ものまね

TATSUYA HIROSHIMA

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第3話 水無月

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「【ザ・マチケン・ショー】を君に継いでもらいたいんだよ」酒の席を共にしていた町田が奥村にそうつぶやいた。
「そう言われても、ちょっと難しいですね…巡業で全国を回らなくてはいけないので」
「そこを何とかできんかね?君しか僕の後継者はいないのだよ」
「正直なところ【ザ・マチケン・ショー】は視聴率が厳しいともっぱらの噂です。沈没しかけの船に乗るわけには…」
「そんなこと言わんでくれよ」町田は落胆した表情で奥村を見つめていた。

………帰りの電車内で奥村はこんな青写真を思い描いていた。敬愛する町田一健から言葉をもらえるとは思っておらず、もはや成功を手にした気分でいたのだ。奥村は今すぐにでもモノマネを披露したいと、落ち着くことができなかった。そうだ、芸名も変えよう。【奥村猛】なんていう普通の名前では到底売れるわけがない。何にしようか、何が良い、どんなのにしよう。そんなことで頭の中がいっぱいの中、佐々木が話しかけてきた。
「今日の収録、勉強になったか?」佐々木が心ここにあらずの奥村に心配げな表情で声をかけた。
「どうした急に?そりゃあ、ためになることばかりだったよ」奥村は浮かない表情の佐々木の声に応えた。
「いやな、最近お前忙しそうだったからさ。ただでさえ時間がないのに、時間の無駄遣いとかだったら悪いと思ってさ」そういうことだったのか。全くそんなことはない。むしろ感謝している。こんな機会はそうそうあるわけではない。おかげで新境地を開拓できるかもしれない。そんな風に思った奥村だったが、同居人にそんなこっぱずかしいことは言えない。「大丈夫、大丈夫」とだけ奥村は答えた。その表情は笑顔だった。

 半年後。
「続いて登場するのは、そのモノマネ、まさに名人芸!水無月!」MCが次に登場する芸人の名を呼んだ。
「どうもー!」奥村は芸名を【水無月】に変え、モノマネ芸人としてゴールデンタイムのバラエティ番組に出演していた。この半年の間に、レパートリーを増やし続けた水無月は、場末のバーや地方のイベントなどで客からの好評が寄せられ、あれよあれよという間にテレビ出演のチャンスを掴んだ。芸能人、スポーツ選手、政治家、ユーチューバーなどを細部まで再現したモノマネは、誰にも真似できないほどに完璧なクオリティを誇り、まさに「名人芸」と称された。今日もまた観客席やテレビの向こう側からの笑いを掻っ攫った水無月は、気分上々、意気揚々と楽屋へと引き上げていく。鏡の中に映るのは、もう売れない芸人【奥村猛】ではない。モノマネ名人の【水無月】だ。自信たっぷりの表情で鏡を覗き込む水無月は、これまでの奥村とは別人のようだった。
 収録が終わり、現場を後にしようとした奥村に、マチケンこと町田が話しかけてきた。
「水無月くん!水無月くん!いや、今日も良かったね。この調子で視聴率ガンガン稼いでくれよ。そうすれば、局も大喜びだ。そうしたらウチの番組にも出してあげられるから」
「ありがとうございます!頑張ります!」目にかけてもらえるだけでもうれしいのに、番組出演の話まで持ちかけてもらえるとは。奥村は自分のモノマネ芸に更なる自信を抱くようになった。どうも、どうもとテレビ局員に挨拶しては帰路に就く町田を見ていた奥村は、自身の芸をさらに磨いていくことを決意する。そのためには、もっと研究が必要だ、と。

 気がつけば、奥村は町田を尾行してテレビ局の外に出ていた。出口付近には多数の‘‘出待ち’’が待ち受けていて、「マチケン!マチケン!」という、狂喜乱舞したファンたちからの声援が飛び交っている。町田は「ありがとう!」と声を上げながら、送迎の車に乗り込んだ。
 奥村もまたタクシーを呼び止め、乗車するなり「あの車を追ってください」と告げた。運転手は然程乗り気ではなかったが、嫌々ながらにアクセルを踏むのだった。
 町田の車は尾行に気が付いていないらしく、すーっと真っすぐ繁華街へと向かい、居酒屋の横に車を付けた。少し離れたところでタクシーから降りた奥村はすぐさま代金を払い、町田の近くまで歩を進めた。ガラガラ。引き戸を開けた町田が店の中へ消えていく。店内からは「マチケンさん!マチケンさん、来ました!」という声が聴こえてくる。それにしても不用心だなと奥村は思ったが、時間の間隔をあけて、奥村も引き戸を開けて、入店した。
 店内は、自分たちが後輩らと飲み会をするような店と何ら変わりなく、かなり庶民的な雰囲気を漂わせていた。町田は座敷席の上座に鎮座し、後輩芸人と思しき若い男たちが、酒を注いでいる。奥村は、座敷とほど近いカウンター席に座り、飲み会の行方を背中越しに監視することにした。
「マチケンさん、おつかれした!今日もトークが冴えわたっていましたね」
「そうか?どんなところが?」
「出たー!マチケンさんの欲しがり!ハハハ」
 背後から先輩を異様なまでに持ち上げる後輩芸人の声がいくつも聞こえてくる。奥村は薄笑いを浮かべながら、時折、背後に目をやり、注文した芋焼酎のソーダ割を口にした。口の中に芋の香りがフワッと広がり、その後、炭酸の刺激が喉をつつく。奇しくも町田も同じものを口にしていた。
 もっぱら、町田の酒のあては、刺身と決まっていた。以前、番組で「芋焼酎のソーダ割に刺身が最高にマッチするんですよ」と語っていたのを目にしていたため、やっぱり刺身なのかと、奥村は納得したような表情を浮かべた。刺身を食しながら、酒を飲み続ける町田は、少々の時間で顔を真っ赤にし、酔いが回ったような状態だった。
「お前ら、最近ミスが多すぎだよな。この業界は、ミスった奴が負けていく世界だから気を付けろよ」
「でも、マチケンさんはミスをネタにしてるじゃないですか?」一番下っ端と思しき若い男が町田に反論した。すると、彼の先輩らしき男が小声で「おい、やめろ!マチケンさんは、酔っぱらうと後輩いびりを始めるんだよ。これがマチケンさんの飲み方なんだ」先輩から論された下っ端は申し訳なさそうに頭を下げた。
「これもまた実力なの。ぺーちゃんにはまだわからないかな」後輩をバカにしたかのようなその口調は、いつもの謙虚な町田一健とは全く異なる姿だった。とにかくこの現場を押さえておこうと、奥村はポケットからスマホを取り出し、録音を始めた。

 帰宅後、録音したデータを基に新しいモノマネを完成させようと集中していた奥村は、すでに‘‘役’’になりきっていた。あまりにも没頭しすぎて、佐々木が帰宅したことさえ気が付かなかったほどだ。
「その声って、マチケン?」佐々木が頭越しに話しかけてきた。ビクッとした奥村は「そう」と一言だけ答えた。
「えらい酔っぱらってるな。それいつ録音したやつ?」佐々木は、今まで聞いたことがないマチケンの口調に驚いていた。奥村はまさか尾行した先の居酒屋でとも答えられないので、飲み会に行った若手がSNSに投稿していたという嘘をついた。
「でもさ、マチケンって意外と酒癖悪そうだな。いつもとは大違いじゃん」
「そうだな」
「なに?これを次のモノマネに取り込むの?」質問が多いなと厄介に思いながらも奥村は「うん」と相槌だけをうった。佐々木は「ふーん」という一言だけを残して、キッチンへと姿を消し、冷蔵庫から缶ビールを一本だけ取り出した。
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