降ってきた結婚

文月 青

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窮屈さを感じて重い瞼を上げると、室内はうっすら明るくなっていた。もう朝なのかと納得して身動げば、何と至近距離に夫の寝顔。一人用のベッドに二人でいるのだから、そりゃ狭くもなるわ。しかも彼は私の体をやんわり抱き締めている。

ん? ベッドに二人? そこに引っかかりを感じ、朦朧とした頭でぼんやり考えを巡らせていると、覚醒したらしい拓海が掠れた声で囁いた。

「……はよ」

無防備な姿に頬が緩み、応えようと口を開きかけたところで、あーっとつい喚いてしまう。

「同じベッドでも大丈夫じゃん!」

「そっちかよ」

幼児番組に出演していたらしい緑色の着ぐるみそっくりの目で、拓海が呆れたようにぼやいた。

「だって人の気配がすると眠れないって。これも嘘だったの?」

「もって何だ、もって。嘘じゃない。前の彼女と別れた原因の一つはこれだ」

無意識のうちに動かした指先が私のお腹を滑った途端、拓海は巻きつけていた腕を慌てて離す。

「旅行に行ってもどちらかの部屋に泊まっても、朝まで同じ布団にいたことがないからな。この件に関しては言い訳のしようがない」

「え? でも現に今」

「ああ、だよな。ちゃんと熟睡できたことに正直俺も驚いている」

不思議そうに二つのベッドを交互に眺めた後、でもな、と拓海は掛布団をさらりと捲った。そこには裸の上半身を晒す男女が横たわっている。

「意見を述べるならまずこっちについてが先じゃないか?」

「狡い! 拓海の場合は肝心なのは下半身なのに」

掛け布団に合わせてもぞもぞ潜ってゆくと、お前は面白いと柔らかく笑む旦那様。寝起きのせいもあるのだろうが、共に過ごした時間の中でこんな表情は初めて見た。

「今度は、痛くなかったか?」

労わるように、でもどこか悪戯めいた口調で頬を撫でられ、私はびっくりして布団の甲羅から飛び出した。

「昨日何か悪い物でも食べたの? もしかして具合が悪い?」

すぐに拓海の額に手を当てて熱を測ってみる。パピコ程の甘さもなかった男が、突然糖度の高い台詞を吐くとは、何かの前触れかもしれない。

「おい、やめろ、馬鹿女!」

ところが拓海は何故か怒りで顔を真っ赤にして、さっきまで私が潜っていた掛け布団を頭から被った。

「ったく、今日は月曜なんだぞ。これから仕事だっつーにどうしてくれる。収まりがつかんだろうが」

早朝から叱られた私は腑に落ちなくて、手足を引っ込めた亀の拓海をしばらく揺すっていたのだった。




「大場が振られる原因の殆どは、その放置癖のせいで間違いない筈だよ」

小学生よろしくお迎えに現れた久慈くんーーとりあえず兄と弟を分別しましたーーが、我が家の食卓を囲んで一緒に朝食を食べながら、拓海の過去の恋愛について説明してくれた。昨日ろくに話もせずに追い出されたので、お詫び方々リベンジに来たのだそうだ。一体何のリベンジなのか謎だ。

「何で久慈がうちで飯を食うんだ」

心底迷惑そうにぼやく拓海を無視して、久慈くんはもぐもぐ口を動かしつつ続けた。

「基本優しいし、人のこととやかく言わないけど、ちょっと仕事の延長みたいな喋り方するじゃん? 要点だけで淡々と攻めてくる感じ」

結婚のことを商談と表現していた事実を思い出す。

「意味は同じでも好きと好意があるでは、気分的に違うよね。可愛いと見られなくはない、とかさ。女の子がどちらを欲するか、答えは一目瞭然でしょ」

なるほど。確かに。

「やけに固い文言で抱かれた挙句、朝まで腕枕もないんじゃ、夜の営み目当てなのかなと疑心暗鬼にもなるわけ」

まだ並んだベッドや布団にそれぞれ眠るならいざ知らず、彼女がベッドで拓海が床なんてこともあったらしい。これでは目覚めたときかなり淋しいに違いない。それにしても久慈くん、あなたは女性の心理にお詳しいですな。

「だから結婚すると聞いたとき、大場の放置に耐えられる子がいるんだと喜ぶ半面、心配にもなったんだよね。まして奥さんが遺言結婚の詩乃ちゃんだと明らかになったからには」

拓海は会社ではお見合い結婚で通しているのだそうだ。幸いここ二年程彼女がいなかったので、周囲が納得する妥当な理由となった。もちろん久慈くんも同様で、兄の久慈さんからもたらされた私の結婚の情報がなければ、そのまま信じていたかもしれないという。

「そもそも久慈兄弟はどうして私の情報を共有しているんです?」

「兄貴の結婚式で俺が詩乃ちゃんを見初めたから」

は? と音声にする間もなく、拓海が久慈くんを睨んだ。

「勝手に俺の女を口説くな」

苛々と吐き捨てて拓海は立ち上がった。妻でも嫁でもなく「女」と表現されたことに再びびっくりして、私はお茶碗片手に目を瞬いた。

「重要課題は一つクリアした。久慈の心配は杞憂に終わった」

「え? 何? 大場?」

戸惑う久慈さんを余所に拓海は私を一瞥した。

「今日は車で送る」

「え? 何? 拓海?」

唐突な申し出に私は久慈くんとそっくりそのままの台詞を返す。いつもの電車の時刻までまだ余裕がある。わざわざ送ってもらわなくても遅刻はしない。

「たまには車を走らせないとな」

もっともらしく言って拓海は着替えに向かう。

「昨日車で買物に行ったよ、ね?」

私の呟きを拾った久慈くんも、 呆気に取られるしかなかった。



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