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一度アパートに突撃を食らってから、坂本さんはちょくちょく遊びに来るようになった。日を選ばずに連絡なしで現れるので、おちおち自分の部屋で休んでもいられない。いつぞやは日曜日の早朝に柴崎を叩き起こし、部屋に侵入して私の不在を咎めたので、
「千歳ならウォーキングに行っています」
寝ぼけ頭で切り抜けた柴崎から、頃合いを見計らって帰ってきた振りをして欲しいとメールが届いた。
「濡れてないな」
しかしジャージ姿で帰宅を決め込んだ私に、坂本さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
「汗もかいてなけりゃ、息も切れてない。おまけに今日は結構な雨が降っているが、服も湿っていない」
隣からこっそり来たんだから当然である。そもそも運動なんかしない私が、爽やかな疲れを演出するなど無謀に近い。
「雨が酷いので、すぐにやめたんです」
苦し紛れの言い訳など、完全に見抜かれているに違いない。また別の平日の夜は、シャワーを浴びている最中に訪ねてきたので、急いで髪を乾かし、
「のんびりスーパー銭湯に行ってきた」
それらしさを装ったのに、やはり坂本さんは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「手ぶらで? タオルはともかく財布も持たずに?」
しくじったと唇を噛んでも遅い。常に身一つで出入りしているので、荷物まで考えが回らなかった。
そんなことが重なり、坂本さんの追及に神経がささくれだってきたある日、柴崎からほとぼりが冷めるまで、一緒に暮らさないかと打診があった。坂本さんがいつまで通い続けるか分からないので、このままではお互いの生活が破綻してしまうからだ。
確かに最近では自分の部屋に出入りするときでさえ、周囲を窺って安全確認をする癖がついてしまった。挙動不審というよりは明らかにコソ泥状態である。
「完全に同居じゃなくていいよ。家賃は勿体ないけど、一時的に俺の部屋に避難するという形で」
それなら引越しの手間もないし、落ち着いたら元の生活に戻れば済む。既に柴崎の部屋に滞在する時間が長くなっている現在、ねぐらを移したところでさして違いはないだろう。背に腹は代えられぬ。この際柴崎が野獣化したら受けて立とう。って果し合いか。
「了解」
私の返事に柴崎はほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
かくして七月より仮同居が始まった。服やメイク道具、布団など当面必要な物だけを持ち込んだつもりだったのに、六畳の寝室があっという間に手狭になった。洗面所やバスルームも小物が二人分に増えると、殺風景だったのが嘘のように賑やかになる。
「せっかくシンプルな部屋だったのに、私のせいでごちゃごちゃになっちゃったね」
整頓されていた部屋が雑然とした様相を帯び、柴崎も嘆いているだろうと思っていたら、彼は何故か嬉しそうな反応を見せた。
「千歳と暮らすんだなってしみじみする」
それは汚部屋イコール私ということか? 凄く複雑なんだが。とはいえ食事や掃除の負担は柴崎の肩にかかるので、せめて散らかさない努力はしよう。
そういえば片付けを手伝ってくれた柴崎が、たまたま生理用品を目にして赤くなったのには驚いた。大人の男が何を今更と呆れていると、顔を覆ってぼそぼそと呟く。
「お店に商品として並んでいるならともかく、千歳がリアルに使っている物でしょ」
彼女とすることしてたら当然話題にも上っていただろうに、ここで妙な想像に走るのはやめて頂きたい。
「ところで千歳。夜はここで寝る気なの?」
柴崎が寝室のベッドの横に畳まれた布団を指差した。寝室は洋室なのだが、自分のベッドを運び込むスペースはないので、どこでも眠れる図太い私は布団のみを持参したのだ。
「ソファでも平気だけど、布団の方が疲れないだろうし」
「そうじゃなくて俺と同じ部屋でいいの?」
「別に」
けろっとして答える私に柴崎は意味ありげに口元を緩めた。
「じゃあ俺のベッドで一緒に寝る?」
「それも考えたけど窮屈じゃない?」
「え?」
そう洩らしたきり柴崎は絶句し、次いで再びぼわっと顔から火を噴き出す。一体何なんだ、この男。人のことを襲ってしたいだの抱きたいだの連発したくせに、こちらが強気に出た途端初心になるとは。
しかも夜になったらなったで、自分が床で寝るから私にベッドを使えと言い出す始末。家主は柴崎だと断っても、女の子は体を冷やしちゃ駄目だとか主張して譲らない。
「子供のお泊り会じゃないんだから」
結局柴崎がベッドから布団を引っぺがし、床に布団を二つ並べて転がっている次第。
「俺だって一応男なんだよ? 千歳に不自由させたくないの」
その気持ちは有り難いが、あんたの配偶者は頑丈だよ。
「千歳」
天井に向かって息を吐いていると、上半身を起こした柴崎に名前を呼ばれた。彼はそのまま覆い被さるようにして、私にそっとキスを落とす。すぐに唇を離して照れ臭そうに頬を掻いた。
「好きな人と暮らすのが、こんなに気恥ずかしいものだと思わなかった」
いきなりの甘い砂糖爆弾に今度は私が熱を出した。おいこらやめんかと内心で怒鳴りつつ、初っ端からこんなんでやっていけるのかと一抹の不安を抱いて。
「千歳ならウォーキングに行っています」
寝ぼけ頭で切り抜けた柴崎から、頃合いを見計らって帰ってきた振りをして欲しいとメールが届いた。
「濡れてないな」
しかしジャージ姿で帰宅を決め込んだ私に、坂本さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
「汗もかいてなけりゃ、息も切れてない。おまけに今日は結構な雨が降っているが、服も湿っていない」
隣からこっそり来たんだから当然である。そもそも運動なんかしない私が、爽やかな疲れを演出するなど無謀に近い。
「雨が酷いので、すぐにやめたんです」
苦し紛れの言い訳など、完全に見抜かれているに違いない。また別の平日の夜は、シャワーを浴びている最中に訪ねてきたので、急いで髪を乾かし、
「のんびりスーパー銭湯に行ってきた」
それらしさを装ったのに、やはり坂本さんは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「手ぶらで? タオルはともかく財布も持たずに?」
しくじったと唇を噛んでも遅い。常に身一つで出入りしているので、荷物まで考えが回らなかった。
そんなことが重なり、坂本さんの追及に神経がささくれだってきたある日、柴崎からほとぼりが冷めるまで、一緒に暮らさないかと打診があった。坂本さんがいつまで通い続けるか分からないので、このままではお互いの生活が破綻してしまうからだ。
確かに最近では自分の部屋に出入りするときでさえ、周囲を窺って安全確認をする癖がついてしまった。挙動不審というよりは明らかにコソ泥状態である。
「完全に同居じゃなくていいよ。家賃は勿体ないけど、一時的に俺の部屋に避難するという形で」
それなら引越しの手間もないし、落ち着いたら元の生活に戻れば済む。既に柴崎の部屋に滞在する時間が長くなっている現在、ねぐらを移したところでさして違いはないだろう。背に腹は代えられぬ。この際柴崎が野獣化したら受けて立とう。って果し合いか。
「了解」
私の返事に柴崎はほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
かくして七月より仮同居が始まった。服やメイク道具、布団など当面必要な物だけを持ち込んだつもりだったのに、六畳の寝室があっという間に手狭になった。洗面所やバスルームも小物が二人分に増えると、殺風景だったのが嘘のように賑やかになる。
「せっかくシンプルな部屋だったのに、私のせいでごちゃごちゃになっちゃったね」
整頓されていた部屋が雑然とした様相を帯び、柴崎も嘆いているだろうと思っていたら、彼は何故か嬉しそうな反応を見せた。
「千歳と暮らすんだなってしみじみする」
それは汚部屋イコール私ということか? 凄く複雑なんだが。とはいえ食事や掃除の負担は柴崎の肩にかかるので、せめて散らかさない努力はしよう。
そういえば片付けを手伝ってくれた柴崎が、たまたま生理用品を目にして赤くなったのには驚いた。大人の男が何を今更と呆れていると、顔を覆ってぼそぼそと呟く。
「お店に商品として並んでいるならともかく、千歳がリアルに使っている物でしょ」
彼女とすることしてたら当然話題にも上っていただろうに、ここで妙な想像に走るのはやめて頂きたい。
「ところで千歳。夜はここで寝る気なの?」
柴崎が寝室のベッドの横に畳まれた布団を指差した。寝室は洋室なのだが、自分のベッドを運び込むスペースはないので、どこでも眠れる図太い私は布団のみを持参したのだ。
「ソファでも平気だけど、布団の方が疲れないだろうし」
「そうじゃなくて俺と同じ部屋でいいの?」
「別に」
けろっとして答える私に柴崎は意味ありげに口元を緩めた。
「じゃあ俺のベッドで一緒に寝る?」
「それも考えたけど窮屈じゃない?」
「え?」
そう洩らしたきり柴崎は絶句し、次いで再びぼわっと顔から火を噴き出す。一体何なんだ、この男。人のことを襲ってしたいだの抱きたいだの連発したくせに、こちらが強気に出た途端初心になるとは。
しかも夜になったらなったで、自分が床で寝るから私にベッドを使えと言い出す始末。家主は柴崎だと断っても、女の子は体を冷やしちゃ駄目だとか主張して譲らない。
「子供のお泊り会じゃないんだから」
結局柴崎がベッドから布団を引っぺがし、床に布団を二つ並べて転がっている次第。
「俺だって一応男なんだよ? 千歳に不自由させたくないの」
その気持ちは有り難いが、あんたの配偶者は頑丈だよ。
「千歳」
天井に向かって息を吐いていると、上半身を起こした柴崎に名前を呼ばれた。彼はそのまま覆い被さるようにして、私にそっとキスを落とす。すぐに唇を離して照れ臭そうに頬を掻いた。
「好きな人と暮らすのが、こんなに気恥ずかしいものだと思わなかった」
いきなりの甘い砂糖爆弾に今度は私が熱を出した。おいこらやめんかと内心で怒鳴りつつ、初っ端からこんなんでやっていけるのかと一抹の不安を抱いて。
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