上 下
24 / 38

23

しおりを挟む
しばらく沈黙が漂っていた。陽が傾きかけてきた休憩スペースには、時折自販機で飲物を買う患者さん以外は、誰も立ち寄らない。そんな静けさの中で、自分の考えを確かめるのを躊躇っているかのように、塔矢は私をみつめたまま微動だにしない。

「釣りもだけど、結婚式も一緒にしようね」

この言葉が何を意味しているか分からない筈はない。その後塔矢が塩見さんにどんな返信をしたのかは知らないが、それが何であれ私の気持ちは一つに定まっている。二度と会えないと思っていた塔矢に再会できたときから。

「奏音、よく聞いて」

やがて塔矢は神妙な顔つきで私の手を取った。いつも私を守っていた大きくて温かい手。

「俺は子供を作れない」

穏やかな声の響きとは裏腹に、過酷な現実を告げられる。

「男の子と女の子が一人ずついる、家族みんなで釣りに行けるような家庭は、俺には築いてあげられない」

少し前に二人で語った未来。たぶん近い将来にはそうなると信じていた。

「再発の心配だって常につきまとう。俺と一緒にいると、どうしてももしもの場合を意識せざるを得ない。実際に一人残して旅立ってしまうかもしれない。俺は大切な人にそんな悲しい思いはさせたくない」

だから独身ひとりでいる。塔矢はそう言って笑った。が、次の瞬間目をぱちくりさせた。何故なら私が彼の両頬を挟み撃ちにしたからだ。

「振られた後の私も相当鬱陶しかったけど、今の塔矢もぐだぐだで鬱陶しい」

円さんに病名を教えられたときから、その可能性があることは覚悟していた。彼女は塔矢の行動を予測した上で、私に事実を把握させ、そして選ばせてくれたのだと思う。塔矢と寄り添うのも、やはり別れるのも、私自身が決められるように。

「何で最初に子供ありきなの。そもそも塔矢がいない時点で、子供なんて作れないでしょうが。勝手に消えてくれちゃって」

「いや、だから、それは、他に奏音を幸せにできる」

「男がいると思ってるの? 何? 塔矢はどこの馬の骨とも知れない男と、私に釣りに行って欲しいの?」

「馬の骨は困るけど……」

「そういえば店長に告白されました」

そこで塔矢はやっぱりとでも言いたげな表情で口を噤んだ。塩見さんの話通り、店長の私に向ける気持ちに気づいていたのだ。なのにあえて黙っていた。

「店長さんと、つきあうの?」

さん付けするあたり無駄に律儀だ。

「つきあって欲しいんだったわよね?」

明らかに衝撃を受けたような顔で唇を噛んでいる。そんな顔をするくらいなら、最初から他の人を勧めなければいいのに。

「離れないから」

塔矢が私のことを一番に考えてくれることは嬉しい。

「嫌われても、逃げられても、足蹴にされても、今度は絶対離れない。ううん、離さない」

でも私は最期のときまで塔矢の傍らにありたい。手を携えて共にいたい。そしてどちらか片方だけじゃなくて、二人で一緒に笑い合いたい。

「籍を入れようと入れまいと、形なんてどうでもいい。でもね、私は子供を持てないことよりも、今塔矢と離れることの方がずっと辛いの」

「奏音……」

塔矢の双眸が揺れた。唇が小刻みに震えている。

「ごめんね、塔矢。一番大変なときに傍にいなくて」

あっさり別れを受け入れたことはもちろん、 
悩んでいるだけで塔矢を追うことをしなかった自分に腹が立っていた。そうすれば死の淵で闘う塔矢を一人にせずに済んだものを。二度とそんな後悔はしたくない。

「……怖かった」

俯いて小声で呟く塔矢。

「朝だろうと夜だろうと、目を閉じたらもう開けることができないんじゃないか、この病院が最後の場所になるんじゃないかって」

肩が激しく上下している。

「そうしたら奏音に会いたくて堪らなくなって。それが無理ならせめて声だけでも聴きたくて。この際姉さんの電話を借りてワン切りでもしようか、もしもしの一言だけでもと何度思ったことか」

嗚咽を堪えているであろう塔矢の肩を、私は両腕で抱えるように包み込んだ。

「格好悪くて、情けなくて、臆病で、大好きな人一人守れない」

そんな男で……そこで言葉が途絶えた。もう音を発することすらできなくなったらしい。

「それでいいじゃん。何のためにお互いがいるの。私の前で格好つけて、他の女の人に弱音を吐いたりしたら、逆に怒るよ?」

皺くちゃになるくらい病衣を握り締め、塔矢は小さく頷く。手の甲にぽたぽたと涙が落ちる。

「私は自分の前から塔矢が姿を消しただけで、泣きべそばっかかいている頼りない人間だけど、辛いことや怖いことがあったら、我慢しないでいっぱい泣いて、それを何度でも繰り返して、その後には二人で笑えればいいと思う。そんなんじゃ駄目かな?」

ゆるりと首を横に振った塔矢の背中に、覆い被さるように自分の頬を寄せる。途切れない鼓動と温もりに、この上ない幸せを感じていると、絞り出すような切ない囁きが耳を擽った。

ーー愛してる、奏音。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私を振った彼は私が巨●だと知った途端、よりを戻そうとしてきた

ヘロディア
恋愛
酷い振られ方をした主人公。 泣いてもわめいても幸せは戻って来ない。 とうとう諦めることにした主人公だったが、ストレスから解放された瞬間、身体がどんどん大人になっていく。 すると突然、元カレは復縁を迫ってきて…

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月
恋愛
 第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。 ――珈琲が織りなす、家族の物語  バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。  ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。   亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。   旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

私の夫を奪ったクソ幼馴染は御曹司の夫が親から勘当されたことを知りません。

春木ハル
恋愛
私と夫は最近関係が冷めきってしまっていました。そんなタイミングで、私のクソ幼馴染が夫と結婚すると私に報告してきました。夫は御曹司なのですが、私生活の悪さから夫は両親から勘当されたのです。勘当されたことを知らない幼馴染はお金目当てで夫にすり寄っているのですが、そこを使って上手く仕返しします…。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

救助隊との色恋はご自由に。

すずなり。
恋愛
22歳のほたるは幼稚園の先生。訳ありな雇用形態で仕事をしている。 ある日、買い物をしていたらエレベーターに閉じ込められてしまった。 助けに来たのはエレベーターの会社の人間ではなく・・・ 香川「消防署の香川です!大丈夫ですか!?」 ほたる(消防関係の人だ・・・!) 『消防署員』には苦い思い出がある。 できれば関わりたくなかったのに、どんどん仲良くなっていく私。 しまいには・・・ 「ほたるから手を引け・・!」 「あきらめない!」 「俺とヨリを戻してくれ・・!」 「・・・・好きだ。」 「俺のものになれよ。」 みんな私の病気のことを知ったら・・・どうなるんだろう。 『俺がいるから大丈夫』 そう言ってくれるのは誰? 私はもう・・・重荷になりたくない・・・! ※お話に出てくるものは全て、想像の世界です。現実のものとは何ら関係ありません。 ※コメントや感想は受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ただただ暇つぶしにでも読んでいただけたら嬉しく思います。 すずなり。

アクセサリー

真麻一花
恋愛
キスは挨拶、セックスは遊び……。 そんな男の行動一つに、泣いて浮かれて、バカみたい。 実咲は付き合っている彼の浮気を見てしまった。 もう別れるしかない、そう覚悟を決めるが、雅貴を好きな気持ちが実咲の決心を揺るがせる。 こんな男に振り回されたくない。 別れを切り出した実咲に、雅貴の返した反応は、意外な物だった。 小説家になろうにも投稿してあります。

処理中です...