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番外編
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ガーデンパーティーの帰りの車の中、ハンドルを握る修司さんは終始無言だった。夕方になる前のさほど混み合っていない道を、すいすい器用に走ってゆく。そっと窺った横顔は、窓からの光を避けているせいか翳りがあり、不機嫌な修司さんに憂いを与えていた。
「何だ」
赤信号で車を止めるなり、修司さんがつっけんどんに言った。
「さっきからじろじろと。気になるだろ」
まっすぐ前を向いたまま、凝っているのか首の後ろに手を当てる。
「あの…」
「あ?」
「新郎より素敵だったなあって」
そこで修司さんはいきなり咳き込んだ。大丈夫ですかと背中をさすると、苦しそうに肩を上下させている。
「またあんたはそういうことをさらっと…!」
嘘じゃない。仕事用のスーツは見慣れていたが、式服であるブラックスーツは初めてで、あまりの凛々しさに言葉を失った。それに比べて自分はスッポン。いつになったら修司さんに相応しい女性になれるのだろう。
「あんただって先輩にコナかけられていただろうが」
「あれは一人でいたから」
「そんなわけあるか」
車を発進させて私のアパートへと向かいながら、修司さんはがっかりしたようにため息をついた。
「香さん、良かったですね」
修司さんが喋ってくれたので、私はこの後に訪ねることにしていた香さんの話題に触れた。実は一昨日陣痛がきて入院していた香さんが、昨日の朝に無事男の子を出産したと連絡があったのだ。母子ともに元気だそうで、本来は家族でもない私は控えるべきところだが、
「なぎさちゃんも赤ちゃん見に来て」
香さんの好意に甘えて、富沢くんや咲さんと揃って、お見舞い(お祝い?)に行く予定だった。
自分の身内とは相変わらず疎遠だけれど、修司さんのお陰で私はたくさんの人と繋がりができた。彼に感謝するのはもちろん、それを喜べるようになった自分が嬉しい。
「香姉も二児の母だもんな」
「ちょっと淋しいですか?」
「何で」
「自分に構って貰えなくなって」
無理をしているような修司さんがおかしくて、ついくすくすと声に出して笑ってしまった。
「俺はガキか。だったらあんたが少しは俺を構え」
「煩いくらい纏わりついていませんか? 私」
このところ毎週日曜日だけではなく、平日の夜にも修司さんと過ごす機会が増えた。主に私のアパートでご飯を食べたり、たわいない話をするだけだが、楽しい反面彼の時間を奪っている自覚もある。それでも一緒にいたい私は我儘なのかもしれない。
「どこがだ。全然足りねーよ」
「足りない?」
迷惑に思われていないことには安堵したものの、想像していた答えとは異なっていた。
「あんたは何にも分かっちゃいない」
苛々とぼやいて、修司さんは再び大仰に息を吐いた。
「花嫁さん、綺麗でしたね」
産院に行く前に一旦着替えに寄った私のアパートで、美香さんのウエディングドレス姿を思い出し、輝くような笑顔に自然に口元が綻んだ。
修司さんは手にしたジャケットを放るなり、じっとこちらを凝視している。私が皺になる前にハンガーにかけ直していると、眉を顰めてぽつりと呟いた。
「別人みたいで、正直戸惑った。あんたに」
一瞬首を傾げてから、その視線の先にあるのが今日の私の服装だと気づいた。披露宴に招待されたことが殆どないので、特にこの時期の正式な装いがよく分からなかった。だから友人の綾江に見立ててもらった、オーガンジー素材のネイビーのドレスを着たのだけれど、やはり馬子にも衣装だったのだろうか。
「勘違いすんな。似合い過ぎて困ってんだよ」
不安が面に現れていたのだろう。修司さんは憮然として返す。意味をゆっくり咀嚼して、次いで体が床から浮いたような錯覚に陥った。
「まさかここまで化けるとは」
その一言で奈落の底に突き落とされる。酷い。持ち上げた直後に化け猫扱いしなくても。
「ったく、余計な虫まで寄せてるし」
「皆まで仰らなくても結構です。急いで着替えてきますから」
ところが私服を携えてお風呂に移動しようとした私の腕を、修司さんは強い力で掴んで引き戻した。
「それが問題なんだよな」
さっきまでの威勢は何処へやら、やり切れなさそうに洩らす。足元には落とした私服が散らばっていた。
「むかつくくらい綺麗で、他の男の目になんか触れさせたくない。そのくせ」
さらりと語られる言葉に固まる私を余所に、修司さんはそこで口を噤み、言ってもいいか俺の本音、と続ける。
「脱がせたくて仕方がねーんだわ」
「は…い?」
びっくりし過ぎて頭が沸点を超えた。この人は唐突に何を言い出すのだ。
「友人なんてボケたことを抜かすあんたが悪い。俺を聖人君子だとでも思ってんのか」
いやいやいや、その前に大切なことを忘れていますよね?
「我慢の限界だ」
私の顎を上向きにして、顔を近づけてくる修司さん。これはもしや三月以来のキ、キ、キ…。動転してぎゅっと目を瞑った私の耳に、チャイムとご機嫌な声がこだまする。
「一ノ瀬さん、修兄、準備できてる?」
約束の時間より大分早かったけれど、ドアの外には富沢くんと咲さんが待っていた。
「何だ」
赤信号で車を止めるなり、修司さんがつっけんどんに言った。
「さっきからじろじろと。気になるだろ」
まっすぐ前を向いたまま、凝っているのか首の後ろに手を当てる。
「あの…」
「あ?」
「新郎より素敵だったなあって」
そこで修司さんはいきなり咳き込んだ。大丈夫ですかと背中をさすると、苦しそうに肩を上下させている。
「またあんたはそういうことをさらっと…!」
嘘じゃない。仕事用のスーツは見慣れていたが、式服であるブラックスーツは初めてで、あまりの凛々しさに言葉を失った。それに比べて自分はスッポン。いつになったら修司さんに相応しい女性になれるのだろう。
「あんただって先輩にコナかけられていただろうが」
「あれは一人でいたから」
「そんなわけあるか」
車を発進させて私のアパートへと向かいながら、修司さんはがっかりしたようにため息をついた。
「香さん、良かったですね」
修司さんが喋ってくれたので、私はこの後に訪ねることにしていた香さんの話題に触れた。実は一昨日陣痛がきて入院していた香さんが、昨日の朝に無事男の子を出産したと連絡があったのだ。母子ともに元気だそうで、本来は家族でもない私は控えるべきところだが、
「なぎさちゃんも赤ちゃん見に来て」
香さんの好意に甘えて、富沢くんや咲さんと揃って、お見舞い(お祝い?)に行く予定だった。
自分の身内とは相変わらず疎遠だけれど、修司さんのお陰で私はたくさんの人と繋がりができた。彼に感謝するのはもちろん、それを喜べるようになった自分が嬉しい。
「香姉も二児の母だもんな」
「ちょっと淋しいですか?」
「何で」
「自分に構って貰えなくなって」
無理をしているような修司さんがおかしくて、ついくすくすと声に出して笑ってしまった。
「俺はガキか。だったらあんたが少しは俺を構え」
「煩いくらい纏わりついていませんか? 私」
このところ毎週日曜日だけではなく、平日の夜にも修司さんと過ごす機会が増えた。主に私のアパートでご飯を食べたり、たわいない話をするだけだが、楽しい反面彼の時間を奪っている自覚もある。それでも一緒にいたい私は我儘なのかもしれない。
「どこがだ。全然足りねーよ」
「足りない?」
迷惑に思われていないことには安堵したものの、想像していた答えとは異なっていた。
「あんたは何にも分かっちゃいない」
苛々とぼやいて、修司さんは再び大仰に息を吐いた。
「花嫁さん、綺麗でしたね」
産院に行く前に一旦着替えに寄った私のアパートで、美香さんのウエディングドレス姿を思い出し、輝くような笑顔に自然に口元が綻んだ。
修司さんは手にしたジャケットを放るなり、じっとこちらを凝視している。私が皺になる前にハンガーにかけ直していると、眉を顰めてぽつりと呟いた。
「別人みたいで、正直戸惑った。あんたに」
一瞬首を傾げてから、その視線の先にあるのが今日の私の服装だと気づいた。披露宴に招待されたことが殆どないので、特にこの時期の正式な装いがよく分からなかった。だから友人の綾江に見立ててもらった、オーガンジー素材のネイビーのドレスを着たのだけれど、やはり馬子にも衣装だったのだろうか。
「勘違いすんな。似合い過ぎて困ってんだよ」
不安が面に現れていたのだろう。修司さんは憮然として返す。意味をゆっくり咀嚼して、次いで体が床から浮いたような錯覚に陥った。
「まさかここまで化けるとは」
その一言で奈落の底に突き落とされる。酷い。持ち上げた直後に化け猫扱いしなくても。
「ったく、余計な虫まで寄せてるし」
「皆まで仰らなくても結構です。急いで着替えてきますから」
ところが私服を携えてお風呂に移動しようとした私の腕を、修司さんは強い力で掴んで引き戻した。
「それが問題なんだよな」
さっきまでの威勢は何処へやら、やり切れなさそうに洩らす。足元には落とした私服が散らばっていた。
「むかつくくらい綺麗で、他の男の目になんか触れさせたくない。そのくせ」
さらりと語られる言葉に固まる私を余所に、修司さんはそこで口を噤み、言ってもいいか俺の本音、と続ける。
「脱がせたくて仕方がねーんだわ」
「は…い?」
びっくりし過ぎて頭が沸点を超えた。この人は唐突に何を言い出すのだ。
「友人なんてボケたことを抜かすあんたが悪い。俺を聖人君子だとでも思ってんのか」
いやいやいや、その前に大切なことを忘れていますよね?
「我慢の限界だ」
私の顎を上向きにして、顔を近づけてくる修司さん。これはもしや三月以来のキ、キ、キ…。動転してぎゅっと目を瞑った私の耳に、チャイムとご機嫌な声がこだまする。
「一ノ瀬さん、修兄、準備できてる?」
約束の時間より大分早かったけれど、ドアの外には富沢くんと咲さんが待っていた。
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