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修司さんが外に出て行ってから、既に二十分が経過していた。私はお情け程度のキッチンで湯呑み茶碗を洗いながら、今更ながら激しい動悸息切れに見舞われている。よもやこんな形で想いを伝えてしまうとは自分でも思ってもいなかった。
「ちょっと頭冷やしてくる。ついでに煙草も」
そう言って修司さんが立ち上がったのは、いい加減どちらかが行動を起こさなければ、朝まで睨み合い(?)が続くのではと予感させた頃だった。察しがついていたわけではなさそうだけれど、私と違って余裕の彼は顔色一つ変わらない。
「待たせた」
やがて戻ってきた修司さんは、さっき座っていたのと同じ場所に腰を下ろした。
「とりあえずあんたも座れ」
手招きされて大人しく従う。微かに漂う煙草の匂い。この匂いが部屋に残ってくれたら、いつも修司さんの気配を感じられるかなと、もの凄く恥ずかしい妄想を膨らませて慌てて打ち消す。人生初告白の後だけに、ねじが二本も三本も緩んでしまったらしい。
「単刀直入に訊く。あんたは俺が好きなのか?」
真顔で何を仰いますか。ストレート過ぎます。口をパクパクさせるだけの私に、修司さんは定番の仏頂面で続ける。
「こういうことははっきりさせておかないと、後々面倒なことになるんだよ。特にあんたみたいな自己完結するタイプは」
にべもない。しかも恋愛事を挟んで向き合っている気がしない。
「で? どうなわけ?」
取り調べ中の犯人の如く尋問される私。
「はい。その通りです」
蚊の鳴くような声で罪を申告して俯く。もう本当に何なのこの人。泣きたくなってきた。
「俺と香姉のことを知っていても?」
そこで声のトーンが下がった。弾かれたように顔を上げる。決して自分に振り向かない女性をみつめてきた人が持つ、相手を労わる視線が真っすぐに私を射る。
「はい」
人の痛みを身をもって知っている修司さんだからこそ。
「現時点で俺が好きなのが香姉で、あんたを彼女として扱うことはできないとしても?」
言い辛いことだろうに、あえて悪者にでもなろうとするかのように断言する。
「分かっています。今私が富沢さんに一番望んでいるのは、嫌わないで欲しいということです」
そして離れていかないで欲しい。
「その心配なら要らない」
修司さんはふて腐れたように眉を釣り上げた。こんなことを話すのは狡いかもしれないが、と投げやりに吐く。
「他の女がどうなろうと全く関知しないのに、あんただけは野放しにできないというか、目が離せないというか…。自分でもその理由が掴めなくて参ってる」
勝手な行動をする子供に、すこぶる手を焼く親の意見みたいだ。
「で、まあ、いろいろ検討してみたところ、あんたの気持ちは意外と嬉しいかもしれないという結論に至った」
聞き間違いだろうか。信じられない文言が混じっていたような気がする。目を瞬く私に修司さんは切なげに目を細めた。
「中途半端で、ごめん」
嘘をつこうと思えばいくらでもつけるのに。私なんか簡単に丸め込んで、都合よく使うこともできるのに。ごまかさずに誠実に応えてくれている。好きなのは香さん。でも私のことも嫌いじゃない。それが貴方の正直な気持ちなら、私もちゃんと受け入れることができる。
「やっぱりちょっとだけ優しい人ですね、富沢さん」
胸が温かくなって自然に口元が綻んだ。修司さんと一緒にいると、意識しなくても笑顔が生まれる。
「うるせーな。俺は腹黒だって言ってんだろ」
下を向いて生きてきた私に、充分すぎる程の価値を見出してくれた人。好きになったのが修司さんでよかった。
緑色だった山並みが綺麗に色づいていた。赤や黄色の葉が高く澄んだ空に映え、めまぐるしい忙しさの中でも、ふとした瞬間に心を和ませてくれる。
「お疲れ」
桜屋の駐車場に停めた白い車に寄りかかり、のんびり景色を眺めていた修司さんが、仕事を終えた私に気づいて軽く手を上げた。
「紅葉凄いな」
「お陰で商売繁盛です」
春は桜、秋は紅葉、山の中の温泉ならではの自然の芸術に、十月は昨年を上回る宿泊予約が入り、お客様もお湯に浸かりながら目の保養ができて満足しているようだ。
「富沢くんは休みなんですから、無理しないで下さいね」
清掃部門は大学生の富沢くんと佐藤くんが、学業優先でしばらくバイトを休むことになった。従業員はてんてこ舞いしているが、それぞれが協力して上手く乗り切っている。
「俺が迎えにくると迷惑なわけ?」
修司さんが不機嫌そうに突っかかってくる。これもポーズだと分かると、可愛く見えてくるから不思議だ。
「いいえ」
頭を振りながら表情を緩ませる。
「私は日曜日がずっと待ち遠しかったです」
一時期修司さんが桜屋に姿を見せなくなったときは、出張が重なっていると聞いていても、白い車を目にする度に喜んでは落胆するのを繰り返していた。ここで改めて彼を前にすると、日曜日のこのひと時がどれだけ特別だったのか実感する。
「俺が今まで通りに桜屋に行っても、あんたは平気なのか?」
私の想いを知った修司さんは、自分次第で私に会いにいってよいものかと躊躇っていた。辛い思いをさせるのではないかと考えたらしい。
だから私も素直にお願いした。弟の同僚としてつきあってもらえたら嬉しい。でもそれで逆に修司さんが苦しむことになるなら、会えなくても構わない、と。
そうして今日、修司さんは桜屋まで来てくれた。
「俺だってとっくに日課になってるんだ。来るなと追い払われても困るんだよ」
素っ気なく言って修司さんは車に乗り込んだ。
「さっさと乗れ。行くぞ」
わざとらしいつれない一言に、私は小さく笑って助手席のドアを開けた。
「ちょっと頭冷やしてくる。ついでに煙草も」
そう言って修司さんが立ち上がったのは、いい加減どちらかが行動を起こさなければ、朝まで睨み合い(?)が続くのではと予感させた頃だった。察しがついていたわけではなさそうだけれど、私と違って余裕の彼は顔色一つ変わらない。
「待たせた」
やがて戻ってきた修司さんは、さっき座っていたのと同じ場所に腰を下ろした。
「とりあえずあんたも座れ」
手招きされて大人しく従う。微かに漂う煙草の匂い。この匂いが部屋に残ってくれたら、いつも修司さんの気配を感じられるかなと、もの凄く恥ずかしい妄想を膨らませて慌てて打ち消す。人生初告白の後だけに、ねじが二本も三本も緩んでしまったらしい。
「単刀直入に訊く。あんたは俺が好きなのか?」
真顔で何を仰いますか。ストレート過ぎます。口をパクパクさせるだけの私に、修司さんは定番の仏頂面で続ける。
「こういうことははっきりさせておかないと、後々面倒なことになるんだよ。特にあんたみたいな自己完結するタイプは」
にべもない。しかも恋愛事を挟んで向き合っている気がしない。
「で? どうなわけ?」
取り調べ中の犯人の如く尋問される私。
「はい。その通りです」
蚊の鳴くような声で罪を申告して俯く。もう本当に何なのこの人。泣きたくなってきた。
「俺と香姉のことを知っていても?」
そこで声のトーンが下がった。弾かれたように顔を上げる。決して自分に振り向かない女性をみつめてきた人が持つ、相手を労わる視線が真っすぐに私を射る。
「はい」
人の痛みを身をもって知っている修司さんだからこそ。
「現時点で俺が好きなのが香姉で、あんたを彼女として扱うことはできないとしても?」
言い辛いことだろうに、あえて悪者にでもなろうとするかのように断言する。
「分かっています。今私が富沢さんに一番望んでいるのは、嫌わないで欲しいということです」
そして離れていかないで欲しい。
「その心配なら要らない」
修司さんはふて腐れたように眉を釣り上げた。こんなことを話すのは狡いかもしれないが、と投げやりに吐く。
「他の女がどうなろうと全く関知しないのに、あんただけは野放しにできないというか、目が離せないというか…。自分でもその理由が掴めなくて参ってる」
勝手な行動をする子供に、すこぶる手を焼く親の意見みたいだ。
「で、まあ、いろいろ検討してみたところ、あんたの気持ちは意外と嬉しいかもしれないという結論に至った」
聞き間違いだろうか。信じられない文言が混じっていたような気がする。目を瞬く私に修司さんは切なげに目を細めた。
「中途半端で、ごめん」
嘘をつこうと思えばいくらでもつけるのに。私なんか簡単に丸め込んで、都合よく使うこともできるのに。ごまかさずに誠実に応えてくれている。好きなのは香さん。でも私のことも嫌いじゃない。それが貴方の正直な気持ちなら、私もちゃんと受け入れることができる。
「やっぱりちょっとだけ優しい人ですね、富沢さん」
胸が温かくなって自然に口元が綻んだ。修司さんと一緒にいると、意識しなくても笑顔が生まれる。
「うるせーな。俺は腹黒だって言ってんだろ」
下を向いて生きてきた私に、充分すぎる程の価値を見出してくれた人。好きになったのが修司さんでよかった。
緑色だった山並みが綺麗に色づいていた。赤や黄色の葉が高く澄んだ空に映え、めまぐるしい忙しさの中でも、ふとした瞬間に心を和ませてくれる。
「お疲れ」
桜屋の駐車場に停めた白い車に寄りかかり、のんびり景色を眺めていた修司さんが、仕事を終えた私に気づいて軽く手を上げた。
「紅葉凄いな」
「お陰で商売繁盛です」
春は桜、秋は紅葉、山の中の温泉ならではの自然の芸術に、十月は昨年を上回る宿泊予約が入り、お客様もお湯に浸かりながら目の保養ができて満足しているようだ。
「富沢くんは休みなんですから、無理しないで下さいね」
清掃部門は大学生の富沢くんと佐藤くんが、学業優先でしばらくバイトを休むことになった。従業員はてんてこ舞いしているが、それぞれが協力して上手く乗り切っている。
「俺が迎えにくると迷惑なわけ?」
修司さんが不機嫌そうに突っかかってくる。これもポーズだと分かると、可愛く見えてくるから不思議だ。
「いいえ」
頭を振りながら表情を緩ませる。
「私は日曜日がずっと待ち遠しかったです」
一時期修司さんが桜屋に姿を見せなくなったときは、出張が重なっていると聞いていても、白い車を目にする度に喜んでは落胆するのを繰り返していた。ここで改めて彼を前にすると、日曜日のこのひと時がどれだけ特別だったのか実感する。
「俺が今まで通りに桜屋に行っても、あんたは平気なのか?」
私の想いを知った修司さんは、自分次第で私に会いにいってよいものかと躊躇っていた。辛い思いをさせるのではないかと考えたらしい。
だから私も素直にお願いした。弟の同僚としてつきあってもらえたら嬉しい。でもそれで逆に修司さんが苦しむことになるなら、会えなくても構わない、と。
そうして今日、修司さんは桜屋まで来てくれた。
「俺だってとっくに日課になってるんだ。来るなと追い払われても困るんだよ」
素っ気なく言って修司さんは車に乗り込んだ。
「さっさと乗れ。行くぞ」
わざとらしいつれない一言に、私は小さく笑って助手席のドアを開けた。
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