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遺言書
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生田涼真の遺言書には、このように書かれていた。
──私の死が先生のご迷惑とならぬよう、充分に配慮して欲しい。私はこの身の終わりを先生に委ねられたことを幸いに思っている──
僕と店長の目に「?」マークが浮かんだ。普通、遺言と言えば遺産の配分などについて書かれているものではないか。
「うーん、この文章から推察出来るのは、例えば生田涼真氏が政治家の秘書などをしていて、秘密保持のために自ら命を断った……というようなことかな」
「いずれにせよ、妻が前の旦那さんの死について語らなかったのは、故人の意志を尊重してのことだったわけですね……これで僕はスッキリしました。店長、一緒に調べてくれてどうもありがとうございました」
しかし、店長は首を大きく横に振った。
「なに言ってるんですか吉永さん、調査は始まったばかりじゃないですか、こんなところで打ち切ってはいけません」
「しかし……妻や前の旦那さんが大切にしていることを、むやみに掘り返すみたいで気が引けるんですが……」
「いやいや、奥さんだって隠し事は辛いはずです。こっちが勝手に調べてわかっちゃう分には問題ないと思います」
店長の論理は破綻している。しかし勢いで言いくるめられてしまう僕も僕で、結局探偵ごっこの継続を承諾してしまうのであった。しかも店長は M県N市へ出かけて行って、そこで真相を探ろうと言い出す始末である。
「車で飛ばして行けばここから2時間ほどで到着できます。日帰りで行って帰って来れば問題ないでしょう。そのぶんちゃんと時給は出しますから……」
覗き見するような後ろめたさはあるが、〝時給は出す〟という殺し文句には勝てない。翌日、僕らはN県M市にまる一日かけて出かけることになった。その夜、一応本来の仕事はこなして帰宅したが、迎えてくれた妻の無垢なる笑顔を直視出来なかった。ああ、気まずい、後ろめたい……。
「どうかなさったの?」
妻が気づかった。
「い、いや、ちょっと仕事が忙しくて……」
「そうだったの……コンビニのバイトって、世間が思っているよりずっと大変と聞くわ。あなた、いつも本当にご苦労さまね」
「いや、ご苦労なんて……あ、ところで明日また忙しくなるみたいで、もしかしたら帰りが遅くなるかも……」
「わかったわ。でも、あんまり無理しないでね。体をこわしてしまったら元も子もないわ」
「うん……」
僕は笑顔で取り繕うのに精一杯だった。今まで妻との間にこれほど厚い壁を感じたことはなかった。隠し事は苦しい。つくづく自分は浮気の出来ない男なのだと思う。
🚗
朝早く、勤務先のコンビニから店長の車に乗り込んだ。店長の運転は想像した通り……いや、それ以上に荒っぽかった。急発進、急ブレーキ、短い車間距離……何度事故になると思ったことか。目的地のN県M市に到着するころには、僕は心労ですっかりヘトヘトになっていた。とりあえず外の空気が恋しくなり、外へ出る。町を歩く人々の話している言葉は標準語に近いが、どことなく妻の話し方を彷彿させる。彼女がこの地方の出身であることを物語っている。
「吉永さん、まず市役所へいきましょう。奥さんの除籍証明書を取得するんです。それで以前の戸籍情報をゲット出来ますから……」
「そんなこと、できるんですか?」
「ええ、配偶者でしたら問題ないはずです」
やや不安はあったが、店長の元なんでも屋の経験を信頼して、窓口へ行って妻の除籍証明書の請求手続きをした。すると、思いのほかすんなりと発行してもらえた。
「当時の妻の本籍は......N市中桜台5-2-1……」
「では、そこに行ってみましょう!」
引いてしまうほどの積極性。元なんでも屋の粘着性と行動力。恐るべし。
店長の運転は心なしか慎重になっているように思えた。縦列駐車も、そこまでする必要あるかと思えるほど、何度もハンドルを切り返していた。
そうして、証明書にあった旧戸籍の住所までやってくると、だいたい予想はしていたが、空き家になっていた。店長はためらうことなく、その隣家の呼び鈴を鳴らした。すると、家の扉が開いて一人の主婦が出て来た。
「はい……どちら様ですか?」
「すみません、お隣に住んでいた生田涼真さんの……亡くなられた時のことについて何かご存知ではありませんか?」
主婦はあからさまに警戒の色を表情に浮かべた。
「あなたたち、警察の方?」
「いえ、まあ、探偵と申しましょうか……実はこちら、生田妻さんの今のご主人なんです」
僕が店長の紹介に合わせて頭を下げると、妻の元隣人は少し態度を和らげた。
「そうねえ……癌で亡くなられたとは聞いたけど、家族葬だったから詳しいことはわからないのよね……そう言えば、亡くなる少し前に教会に行っていたそうだから、そこの牧師さんが何かご存知かも」
僕たちは彼女から教会の場所を聞き出し、そこへ向かうことにした。
──私の死が先生のご迷惑とならぬよう、充分に配慮して欲しい。私はこの身の終わりを先生に委ねられたことを幸いに思っている──
僕と店長の目に「?」マークが浮かんだ。普通、遺言と言えば遺産の配分などについて書かれているものではないか。
「うーん、この文章から推察出来るのは、例えば生田涼真氏が政治家の秘書などをしていて、秘密保持のために自ら命を断った……というようなことかな」
「いずれにせよ、妻が前の旦那さんの死について語らなかったのは、故人の意志を尊重してのことだったわけですね……これで僕はスッキリしました。店長、一緒に調べてくれてどうもありがとうございました」
しかし、店長は首を大きく横に振った。
「なに言ってるんですか吉永さん、調査は始まったばかりじゃないですか、こんなところで打ち切ってはいけません」
「しかし……妻や前の旦那さんが大切にしていることを、むやみに掘り返すみたいで気が引けるんですが……」
「いやいや、奥さんだって隠し事は辛いはずです。こっちが勝手に調べてわかっちゃう分には問題ないと思います」
店長の論理は破綻している。しかし勢いで言いくるめられてしまう僕も僕で、結局探偵ごっこの継続を承諾してしまうのであった。しかも店長は M県N市へ出かけて行って、そこで真相を探ろうと言い出す始末である。
「車で飛ばして行けばここから2時間ほどで到着できます。日帰りで行って帰って来れば問題ないでしょう。そのぶんちゃんと時給は出しますから……」
覗き見するような後ろめたさはあるが、〝時給は出す〟という殺し文句には勝てない。翌日、僕らはN県M市にまる一日かけて出かけることになった。その夜、一応本来の仕事はこなして帰宅したが、迎えてくれた妻の無垢なる笑顔を直視出来なかった。ああ、気まずい、後ろめたい……。
「どうかなさったの?」
妻が気づかった。
「い、いや、ちょっと仕事が忙しくて……」
「そうだったの……コンビニのバイトって、世間が思っているよりずっと大変と聞くわ。あなた、いつも本当にご苦労さまね」
「いや、ご苦労なんて……あ、ところで明日また忙しくなるみたいで、もしかしたら帰りが遅くなるかも……」
「わかったわ。でも、あんまり無理しないでね。体をこわしてしまったら元も子もないわ」
「うん……」
僕は笑顔で取り繕うのに精一杯だった。今まで妻との間にこれほど厚い壁を感じたことはなかった。隠し事は苦しい。つくづく自分は浮気の出来ない男なのだと思う。
🚗
朝早く、勤務先のコンビニから店長の車に乗り込んだ。店長の運転は想像した通り……いや、それ以上に荒っぽかった。急発進、急ブレーキ、短い車間距離……何度事故になると思ったことか。目的地のN県M市に到着するころには、僕は心労ですっかりヘトヘトになっていた。とりあえず外の空気が恋しくなり、外へ出る。町を歩く人々の話している言葉は標準語に近いが、どことなく妻の話し方を彷彿させる。彼女がこの地方の出身であることを物語っている。
「吉永さん、まず市役所へいきましょう。奥さんの除籍証明書を取得するんです。それで以前の戸籍情報をゲット出来ますから……」
「そんなこと、できるんですか?」
「ええ、配偶者でしたら問題ないはずです」
やや不安はあったが、店長の元なんでも屋の経験を信頼して、窓口へ行って妻の除籍証明書の請求手続きをした。すると、思いのほかすんなりと発行してもらえた。
「当時の妻の本籍は......N市中桜台5-2-1……」
「では、そこに行ってみましょう!」
引いてしまうほどの積極性。元なんでも屋の粘着性と行動力。恐るべし。
店長の運転は心なしか慎重になっているように思えた。縦列駐車も、そこまでする必要あるかと思えるほど、何度もハンドルを切り返していた。
そうして、証明書にあった旧戸籍の住所までやってくると、だいたい予想はしていたが、空き家になっていた。店長はためらうことなく、その隣家の呼び鈴を鳴らした。すると、家の扉が開いて一人の主婦が出て来た。
「はい……どちら様ですか?」
「すみません、お隣に住んでいた生田涼真さんの……亡くなられた時のことについて何かご存知ではありませんか?」
主婦はあからさまに警戒の色を表情に浮かべた。
「あなたたち、警察の方?」
「いえ、まあ、探偵と申しましょうか……実はこちら、生田妻さんの今のご主人なんです」
僕が店長の紹介に合わせて頭を下げると、妻の元隣人は少し態度を和らげた。
「そうねえ……癌で亡くなられたとは聞いたけど、家族葬だったから詳しいことはわからないのよね……そう言えば、亡くなる少し前に教会に行っていたそうだから、そこの牧師さんが何かご存知かも」
僕たちは彼女から教会の場所を聞き出し、そこへ向かうことにした。
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