お見合い以前

文月 青

文字の大きさ
上 下
14 / 19
番外編

長女の災難 3

しおりを挟む
ようやく悪夢の食事会が終わった。お祝い気分はどこへやら、最後に自分の子供より年下の弟妹ができるんじゃないかと、本気で心配する羽目になろうとは思ってもみなかった。相手も一応大人だ。夫婦生活に口を挟むつもりは毛頭ないが、避妊は忘れずにとだけは念を押してやりたい。

「今日はありがとう、香姉」

レストランを出てすぐに結衣が言った。皆は一旦実家に戻るが、私と修司はここでお暇をすることになっている…いや急遽そう変更した。

「別れたくなったらいつでも連絡して。協力は惜しまないわ」

隣に立つ孝之を一瞥してにっこり笑ってやる。結衣は冗談として受け取ったのだろう。その際はよろしくと頷いたが、馬鹿長男は勘弁しろよと嘆いている。泣け泣け。こっちは百パーセント本気だ。

それにしても孝之がここまで結衣にべた惚れするとは。咲ともちゃんとつきあってはいたのだろうが、元カノの妹で、弟の幼馴染で、お向かいの家の娘とくれば、年齢差も含めて今回はリスクは相当大きかった筈だ。もっとも体の相性が良かったと答えかねないので、絶対理由を訊ねたりはしないが。

「香姉は帰りはどうするの? 旦那さんが迎えにくるの?」

出戻って来い(男の場合もそう言うのだろうか)とぐずぐず粘る母親達を見送り、一気に疲れに見舞われた体を労わるべく、肩や腰をとんとん叩いていると、ホテルの駐車場に車を停めていた修司が訊ねてきた。辺りはすっかり闇に包まれている。

「電車よ」

我が家は実家から一時間ほどの所にある。わざわざ夫に子連れで迎えにきてもらう必要はない。

「じゃ乗ってかない? 送っていくよ」

「いいわよ。駅は目の前だし。あんたは早く奥さんの元に帰りなさい」

修司の自宅はここから約四十分。うちとは近いが送ってもらうと彼が遠回りになる。ありがたい申し出だが、母親達のろくでもないメールの件もあるし、優先すべきは待っている家族だ。

「大丈夫だよ。ちゃんと連絡入れたから」

「でも」

「ほら、行くよ」

当然のように背中を押され、私は結局修司の言葉に甘えることにした。つくづくお互い良い伴侶に恵まれたものだ。




助手席のシートに身を預けて小さく息をつく。考えてみれば修司の車に乗るのは初めてだった。私が結婚して家を出たのは二十三歳のときで、当時修司は運転免許を持たない高校生。富沢・田坂両家の中で唯一母親達に毒されない全うな修司を、実の弟のように可愛がっていた私は、自由になれることを喜ぶ半面、彼を置いていくことだけが心残りだった。だから結婚後も頻繁に連絡を取り合っていたし、私の夫や子供とも家族のように仲がいい。

「こちらは姉のように慕っていると理解しているのに、それでも香と二人きりにならない、会うときは必ず俺が一緒にいるとき。修司君のそういうところが好ましい」

夫が修司を気に入っている理由の一つである。息子の離婚を企てる母親を持っているとは、到底想像できない常識人。なので修司が二年前に結婚してからは、こちらもなるべく会うのを控えていたのだ。彼の家庭に波風を立てる行為はしたくない。

あ、現在二人きりか。まぁこれは成り行きの結果で、わざわざ示し合わせたわけじゃないしな。旦那にもメールで許可を取っているし問題はないだろう。

「どうしたの?」

流れるようにスマートに運転する修司を感慨深く眺めていたら、前方を向いたまま彼が小さな笑いを洩らした。走っているのはラッシュ後のなだらかな道。窓の外には郊外に立つスーパーや飲食店の灯りが煌々としている。

「修司も大人になったんだなぁって」

「淋しい?」

悪戯っぽい口調で訊ねてくる。香姉、香姉と纏わりついていた頃が懐かしい。実際修司も兄である孝之よりも私を頼りにしていた。

「少しはね」

妹である結衣と咲がそれぞれの道を歩んでいるように、当然修司にだって自分の進むべき道がある。どんなに親しくても一生傍にいることはない。

「香姉にはさ。孝兄と結婚する選択肢はあった?」

「ないわ」

「即答だね」

迷わず言い切った私に肩を揺らしつつ、修司はゆっくりとカーブを曲がる。徐々に現れる住宅街に、我が家まであと僅かだと知る。

「急に何よ」

私と孝之は幼少の頃からそりが合わなかった。無視や喧嘩をするような目に見えて不仲だったわけではない。ただどこまで行っても平行線を辿るのだ。似たような環境で育ったのに、お互いの中身がそっくりで近しい間柄の結衣や悟とは違い、考え方もその行動も全く理解できない真逆な状態だと言える。

そもそも孝之の物事を自分中心に考える、能天気で無神経な言動が大嫌いな私。母親達がけしかけようとけしかけまいと、あいつと結婚どころかつきあうことすら絶対ないと断言できた。

「嫌い嫌いも好きのうちって諺もあるし、一度聞いてみたかったんだよ。それより」

一旦言葉を切って修司が真正面を凝視した。目前に迫った借家である戸建ての駐車場に、見慣れた車と男女各一名ずつの姿がある。

洋子ようこさん?」

どうやら修司の奥さんがうちを訪ねてきているらしい。突然の客に夫が困惑した様子で対応している。

「みたいだね」

特に驚きもせずに呟いてから、修司は洋子さんの車の隣に自分のそれを横付けした。私達が一緒に外に降り立った瞬間、洋子さんはふんと鼻を鳴らした。

「ほら、やっぱり二人はできていたんじゃない」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛情のない夫婦生活でしたので離婚も仕方ない。

ララ
恋愛
愛情のない夫婦生活でした。 お互いの感情を偽り、抱き合う日々。 しかし、ある日夫は突然に消えて……

妹に魅了された婚約者の王太子に顔を斬られ追放された公爵令嬢は辺境でスローライフを楽しむ。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。  マクリントック公爵家の長女カチュアは、婚約者だった王太子に斬られ、顔に醜い傷を受けてしまった。王妃の座を狙う妹が王太子を魅了して操っていたのだ。カチュアは顔の傷を治してももらえず、身一つで辺境に追放されてしまった。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

婚約して三日で白紙撤回されました。

Mayoi
恋愛
貴族家の子女は親が決めた相手と婚約するのが当然だった。 それが貴族社会の風習なのだから。 そして望まない婚約から三日目。 先方から婚約を白紙撤回すると連絡があったのだ。

バツイチの恋

文月 青
恋愛
旅館で清掃を担当する一ノ瀬なぎさは、二十九歳のバツイチ独身。二年前に離婚して以来、男を遠ざけてきたけれど、友人の代理で出席した合コンで、やはり人数合わせで参加していた男と隣り合わせになる。 うろ覚えの名前しか知らない、もう二度と会うことはないと思っていたその人は、何と職場のバイトの大学生、富沢悟の兄・修司だった。「私なんか」が口癖のなぎさに、心のままに振る舞うよう教える修司。けれど彼に気持ちを開きかけたとき、彼の辛い恋を知ることとなる…。 自己肯定感が低いなぎさの、明日へのステップとなる本気の片想い物語。 *「お見合い以前」の富沢家の次男と三男が絡みます。

隣の他人

文月 青
恋愛
高校時代からのくされ縁であると斗田月子と瀬戸陽生。共通の友人の結婚式に出席した帰り、突然瀬戸から意外な提案をされて…。 相手が大切過ぎて、失うのが怖くて、十年も友人の仮面を被り続けた月子の想いは? 終わらせるために始めた関係の行方は…?

友達の恋人

文月 青
恋愛
灯里は同じ人に二回恋をした。高校時代の先輩である千賀悠斗に。 友達の彩華の友達として偶然の再会を果たし、自分を憶えてもいない千賀と結婚することになった灯里。 ーーもしかして…… 彼には好きな人がいるのではないかと、小さな疑問が胸をかすめた挙式の直前、灯里にとある事実がもたらされる。 「あの二人、恋人同士だった」

隣国に売られるように渡った王女

まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。 「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。 リヴィアの不遇はいつまで続くのか。 Copyright©︎2024-まるねこ

処理中です...