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王子の計算外
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「ふふふ、上手く行きましたね、殿下」
「ああ、上手くいったな、レンゲ。私たちの思うままに事が進んだ。まさかスザナが何の反論もしないとは。相当、怯えていたに違いない。これまで痛めて来た甲斐があった」
"もっとも、逆らったとしても追い詰めたがな"。
王子が盃を手に笑う。
海に面した宮殿の一角で、波音を聞きながら王子とレンゲは祝杯をあげていた。
「明日の大祭には父上がご出席になり、神女に宣旨が下される。それは妃の任命だと聞いている。ふふっ。"海の神女は、最も高貴な者の妃とされるべし"か。
父王には、すでに母上がいらっしゃるから、次なる高貴なる者は、次期国王であるこの私。つまり神女は、私の妃になるというわけだが──」
王子が機嫌良く盃をあおった。
「スザナのような陰気な女を嫁にするなど、ゾッとする。私の妃にはレンゲ、そなたこそが相応しい」
「まあ。嬉しいお言葉を。秘かに取り寄せた染め薬で、ニセの痣を創った甲斐がありました」
「珍しい貝が原料と言ったか? シミひとつない玉のような肌に、消えない跡を刻んでしまって惜しかったな」
「ですがこれで、殿下の妃になれるのでしたら、安いものですわ」
しなだれかかるレンゲに、だらしなく鼻の下を伸ばした王子が、彼女の服のうちに手を差し入れようとした時。
息を切らせた侍従が飛び込んできた。
「国王陛下がいらっしゃいました!」
「なっ!」
予期せぬ王の来訪に、慌てて王子が姿勢を正し、レンゲはさっと距離を取る。
彼女が脇に平伏すより先に、王は部屋にあらわれた。
「父上、突然のお越しとは。お呼びくだされば私が参りますものを」
王からただならぬ怒気を感じ、取り繕うように王子がおもねる。
「その娘が新しい神女か! よくも相談なく、勝手なことを仕出かしてくれたな」
レンゲに一瞥をくれ、王は王子を怒鳴りつけた。
「っつ、父上。何をそんなにお怒りに──?」
「なぜ神女スザナを追放した! 明日の祭りをどうするつもりだ!」
「そ、それは、スザナに代わってレンゲが神女を務めますゆえ、問題ないかと」
「この痴れ者!!」
王の剣幕に、王子は焦りながら父の顔色を窺う。
王は、これ見よがしに溜め息をついた。
「──大祭における神女の役目。お前たちはそれが何か分かっているのか?」
「は、はい。成人した神女が、妃に任命され、嫁ぐ祭りです」
「では、誰の妃だと心得ている?」
「それはもちろん、国で"最も高貴な者"。つまりは王族。父上には母上がいらっしゃるので、私の妃、となるのですよね?」
「"海神の大祭"ぞ? 最も高貴な存在とは"海神"に決まっておる」
「え?」
「祭りで神女は、海神の妃になる」
「それは……どういう……」
「どういう? 海の神の妻になるのだ。身も心も海神に捧げるため、祭り後の神女は、海中で暮らすことになる」
「海中で暮らす? で、ですが人間は、海の中では呼吸が続きません」
「わかっておる! だから"妃"という名の生贄だ!」
「ええっ?!」
王の言葉に、王子とレンゲは一気に顔を青ざめさせる。
「"海神の大祭"は数十年ぶり。若い者たちが知らぬのは無理もないが、しかしお前は王子として、学ぶ機会はあったはずだ。神女が成人を機に生贄となることは、大臣もスザナ自身も知っていた」
「え?」
「お姉さまは、知っていた……?」
「レンゲとやら。そなたは知らされていなかったのだろう? 大臣は、死に逝く娘スザナよりも、そなたを目にかけ可愛がっておったからな。姉の暗い未来など語り聞かせたことはないと言っておった。しかしまさか、こんな真似をするとは──」
スザナは成人すると生贄にされることを知っていた?
だからあんなに陰りのある表情をして過ごしていたのか?
「スザナ亡き後、王子妃には名誉ある神女家の妹が、推挙される段取りとなっておった」
「!」
「神女家の妹とは、父上。レンゲのことですか?」
「海神の妃にスザナを。王子の妃にレンゲを。大臣に生贄を出させる条件として、そういう約束になっておったのだ」
王が語った大臣との取引話に、王子とレンゲは目を見開く。
では、自分達のしたことは?
王の言葉にレンゲは振り返る。
確かに、父である大臣は、姉スザナを顧みることなく、常に自分を優先してくれていた。
神女の家に支給される年金は、常にレンゲの衣装代や装飾品に代わり、姉スザナは決まった神女服しか与えられていなかった。
王子が広場で語った、スザナによるレンゲ虐待の事実などもない。
レンゲが八つ当たりや戯れに、スザナに手を挙げたことはあっても。
大臣も屋敷の者も、何かあってもレンゲを咎めることなく肯定していた。
それは、妾であった自身の母や、愛らしい自分の方が、政略結婚だったスザナ母娘より気に入られているからだと思っていたが……。理由はそれだけではなかった?
死が確約された姉に将来は無しと、スザナが父に見限られていたから?
愕然とするレンゲに、王の声が響く。
「レンゲよ。スザナが去った今、国に残った神女はそなた一人だけだ。そなたが神女である以上、"大祭"の儀式から逃れることは出来ん。──諦めよ」
「ああ、上手くいったな、レンゲ。私たちの思うままに事が進んだ。まさかスザナが何の反論もしないとは。相当、怯えていたに違いない。これまで痛めて来た甲斐があった」
"もっとも、逆らったとしても追い詰めたがな"。
王子が盃を手に笑う。
海に面した宮殿の一角で、波音を聞きながら王子とレンゲは祝杯をあげていた。
「明日の大祭には父上がご出席になり、神女に宣旨が下される。それは妃の任命だと聞いている。ふふっ。"海の神女は、最も高貴な者の妃とされるべし"か。
父王には、すでに母上がいらっしゃるから、次なる高貴なる者は、次期国王であるこの私。つまり神女は、私の妃になるというわけだが──」
王子が機嫌良く盃をあおった。
「スザナのような陰気な女を嫁にするなど、ゾッとする。私の妃にはレンゲ、そなたこそが相応しい」
「まあ。嬉しいお言葉を。秘かに取り寄せた染め薬で、ニセの痣を創った甲斐がありました」
「珍しい貝が原料と言ったか? シミひとつない玉のような肌に、消えない跡を刻んでしまって惜しかったな」
「ですがこれで、殿下の妃になれるのでしたら、安いものですわ」
しなだれかかるレンゲに、だらしなく鼻の下を伸ばした王子が、彼女の服のうちに手を差し入れようとした時。
息を切らせた侍従が飛び込んできた。
「国王陛下がいらっしゃいました!」
「なっ!」
予期せぬ王の来訪に、慌てて王子が姿勢を正し、レンゲはさっと距離を取る。
彼女が脇に平伏すより先に、王は部屋にあらわれた。
「父上、突然のお越しとは。お呼びくだされば私が参りますものを」
王からただならぬ怒気を感じ、取り繕うように王子がおもねる。
「その娘が新しい神女か! よくも相談なく、勝手なことを仕出かしてくれたな」
レンゲに一瞥をくれ、王は王子を怒鳴りつけた。
「っつ、父上。何をそんなにお怒りに──?」
「なぜ神女スザナを追放した! 明日の祭りをどうするつもりだ!」
「そ、それは、スザナに代わってレンゲが神女を務めますゆえ、問題ないかと」
「この痴れ者!!」
王の剣幕に、王子は焦りながら父の顔色を窺う。
王は、これ見よがしに溜め息をついた。
「──大祭における神女の役目。お前たちはそれが何か分かっているのか?」
「は、はい。成人した神女が、妃に任命され、嫁ぐ祭りです」
「では、誰の妃だと心得ている?」
「それはもちろん、国で"最も高貴な者"。つまりは王族。父上には母上がいらっしゃるので、私の妃、となるのですよね?」
「"海神の大祭"ぞ? 最も高貴な存在とは"海神"に決まっておる」
「え?」
「祭りで神女は、海神の妃になる」
「それは……どういう……」
「どういう? 海の神の妻になるのだ。身も心も海神に捧げるため、祭り後の神女は、海中で暮らすことになる」
「海中で暮らす? で、ですが人間は、海の中では呼吸が続きません」
「わかっておる! だから"妃"という名の生贄だ!」
「ええっ?!」
王の言葉に、王子とレンゲは一気に顔を青ざめさせる。
「"海神の大祭"は数十年ぶり。若い者たちが知らぬのは無理もないが、しかしお前は王子として、学ぶ機会はあったはずだ。神女が成人を機に生贄となることは、大臣もスザナ自身も知っていた」
「え?」
「お姉さまは、知っていた……?」
「レンゲとやら。そなたは知らされていなかったのだろう? 大臣は、死に逝く娘スザナよりも、そなたを目にかけ可愛がっておったからな。姉の暗い未来など語り聞かせたことはないと言っておった。しかしまさか、こんな真似をするとは──」
スザナは成人すると生贄にされることを知っていた?
だからあんなに陰りのある表情をして過ごしていたのか?
「スザナ亡き後、王子妃には名誉ある神女家の妹が、推挙される段取りとなっておった」
「!」
「神女家の妹とは、父上。レンゲのことですか?」
「海神の妃にスザナを。王子の妃にレンゲを。大臣に生贄を出させる条件として、そういう約束になっておったのだ」
王が語った大臣との取引話に、王子とレンゲは目を見開く。
では、自分達のしたことは?
王の言葉にレンゲは振り返る。
確かに、父である大臣は、姉スザナを顧みることなく、常に自分を優先してくれていた。
神女の家に支給される年金は、常にレンゲの衣装代や装飾品に代わり、姉スザナは決まった神女服しか与えられていなかった。
王子が広場で語った、スザナによるレンゲ虐待の事実などもない。
レンゲが八つ当たりや戯れに、スザナに手を挙げたことはあっても。
大臣も屋敷の者も、何かあってもレンゲを咎めることなく肯定していた。
それは、妾であった自身の母や、愛らしい自分の方が、政略結婚だったスザナ母娘より気に入られているからだと思っていたが……。理由はそれだけではなかった?
死が確約された姉に将来は無しと、スザナが父に見限られていたから?
愕然とするレンゲに、王の声が響く。
「レンゲよ。スザナが去った今、国に残った神女はそなた一人だけだ。そなたが神女である以上、"大祭"の儀式から逃れることは出来ん。──諦めよ」
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