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泣かないで

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野上さんは駐車場に車を停めて、ここで待ってると言ってくれた。

「何時間でも待ってるから。絶対ここに戻ってきて。」
とまで。
「どれくらい掛かるかわからないので。帰って寝てて下さい。」
「待ってる。待ちたいんだ。良いから早く行って。」

言い争いの時間が勿体ない、早く行きなさい、と野上さんは車のドアのロックを外した。

「ありがとうございました。」
とお礼を言って車を降りた。

拓郎は救急の待合室のベンチに健太と一緒に座っていた。

「拓郎、ゴメン、待たせた。」
「ゆーきぃー。」
「大丈夫だから。」

男のくせに涙を流して泣く拓郎は、まだ幼い頃を思い出させた。
「もう、泣かない。」
「…だって…。」

私の首に腕を絡ませて頭を胸に擦り付けてくる。
その背中をトントンと叩いてあやしてやる。

「優希、飲み物買って来る。」
と健太が立ち上がった。
「先輩は?」
「駐車場にいる。」

一緒に来るとわかっている辺り、健太も何か知っていそうだ。今度問い詰めようと決めた。

「俺…恵美に、別れたいって言った。」
「うん。」

聞かなくてもわかってるから。恵美さんが自殺未遂をする理由は他にない。

「優希と野上との、アレを見て。」
「見たの?アレを?」
「うん。見た。」

ただの仕事だと思っていた拓郎は夏に出たあのページにはなんの感慨も抱かなかった。
でも、野上さんの恋愛ニュースが流れて、あの記事も振り返られたし、野上さんのコメントも流れた。
きっと年末頃の締め付けも大晦日の日の事も無関係ではないだろう。

「アイツは…今までと違う。ユキじゃない優希を…。」
「気にするの、ソコ?」

モデルのユキを見ている人はいつか私から離れる。作り込まれたユキは優希じゃないから、大丈夫。拓郎はそう思っていたらしい。
ただ、野上さんは喋りすぎたのだ。
野上さんが好きになったのは、モデルのユキじゃなくて、西上高校野球部マネージャーの野村優希だと拓郎は気付いてしまったのだ。

それから「好きな人」事件があり、恵美さんの束縛がまたいっそう強くなった。
お正月帰省をしたと嘘までついて恵美さんはアパートに残っていた。
恵美さんがいない事を、これ幸いと実家でのんびりと過ごしていた拓郎は恵美さんの変化に気付けなかったらしい。

大晦日、行かないでと言われていた初詣にノコノコ参加してしまった拓郎。絶対に来るだろうと待ち伏せをした恵美さん。

その後の締め付け方は私の想像をはるかに超えていた。

入籍して仕事を辞めて拓郎を待つ暮らしをしたいと執拗に恵美さんは拓郎に求め続けたそうだ。
拓郎は現状維持を主張し、結果、恵美さんに別れを切り出したらしい。

相談したくても出来なかった、させてさえ貰えなかった、と拓郎は泣いた。
「結婚なんて、家族に相談しないで決められない。母ちゃんはともかく親父は絶対に許さない…。」
だから、別れる事を盾にしてえみさんと戦うしかなかったんだ、と。泣いた。

拓郎は電話やメールでは何をしでかすかわからないからときちんと向き合ってその目を見て拓郎は別れを切り出した。
恵美さんは泣いて暴れて、それでもなんとか宥めて。
「恵美が気持ちを整理するまでは側にいるから」とまで告げた。

恵美さんをなんとか寝かしつけ、疲れ切った拓郎が少しだけウトウトして目を覚ました時、寝起きの眼に飛び込んだのは、ばら撒かれた錠剤とその横で荒い呼吸をしている恵美さんの姿だった。

「恵美、隠してた…。精神科の薬ちゃんと毎日飲んでるって言ってたのに…飲んでなかった。貯めて隠し持ってて…。
どうしよう…もし恵美が死んだら…俺どうしよう。」
「大丈夫、死んだりなんかしないから。」

死なない程度に量を間違えずに飲む事が出来るような女だから、とは言わない。

「もう泣くなぉ、男でしょう。大丈夫ずっと側にいるから。」
いつもこう言って拓郎を慰めてきた。
そうすれば拓郎は泣くのを必死で堪えようとするから。

「優希、俺、泣くの我慢したら、優希、野上と別れてくれる。」
「うん、いいよ。そうしたらまた少しだけ一緒にいられるからね。」
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