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45 あの日のバレンタイン(千賀視点)
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腕の中で眠る灯里ちゃんの寝顔を眺めながら、こうして寄り添える日々の幸せを噛み締める。小さな嫉妬や諍いですら楽しく、数年の時を経て幻から実態と化した女の子と、一方通行だと諦めていた想いを重ね合わせ、俺は毎日胸の高鳴りが抑えられない。
室内のテーブルの上には、俺の為に灯里ちゃんが作ってくれたバレンタインチョコレート。
「簡単な物ですよ」
会社の女性社員から貰った義理チョコに、とてつもなく淋しそうな反応をした彼女は、高校時代も他の子に臆して渡せなかったと呟いた。
確かに最近の灯里ちゃんはすっかり辛辣妻だが(それもまた好ましい)、再会した頃は口数の少ない大人しい女の子で、それはそのまま高校時代の彼女を彷彿とさせた。時折見せるはにかんだ笑顔に、何度好きだと口走りそうになったことか。
灯里ちゃんには上手く濁したが、高校時代俺は紛れもなく彼女に恋をしていた。空がどこまでも青かった夏休み。背中から去った筈の女の子が、怖かっただろうに俺を心配して近くに残っていたのを知った瞬間、心は寸分の迷いもなく彼女に向かった。
「好きでも、つきあって下さいでも言えばいいだろ」
灯里ちゃんへの想いを自覚していながら、どうにも行動に移せない俺を、友達の野村は面白半分で揶揄った。別に当時からヘタレだったわけではない。小学生のときに初恋だって済ませている。なのに彼女を前にすると声すらもかけられない。
「顔がやばいぞ、千賀」
それどころか緊張のあまり筋肉が固まるのか、灯里ちゃんとすれ違う際の俺はいつも無表情らしい。元々女子とはさほど話さないとはいえ、用があれば普通に対応できる。ところが灯里ちゃんに限って態度が頑なになる。
「絶対、印象悪いだろうな」
「その前に千賀を憶えているかどうかも怪しい」
落ち込む俺に更に追い討ちをかける野村。けれど灯里ちゃんの名前や学年を調べてくれたのも彼だ。
「一年生じゃ接点がないよな」
出会いのきっかけを模索しても、名案が思い浮かばない。偶然廊下ですれ違ったり、文化祭や体育祭で奔走する姿を見かけたり、たまに図書室で一緒になる以外は、全く縁もゆかりもない二人。
どんな人なのか、どんなふうに笑うのか、想像の域を出なかったが、そのひっそりとした佇まいは、何となく自分と通じるような気がして、校内では自然に灯里ちゃんを探す癖がついた。
あれは高二のバレンタインだった。デートを控えている野村が先に帰宅し、予定のない俺は例の如く図書室で時間を潰していた。読書が趣味なわけではないが、ほのかに本の匂いがする静かな空間は、一人で過ごすには落ち着く場所だった。
「千賀先輩」
手近な本を手に取り、窓際の席で頁を繰っていた俺の頭上に、聞き覚えのない高い声が降った。
「ちょっといいですか?」
徐に顔を上げると、読書に勤しんでいた生徒数人が、迷惑そうな視線をこちらに走らせる。
「何?」
目の前にはにこやかな二人の女子が立っていたが、俺はどちらも知らなかった。
「あのお」
後ろで手を組んだ女子がもじもじしている。なかなか要件を言わないので、俺は二人に一旦図書室を出るよう促した。周囲の目が殺気を帯びてきたからだ。
「これ、受け取って下さい」
廊下に出るなり、もじもじ女子がカラフルな紙袋を差し出した。どこぞの有名店のチョコレートだと説明されたが、赤の他人から頂き物をする理由が分からなかった。
「千賀先輩が好きです」
受け取りもせずにぼさっとしている俺に業を煮やしたのか、もじもじ女子はきっぱりと告げた。それは俺が灯里ちゃんに伝えたくて、伝えられずにいる言葉。
相手には失礼だが、自己都合で肩を落としながら、俺はふっと廊下の先を見た。もじもじ女子の遥か後方で、別の女子が足を止めている。
「まさか」
俺の洩らした一言に、え? と耳を傾けるもじもじ女子。でも俺はそれどころではなかった。何故ならそこにいたのは、紛うことなき灯里ちゃんだったからだ。
本を読みにきたんだろうに、彼女はすぐに踵を返した。ぱたぱたと遠ざかる足音が、冷たく吸い込まれてゆく。
「千賀先輩?」
入口を塞いで邪魔をしたのが申し訳なく、また誤解されたのではないかという、自惚れ丸出しの焦りも生まれ、俺にはもじもじ女子の気持ちを受け取る余裕はなかった。
ーーそのとき灯里ちゃんが、俺にチョコレートを渡しに来てくれたとは夢にも思わずに。
「どこまでいじらしいんだか、全く」
ついさっき真相を明かされた俺が、どれ程嬉しくて、そして泣きたくなったか君は知らない。
「千賀犬、ハウス!」
そっと額にキスを落とせば、笑いを誘う寝言。悲願のチョコレートに喜んで、灯里ちゃんから食べてしまったことを怒っているのかもしれない。
「今夜はもうあなたの懐で眠ります、ご主人様」
抱き締めるのは俺なのに、いつも灯里ちゃんに包まれている気がするのは何故だろう。友達の恋人であった俺と、共に生きると決断するのは相当痛みを伴っただろうに、幸せにしてもらっているのは俺ばかり。
いつの日か、心から灯里ちゃんを笑顔にできる男になりたい。君がくれたたくさんのものの、百分の一でも返したい。それが現在の俺の願い。
室内のテーブルの上には、俺の為に灯里ちゃんが作ってくれたバレンタインチョコレート。
「簡単な物ですよ」
会社の女性社員から貰った義理チョコに、とてつもなく淋しそうな反応をした彼女は、高校時代も他の子に臆して渡せなかったと呟いた。
確かに最近の灯里ちゃんはすっかり辛辣妻だが(それもまた好ましい)、再会した頃は口数の少ない大人しい女の子で、それはそのまま高校時代の彼女を彷彿とさせた。時折見せるはにかんだ笑顔に、何度好きだと口走りそうになったことか。
灯里ちゃんには上手く濁したが、高校時代俺は紛れもなく彼女に恋をしていた。空がどこまでも青かった夏休み。背中から去った筈の女の子が、怖かっただろうに俺を心配して近くに残っていたのを知った瞬間、心は寸分の迷いもなく彼女に向かった。
「好きでも、つきあって下さいでも言えばいいだろ」
灯里ちゃんへの想いを自覚していながら、どうにも行動に移せない俺を、友達の野村は面白半分で揶揄った。別に当時からヘタレだったわけではない。小学生のときに初恋だって済ませている。なのに彼女を前にすると声すらもかけられない。
「顔がやばいぞ、千賀」
それどころか緊張のあまり筋肉が固まるのか、灯里ちゃんとすれ違う際の俺はいつも無表情らしい。元々女子とはさほど話さないとはいえ、用があれば普通に対応できる。ところが灯里ちゃんに限って態度が頑なになる。
「絶対、印象悪いだろうな」
「その前に千賀を憶えているかどうかも怪しい」
落ち込む俺に更に追い討ちをかける野村。けれど灯里ちゃんの名前や学年を調べてくれたのも彼だ。
「一年生じゃ接点がないよな」
出会いのきっかけを模索しても、名案が思い浮かばない。偶然廊下ですれ違ったり、文化祭や体育祭で奔走する姿を見かけたり、たまに図書室で一緒になる以外は、全く縁もゆかりもない二人。
どんな人なのか、どんなふうに笑うのか、想像の域を出なかったが、そのひっそりとした佇まいは、何となく自分と通じるような気がして、校内では自然に灯里ちゃんを探す癖がついた。
あれは高二のバレンタインだった。デートを控えている野村が先に帰宅し、予定のない俺は例の如く図書室で時間を潰していた。読書が趣味なわけではないが、ほのかに本の匂いがする静かな空間は、一人で過ごすには落ち着く場所だった。
「千賀先輩」
手近な本を手に取り、窓際の席で頁を繰っていた俺の頭上に、聞き覚えのない高い声が降った。
「ちょっといいですか?」
徐に顔を上げると、読書に勤しんでいた生徒数人が、迷惑そうな視線をこちらに走らせる。
「何?」
目の前にはにこやかな二人の女子が立っていたが、俺はどちらも知らなかった。
「あのお」
後ろで手を組んだ女子がもじもじしている。なかなか要件を言わないので、俺は二人に一旦図書室を出るよう促した。周囲の目が殺気を帯びてきたからだ。
「これ、受け取って下さい」
廊下に出るなり、もじもじ女子がカラフルな紙袋を差し出した。どこぞの有名店のチョコレートだと説明されたが、赤の他人から頂き物をする理由が分からなかった。
「千賀先輩が好きです」
受け取りもせずにぼさっとしている俺に業を煮やしたのか、もじもじ女子はきっぱりと告げた。それは俺が灯里ちゃんに伝えたくて、伝えられずにいる言葉。
相手には失礼だが、自己都合で肩を落としながら、俺はふっと廊下の先を見た。もじもじ女子の遥か後方で、別の女子が足を止めている。
「まさか」
俺の洩らした一言に、え? と耳を傾けるもじもじ女子。でも俺はそれどころではなかった。何故ならそこにいたのは、紛うことなき灯里ちゃんだったからだ。
本を読みにきたんだろうに、彼女はすぐに踵を返した。ぱたぱたと遠ざかる足音が、冷たく吸い込まれてゆく。
「千賀先輩?」
入口を塞いで邪魔をしたのが申し訳なく、また誤解されたのではないかという、自惚れ丸出しの焦りも生まれ、俺にはもじもじ女子の気持ちを受け取る余裕はなかった。
ーーそのとき灯里ちゃんが、俺にチョコレートを渡しに来てくれたとは夢にも思わずに。
「どこまでいじらしいんだか、全く」
ついさっき真相を明かされた俺が、どれ程嬉しくて、そして泣きたくなったか君は知らない。
「千賀犬、ハウス!」
そっと額にキスを落とせば、笑いを誘う寝言。悲願のチョコレートに喜んで、灯里ちゃんから食べてしまったことを怒っているのかもしれない。
「今夜はもうあなたの懐で眠ります、ご主人様」
抱き締めるのは俺なのに、いつも灯里ちゃんに包まれている気がするのは何故だろう。友達の恋人であった俺と、共に生きると決断するのは相当痛みを伴っただろうに、幸せにしてもらっているのは俺ばかり。
いつの日か、心から灯里ちゃんを笑顔にできる男になりたい。君がくれたたくさんのものの、百分の一でも返したい。それが現在の俺の願い。
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