した久慈くんが、次の台詞で目を瞬いた。

加奈かなはまだ一人よ」

新たな女性の名前に拓海も髪をかきむしっている。

「今度は誰? 詩乃の旦那さん、そんなにあちこち手を出してるの?」

苛立ちを含んだかすみの問いを、久慈くんは先程とは打って変わって明るく否定した。

「違う違う。疑いは晴れた。沙月さんとは本当に知人だと思う」

その代わりバツが悪そうに私に向き直る。

「拓海が二十歳のときにつきあっていた人、加奈さんていうんだ」

忘れていた現実が戻ってきた。先日の久慈くんの呟き。ずっと前に一人だけ存在した。拓海が私をけばいと貶して、夢中になっていた女性が。同じベッドで朝まで眠れるのは私だけじゃない。



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