最後ノ審判

TATSUYA HIROSHIMA

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第6話「消せない過去」

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 部活を終え教室へと駆け足で戻ろうとする石田の後ろを憂汰と虎太郎は歩いていた。
「そういえば昨日のジャンプ読んだ?」とかそんな他愛のない会話をしながら。すると石田は自らの教室である3年A組の一つ手前で足を止めた。3年B組の教室から出てきた澤木と出くわしたのだ。澤木は石田に何かを渡している。
「ありがとう!これ聴いてみたかったの!」嬉しそうにする石田を横目に、憂汰と山田はA組の教室へと入ろうとした。
「おう。この間言ってたからさ…」澤木の照れくさそうな声が去り際に聞こえた。
 憂汰は教室に入る瞬間、勢いよく歩いてきた佐野と肩がぶつかった。佐野は憂汰のことなどさも見えていないかのように全く気にするそぶりを見せることなく教室を出た。佐野の表情は怒りに満ちているような気もした…。
 教室に戻り始業のベルが鳴るのを待つかのように、憂汰は席に着く。しばらくするとドアの外、廊下の方から大きな怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
「いまはコイツがアンタの女ってわけ!?」佐野の声だ。
「違うよ!違う…ただ澤木君にCDを借りたってだけだよ」石田が怯えたような口調で話しているのも聞こえる。
「別にCDを貸すぐらいなんてことないだろ。しかも、お前とはきっぱり別れてるんだからよ」澤木が佐野に抵抗するように声を大にして言う。
「はあ?それどういう意味よ!野球に集中したいなんて理由で私と別れておいて次はこの女ですか?随分と立派なご身分ですね」
 キンコーン、カンコーン!佐野の皮肉たっぷりのセリフが吐き捨てられた瞬間。始業のチャイムが鳴った。
「あんたも覚悟しておきなさいよ」教室のドアを開け席に座ろうとした石田を睨みつけるように佐野は言った。その時の石田の表情はとても悲しそうだった。

 その日は一日、教室に険悪な空気が漂っていた。授業中、佐野はマミコに小さく丸めた手紙を渡し、何かの計画を練っているようだった。そしてマミコ、橋田、舞雪、真田を休み時間に集めた。
 憂汰と虎太郎は厄介なことに巻きこまれないように教室の片隅で注意深く‘‘そちら’’の様子をうかがっていた。
「何が始まるんだろうな?」虎太郎がコソッと言う。
「さあ…さっき佐野さん凄かったよね」憂汰はチラッと藤井の方に目をやった、藤井は石田の前の席に座り、自らの腕に顔をうずめる石田を慰めているかのようだ。
 キンコーン、カンコーン!今日はやけにチャイムが有難く感じる。憂汰はそんなことを思いながら、席に戻ろうとした。すると橋田が声をかけてきた。
「あとで佐野が話ある言うから」
「僕に?」
 普段、佐野は憂汰のようないわゆる‘‘オタク’’と思われがちな生徒とは話したがらない。一体何の話だろうか?そんな疑問を抱きながら憂汰はうなずいた。そして佐野の方を見やると、石田のことをけん制するかの如く鋭い眼差しでにらみを利かせていた、

 授業の最中、憂汰に丸められた手紙が回ってきた。「石田杏奈をハブりましょう。何を聞かれても、話しかけられてもシカトしてください。これはクラス全員に行きわたっている手紙です。もしもこの手紙を無視するようなことがあれば、あなたも同類だとみなし、石田杏奈と同じようにシカトの対象となります。読み終わったら、隣の席の人に回してください」そう記されていた。
 憂汰は教鞭をとる先生に見つからないように、すぐさま隣のサトウに手紙を渡した。憂汰の中には恐怖に加えて、不思議と興奮も混在していた。クラスの中心的存在である佐野の仲間内に入れたという嬉しさからくる興奮だった。同時に、もしも石田を無視せずにいたら自分も巻き込まれるという恐怖。
藤井さんはどうするのだろうか。憂汰は藤井の方に目をやった。すると藤井も憂汰の方を見た。一瞬ではあるが目が合った。藤井の表情から戸惑っていることが目に見えてわかる。
 無視すべきなのか?それともこんなくだらない計画には賛同しない方が良いのか?憂汰は悩んだ。授業など全く耳に入ってこないほどに悩んだ。悩みに悩みぬいた末に、賛同しないことにした。
 もともと佐野とは話をしない関係である。佐野に無視されようが関係のないことだからだ。きっと藤井も同じ気持ちであろう、憂汰はそう思った。
 ところが、憂汰の予想とは裏腹に、藤井は次の休み時間から石田の席に寄り付かなくなった。いつも昼食を共にしているほどの関係なのに、今日は別々に弁当を食べている。藤井は佐野の計画に賛同したのだろうか?
「お前どうする?」弁当を頬張りながら虎太郎が話す。
「何が?」
「いや、さっきの佐野の手紙」
「ああ。僕は関係ないから普通に生活するだけだよ」
「そっか」
「虎太郎はどうするの?」
「お前がそう言うなら俺もそうするかな」虎太郎と意見が一致していた。
 昼食を終え、次の授業の準備に取り掛かろうとした矢先に事件は起きた。
「あんた、まだいたの?」石田が佐野の足元に澤木から借りたと思われるCDを落としてしまったのだ。佐野はCDを手に取った。
「このCDだってね、私が亮にあげたやつなの!あんたに貸すためにあげたわけじゃないから」そう言ってCDを石田に投げつけた。教室内はシーンとしていた。
「うわ…キツ」誰かが小声で言うのが聞こえた。
 石田はCDを拾い上げようとした。その姿はまるで膝から崩れ落ちて絶望しているようにも見えた。憂汰は茫然とその様子を傍観しているだけであった。

 石田にとって、この日は人生で最悪な一日であっただろうと憂汰は思った。皆に好かれていた学校での暮らしが一気に地獄と化したのだから。さらに追い打ちをかけるように、この佐野による計画はクラスを飛び出し、学年全体にまで波及していった。
「あの人でしょ…佐野さんの彼氏に手出したの」
「私、石田さんと中学一緒だったけど、そんな人だと思わなかった」
 石田が廊下を歩けば、皆が陰口を言い、まるで辱められる罪人が闊歩するかのような光景が広がった。もはや石田は学年で一番の有名人である。
 皆から好かれるような明るい性格で、活き活きとした表情を常に見せていた石田の表情から笑顔が消えていった。石田が放課後の美術室へと向かっている中、廊下の向かい側から澤木が取り巻きらしき人物を二人引き連れて歩いてくる。
 これはひと悶着ありそうだ…。憂汰は石田の後方でそう思った。
 石田と澤木は出くわした瞬間に歩みを止めた。澤木の表情は混乱しているように見えた。
「これ返すね」石田がバッグの中から例のCDを取り出した。差し出されたCDを澤木は無視した。
「行こうぜ」取り巻きを引き連れ澤木は去っていく。石田はただ呆然と立ち尽くしている。憂汰はそのまま歩みを進め、石田の横を通り過ぎた。去り際に横目で石田の顔を見ると、涙を浮かべているのが見て取れた。
 静まり返った午後の美術室の雰囲気は朝とは全く違うものだった。それぞれが作品を完成させようと集中しているが、誰一人として石田の近くに寄るものはいなかった。すると石田は席を立ち、おもむろに藤井の方へ向かった。
「私、これからどうしたら良いのかな?」石田は藤井に相談を持ち掛けている。すると、教室内にいた者たちが一斉に藤井の方を見た。
 憂汰、虎太郎のほかに、ほかのクラスの面々や後輩もいる。その全員が石田と佐野の一件を知っているのだ。藤井は石田の顔を一瞬だけ見て、すぐに目をそらした。石田もその反応を見て、周囲の雰囲気を察知した。
「絵美里…そうだよね…うん、わかった…」そう言い残して、石田は自分の席へ戻った。
 藤井の表情は罪悪感にさいなまれているようだった。

 次の日も、その次の日も、佐野による無視は続いた。石田は学校内で完全に孤立した存在となった。しかし、石田にとってこれはまだまだ地獄の始まりに過ぎなかった。
 ただ無視し続けることに飽きた佐野は、次のフェーズとして、陰湿ないじめを開始したのだ。石田が登校してくるタイミングを見計らい、黒板には「石田杏奈は学校内の男子全員と経験済み」と大きく書かれ、机には「パパ活相手募集中」と殴り書きされたりしていた。それらの文字を懸命に消す石田の姿を見て、佐野は大きな声で笑い続け、さらに追い打ちをかけるように辱めを与えた。
 憂汰を初めとしたクラスメイトはその光景を見ていることしかできなかった。陰口なんてものは序の口に過ぎず、見る見るうちに佐野の行動はエスカレートしていった。
 そんな中で、石田の心を粉々に打ち砕く決定的な瞬間が訪れる。
「やっぱりお父さんがいない人は大変よね」佐野が石田に向かって大きな声をあげたのは、午後の授業が始まろうとしている昼休み後のことだった。
「石田さんの家、お父さんいないでしょ?だから毎日放課後はパパ活してるんだって。しかも、ほら、お母さんも病気になっちゃったから、余計に自分が稼がなきゃって思いで、土日は一日に何人も相手にしてるんだって」佐野はあからさまに石田に聞こえるように井戸端会議を行っている。
 それを聞く石田の表情は徐々に曇り始め、怒りを含んだものへと変わっていった。
「お母さんの病気っていうのもどこから拾ってきたのか…そういう人は人にうつすから来ないでほしいよね」
「やめてよ!私のことはいくら言ってもいいけど家族のことまであることないこと言うのやめてよ」石田はこぶしを握り締め、声を震わせながら佐野にすごんだ。
「なに?殴ろうとしてる?ここにきて被害者面とか意味わかんないんだけど。やっぱり血は争えないのかもね…あなたのお父さんの事故っていうのも、実はお父さんの過失っていう噂じゃない?酔って運転してブレーキとアクセルを踏み間違えたんじゃないの?」
「そうなの…?」「え?知らなかった」「石田さんの家ってヤバくない?」佐野の衝撃的な一言でクラス中が凍りついた。そして、全員の目が石田の方を向いている。憂汰はただその状況を傍観者として眺めていることしかできなかった。
 それは藤井も同じだった。憂汰は藤井の方へ眼をやったが、ただただうつむくことしかできないようだった。
「なんで、そんな嘘ばかりつくの?」石田は涙を浮かべている。
 クラスメイト全員から怪訝な視線を浴びせられた石田の我慢は限界だった。涙を拭いながら教室のドアを開け、廊下を駆けだした。そして階段を駆け上がる音だけがこだましていた。

 始業のベルが鳴り、全員が席に着くと、ポツンと一つだけ空席が目立っていた。
「おい?石田はどこだ」担任がそう問いかけても、誰も口を開かず、目配せをするだけだった。
 すると佐野が先生に向かって言った。
「気分が悪いから外の空気を吸ってくると言っていました」
「まったく…授業だって言うのに。ああ、藤井と結城。お前ら同じ美術部だろ。ちょっと様子見てきてくれ」そう言われると、憂汰と藤井は席を立ち、教室の外に出た。
「行こう」藤井が憂汰に声をかける。
「うん」藤井の背中を追うように憂汰も続いた。
 石田は階段を駆け上がったと思われる。ということは屋上か。そんなことを思いながら、憂汰は藤井と共に一歩また一歩と階段を上がっていく。
 屋上のドアを開けると、そこに石田の姿があった。何か吹っ切れたような顔をしている。
「杏奈ちゃん。授業始まってるよ」藤井が石田に声をかけると、石田はこちらに顔を向けた。
「やっと話してくれたね」石田は嬉しそうとも悲しそうとも取れない複雑な笑顔だった。
「私ね、絵美里と話せないのが一番堪えられなかったの。絵美里といる時間が唯一気が休まる瞬間だったし、難しいことを考えずにいられる時間だったから。家に帰ってもいろいろと大変なことばかりで…ありがとね」石田の目から何かを決意した覚悟が憂汰には見えた。
「‘‘だった’’って…?ごめんね。わたし…佐野さんに言われるがままで…それで杏奈ちゃんをこんな目に合わせちゃって…うん、わたしもうやめる…周りからどう思われてもいい…これからもたくさんお話しよう…だから一緒に教室に帰ろ?ね?」藤井は石田の表情から何かを読み取ったのか、涙ながらにそう訴えかけ、一歩踏み出した。
 そんな二人の様子を憂汰は見ていることしかできなかった。
「ダメだよ…絵美里までこんな目に遭わせるわけにはいかない…それに私もう決めたから…さよなら」石田はそう言い残し、憂汰の方にも視線を向けた。そして柵を乗り越え、一思いに飛び降りた。
「杏奈ちゃん!」
 藤井は石田に手を伸ばし駆けだしたが、間に合わなかった。藤井が屋上から眼下を見下ろす姿を憂汰は茫然と見つめていた。階下からは悲鳴のようなものも聞こえる。
「救急車だ!救急車を呼べ!早く!」
 藤井は泣き崩れ、ドアからは先生やら他の生徒やらがどっと押し寄せてくる。
「何があった!?」
 声をかけられても憂汰は答えることができなかった。言葉が出なかった。意識は朦朧とし、何が起きたのかさえ理解できない。
 そこからの記憶は一切なかった。
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