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不甲斐ない男

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シンエンの与えた策はフーシンには耐え難いものであった。

ティバルの娘がジンシの子を身籠れば、多数の臣下はジンシにつく。
この国の憂いは次帝がフェイかジンシかではない。
どちらにもそれぞれ違う能力がある、と大抵の者は思っている。

フェイでなければならないと思っているのは、フェイを通して欲を満たしたい奴等、ジンシでなければならないと思うのは、フェイの真の姿を知っている者。
この者達はどんな物事を示そうとは動かせはしない。

ただ大多数の者はそうではない。

「第3の選択肢を与えてやればいい。それだけで向こうの力は分散出来る。」


その言葉を従えて、ティバルの山荘を訪れた。

やはりというかなんというか。
ジンシはやはりジンシのままで、あっさりとリーエン殿を奥に入れる事よりも自分が投降する事を選びそうになった。
よほどリーエン殿の方が腹が座っていた。

「それでは何も変わりません。」
ティバルと共にジンシを説得に掛かる。
頑なにリーエン殿を守ろうとするジンシの姿に、違う意味で腹を括ってしまった事を知った。
(シンエン殿はこれを見抜いた…のか?)
シンエンの与えた策はモタモタしていた2人の背中を押したに等しい。

改めてシンエンの思考の沼の深さに恐ろしさを感じた。
ティバル殿がなんとかジンシを説き伏せて、リーエン殿の部屋へと送り出した。


「後はリーエンが説き伏せる。ここに来てからジンシを動かしたのは全てリーエンだ。
フーシン、…酒は飲めるか?」
「はい、ご相伴致します。」

飲まないと正気を保てないのだろう、と思った。
どこの世の中に望まない者を娘の寝所へ送り込まなければならない父親がいると言うのか。

ドカンと用意された酒の量は流石に戦場の英雄と思うほど大量だった。

酒を呑みながら、ポツリポツリとシンエンの策を話して伝える。

「そうか…それしかないか。大切なのは国が安寧のままであることだ。個人の感情など些細な事にしか過ぎない。」
戦場の男らしい、腹の括り方である。
娘もジンシも手駒に考えられる、大義の前には個人の感情は簡単に切り捨てさせて、自身の気持ちもあっさりと切り捨てた。

…真似出来ないな。
いつまでも煮え切らず、迷っては恐れ、怯んではまた迷う自分とはえらい違いだ。

「…抗いたかったんだが、無理だったな。」
ティバル殿の長い長い昔語りが始まる。

「リーエンの先読みを聞いた時、なんて酷い預言なんだと思ったんだよ。そしてこれは誰かの入れ知恵だと思ってもいた。
だがな、ゼンシは慈悲をくれた。」
「慈悲…ですか?」
幼子を連れて戦場に趣く事が慈悲だと言うのか…。

「ああ、生きてさえいれば先はある。妻のリンファにそう言われた。」

身体の弱いリンファだったが、肝だけは座っていた。
リンファは迷う事なく、サルザックの地へとついて来てくれた。

「出会わなければ、国を割りようがない。リーエンを貶めないためにはそれしかなかった。」

反対したのがシンエンだった。
「シンエンはリンファを通して知り合った。
おそらく…リンファはシンエンを慕っていたと思う。
一方でシンエンはリンファに情愛はあったとは思うが、愛情ではなかったようだ。
さっさと違う女と結婚したよ。
シンエンの家は由緒ある家柄だから、後継が必要だったんだろう。リンファは身体が弱かったから。

俺がサルザックに飛ばされると知って、シンエンは俺を引き止めた。
俺の為ではなくて。リンファには戦場の暮らしは耐えられないからと。
先読みには逆らえない。あるがまま受け入れろ、と煩かった。
あるがまま受け入れると言うことは、リーエンを殺すと言うことだ。
そんな事は出来ない、そう思った。

そんな事をいうシンエンに猛烈に怒りがあった。
リンファは俺の妻でリーエンは俺の娘で。リンファを無碍にしたシンエンに指図される謂れはないと突っぱねた。
意見が合わずに俺たちは袂を分かった。

しかし結局シンエンの言う通りだった。
リンファは死んでしまい、リーエンは2人の皇子の目に止められた。
浅はかだったのは俺の方…なのかもしれない。」
「…もう過ぎた事です。そして抗うと決めたのです。不甲斐ない私ですが、とことんお供致します。」

ティバルの決意がジンシを立たせた。そうさせたのは他ならない自分である。
最後まで、その覚悟はもう出来た。

「あの非情なシンエンがここまで親身に策を練るとは…。しかし練る策は相変わらず冷酷だ。」
とティバル殿は嘲笑するが、決してシンエンは非情で物事を決めたのではない。
シンエンの為に擁護したくなってしまった。

「決して非情なお方ではありません。ただ…」
「ただ?」
「情の向かう先が違うのです。」
「…そうか、娘か。」
「ええ、ご存じでしたか?」
「ああ。それなりに知らせてくれる手の者はいる。」

「フーシンはどうするつもりだ。」
「…どうするとは?」
「好いているのだろう?」
「ええ、しかし。」
「踏み込むなとでも言われたか?」
「はい。」

「俺の娘を差し出させたんだ。アイツの娘も差し出させろ。」
「はっ?」
論理の飛躍に付いていけない。
ティバルは飲み過ぎたと思った。

「どうなるか会ってみなければわからないだろう?」
「ええ…ですが。」
「怖いか?拒まれるのが。」
「いえ、壊してしまうのが…。」
もしこれ以上壊してしまえば…。

そうか、とティバルは一口酒を煽った。

「戦場に赴く者は生きる事にしがみつく何かが必要だ。
フーシン、お前がしがみつきたい物はなんだ?」

答えられなかった。

「フーシン殿、非情になれ。誰に遠慮せずに欲しい物は欲しいと言え。欲が強ければ強いほど、戦場での命を繋ぐ鎖になる。
壊れた時はまた直せば良い。」

欲しいとは言えない。どの面を下げてマオにそれが言えるというのだろうか。
ただ会いたいのだ。会って謝りたいのだ。







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