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しばらく沈黙が漂っていた。陽が傾きかけてきた休憩スペースには、時折自販機で飲物を買う患者さん以外は、誰も立ち寄らない。そんな静けさの中で、自分の考えを確かめるのを躊躇っているかのように、塔矢は私をみつめたまま微動だにしない。
「釣りもだけど、結婚式も一緒にしようね」
この言葉が何を意味しているか分からない筈はない。その後塔矢が塩見さんにどんな返信をしたのかは知らないが、それが何であれ私の気持ちは一つに定まっている。二度と会えないと思っていた塔矢に再会できたときから。
「奏音、よく聞いて」
やがて塔矢は神妙な顔つきで私の手を取った。いつも私を守っていた大きくて温かい手。
「俺は子供を作れない」
穏やかな声の響きとは裏腹に、過酷な現実を告げられる。
「男の子と女の子が一人ずついる、家族みんなで釣りに行けるような家庭は、俺には築いてあげられない」
少し前に二人で語った未来。たぶん近い将来にはそうなると信じていた。
「再発の心配だって常につきまとう。俺と一緒にいると、どうしてももしもの場合を意識せざるを得ない。実際に一人残して旅立ってしまうかもしれない。俺は大切な人にそんな悲しい思いはさせたくない」
だから独身でいる。塔矢はそう言って笑った。が、次の瞬間目をぱちくりさせた。何故なら私が彼の両頬を挟み撃ちにしたからだ。
「振られた後の私も相当鬱陶しかったけど、今の塔矢もぐだぐだで鬱陶しい」
円さんに病名を教えられたときから、その可能性があることは覚悟していた。彼女は塔矢の行動を予測した上で、私に事実を把握させ、そして選ばせてくれたのだと思う。塔矢と寄り添うのも、やはり別れるのも、私自身が決められるように。
「何で最初に子供ありきなの。そもそも塔矢がいない時点で、子供なんて作れないでしょうが。勝手に消えてくれちゃって」
「いや、だから、それは、他に奏音を幸せにできる」
「男がいると思ってるの? 何? 塔矢はどこの馬の骨とも知れない男と、私に釣りに行って欲しいの?」
「馬の骨は困るけど……」
「そういえば店長に告白されました」
そこで塔矢はやっぱりとでも言いたげな表情で口を噤んだ。塩見さんの話通り、店長の私に向ける気持ちに気づいていたのだ。なのにあえて黙っていた。
「店長さんと、つきあうの?」
さん付けするあたり無駄に律儀だ。
「つきあって欲しいんだったわよね?」
明らかに衝撃を受けたような顔で唇を噛んでいる。そんな顔をするくらいなら、最初から他の人を勧めなければいいのに。
「離れないから」
塔矢が私のことを一番に考えてくれることは嬉しい。
「嫌われても、逃げられても、足蹴にされても、今度は絶対離れない。ううん、離さない」
でも私は最期のときまで塔矢の傍らにありたい。手を携えて共にいたい。そしてどちらか片方だけじゃなくて、二人で一緒に笑い合いたい。
「籍を入れようと入れまいと、形なんてどうでもいい。でもね、私は子供を持てないことよりも、今塔矢と離れることの方がずっと辛いの」
「奏音……」
塔矢の双眸が揺れた。唇が小刻みに震えている。
「ごめんね、塔矢。一番大変なときに傍にいなくて」
あっさり別れを受け入れたことはもちろん、
悩んでいるだけで塔矢を追うことをしなかった自分に腹が立っていた。そうすれば死の淵で闘う塔矢を一人にせずに済んだものを。二度とそんな後悔はしたくない。
「……怖かった」
俯いて小声で呟く塔矢。
「朝だろうと夜だろうと、目を閉じたらもう開けることができないんじゃないか、この病院が最後の場所になるんじゃないかって」
肩が激しく上下している。
「そうしたら奏音に会いたくて堪らなくなって。それが無理ならせめて声だけでも聴きたくて。この際姉さんの電話を借りてワン切りでもしようか、もしもしの一言だけでもと何度思ったことか」
嗚咽を堪えているであろう塔矢の肩を、私は両腕で抱えるように包み込んだ。
「格好悪くて、情けなくて、臆病で、大好きな人一人守れない」
そんな男で……そこで言葉が途絶えた。もう音を発することすらできなくなったらしい。
「それでいいじゃん。何のためにお互いがいるの。私の前で格好つけて、他の女の人に弱音を吐いたりしたら、逆に怒るよ?」
皺くちゃになるくらい病衣を握り締め、塔矢は小さく頷く。手の甲にぽたぽたと涙が落ちる。
「私は自分の前から塔矢が姿を消しただけで、泣きべそばっかかいている頼りない人間だけど、辛いことや怖いことがあったら、我慢しないでいっぱい泣いて、それを何度でも繰り返して、その後には二人で笑えればいいと思う。そんなんじゃ駄目かな?」
ゆるりと首を横に振った塔矢の背中に、覆い被さるように自分の頬を寄せる。途切れない鼓動と温もりに、この上ない幸せを感じていると、絞り出すような切ない囁きが耳を擽った。
ーー愛してる、奏音。
「釣りもだけど、結婚式も一緒にしようね」
この言葉が何を意味しているか分からない筈はない。その後塔矢が塩見さんにどんな返信をしたのかは知らないが、それが何であれ私の気持ちは一つに定まっている。二度と会えないと思っていた塔矢に再会できたときから。
「奏音、よく聞いて」
やがて塔矢は神妙な顔つきで私の手を取った。いつも私を守っていた大きくて温かい手。
「俺は子供を作れない」
穏やかな声の響きとは裏腹に、過酷な現実を告げられる。
「男の子と女の子が一人ずついる、家族みんなで釣りに行けるような家庭は、俺には築いてあげられない」
少し前に二人で語った未来。たぶん近い将来にはそうなると信じていた。
「再発の心配だって常につきまとう。俺と一緒にいると、どうしてももしもの場合を意識せざるを得ない。実際に一人残して旅立ってしまうかもしれない。俺は大切な人にそんな悲しい思いはさせたくない」
だから独身でいる。塔矢はそう言って笑った。が、次の瞬間目をぱちくりさせた。何故なら私が彼の両頬を挟み撃ちにしたからだ。
「振られた後の私も相当鬱陶しかったけど、今の塔矢もぐだぐだで鬱陶しい」
円さんに病名を教えられたときから、その可能性があることは覚悟していた。彼女は塔矢の行動を予測した上で、私に事実を把握させ、そして選ばせてくれたのだと思う。塔矢と寄り添うのも、やはり別れるのも、私自身が決められるように。
「何で最初に子供ありきなの。そもそも塔矢がいない時点で、子供なんて作れないでしょうが。勝手に消えてくれちゃって」
「いや、だから、それは、他に奏音を幸せにできる」
「男がいると思ってるの? 何? 塔矢はどこの馬の骨とも知れない男と、私に釣りに行って欲しいの?」
「馬の骨は困るけど……」
「そういえば店長に告白されました」
そこで塔矢はやっぱりとでも言いたげな表情で口を噤んだ。塩見さんの話通り、店長の私に向ける気持ちに気づいていたのだ。なのにあえて黙っていた。
「店長さんと、つきあうの?」
さん付けするあたり無駄に律儀だ。
「つきあって欲しいんだったわよね?」
明らかに衝撃を受けたような顔で唇を噛んでいる。そんな顔をするくらいなら、最初から他の人を勧めなければいいのに。
「離れないから」
塔矢が私のことを一番に考えてくれることは嬉しい。
「嫌われても、逃げられても、足蹴にされても、今度は絶対離れない。ううん、離さない」
でも私は最期のときまで塔矢の傍らにありたい。手を携えて共にいたい。そしてどちらか片方だけじゃなくて、二人で一緒に笑い合いたい。
「籍を入れようと入れまいと、形なんてどうでもいい。でもね、私は子供を持てないことよりも、今塔矢と離れることの方がずっと辛いの」
「奏音……」
塔矢の双眸が揺れた。唇が小刻みに震えている。
「ごめんね、塔矢。一番大変なときに傍にいなくて」
あっさり別れを受け入れたことはもちろん、
悩んでいるだけで塔矢を追うことをしなかった自分に腹が立っていた。そうすれば死の淵で闘う塔矢を一人にせずに済んだものを。二度とそんな後悔はしたくない。
「……怖かった」
俯いて小声で呟く塔矢。
「朝だろうと夜だろうと、目を閉じたらもう開けることができないんじゃないか、この病院が最後の場所になるんじゃないかって」
肩が激しく上下している。
「そうしたら奏音に会いたくて堪らなくなって。それが無理ならせめて声だけでも聴きたくて。この際姉さんの電話を借りてワン切りでもしようか、もしもしの一言だけでもと何度思ったことか」
嗚咽を堪えているであろう塔矢の肩を、私は両腕で抱えるように包み込んだ。
「格好悪くて、情けなくて、臆病で、大好きな人一人守れない」
そんな男で……そこで言葉が途絶えた。もう音を発することすらできなくなったらしい。
「それでいいじゃん。何のためにお互いがいるの。私の前で格好つけて、他の女の人に弱音を吐いたりしたら、逆に怒るよ?」
皺くちゃになるくらい病衣を握り締め、塔矢は小さく頷く。手の甲にぽたぽたと涙が落ちる。
「私は自分の前から塔矢が姿を消しただけで、泣きべそばっかかいている頼りない人間だけど、辛いことや怖いことがあったら、我慢しないでいっぱい泣いて、それを何度でも繰り返して、その後には二人で笑えればいいと思う。そんなんじゃ駄目かな?」
ゆるりと首を横に振った塔矢の背中に、覆い被さるように自分の頬を寄せる。途切れない鼓動と温もりに、この上ない幸せを感じていると、絞り出すような切ない囁きが耳を擽った。
ーー愛してる、奏音。
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