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しおりを挟む「不破さん、連絡を下さり有難うございました。お蔭で『彼』だと判別しました。」
「いやいや、と言うか意外だったな。」
フードを被った男性、『皇 恭介』は既に閉店している店内にカラランと軽やかな音を立てて入って来た。ついでとばかりに、ちゃっかりと店の鍵を内側から掛けて玄関の横にあるシャッターを半分程下ろす。そうすることにより、未だ店内の明かりが外に漏れていても内部に誰が居るのかは判別つきにくくなる。
辛うじて足元は見えるとしても不埒なことをしているワケでもないし、後ろ暗いことをしているワケでもない。
一般人に顔を知られると面倒だからと言うのもあるが、店から見えにくい角度で頑張って気配をたって張っている新人らしきカメラマン対策でもある。
これは皇自身が芸能界と言う一般の人々とは違い華やかな場所に席を置いているため、また何時いかなる時にも雑誌記者達等に用心をしているためでもある。
とは言え余程の偶然が重ならないと新人カメラマンなら大したシャッターチャンスは取れ無いし、この店の写真を撮られたからと言っても何もネタになることは無い。お気に入りの珈琲とマグロ丼があるお店と言うことぐらいだ。
問題は小賢しいハニートラップを仕掛けて来る腹黒い奴等だ。
そういう人達とは接触しないように普段から気をつけているし、何より皇はバース性の頂点であるα。更には家は世界有数の規模にまでなってしまった会社を持つ御曹司。
罠に掛け、己を縛り付けようとする人やΩ性の特徴であるヒートに当てられるようなことがあってはならない。
チラリとカウンター席前、廚房の上の壁にかけてある懐古的な時計を見ると、時刻は20時過ぎ。
撮影が始まる前に休憩をしようかと思っていた最中、持っていたスマホにこの喫茶店のオーナーである不破から連絡が入り、大慌てでこの店に飛び込んだのはほんの数時間前。
昼食でも食べに入ったのであろうか、数年がかりでやっと見付けた自身の『番』。…焦がれている可愛い人が居た席を見詰め、自然に口元を緩める。
初めて出会ったのは、中学生の時。
経営している系統の子会社が、福祉事業の一環としてこの国や他国のΩ達を守るという名目で建てたホテルの受付。偶々足を運んだそのホテルにて逃げ込んで来たであろう彼を見掛け、仄かに香るフェロモンに囚われた。
甘く。酷く己を雁字搦めに絡め取り、惹きつけられた魅惑の香り。
そして遠目だったが、色白で愛らしい見た目。
何もかも囚われたが、残念ながら約束があったためにその場で彼に挨拶をすることが出来なかった。
今思い出しても悔しい。
急用だったとは言え、この後に開かれる会食等無視して彼と話せていたら良かったのに。
後悔しても遅いとはこのこと。
まさか子会社とは言え経営しているホテルだから住所ぐらいは控えているだろうと思っていたが、書かれている住所が架空の住所だとは思わなかった。
おまけに電話番号も。
後でわかったことだが住所は彼の元住んでいた家の途中まで書かれており、そして電話番号は彼の元母の携帯番号に似ており、最後の一桁だけ未記入だった。
ホテルに着いてから即ヒート状態に突入したらしく、その状態もしくは途中からヒートのために朦朧とした状態で記載したのだろう。
「意外、ですか。」
長年探していた人に会えたのだから、もっと切羽詰まったような態度になるとでも思っていたのだろうか。
「顔晒さないわ、挨拶しないわ、名乗らないわ、相手の名前を聞かないわ。」
「ああ、それは…。」
照れくさかった。
それに、もし番で無いとしたらと思うと怖かった。
「まぁ仕方がないっちゃ~仕方がないのかもなぁ。皇君の環境面倒臭いからね。」
「はは、そうですね。」
否定はしない。
言われたことは事実だし、うっかりするとフェロモンに惹かれフラフラと接近してしまえば彼に迷惑を掛けてしまう。
カメラマン達に撮られたら。業界人に知られてしまったら。
自分だけならどうにでもなるが、彼だけは駄目だ。
自分は業界人で財界に片足を突っ込んでいるが、彼は一般人。逃げ道はきっと予想より狭い。
「でもまぁ、大丈夫じゃね?」
「うん?」
「あの子確かにぽやんとしているけど、陽平の義理の息子だし。」
ちなみに阿須那ちゃんは無理。と、きっぱりと言い切る辺り、何と言うか。
「阿須那ちゃんは怒ると怖いけど、精神的に追い込まれると弱いからなぁ。その点陽平は物理的にも精神的もαばりに威力を込めた一撃ぶっ放すから、下手に敵対すると手痛いしっぺ返し食らうし、下手すると人脈駆使して社会的にも抹殺するから怖えし…。」
ブルブルと身震いする辺り、過去に何かしらあったのだろうか。
とか思っていたら、「あ、『黒歴史』と言う名で阿須那ちゃん追っかけ回していた過去があるので、はは、保証付き…。」と言って肩を落とした。
「節操無かったからなぁ、あの時の俺…。」
阿須那ちゃん顔とか性格とか滅茶苦茶当時の俺にメガヒットだったし。等とブツブツ言いつつ、頼んでも居ないのに毎月購入している珈琲豆を袋に詰めていく。
今言う所だったから良いのだが、購入する気が無かったらどうしたのだろうかと一瞬意地悪く思ったが、不破さんのことだ。そろそろ自宅の珈琲豆の在庫が切れる頃だろうと言われてしまえば事実だし、頷くしかない。
「不破さんそれ、赤銅さんには言わないほうが。」
「うんにゃ~もう知っているから。俺、大事な子に隠し事しない。」
黒歴史でも過去のことはちゃんと話して置いたほうが良いかと思うし。と不破さんは話しながら、アメリカンの珈琲豆と、ブレンドをきっちりと計量器で量って袋詰作業をする。
何時も思うのだが、此処の喫茶店は店内の規模よりも豆の数が多い気がするし、最近では紅茶や一部のハーブティーまで仕入れている。
オマケにネット通販にまで手を出していて、店主だけでは手が足りなくなって来ているのでは?と思うことがあるが、店内は何時も通りまったり営業している状態。
確か初めて来た当初は珈琲豆ばかりだった気がするのだが…。
これも赤銅さん効果なのかも知れない。
赤銅さん珈琲より紅茶やハーブティー関係のが詳しいし、時折持参したローズヒップ等をブレンドしたお茶を水筒に入れて休憩時間に飲んでいる。
時折持ってこない時は珈琲を飲んでいたようだが、気が付いたらカウンターから見える棚にこの店内で今まで見たことが小さなローズブレンドティーなる箱が出現した。不破さんに聞いた所、赤銅さんの私物だと言う。
成程、珈琲より此方のが好みなのだろうかと思っていた。
だが好きで飲んでいるのかと思って軽い気持ちで聞いてみたら、薬効の効果目当てだと教えられて驚いた。
何でも自身はヒート前後になると酷く精神バランスやホルモンバランスが崩れたり、腹痛や下痢等の症状に陥りやすく、貧血や体調の悪化が酷くなると。そのため、女性やΩに良いと言われているハーブティー等を試して行き、結果的に自分にはローズヒップティーが一番効果があるらしいと。ならばと思って現在色々試行錯誤しながら色んな物をブレンドして楽しんで居る、といった具合らしい。
成程。将来自分の『番』相手にも良いかも知れないな。
等と思っていたら、気が付いたら他の客も赤銅さんにアドバイス等を聞き。
その結果。
気が付いたら珈琲以外のハーブティー等が増えていた。
それと比例して女性客も増えたが、何故か家族連れや子連れ等ちょっと他の客に迷惑を掛けてしまうような客は増えなかった。そういった客は店主である不破さんが特に何かを言っているワケでは無いが自然と持ち帰りのみにしているらしく、この店は何時来てもノンビリとした空気が流れている。
有難いことだ。
お蔭で俺のような奴でも多少顔を隠すが入店して穏やかな時間を過ごすことが出来る。
「成程。それで昼頃に来た時に赤銅さんふてくされて居たのですね。」
「オゥ……ソウイエバソウデシタ。」
俺が来た時、赤銅さん挙動不審だったし、更には不破さんの顔を見て懐疑的な目で見詰めていた。
「マジですか…。」
ガクと肩を落とした不破さんに、「マンデリンも100グラム頼みます。」と追加する。
「あ~カフェオレやカフェラテ用?」
やはり即バレたな。
今までこの店で一度も購入したことが無かった品種だなと思う。
「ええ。あの子が好きかな、と。」
「そう言えばウチの珈琲に砂糖とミルクてんこ盛りしていたよねぇ。」
阿須那も子供の時てんこ盛りしていたし、遺伝かな。やっぱり甘党かね?と言いつつ、「これオマケに付けとくわ~。」と、珈琲のミルクを一袋入れてくれる。
「サービス良いですね。」
「ま~ね~。その代わり学年は違うけど、未明ちゃんが困っていたら頼むよ。最近ちょっと気落ちしているからさ。」
「なにか問題が?」
「不甲斐ないが、俺じゃわからん。少なくとも店のことでは無いとは思うが…。」
「案外不和さんとの関係性に悩んでいるのかも知れませんね。『番』になりたい、とか。」
先程は嫌がっていたけれど、言葉の綾かも知れません。と伝えると、
「ははは、希望的観測サンキュー。」
それはないと首を横に振られた。
そうか、中々関係が進んでいないというのか。
「じゃ~そろそろ帰れ、帰れ。ただし裏口からな。」
と言われて、店から追い出された。…どうやら不和さんは店の掃除が終わったら、明日の朝の仕入れのために早々に寝るらしい。
「あ、そうだ。皇ん所の迎えの車呼んだほうが良いぞ。今日張り込んでいるカメラマン、新人だけじゃねぇから。仕込まれると面倒だからさっさと呼んどけ。」
店の外にある監視カメラに二名写っているぞと報告。
ご忠告どうも。そう言ってスマホで連絡を取って店を出ようとしたら、
「もう一つ。問題が起きたら学校の寮を使え。学園内なら業界人でも政界でも一切通さねーから、あの学園。しかもβは学園の先生しか内部入れないし。セキュリティーが恐ろしいぐらい完璧だから、利用しろ。」
「それは忠告ですか。」
「どちらでも、かな。嗚呼でも、陽平には効果がないから。そこは忘れるなよ。」
クスっと笑われ、少しだけ『番』の義理の父親に興味を持った。
まぁ、学園の保健室の先生なのだけどな。
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