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第2話 アルバイト
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夜通し、同居人に‘‘モノマネ芸’’を披露して魅せた奥村は、半ば疲れ果てた朝を迎えた。もう窓から夕陽が差し込んでいる。
今日は、芸人としての‘‘出番’’はない。生活費を稼ぐためにアルバイトの予定が入っている。こんな疲労困憊な状態では仕事もままならない。すぐに顔を洗い、食事の準備をする。佐々木はすでに先輩芸人の応援に、外出していた。そういえば、今日はテレビ局で収録があるとか言ってたな。心の中でそうつぶやきながら、奥村は納豆かけご飯を立ち食いした。自分でも驚くほど質素な食事であるが、これが芸人にはありがちな食事スタイルなのである。
奥村は居酒屋でアルバイトをしている。今日のシフトは夜。シャワーを浴び、着替えをして出勤する時間になり、今日も変わらずアルバイトへと向かう。
「いつになったら、バイトなんかしなくて済むんだ…」と不満を漏らしながらも、勤務先である居酒屋のドアを開けた。
「おう。今日も来たか!」居酒屋【銀杏】の大将は、まさに昭和の頑固おやじという風貌で、厳しい性格の持ち主であったが、面倒見のいい誰からも慕われるタイプの人間だ。奥村は親しみを込めて‘‘おやっさん’’と呼んでいた。
「お疲れ様っす。昨日もドスベりでしたよ。」本当は落ち込んでいるのだが、笑顔を繕い、冗談めかして昨日の‘‘結果’’を報告した奥村に対して、おやっさんは「タケちゃん、このままウチの店継ぐかい!?ハハハッ」と笑いながら冗談を漏らした。このままでは冗談では済まされない。本当に居酒屋の大将になってしまう。そんな心配をよそに、同じくこの店で働く、芸人たちが続々と出勤してきた。
居酒屋【銀杏】は、売れないお笑い芸人たちが集う場所でもあった。もともと、お笑い好きだった大将が、芸人たちに稼ぎ場所を提供してくれているのだ。十数年前からこの形態が出来上がったといい、名だたる先輩芸人たちもここでブレイクの時を今か今かと待ち続けていた。あの「ノリノリノリノリ…」の芸でおなじみの‘‘彼ら’’もだ。店に足繁く通うお客たちからも好評が寄せられており、メニューの中には酒類やつまみと共に、‘‘一発芸’’というものもあった。客がスタッフを指名し、一発芸を披露させるというものだ。その値段、50円。今日も他の芸人が一発芸を披露しているのを尻目に、奥村はせっせと給仕していた。
「タケちゃん、なんか新しいのないの?」客の一人から奥村に声がかかった。常連客だ。テレビ局で人気番組のカメラや編集を担当している富村さんだ。この人に気にいられれば、番組出演も夢じゃないと言われている。そのため、スタッフの中には、富村からの声掛けを待っている者も多い。
「いやぁ…厳しいっすよ」と奥村は頭を掻いた。富村は「そんなんじゃダメだよ。いざっていう時に役立つ‘‘刀’’を持ってないと」説教めいた口調であったが、この人も自分のことを心配してくれているのだろう。
そんな時、ふと、昨晩の‘‘モノマネ芸’’を思い出した。「あッ!モノマネができます」とっさに口にしてしまった。未だ未完成であり、決して人様の前で披露できるような代物ではないのだが、奥村はこのチャンスにかけた。
「モノマネ?誰の?やってみて」富村にそう促され、奥村は日本中の誰もが知っている大御所芸人のモノマネをして見せた。すると富村は興味津々な表情で奥村の顔を眺めながら、「まだ粗削りだけど良いんじゃない?その芸を磨きなよ」とお褒めの言葉をかけた。こんなことは初めてだ。かなりの自信をつけた奥村は「ありがとうございます!頑張ります!」と満面の笑みで答えた。
富村に褒められたことを自信へと変えた奥村は、あの日から必死に‘‘モノマネ’’を勉強し始めた。過去にモノマネで一世を風靡した芸人の動画を何度も何度も繰り返し見続け、自分がなり切れそうな有名人たちを探しては、佐々木に披露し、その出来栄えを判断してもらう。その繰り返しの毎日だった。
そんなある日、佐々木の計らいで、ゴールデンタイムに放送される予定のバラエティ番組の収録現場へと行く機会を得た。この同居人は、わざわざ先輩芸人に自分のことを紹介し、同行させる許可を得てくれたのだ。なんとも頼りになる同居人である。
奥村が収録現場へ向かうのは数年ぶりのことだった。芸人にとって、収録現場で顔を覚えてもらうという行為はとても重要なことだ。現場でどんな出会いがあるかわからない。毎日のように見学に通い続けたことで人気番組への出演権を得た芸人を奥村は何人も知っている。だからこそ、このチャンスをどうにかして活かしたい。収録を見学するためには、ある程度のコネが必要であり、奥村にはそのコネがあまりなかった。そのため緊張気味の奥村であったが、大物芸人たちの姿をまじかで見られるまたとないチャンスだ。佐々木に同行して、収録現場へと足を踏み入れた。
そこは、富村さんがカメラを担当している現場だった。「あれ?タケちゃん!どうしたの?」富村がいつもの調子で声をかけてきた。
「いや、今日は見学に…」緊張気味の奥村を見かねてか、富村は「そっか。今日は楽しんでね」と言ってくれた。その時だった。「おはようございます!」以前、富村の前で披露したモノマネ芸で、僭越ながら‘‘題材’’にさせてもらった大御所芸人の町田一健(いっけん)が入ってきた。
「おい、あれマチケンだよな」奥村は興奮気味に佐々木に尋ねた。
「そりゃあ、そうだろ!これ【ザ・マチケン・ショー】だぞ」そうか、今日はマチケンの番組だったのか。これは自身の芸を磨くためにはまたとないチャンスだ。そう思った奥村は、一瞬たりとも、目を離さず、瞬きすら忘れる勢いで、マチケンを見続けた。
「それでは、また来週。さよーならー!」収録が終わると、後輩芸人に声をかけていたマチケンが奥村の前にもやって来た。
「すごい眼差しだったな。熱心感心!」マチケンから肩をたたかれた奥村は「恐縮です」という言葉しか発せなかった。スタジオから姿を消していく大御所芸人を見つめながら、奥村は決意を新たにし、いつかは町田一健と同じ舞台に立ってやると誓うのだった。
今日は、芸人としての‘‘出番’’はない。生活費を稼ぐためにアルバイトの予定が入っている。こんな疲労困憊な状態では仕事もままならない。すぐに顔を洗い、食事の準備をする。佐々木はすでに先輩芸人の応援に、外出していた。そういえば、今日はテレビ局で収録があるとか言ってたな。心の中でそうつぶやきながら、奥村は納豆かけご飯を立ち食いした。自分でも驚くほど質素な食事であるが、これが芸人にはありがちな食事スタイルなのである。
奥村は居酒屋でアルバイトをしている。今日のシフトは夜。シャワーを浴び、着替えをして出勤する時間になり、今日も変わらずアルバイトへと向かう。
「いつになったら、バイトなんかしなくて済むんだ…」と不満を漏らしながらも、勤務先である居酒屋のドアを開けた。
「おう。今日も来たか!」居酒屋【銀杏】の大将は、まさに昭和の頑固おやじという風貌で、厳しい性格の持ち主であったが、面倒見のいい誰からも慕われるタイプの人間だ。奥村は親しみを込めて‘‘おやっさん’’と呼んでいた。
「お疲れ様っす。昨日もドスベりでしたよ。」本当は落ち込んでいるのだが、笑顔を繕い、冗談めかして昨日の‘‘結果’’を報告した奥村に対して、おやっさんは「タケちゃん、このままウチの店継ぐかい!?ハハハッ」と笑いながら冗談を漏らした。このままでは冗談では済まされない。本当に居酒屋の大将になってしまう。そんな心配をよそに、同じくこの店で働く、芸人たちが続々と出勤してきた。
居酒屋【銀杏】は、売れないお笑い芸人たちが集う場所でもあった。もともと、お笑い好きだった大将が、芸人たちに稼ぎ場所を提供してくれているのだ。十数年前からこの形態が出来上がったといい、名だたる先輩芸人たちもここでブレイクの時を今か今かと待ち続けていた。あの「ノリノリノリノリ…」の芸でおなじみの‘‘彼ら’’もだ。店に足繁く通うお客たちからも好評が寄せられており、メニューの中には酒類やつまみと共に、‘‘一発芸’’というものもあった。客がスタッフを指名し、一発芸を披露させるというものだ。その値段、50円。今日も他の芸人が一発芸を披露しているのを尻目に、奥村はせっせと給仕していた。
「タケちゃん、なんか新しいのないの?」客の一人から奥村に声がかかった。常連客だ。テレビ局で人気番組のカメラや編集を担当している富村さんだ。この人に気にいられれば、番組出演も夢じゃないと言われている。そのため、スタッフの中には、富村からの声掛けを待っている者も多い。
「いやぁ…厳しいっすよ」と奥村は頭を掻いた。富村は「そんなんじゃダメだよ。いざっていう時に役立つ‘‘刀’’を持ってないと」説教めいた口調であったが、この人も自分のことを心配してくれているのだろう。
そんな時、ふと、昨晩の‘‘モノマネ芸’’を思い出した。「あッ!モノマネができます」とっさに口にしてしまった。未だ未完成であり、決して人様の前で披露できるような代物ではないのだが、奥村はこのチャンスにかけた。
「モノマネ?誰の?やってみて」富村にそう促され、奥村は日本中の誰もが知っている大御所芸人のモノマネをして見せた。すると富村は興味津々な表情で奥村の顔を眺めながら、「まだ粗削りだけど良いんじゃない?その芸を磨きなよ」とお褒めの言葉をかけた。こんなことは初めてだ。かなりの自信をつけた奥村は「ありがとうございます!頑張ります!」と満面の笑みで答えた。
富村に褒められたことを自信へと変えた奥村は、あの日から必死に‘‘モノマネ’’を勉強し始めた。過去にモノマネで一世を風靡した芸人の動画を何度も何度も繰り返し見続け、自分がなり切れそうな有名人たちを探しては、佐々木に披露し、その出来栄えを判断してもらう。その繰り返しの毎日だった。
そんなある日、佐々木の計らいで、ゴールデンタイムに放送される予定のバラエティ番組の収録現場へと行く機会を得た。この同居人は、わざわざ先輩芸人に自分のことを紹介し、同行させる許可を得てくれたのだ。なんとも頼りになる同居人である。
奥村が収録現場へ向かうのは数年ぶりのことだった。芸人にとって、収録現場で顔を覚えてもらうという行為はとても重要なことだ。現場でどんな出会いがあるかわからない。毎日のように見学に通い続けたことで人気番組への出演権を得た芸人を奥村は何人も知っている。だからこそ、このチャンスをどうにかして活かしたい。収録を見学するためには、ある程度のコネが必要であり、奥村にはそのコネがあまりなかった。そのため緊張気味の奥村であったが、大物芸人たちの姿をまじかで見られるまたとないチャンスだ。佐々木に同行して、収録現場へと足を踏み入れた。
そこは、富村さんがカメラを担当している現場だった。「あれ?タケちゃん!どうしたの?」富村がいつもの調子で声をかけてきた。
「いや、今日は見学に…」緊張気味の奥村を見かねてか、富村は「そっか。今日は楽しんでね」と言ってくれた。その時だった。「おはようございます!」以前、富村の前で披露したモノマネ芸で、僭越ながら‘‘題材’’にさせてもらった大御所芸人の町田一健(いっけん)が入ってきた。
「おい、あれマチケンだよな」奥村は興奮気味に佐々木に尋ねた。
「そりゃあ、そうだろ!これ【ザ・マチケン・ショー】だぞ」そうか、今日はマチケンの番組だったのか。これは自身の芸を磨くためにはまたとないチャンスだ。そう思った奥村は、一瞬たりとも、目を離さず、瞬きすら忘れる勢いで、マチケンを見続けた。
「それでは、また来週。さよーならー!」収録が終わると、後輩芸人に声をかけていたマチケンが奥村の前にもやって来た。
「すごい眼差しだったな。熱心感心!」マチケンから肩をたたかれた奥村は「恐縮です」という言葉しか発せなかった。スタジオから姿を消していく大御所芸人を見つめながら、奥村は決意を新たにし、いつかは町田一健と同じ舞台に立ってやると誓うのだった。
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