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眠れない夜

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それからは当たり障りのない質問ばかりになったから、野上さんが聞きたかった事はきっとたったひとつ。

「どうして拓郎と付き合わなかったのか?」

拓郎…と付き合う。
なんだかもう遠い遠い過去にしか思えない。

拓郎が家族から兄弟みたいなモノから、突然私の中で形を変えた事は…ある。
だけどそれは…きっと遅すぎたんだ。

私もそうだけど、拓郎も、気付くのが遅すぎた。
気付いた時、私達はもうどうにもならなくなっていたから。

…諦めた。
ううん、違う。
諦めたいと思っていた。

「違うな。諦めなきゃならないんだ。」

ボソリと独り言のように呟いた。

私を抱き枕のようにして、野上さんは熟睡している。
料金にはこの宿のこの建物に入っている全ての飲食物が入っている、フリードリンク制。
だからかな、野上さんはひとりでたくさんお酒を飲んだ。
飲まなきゃやってられない…そんな様にも見えた。

…やっばり知ってるんだな。
最初に健太から拓郎のことを聞いたとは言っていたけれど、結構細かいことまで聞いているのかもしれない。

でも、もし何もかもを知ってるなら。
きっと私が拓郎とはもうどうにもならない事まで聞いているはずで。
健太は一体何を話して何を話していないのか…。

確かめるのは簡単だ。
野上さんに聞けばいいだけ。
それか、健太に確認するだけ。

頭ではわかってるんだけど、そうする勇気は湧いてはこない。
それをしちゃったら…。
きっと今の幸せが何もかもが壊れてしまう気がするから。

…そう、幸せなんだ、私。
マズイなぁ、気付いちゃった。

そっと野上さんの腕を離して、ベッドから抜け出した。
そのままスマホだけを持って一階のリビングに行き、ソファーに座り込んだ。

…拓郎、起きてるかな。

今、無性に拓郎と話したくなった。

「何かあったら連絡して。」
拓郎はいつもそう言うけれど、何かってきっと私が「不幸」な時だ。

私が不幸であればあるほど、きっと拓郎は喜ぶと思う。私が不幸であればあるほどに、拓郎は私に会いにきてくれる。

拓郎は…。
拓郎は優しいから、不幸な幼馴染を放ってはおかない。
拓郎は優しいから、そんな時でないと私に会おうとは思ってくれない。

今、私は幸せなんだと思う。
野上さんは…きっと今までの彼とは違う。

だからきっと拓郎は、私に会いには来られない。

きっと野上さんは私に変えてほしいところがたくさんあるだろう。でもそれをグッと飲み込んで接してくれている、とても忍耐強い人だ。

…今拓郎に連絡したら…?きっと鏡の様に凪いていた水面に大きな波が立つだろう。
そうしたらきっとまた拓郎は縛られる。
だから…拓郎と連絡を取っちゃダメ…。

だけど…今無性に拓郎と話がしたかった。 


ギシギシと階段の踏み板が軋む音がした。
少しはだけた浴衣姿の野上さんが暗闇に立って私を見ていた。
灯りつけるね、と野上さんは足下の関節照明だけを点けてくれる。

「眠れないの?」
「ええ、少し暑くて。温泉のせいですかね。」
と誤魔化した。

野上さんが隣に座り込んだ。肩を抱かれて引き寄せられる。

「ユキ…。」
「はい。」

ふと思い立って野上さんを抱きしめ返した。胸板に頬を擦り付けて、ドクンドクンという野上さんは鼓動に耳を澄ませた。

「本当に私なんかで良かったんですか?」
「ユキしかいなかったんだよ。」

ウソだと思うし、そのままウソでしょ?と言った。

「嘘じゃないよ、たくさんの女の子を見てきたけど、ユキしか残らなかったんだ。」

「こんなに可愛くないのに?」
「そんな事ない、可愛いよ?」
「どんなところが?」

トランプの続きやるか?と揶揄される。
「ずっと質問をし続けていいのなら。」
「いいよ、なんでも聞いてよ。」

…やっぱり優しいんだ。そして辛抱強い。

「頑張って俺を愛そうとしてくれてるところ。」

ハッとした。
慌てて野上さんから離れようとしたけれど、力を込められた腕の中でもがいただけになった。

「…いいんだ。それでも。
好きな人に去られる方が、今は辛いから。」

「私…私は。」

野上さんの事が好きになれたら、本当に心から愛する事が出来たら…きっと楽に息が出来る様になるのに。
頭ではわかってるのに…それが出来ない。

拓郎…ごめん。
もう私…逃げ出したいよ。
拓郎1人残してそんな事…出来ないけど。

「出来たら…もう少し甘えて欲しいな。」
「…甘える?」

うん、と野上さんはまっすぐに私を見つめている。

「遠慮なく俺に甘えて欲しいんだ。」
「…これ以上?」

これ以上、何を甘えて、何を求めるというのだろう。
私みたいな面倒な女を隣に置いて、何もかも尽くしてくれてる…のに?
私は野上さんに何も返してあげられてない。のに?

「全然甘えてくれないじゃん。そんなに俺は頼りない?俺がしてあげられる事は何かある?」

…そんなに甘やかさないで…。これ以上甘やかされたら…失った時に…辛すぎて堪らなくなる。

「ありがとうございます。十分ですよ、でも嬉しいです。」

ユキ…と野上さんは私の身体をギュウギュウに抱き締めあげる。
「信じてくれよ。」
「はい、信じてますよ。」

きっと野上さんは、今は…そう思って、そうしようとしている。
それは素直に嬉しい。

…きっと今だけだ。

不安定な砂のお城みたいに、ちょっとした何かできっと脆くも崩れ落ちてしまうだろう。

そうだ。
そうじゃなきゃならない。

私は幸せになんてなっちゃいけない。
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