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営業しているのは食品スーパーのみとなり、がらがらになった駐車場を抜けようとしていると、唐突にクラクションを鳴らされた。自分に向けられていたとは思わず、無視して走り続けていたら、二つのライトが後ろから私の影を浮かび上がらせる。
「奏音さん!」
横付けされた車の助手席から、聞き覚えのある女性の声が届いた。
「なぎささん……」
夏の星座が彩る夜空の下、すぐに車を降りて駆け寄ってきたのはなぎささんだった。運転席からは慌てた様子の富沢さんが姿を見せる。
「何があったの?」
痛ましそうになぎささんが表情を歪めた。どうやら後頭部を押さえられたときに、髪がぐしゃぐしゃに乱れていたらしい。おそらく口紅も剥げていることだろう。彼女がそっと頭を撫でてくれたので、私は手の甲で口元を勢いよくごしごし擦った。
「仕事、帰りです」
答えてからなぎささんの言葉を反芻する。ひりひりする唇とからからに渇いた喉の痛みに、徐々に現実に引き戻されてゆく。
ーー私は一体何をやっているんだろう。
一人塔矢を想い続けることも、きっぱり忘れて新しく踏み出すこともできず、優しくしてくれた人を悪戯に傷つけて。自分は傷つくのが怖くて、嫌われた理由すら確かめられずにいるのに。
「ったく、世話の焼ける」
台詞はかなりおざなりだったが、それでも何故か富沢さんがほっとしているのが伝わった。
「富沢さん」
私は思い切って口を開いた。二人は買物に訪れたのだろうし、本来なら私と塔矢の一件には無関係だ。でも今はどうしても力を貸して欲しかった。
「お願いします。塔矢の居場所を教えて下さい」
地面に着きそうなほど真下に頭を垂れる。店長の言葉ではないけれど、このままでは私は前に進むことも、後ろに逃げることさえもできない。どんなに辛くても、これまでにないくらいの痛みを味わっても、自分で自分を大嫌いになっても、諦める為には塔矢の手で終わらせてもらうしかない。
「ボロクソに扱われるかもしれないんだぞ? 小林さんはそれで納得できるのか?」
ため息混じりの問いが頭上に降った。私はゆっくりと面を上げる。
「塔矢はそんな人じゃありません」
定番の舌打ちをしてから富沢さんは無造作に髪を掻きむしる。
「修司さん、私からもお願いします」
泣きそうな表情でなぎささんが懇願した。その切羽詰まった感じに驚いていると、彼女は私に小さく頷いて富沢さんに視線を戻した。
「もしも私が奏音さんと同じ立場だったら、こんな形で修司さんと別れるのは嫌です。例え私を思いやってくれた結果でも、きっと後悔しか残りません。私は最後まで修司さんと共にありたいです」
なぎささんの双眸から涙が零れる。富沢さんはああもうとぼやいて肩を落とした。
「分かった、分かったから泣くな、なぎ」
困ったようになぎささんの涙を拭ってから、今度は真っすぐにこちらを見据える。
「どんなことにも動じない覚悟はしておけよ」
どこか悲痛な富沢さんに私はしっかりと頷いた。
お盆を過ぎて最初の日曜日。私は富沢さんとなぎささんと三人で、塔矢の元に向かうべく新幹線に乗車していた。本当はもっと早く予定を組みたかったが、会社員の富沢さんはともかく、私となぎささんが仕事の繁忙期だったので、なかなか休日を取ることができなかったのだ。
ちなみになぎささんは旅館で働いているのだという。主に清掃を担当しているが、人手不足の折は仲居さんの手伝いもするらしい。富沢さんの溺愛振りを考えると、仕事を持っていることがむしろ意外だった。
「行先はどこなんですか?」
初めて土を踏む地方の新幹線を駅のホームで待つ間、深い意味もなく富沢さんに訊ねると、彼は思案した後にぼそりと告げた。むわっとした熱気の中でも表情が殆ど変わらない。
「高梨の故郷だ」
脳裏にテレビやガイドブックでしか知らない、塔矢の故郷の風景が浮かぶ。そういえば新幹線を使って二時間近くかかるから、滅多に帰省はしないと以前話していたことがある。では塔矢の実家付近に支社があったのだろうか。そんな話はついぞ聞いたことはないが。
「私が会いに行くことは……?」
「言ってない。絶対断るだろうから」
抜き打ちの訪問となる事実に、正直胸の奥がずきんとしたけれど、私は自分を奮い立たせるように滑り込んできた新幹線に乗った。窓際に私となぎささんが向かい合って座り、彼女の隣に富沢さんが腰を下ろす。ほぼ無言の車内で長閑な景色を眺めながら、私は一月ほど前に交わした店長との会話を思い出していた。
「すみませんでした、小林さん」
職場で店長の想いをぶつけられた翌日、彼は衝動的な行動に出たことを私に謝罪した。人として、男として、上司として、決してやってはいけないことだったと顔を歪める。
「私の方こそ、酷いことをしました。ごめんなさい」
塔矢を想いながら他の人に寄りかかるなど、最低なことをしたのはむしろ私だ。自分の心無い態度が原因だと反省をしながら詫びると、
「僕はあなたが高梨さんを忘れられないと、忘れないと、最初から分かっていたような気がします」
そこで店長はようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「だからいっそのこと代わりでもいいと。でもそんなことをしても小林さんの中から高梨さんを消せません。馬鹿なことをしました」
これからは頼りがいのある上司を目指します。そう言って店長は仕事に邁進している。気まずいだろうにこれまでと何ら変わることなく、上司と部下としてつきあってくれている。
「お互い頑張りましょう」
その気持ちにただ感謝の念を抱くしかない私だった。
「奏音さん!」
横付けされた車の助手席から、聞き覚えのある女性の声が届いた。
「なぎささん……」
夏の星座が彩る夜空の下、すぐに車を降りて駆け寄ってきたのはなぎささんだった。運転席からは慌てた様子の富沢さんが姿を見せる。
「何があったの?」
痛ましそうになぎささんが表情を歪めた。どうやら後頭部を押さえられたときに、髪がぐしゃぐしゃに乱れていたらしい。おそらく口紅も剥げていることだろう。彼女がそっと頭を撫でてくれたので、私は手の甲で口元を勢いよくごしごし擦った。
「仕事、帰りです」
答えてからなぎささんの言葉を反芻する。ひりひりする唇とからからに渇いた喉の痛みに、徐々に現実に引き戻されてゆく。
ーー私は一体何をやっているんだろう。
一人塔矢を想い続けることも、きっぱり忘れて新しく踏み出すこともできず、優しくしてくれた人を悪戯に傷つけて。自分は傷つくのが怖くて、嫌われた理由すら確かめられずにいるのに。
「ったく、世話の焼ける」
台詞はかなりおざなりだったが、それでも何故か富沢さんがほっとしているのが伝わった。
「富沢さん」
私は思い切って口を開いた。二人は買物に訪れたのだろうし、本来なら私と塔矢の一件には無関係だ。でも今はどうしても力を貸して欲しかった。
「お願いします。塔矢の居場所を教えて下さい」
地面に着きそうなほど真下に頭を垂れる。店長の言葉ではないけれど、このままでは私は前に進むことも、後ろに逃げることさえもできない。どんなに辛くても、これまでにないくらいの痛みを味わっても、自分で自分を大嫌いになっても、諦める為には塔矢の手で終わらせてもらうしかない。
「ボロクソに扱われるかもしれないんだぞ? 小林さんはそれで納得できるのか?」
ため息混じりの問いが頭上に降った。私はゆっくりと面を上げる。
「塔矢はそんな人じゃありません」
定番の舌打ちをしてから富沢さんは無造作に髪を掻きむしる。
「修司さん、私からもお願いします」
泣きそうな表情でなぎささんが懇願した。その切羽詰まった感じに驚いていると、彼女は私に小さく頷いて富沢さんに視線を戻した。
「もしも私が奏音さんと同じ立場だったら、こんな形で修司さんと別れるのは嫌です。例え私を思いやってくれた結果でも、きっと後悔しか残りません。私は最後まで修司さんと共にありたいです」
なぎささんの双眸から涙が零れる。富沢さんはああもうとぼやいて肩を落とした。
「分かった、分かったから泣くな、なぎ」
困ったようになぎささんの涙を拭ってから、今度は真っすぐにこちらを見据える。
「どんなことにも動じない覚悟はしておけよ」
どこか悲痛な富沢さんに私はしっかりと頷いた。
お盆を過ぎて最初の日曜日。私は富沢さんとなぎささんと三人で、塔矢の元に向かうべく新幹線に乗車していた。本当はもっと早く予定を組みたかったが、会社員の富沢さんはともかく、私となぎささんが仕事の繁忙期だったので、なかなか休日を取ることができなかったのだ。
ちなみになぎささんは旅館で働いているのだという。主に清掃を担当しているが、人手不足の折は仲居さんの手伝いもするらしい。富沢さんの溺愛振りを考えると、仕事を持っていることがむしろ意外だった。
「行先はどこなんですか?」
初めて土を踏む地方の新幹線を駅のホームで待つ間、深い意味もなく富沢さんに訊ねると、彼は思案した後にぼそりと告げた。むわっとした熱気の中でも表情が殆ど変わらない。
「高梨の故郷だ」
脳裏にテレビやガイドブックでしか知らない、塔矢の故郷の風景が浮かぶ。そういえば新幹線を使って二時間近くかかるから、滅多に帰省はしないと以前話していたことがある。では塔矢の実家付近に支社があったのだろうか。そんな話はついぞ聞いたことはないが。
「私が会いに行くことは……?」
「言ってない。絶対断るだろうから」
抜き打ちの訪問となる事実に、正直胸の奥がずきんとしたけれど、私は自分を奮い立たせるように滑り込んできた新幹線に乗った。窓際に私となぎささんが向かい合って座り、彼女の隣に富沢さんが腰を下ろす。ほぼ無言の車内で長閑な景色を眺めながら、私は一月ほど前に交わした店長との会話を思い出していた。
「すみませんでした、小林さん」
職場で店長の想いをぶつけられた翌日、彼は衝動的な行動に出たことを私に謝罪した。人として、男として、上司として、決してやってはいけないことだったと顔を歪める。
「私の方こそ、酷いことをしました。ごめんなさい」
塔矢を想いながら他の人に寄りかかるなど、最低なことをしたのはむしろ私だ。自分の心無い態度が原因だと反省をしながら詫びると、
「僕はあなたが高梨さんを忘れられないと、忘れないと、最初から分かっていたような気がします」
そこで店長はようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「だからいっそのこと代わりでもいいと。でもそんなことをしても小林さんの中から高梨さんを消せません。馬鹿なことをしました」
これからは頼りがいのある上司を目指します。そう言って店長は仕事に邁進している。気まずいだろうにこれまでと何ら変わることなく、上司と部下としてつきあってくれている。
「お互い頑張りましょう」
その気持ちにただ感謝の念を抱くしかない私だった。
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