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第二話 命の代償
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それからしばらくは何事もなく平和な日が続いた。季節は夏を過ぎて庭の木も葉が紅く染まり、遠くに見える高い山の頂には雪が見えるようになった。今年の夏は結構暑い日が続いたから、僕のようなエアコンのない家の猫は限られたスペースで涼を求めるのはひと苦労だった。その点では広い縄張りを持つ野良猫たちが羨ましくもある。
海老蔵は秋の発情期を迎えた雌猫を追いかける日が多くなり、浮幽霊どころではなくなったようだ。ご飯を食べに来ても、周りの匂いをしきりに嗅いでいてどこか気もそぞろの感じだ。僕よりも雌猫に関心が向いていることは本当にありがたいことだ。僕は出窓からそんな海老蔵の姿を見下ろしながらクッションの中で丸くなっている。
正直、雌猫に関心がないといえば嘘になってしまうけれど、小さい時に去勢されてしまったからだろう。発情期の雌猫を見ても、仕草にはドキドキすることはあるけど、気持ちが高ぶるようなことはない。タマがあってもなくても素敵なものは素敵なのだ。けど、争ってまでという気にはどうしてもならない。僕の気性が穏やかなのは、生まれつきの性格だけではなく、去勢されたことにも関係があるのかもしれない。
ガタンという聞きなれない音がした。僕は音のした方に顔を向けると、海老蔵が頭を振りながら玄関フードに来るよう合図を送っている。夜でもないのに何だろうと、渋々身体を起こして玄関フードに向かった。
「こんな明るい時間にナニ?」
「せっかくのお昼寝タイムを邪魔して悪かったな。浮幽霊じゃないんだけどよ、ちょっとワケありのヤツを連れてきたんで話だけでも聞いてもらえないかと思ってよ」
「ワケありって・・・。それ、ヤバいヤツじゃないの?」
「まぁ、ヤバくなったら俺が何とかするから、とりあえず会ってみろや」
海老蔵はお構いなしに後ろを向いて手招きをする。どうせなら、お金や幸せを招いてくれれば同居人夫婦も喜ぶんだけどな・・・。
しばらくして隣の家の車庫の向こうから人が出てきた。生きている人にも見えるけれど、海老蔵の声が聞こえているんだから、この人も死んでいるんだろう。身長はそんなに高くないし身体の線も細いから、たぶんまだ子供なんだろうけど、端正な顔立ちで結構なイケメンだ。最近はあまり見なくなった学生服姿だから、ひょっとすると死んでからずいぶんと時間が経っているのかもしれない。でも、生きているように見えるんだから不思議だ。良く見ないと向こうが透けて見えない。
「こいつは中学校の前庭に頭を下にして地面にぶつかる直前っていう状態でいるんだ。俺がこのシマを仕切るようになる前からそこでこうしているらしい。野良猫たちの間でも語り継がれてきた幽霊よ。昼もあまり長くは動けないようだけど、夜は特に縛り付けられているらしいから、今しか時間がないんだとよ。それも少し移動するだけでも身体がバリバリに痛いって言うから、お前に喋ることができたら、ちょっとは軽くなるかなって思って連れてきたんだ。まぁ、ヤツの話を聞いてあげてくれや」
男の子は両腕で身体を支えながら僕のところに向かって歩いてくる。緊張しているだけのようにも見えるけれど、それを聞いた後では身体のきしむ音が聞こえてきそうだ。中学校はそんなに遠くはないけれど、それでも三百メートルはあるだろうから、ここまで来るのも大変だっただろう。そして、玄関フードの段差に腰を下ろした。
「僕の名前はたまと言います。あなたは?」
「ぼ、僕は葉山傑(すぐる)。ずっと中学二年のままで・・・」
傑くんは搾り出すように話した。口を動かすのも痛いんだろうか。
「学生服って最近あんまり見かけないけど、いつぐらいに亡くなったんですか?」
「さぁ・・・。ぼくはどのくらいあそこにいるんだろう。屋上から飛び降りて地面にぶつかるって思った瞬間に時間が止まったんだ。目を開けても地面しか見えないし、何回夜と昼を繰り返したかも、ずっとそのまんまだからわからない。最初の頃は数えていたけど、気持ちが沈んでいくだけだったから五百日過ぎたところで数えるのはやめてしまった。ただ、身体を動かすと痛いんだけれど、昼間ほんのちょっと動けた時に校舎の中を見たけれど、僕の知っている人は誰もいなかったから、五年以上は経っているんじゃないかなと思う」
「大変だね。でも、魂だけになったのになんで痛いんだろう?」
「これって普通じゃないの?」
「前に僕と話したお婆ちゃんは痛いって言ってなかったよ」
「俺が考えるには、地面にぶつかる直前で止まっているから、魂だけんなっちまったと言い切れないのかもしれないぜ。身体はバラバラになっちまったかもしれないけど、感覚は生きていた時のままで残っているのかもしれないな」
海老蔵が間に入ってくる。
「そうかもしれないね。落ちた時の痛みや運ばれる時の痛みはまだ全身に生々しいくらいに残っているから」
傑くんは身体を縮めながら小さな声で呟いた。
「ぼくが前に住んでた家の隣のおじさんが納屋で首を吊って死んだんだけど、幽霊になってからも首を吊ったままでウンウン唸っていたっけ。なんで唸っているの?って聞いたら、死のうにも死ねないし、首を外そうと思ってもロープが食い込んでいて外れない。苦しくてしかたがないんだって顔を土色にしながら言っていたんだ。本物のロープなんて発見された時に外されちゃってたんだけど、ずっと苦しんでいたんだ。ぼくはその後この家に住むようになったからそれからおじさんの幽霊には会ってないけど、たぶんまだおじさんあの納屋の中でぶら下がったままだと思うよ。たぶん自殺したらあの世に行くんじゃなくて、一番苦しい姿でこの世に留まっちゃうんじゃないかな。だから痛みも残っているのかもしれない」
「生き物の中で命を自分から捨てるのは人間しかいないって言うからね。きっと命を粗末にした罰が当たったんだね」
「幽霊になっても踏み切りに飛び込んだり、橋の上から川に飛び込んだりを繰り返しているヤツもよくいるけど、そいつらもそうなのかもな。まぁ、自分が死んだことに気づかないのもいるけど、命がある限り精一杯生きている俺たちの方が人間たちよりもずっとずっと賢いんじゃぁないか?」
「ホントだね・・・、本なんかでも自分で命を絶つことを美しく描いているものもあるし、幽霊なんて非科学的なモノは物語の中だけの存在で、現実にはいないって教わっていたんだから、賢いつもりでいても実は人間が一番愚かなのかもしれないね」
傑くんは両腕をさすりながら、さらに身体を縮めながら話し始めた。
海老蔵は秋の発情期を迎えた雌猫を追いかける日が多くなり、浮幽霊どころではなくなったようだ。ご飯を食べに来ても、周りの匂いをしきりに嗅いでいてどこか気もそぞろの感じだ。僕よりも雌猫に関心が向いていることは本当にありがたいことだ。僕は出窓からそんな海老蔵の姿を見下ろしながらクッションの中で丸くなっている。
正直、雌猫に関心がないといえば嘘になってしまうけれど、小さい時に去勢されてしまったからだろう。発情期の雌猫を見ても、仕草にはドキドキすることはあるけど、気持ちが高ぶるようなことはない。タマがあってもなくても素敵なものは素敵なのだ。けど、争ってまでという気にはどうしてもならない。僕の気性が穏やかなのは、生まれつきの性格だけではなく、去勢されたことにも関係があるのかもしれない。
ガタンという聞きなれない音がした。僕は音のした方に顔を向けると、海老蔵が頭を振りながら玄関フードに来るよう合図を送っている。夜でもないのに何だろうと、渋々身体を起こして玄関フードに向かった。
「こんな明るい時間にナニ?」
「せっかくのお昼寝タイムを邪魔して悪かったな。浮幽霊じゃないんだけどよ、ちょっとワケありのヤツを連れてきたんで話だけでも聞いてもらえないかと思ってよ」
「ワケありって・・・。それ、ヤバいヤツじゃないの?」
「まぁ、ヤバくなったら俺が何とかするから、とりあえず会ってみろや」
海老蔵はお構いなしに後ろを向いて手招きをする。どうせなら、お金や幸せを招いてくれれば同居人夫婦も喜ぶんだけどな・・・。
しばらくして隣の家の車庫の向こうから人が出てきた。生きている人にも見えるけれど、海老蔵の声が聞こえているんだから、この人も死んでいるんだろう。身長はそんなに高くないし身体の線も細いから、たぶんまだ子供なんだろうけど、端正な顔立ちで結構なイケメンだ。最近はあまり見なくなった学生服姿だから、ひょっとすると死んでからずいぶんと時間が経っているのかもしれない。でも、生きているように見えるんだから不思議だ。良く見ないと向こうが透けて見えない。
「こいつは中学校の前庭に頭を下にして地面にぶつかる直前っていう状態でいるんだ。俺がこのシマを仕切るようになる前からそこでこうしているらしい。野良猫たちの間でも語り継がれてきた幽霊よ。昼もあまり長くは動けないようだけど、夜は特に縛り付けられているらしいから、今しか時間がないんだとよ。それも少し移動するだけでも身体がバリバリに痛いって言うから、お前に喋ることができたら、ちょっとは軽くなるかなって思って連れてきたんだ。まぁ、ヤツの話を聞いてあげてくれや」
男の子は両腕で身体を支えながら僕のところに向かって歩いてくる。緊張しているだけのようにも見えるけれど、それを聞いた後では身体のきしむ音が聞こえてきそうだ。中学校はそんなに遠くはないけれど、それでも三百メートルはあるだろうから、ここまで来るのも大変だっただろう。そして、玄関フードの段差に腰を下ろした。
「僕の名前はたまと言います。あなたは?」
「ぼ、僕は葉山傑(すぐる)。ずっと中学二年のままで・・・」
傑くんは搾り出すように話した。口を動かすのも痛いんだろうか。
「学生服って最近あんまり見かけないけど、いつぐらいに亡くなったんですか?」
「さぁ・・・。ぼくはどのくらいあそこにいるんだろう。屋上から飛び降りて地面にぶつかるって思った瞬間に時間が止まったんだ。目を開けても地面しか見えないし、何回夜と昼を繰り返したかも、ずっとそのまんまだからわからない。最初の頃は数えていたけど、気持ちが沈んでいくだけだったから五百日過ぎたところで数えるのはやめてしまった。ただ、身体を動かすと痛いんだけれど、昼間ほんのちょっと動けた時に校舎の中を見たけれど、僕の知っている人は誰もいなかったから、五年以上は経っているんじゃないかなと思う」
「大変だね。でも、魂だけになったのになんで痛いんだろう?」
「これって普通じゃないの?」
「前に僕と話したお婆ちゃんは痛いって言ってなかったよ」
「俺が考えるには、地面にぶつかる直前で止まっているから、魂だけんなっちまったと言い切れないのかもしれないぜ。身体はバラバラになっちまったかもしれないけど、感覚は生きていた時のままで残っているのかもしれないな」
海老蔵が間に入ってくる。
「そうかもしれないね。落ちた時の痛みや運ばれる時の痛みはまだ全身に生々しいくらいに残っているから」
傑くんは身体を縮めながら小さな声で呟いた。
「ぼくが前に住んでた家の隣のおじさんが納屋で首を吊って死んだんだけど、幽霊になってからも首を吊ったままでウンウン唸っていたっけ。なんで唸っているの?って聞いたら、死のうにも死ねないし、首を外そうと思ってもロープが食い込んでいて外れない。苦しくてしかたがないんだって顔を土色にしながら言っていたんだ。本物のロープなんて発見された時に外されちゃってたんだけど、ずっと苦しんでいたんだ。ぼくはその後この家に住むようになったからそれからおじさんの幽霊には会ってないけど、たぶんまだおじさんあの納屋の中でぶら下がったままだと思うよ。たぶん自殺したらあの世に行くんじゃなくて、一番苦しい姿でこの世に留まっちゃうんじゃないかな。だから痛みも残っているのかもしれない」
「生き物の中で命を自分から捨てるのは人間しかいないって言うからね。きっと命を粗末にした罰が当たったんだね」
「幽霊になっても踏み切りに飛び込んだり、橋の上から川に飛び込んだりを繰り返しているヤツもよくいるけど、そいつらもそうなのかもな。まぁ、自分が死んだことに気づかないのもいるけど、命がある限り精一杯生きている俺たちの方が人間たちよりもずっとずっと賢いんじゃぁないか?」
「ホントだね・・・、本なんかでも自分で命を絶つことを美しく描いているものもあるし、幽霊なんて非科学的なモノは物語の中だけの存在で、現実にはいないって教わっていたんだから、賢いつもりでいても実は人間が一番愚かなのかもしれないね」
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