友達の恋人

文月 青

文字の大きさ
上 下
45 / 55

45 あの日のバレンタイン(千賀視点)

しおりを挟む
腕の中で眠る灯里ちゃんの寝顔を眺めながら、こうして寄り添える日々の幸せを噛み締める。小さな嫉妬や諍いですら楽しく、数年の時を経て幻から実態と化した女の子と、一方通行だと諦めていた想いを重ね合わせ、俺は毎日胸の高鳴りが抑えられない。

室内のテーブルの上には、俺の為に灯里ちゃんが作ってくれたバレンタインチョコレート。

「簡単な物ですよ」

会社の女性社員から貰った義理チョコに、とてつもなく淋しそうな反応をした彼女は、高校時代も他の子に臆して渡せなかったと呟いた。

確かに最近の灯里ちゃんはすっかり辛辣妻だが(それもまた好ましい)、再会した頃は口数の少ない大人しい女の子で、それはそのまま高校時代の彼女を彷彿とさせた。時折見せるはにかんだ笑顔に、何度好きだと口走りそうになったことか。

灯里ちゃんには上手く濁したが、高校時代俺は紛れもなく彼女に恋をしていた。空がどこまでも青かった夏休み。背中から去った筈の女の子が、怖かっただろうに俺を心配して近くに残っていたのを知った瞬間、心は寸分の迷いもなく彼女に向かった。

「好きでも、つきあって下さいでも言えばいいだろ」

灯里ちゃんへの想いを自覚していながら、どうにも行動に移せない俺を、友達の野村のむらは面白半分で揶揄った。別に当時からヘタレだったわけではない。小学生のときに初恋だって済ませている。なのに彼女を前にすると声すらもかけられない。

「顔がやばいぞ、千賀」

それどころか緊張のあまり筋肉が固まるのか、灯里ちゃんとすれ違う際の俺はいつも無表情らしい。元々女子とはさほど話さないとはいえ、用があれば普通に対応できる。ところが灯里ちゃんに限って態度が頑なになる。

「絶対、印象悪いだろうな」

「その前に千賀を憶えているかどうかも怪しい」

落ち込む俺に更に追い討ちをかける野村。けれど灯里ちゃんの名前や学年を調べてくれたのも彼だ。

「一年生じゃ接点がないよな」

出会いのきっかけを模索しても、名案が思い浮かばない。偶然廊下ですれ違ったり、文化祭や体育祭で奔走する姿を見かけたり、たまに図書室で一緒になる以外は、全く縁もゆかりもない二人。

どんな人なのか、どんなふうに笑うのか、想像の域を出なかったが、そのひっそりとした佇まいは、何となく自分と通じるような気がして、校内では自然に灯里ちゃんを探す癖がついた。




あれは高二のバレンタインだった。デートを控えている野村が先に帰宅し、予定のない俺は例の如く図書室で時間を潰していた。読書が趣味なわけではないが、ほのかに本の匂いがする静かな空間は、一人で過ごすには落ち着く場所だった。

「千賀先輩」

手近な本を手に取り、窓際の席で頁を繰っていた俺の頭上に、聞き覚えのない高い声が降った。

「ちょっといいですか?」

徐に顔を上げると、読書に勤しんでいた生徒数人が、迷惑そうな視線をこちらに走らせる。

「何?」

目の前にはにこやかな二人の女子が立っていたが、俺はどちらも知らなかった。

「あのお」

後ろで手を組んだ女子がもじもじしている。なかなか要件を言わないので、俺は二人に一旦図書室を出るよう促した。周囲の目が殺気を帯びてきたからだ。

「これ、受け取って下さい」

廊下に出るなり、もじもじ女子がカラフルな紙袋を差し出した。どこぞの有名店のチョコレートだと説明されたが、赤の他人から頂き物をする理由が分からなかった。

「千賀先輩が好きです」

受け取りもせずにぼさっとしている俺に業を煮やしたのか、もじもじ女子はきっぱりと告げた。それは俺が灯里ちゃんに伝えたくて、伝えられずにいる言葉。

相手には失礼だが、自己都合で肩を落としながら、俺はふっと廊下の先を見た。もじもじ女子の遥か後方で、別の女子が足を止めている。

「まさか」

俺の洩らした一言に、え? と耳を傾けるもじもじ女子。でも俺はそれどころではなかった。何故ならそこにいたのは、紛うことなき灯里ちゃんだったからだ。

本を読みにきたんだろうに、彼女はすぐに踵を返した。ぱたぱたと遠ざかる足音が、冷たく吸い込まれてゆく。

「千賀先輩?」

入口を塞いで邪魔をしたのが申し訳なく、また誤解されたのではないかという、自惚れ丸出しの焦りも生まれ、俺にはもじもじ女子の気持ちを受け取る余裕はなかった。

ーーそのとき灯里ちゃんが、俺にチョコレートを渡しに来てくれたとは夢にも思わずに。

「どこまでいじらしいんだか、全く」

ついさっき真相を明かされた俺が、どれ程嬉しくて、そして泣きたくなったか君は知らない。

「千賀犬、ハウス!」

そっと額にキスを落とせば、笑いを誘う寝言。悲願のチョコレートに喜んで、灯里ちゃんから食べてしまったことを怒っているのかもしれない。

「今夜はもうあなたの懐で眠ります、ご主人様」

抱き締めるのは俺なのに、いつも灯里ちゃんに包まれている気がするのは何故だろう。友達の恋人であった俺と、共に生きると決断するのは相当痛みを伴っただろうに、幸せにしてもらっているのは俺ばかり。

いつの日か、心から灯里ちゃんを笑顔にできる男になりたい。君がくれたたくさんのものの、百分の一でも返したい。それが現在の俺の願い。




しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

お見合い以前

文月 青
恋愛
田坂結衣は夢見がちな母親達につきあわされ、殆ど接触のなかった年上の幼馴染、富沢孝之とお見合いをすることになってしまったが。実は二人はお見合いの前に、とんだ再会を果たしていた…。 田坂家の姉妹と、富沢家の兄弟が微妙に絡む、二家族の恋愛? 結婚? のストーリー。 *「バツイチの恋」の関連作です。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

会うたびに、貴方が嫌いになる

黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。 アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。

処理中です...