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ただそこに在るだけで

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カイ医師によると、苦無に塗られた毒は命を絶つようなものではなく、一時的に痺れを起こさせるものだったようだ。

その事がわからないまま、医師は応急処置的に嘔吐薬をジンシに与え、解毒に努めた。
薬を飲んでは吐き、吐き戻してはまた薬を飲ませること一晩。
ようやく毒は抜けたが、体への負担は重く高熱に浮かされる事となる。

熱覚ましは嘔吐し続けた胃腸への負担を考え最小限とし、ひたすら氷を当てていたと言う。

食べ物を受け付けられる状態ではなかったために、塩と砂糖を溶かした水を真綿に含ませて吸わせていたらしい。
この辺りは漠然とだが覚えている。

…黒髪の天女。
甘い水と一緒に思い出される記憶は、ジャンと名乗るあの者に違いない。

頑なにジャンは性別を曖昧にぼかしたまま、ジンシへの看病に当たってくれた。

(どうでもいい些末な事だ。)
ジンシはもう考える事をやめていた。

考え出せば、疑い出せば果てがなくなる。
何故「ジンシ皇子崩御」の公布がなされているのか、殿中府は左様な者はいないと嘘をつくのか…。
あれほどまで心配してくれたフーシンはどう思い、どうしているのか…。
時期を見計らったように発生した疫病。

突き詰めるとここへジンシを寄越した兄でさえも疑いたくなる。
…それほどまで我が疎まれているとは思わなかった。
どんどん思考の泥沼に堕ちていく事に気付いてからは、考えるのをやめた。

昼夜問わずにそばに居てくれたのがジャンだった。
初めの頃は見張られているのだと思っていた。
(何のために…?)
逃げないように?自害しないように?
まあ良いか。それすらも考えるのをやめた。

ただ眠り、出されたものを飲んでは食べ、なんとか自分で不浄に行けるようになった頃、ジンシの布団の脇にディバルが現れた。

来るとはわかっていた。
…ティバルは敵なのか?敵ならとっくに殺しているから違うのか。
味方…でもない気がする。
俺に与しても得るものはないだろう。
…いやあるか?使い方によっては皇太子を相手にも切り札にもなる。
…いやないか。死んだとされた者を匿うのは、将軍にとっては具合が悪いこともあるだろう…。

…面倒だと放逐されるのか。囲われるのか?
それもいいか。どちらでも構わない。
どうせもうこの世のものではない身だ。

「お久しぶりでございます。」
丁寧に床に膝をついて、臣下としての礼をとってくれたディバルをジンシはただ見つめていた。

「随分と顔色がようなりました。」

そう言われてもジンシにはティバルを見た記憶はない。ただ熱い、痛いと呻いていただけだ。

「お世話をお掛け申した。」

「お名前をお伺いしても宜しいか。」
先程「お久しぶり」と声を掛けたにも関わらず、ディバルは名を問うた。

「…好きに呼べ。」
.おそらくだが…。ジンシという名は使えないのだ。

「では…。」
庭に植えてある薄紅色の花が目に入ったのだろうか。
「ホンファはいかがですか?」
「ホンファ…?」
苦笑する、随分と可愛らしい名前にしたものだ。
「ホンで。」
「ホン、殿。」
「…ただのホンと。」

クスクスとジャンが横で笑う。
ジャンとのやりとりを揶揄した事に気付いたに違いない。
笑うジャンを横目に睨み、
「では、ホンとお呼び致します。」
とディバルは頭を下げた。

「ティバル殿、あなたは俺はどうすべきだと思うか?」
「…あなたはホンですから。ホンはどこの誰でもありません。ホンとしてならお好きに生きていけるかと。」
「…生きろ、と?」
「ええ、ホンとして。」
「ジンシはダメか。」
「ダメではございません。あなたがそれを望むのならば。しかし…なぜこうなったか、あなたはご存知ですか?」
「すまん、わからん。」

わからない。
なぜ皇太子フェイが俺の命を奪うのかがわからない。

何もかも手に入れようとしていた皇太子である。
今更俺を殺しても得るものはなかっただろうに…。

「わかるまでここに居るというのはどうですか?」
ジャンが静かにそう告げる。
「わかるまで…か。
わかる日が来るとは思えんが。」

「なら、人の世の倣いとして生きなさい。
ホンとしてならここに居場所をお作りする事が私にでも出来ます故に。」
ティバルもまた穏やかにそう告げた。
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