降ってきた結婚

文月 青

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当初の予定通りスーパーで食材を買い込みながら、私は無言でカートを押している夫を盗み見た。いつもは食べたい物や欲しい物を訊ねると、素っ気ないなりにちゃんと答えてくれるのに、今日はどこか上の空でああしか言わない。

「詩乃に会えて目的は達成しただろ。マジで帰れ」

冗談なのかと思っていたら、拓海は渋る久慈直人さんを本当に家から追い出してしまった。そしてやおら車の鍵に手を伸ばす。

「買物に行くんだろ? 車出すから」

結婚するまでは通勤に使っていたという車は、会社の近くに引っ越してから主に週末に活躍するようになった。おかげで私は助かっているけれど、拓海にとっては煩わしいのかもしれない。

「あの、ごめんね? 疲れてるのに」

会計を済ませて袋詰めをしている間も、だんまりを決め込む拓海に謝ると、彼は荷物を一手に引き受けて歩き出した。

「別に。やりたいからやっている」

怒っているわけではなさそうだが、帰りの車の中でも帰宅してからも、やはり心ここに在らずで、私はこっそりお祖母ちゃん達の写真にため息をついた。

「ひ孫の顔は見せてあげられないかも」

その後も拓海はリビングのソファに体を沈めて、うんともすんとも言わない。夕食時にまでそれが続いたので、私も困って眉を八の字に下げた。

「久慈直人さんをもてなせなかったから、ずっと不機嫌なの?」

ダイニングテーブルに箸を置いて、真っ直ぐに拓海をみつめる。黙々と食べていた彼は皿を半分程空けてから、しばし迷った挙句ぶっきら棒に口を開いた。

「詩乃が好きな奴は、久慈の兄貴なのか?」

前後の脈絡なく訊ねられて、私はあっさり口を滑らせた。

「あれ? 分かっちゃった?」

正確には好きだった、だけれど。それにしても当の久慈さんは全く梨の礫だったのに、何故拓海にはばれたんだろう。

「だったらどうしてそいつじゃなく、俺と結婚したんだ」

「久慈さん結婚してるし」

「は?」

そこで私は久慈直人さんと知り合った経緯を説明した。ところが拓海はすぐさま憤怒の形相になった。

「お前は久慈の兄貴が手に入らないから、焼けを起こして俺と……!」

逆です。久慈さんのことが吹っ切れているから、貴方の商談とやらに乗っかったんですが。まあ聞いちゃいないな。

久慈さんが結婚したところで、好きな気持ちが消えるわけじゃないし、かといって邪魔をするつもりもそんな隙もなかったから、しばらくは無理に諦めようとせず、秘かに胸の内で想っていた。

告白もできなかった一方的な恋は、時間と久慈さんのあっけらかんとした性格により、引きずることなく徐々に薄れてゆき、現在は親しい先輩と後輩に収まっている。つまりあくまで過去。

「それを言うなら拓海も同じだよ? 三船のおばあちゃんの為に、仕方なく好きでもない私と結婚したんだもん」

「ああ、そうだな。仕方なくだよ。だから詩乃が久慈の兄貴と懇ろになろうが、俺が他の女と遊ぼうが自由だよな」

テーブルに肩肘をついて、拓海はそっぽを向く。怒りのポイントが掴めない。まさか浮気でも疑っているのだろうか? でも何で?

「やっぱり他に不特定多数の女性がいたんだ」

「お互い様だろ」

「私は久慈さんに未練はないのに」

「な?」

怪訝な面持ちで拓海はこちらに視線を戻した。

「もう想いを残してないって、私はちゃんと言ったよ。だけど拓海は女性なんて選り取り見取りなんだもんね。そりゃ私の体になんて興味が湧かない筈だわ」

「おい、詩乃、違っ」

「どうぞ何処にでも、日曜日の女の所にでも行って下さい。不実なのはどっちよ」

「ちょっと待て、話を」

今度はあたふたし出した拓海を無視し、私は立ち上がってお祖母ちゃん達の写真に謝った。

「ごめんね、お祖母ちゃん。ひ孫は無理みたい。拓海が外で拵えてくるだろうから、その子を守ってあげて」

「外で拵えるって、アウトドアか。いや、そうじゃなくて、悪かった。成り行きで嘘をついた。この通りだ」

隣で私と写真に手を合わせる拓海。その必死な様子がおかしくて、私は笑いを堪えられなかった。

「全く、お前は。何をしでかすか見当がつかん」

がっくりと肩を落としつつ、拓海もバツが悪そうに苦笑した。一緒にテーブルに戻って、途中だった食事を再開する。

「久慈の兄貴のことは、本当にもういいのか?」

「うん。ときめきもしなければ苦しくもない。おまけに久慈さんが鈍くて、私に好かれていたなんて微塵も気づいてないんだこれが」

「そうだったのか」

「だから浮気はしていません。拓海の方こそどうなの? 嘘って?」

ああと唸って拓海はぐしゃぐしゃ髪を掻きむしった。

「俺も他に女はいない。さっきのは売り言葉に買い言葉だ。それから」

珍しく言い淀んでから続ける。

「俺は仕方なく詩乃と結婚したわけじゃない」

「私が好き? 一目惚れしたとか? ないよねえ」

「まあちょっと違う。でも祖母ちゃん達があの遺言を残したのは、俺のせいでもあるんだ」

観念したように白状する拓海が、もの凄く恥じ入っているのが何だか可愛かった。



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