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運命

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話は父から切り出された。

「リーエンの奥の宮入りが決まった。ひと月後、だそうだ。」

えっ?私の?と聞きかけて、口を閉じた。
今の私はジャンだ、ジャンだ、と心で呟いた。

「リーエン様が?」
殿下が聞き返してくれた。殿下の顔は怖いくらいに引き締められている。

「身籠ったリーエンをご所望されている。ひと月で孕めなければ、ホンを代わりに寄越せ、という話だ。」

「…話が見えません。」
思わず口に出してしまった。
「…皆まで言わせるな。」
父の顔は険しさを増した。

奥の宮に入るのに生娘ではなく孕み女を望むのは何なのか、孕めなければホンを代わりにせよとは、何なのか!

「…話が見えません!理解出来ません!」
「落ち着け、ジャン!」

「…私から。」
入ってきたのはフーシン殿だった。
「私から話します、将軍宜しいですか?」

父は黙って頷き、立ち上がると部屋を出て行った。
青ざめる父の姿になんだか嫌な予感がする。

「…皇太子にはお子が望めそうもないのはご存知ですか?」
「…だったらなんだ。」
「お世継ぎが無ければ国は続きません。」
「…私の出来る事はない!」
「…本気でそうお考えになりますか?」
真っ直ぐと縋り付く様にフーシン殿は殿下を見つめている。

「なぜリーエン様になる。」
「別にリーエン様でなくても構いません。ジンシ殿下の子種であれば。」
「…私が行けばいいのだな。」
諦めたような殿下の言葉を聞いて、思わず立ち上がってしまう。

「ダメ!」
行ってはダメ!

…こんな酷い話があるだろうか。

奥の宮に死んだ事になっているジンシを入れるために私の名を使うのだ。
女として、リーエンとして奥の宮に入ったホンの…いや、ジンシ殿下の行く末は分かりきっている。

それを回避したいのならば、ジンシの子を孕んだ者を身代わりに寄越せ、と言っている。
その子はおそらくは皇太子の子とされるのだろう。
ひと月の猶予、その間に子を作れ、と。

「…なんて酷い。殿下はフーシン殿を信じていたのに…。」
…友とも腹心とも信じていた人が、こんな酷い話の使者となり、ジンシの前に現れたのだ!

「ジャン、私なら大丈夫だ。あなたの方が顔色が悪い。
わかりました、今夜にでもここを発ちましょう。」
ジンシの声は穏やかで優しかった。
ただひたすら優しいのが、哀しかった。

「ひと月後で構いません。」
「こちらが構う!」
ここで初めて殿下の声が怒りを含んだ。
語気を荒げたのは一瞬で、直ぐにまたいつもの穏やかな声に戻る。

しかしたった一瞬見せた怒りを受けて、フーシン殿の表情は一気に「臣下のそれ」に変わった。

「リーエン殿を都に入れる訳にはいくまい。ならばホンが行くしかない。そうと決まれば早い方が良い。」
と殿下は言った。

そうだ。私は「国を割る姫」だ。

だけれど…。今までを振り返ってみても、ここまで一本道だったように思う。
何一つ私に選ぶ余地は与えられて無かった。
激流に放り込まれて抗ったのではない。
ただ目の前の事をひとつひとつ自然に受け入れた、それだけだ。

「…ジャン殿はいかが思われますか?」
とフーシン殿は私に聞いた。

ジャンに問われていても、おそらくその瞳に映っているのは、リーエンで。
リーエンはどうするか?と聞かれているのだ。

「リーエンは…覚悟を決めると思います。」

殿下を行かせるわけにはいかないのだから、私の選択はひとつだけ。
国を割るつもりはこれっぽっちもない。
ただ目の前の、大切なものをこれ以上壊さないためだけに、決断する。

「頼む、そんな事を言わないでくれ…。」
殿下はとても悲しそうな目で、私を見つめる。

ここにジャンがいても埒が明かない。話がややこしくなるだけ。
「リーエンに説いて参ります。」
そう言って私は席を立った。

2人で話した方が良い。
何故こうなったのか、何故そうしたいのか、フーシン殿にはフーシン殿なりの事情や考えがあるに違いないのだから。

そして殿下にも…。

私を護ろうとしてくれた、命を脅かした者の待つ場所へ行こうとまでしてくれている。

父がここに私を立ち合わせた意味がわかった。

…充分だと思う。
これ以上殿下を苦しめるような事はあってはいけない。
これ以上殿下から尊厳を奪わせてはならない。

「待て!ジャン、行くな。」
「…充分です。リーエンを説いて参ります。お2人は…もう少しお話を。」

引き留めようとする殿下の手を振り解いて、部屋を後にした。
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