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第十一章 深淵
豊穣の儀
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勇者が天門を潜り開戦。
地上でも魔層から姿を現す魔族との戦いが始まった。
体躯がよく力の強い魔族との戦いは困難を極める。
魔法の威力も精霊族とは桁が違い、魔界に行った者たちはこのような魔族が犇めく地で戦っているのかと思うと、天地戦に勝利することなど元より不可能だったのではないかと心が折れそうになる時も少なくなかった。
各地は戦場と化す。
あらゆる地で火があがり多くの精霊族が命を落としてゆく。
開戦前から予想されていたこと。
天門を開こうと、いざ天地戦が開戦すれば地上も無事ではいられないことは歴史が物語っていた。
ただこれも天門を開いたから被害がこの程度で済んでいた。
もし魔王が地上に降り立ち開戦していたなら、精霊族の命はもちろん街や自然も破壊され尽くしただろう。
開戦から五回目の月。
地上に残った賢者も真っ先に狙われるため滅び、新たな賢者の覚醒を待ちつつ戦う多くの軍人や貴族や冒険者も命を散らし、いよいよ苦しくなくなったその月、魔族の侵攻が止まった。
王家に代々語り継がれてきた天地戦の歴史から、この戦いは年単位で続くだろうと予測されていたのに。
実はこれこそが勇者や一行が勝利した時。
魔族を率いている魔王が破れたことで天地戦は終わった。
今までの天地戦の歴史の中で最も早い五ヶ月で。
彼が今でも伝説の勇者と呼ばれているのはこのため。
ここまでが私が自分の目で見て経験した地上層でのこと。
後述する魔界でのことは帰還した一行の口から語られたもの。
開戦から実に五回もの月日を魔界で戦い続けた勇者たち。
最後は勇者だけが持つ特別な能力である精霊王召喚を行い、遂に魔王を打ち倒した。
大切な人の大切なものを護るという誓いを果たしたまさにその時、勇者は一行の目の前で忽然と姿を消す。
なにか前兆があったでも異変が起きたでもなく、突然に。
すぐに行方を捜した大賢者の探知にもかからず。
なぜ姿を消したのか分からぬまま、目視で辺りを捜して回る暇もないまま、残された勇者一行の三名は強制的に天門を開いた王都の城壁前へと戻された。
それは勇者が魔界に存在していなかった証明。
勇者と勇者一行と賢者だけが通ることのできる天門を開く能力を持つ勇者の存在が魔界から消えたため、勇者一行も強制的に魔界から排除されることになったのだと予想される。
生還者は勇者一行の三名のみ。
五回の月を勇者たちと共に戦い続けた賢者は魔族との戦いで一人また一人と命を落とし、最後まで指揮をとっていたミシオネール公爵含む数名の賢者も、魔王城を目前に四天魔と呼ばれる魔王の配下を相討ちで倒すことで役目を果たしたとのこと。
一行の帰還後すぐに勇者の捜索は行われた。
魔界から存在が消えたのならば地上に戻っているだろうと。
英雄でもある勇者の行方が分からないとあって、種族を問わず各地へと伝達が送られ大捜索が行われた。
刻は終戦後。
各地に痛々しい戦の爪痕が残るそんな時でも、伝達を受けた全種族は自分たちを救った勇者であり英雄を捜した。
森や山や海はもちろん集落や街中も。
それでも行方が分からぬままひと月。
勇者の身を案じるがあまり体調を崩した大聖女と、大聖女を傍で支えていた大賢者が婚姻関係を結んで王都を出た。
その僅か数日後、聖騎士も召使いとして仕えていた者を娶るとともに王都を後にした。
勇者との思い出が多い王都に居るのは辛い。
既に役目は果たした。
残りの余生はこの世界の者となり静かに暮らしたい。
捜さないで欲しい。
それが私たち勇者一行の願い。
そう言い残して。
願い通りその後の一行の行方は残されていない。
一行が王都を去った後も勇者の捜索は数十年と続いた。
役目を終えた勇者や勇者一行は黒髪黒目でなくなるため捜索が難しく、数年目には既に大半の者が生存を絶望視していたが、それでも十四代国王は退位するまで捜索を続けさせた。
数十年も続いた捜索を打ち切ったのは十四代国王本人。
多くの犠牲者を出した天地戦の爪痕からブークリエ国を復興させた十四代国王が、当時王太子だった十五代国王に王位を継承したのち自ら勇者を捜す旅に出たため。
それについては民には知らされていない。
幼い頃から国や民のために尽くした十四代国王の退位後の余生は勇者を見つけることだけに尽力し、先帝の身分を隠したった一人で冒険者のように各地を点々と回った。
しかし勇者と再会する願いは叶わず。
最期は病に倒れ、五十一歳で崩御した。
現在でも民から天帝と呼ばれる十四代国王。
伝説として語り継がれる六代目勇者。
二人が天つ空におられる神の身元で再会を果たしていることを願わずにはいられない。
──────────────
「まるで神隠しだな」
独り言を呟き蔵書を閉じる。
裏表紙に書かれた著者はフレデリク・ヴェルデ・ドゥース。
十四代国王の三男で、のちに爵位を貰い城を出たあと父親の十四代国王の崩御をきっかけに書き残したものらしい。
「神隠しか」
理解できない不思議な現象に対して自分で言ったものの、本当に両親がしたこととは思っていない。
創造主は平等に全ての星や生命の営みに干渉しないから。
唯一の干渉は全ての星に星規模での救済を同じ回数だけ与えることで、勇者を消失させることが救済とは言えないだろう。
他の神はどうなのか分からないけど。
「シン、時間だよ」
「あ、うん」
蔵書を前に考えていると迎えに来たエミー。
禁書の並ぶ本棚に戻し二人で部屋を出て結界魔法の施された重い扉に魔力を流して鍵をかけた。
「昨日話してた禁書は読み終わったのかい?」
「ついさっき。王城書庫じゃないと読めないのが不便」
「そりゃそうだ。王家が引き継ぐ禁書なんだから」
今まで居たのは王城の巨大書庫。
中でも禁書だけが集められたあの部屋は王家の王子や王女であっても国王の許可なしには入れない。
国王のおっさんの閲覧許可がおりて三日前に読み始めたものの読み終わらず、今日も待機時間に読んで漸く読み終えた。
「思ったけど、十四代国王って勇者が好きだったんじゃね?」
「軽率なことは言うな。首が飛ぶよ」
「だって最期まで捜し続けたんだぞ?みんなが諦めても最期まで再会を信じて一人で捜し続けたとか並大抵のことじゃない」
幾ら精霊族を救った勇者で英雄と言ってもさすがに。
英雄称号を持つ者だから望み薄でも形だけ捜索を続けたって話なら理解できるけど、身分を隠して自分の足で捜している。
天地戦後から死ぬまで捜し続けるなど勇者によほどの強い思い入れがなければ出来ないだろう。
「まあここだけの話、私も特別な感情があったと思うよ」
「だよな。男勇者だったみたいだけど」
「だから多くの者は思っていても口にしないんだよ」
この世界で同性との婚姻は認められていないものの、民の中には同性に好意を持ち共に暮らしている者もいるし、貴族の中にも政略結婚した伴侶とは別に同性を妾にしている者も居る。
婚姻は結べないというだけで誰を好きになるも個人の自由。
ただそれが国王となると話は変わってくる。
同性愛を嫌悪する者は一定数居て、長である国王がその一定数の者を蔑ろには出来ない。
法で決められている訳ではなくても民がそれを許さないから下手なことは口に出来ない。
「十四代は九つで即位して三名の妃を娶ったのは読んだか?」
「あ、見た。一人だけ九歳で嫁三人とか異色だった」
歴代国王の中でも子供の頃に結婚したのは十四代国王だけ。
十三代国王の没年を見て王位継承者が一人しか居なかったんだろうことは分かったけど。
「十四代は今でも天帝と呼ばれる立派な国王だけど不運な国王でもあった。まず正妃であった母君を寵妃による毒殺事件で亡くし、生まれた時から身体が弱かった兄の王太子も亡くし、その二年後には父君の十三代も心臓の病で亡くしている」
「え、そうなのか」
両親と兄弟を立て続けに亡くした少年。
国王になるならないではなく、なる以外の選択肢がなかった。
「だから九つで即位して国王の責務を手伝える者としてひと回り以上も離れた貴族家の娘を一度に三名娶ったんだ」
「同い年の子じゃ駄目だったのかよ。九歳で二十歳以上の嫁を貰う国王も九つの子供に嫁ぐ令嬢も可哀想だろ」
「九つの子供が成婚できる訳ないだろ。国王は王家の血を絶やさないための特例措置でも相手はそういう訳にはいかない」
国王が九つで成婚したのはあくまで特例措置。
王家の血が絶えないようそうするしかなかっただけで、本来であれば成年するまで成婚できないと法で決められている。
「じゃあ十五歳の令嬢でも良かっただろ」
「国王の責務を手伝える者ってのが条件だからね」
「捜せば優秀な十五歳の令嬢も居たと思うけど」
「居ただろうね。今よりは閉鎖的な時代だったとはいえ」
「だろ?」
この世界の十五歳を舐めてはいけない。
貴族であれば特にいつ結婚してもいいよう、成人する十五歳までに紳士淑女の教育を叩き込まれているから。
「思えば一気に三人と結婚したのも変な話だよな」
「それは王位継承者を授かる確率を上げるためだと思う。親兄弟が居ない国王に万が一何かあれば王家の血が絶えてしまう」
「……そっか。それがあった」
国王の責務と聞いて政治的なあれこれしか思い浮かばなかったけど、特例措置まで設けて結婚を急いだのはむしろ政治的なあれこれよりも王位継承者を残すためだったんだと、その話を聞くと納得できる。
「二十歳以上の令嬢だったこともそれが理由か」
「九つの無垢な子をリードできそうな年齢で選んだのかもね」
「そう聞くと仕方なかったんだろうとも思うけど、ろくに性の知識もない九歳の頃からひと回り以上も離れた妃三人と子作りに励むしかなかった十四代はどんな気持ちだったんだろうな」
国王といっても九歳。
まだ子供なのに子供を作れと急かされるんだから、十四代が喜んでしていたんじゃない限りトラウマになりそうだ。
「十四代の気持ちは分からないけど十歳の時に正妃との間に初子を授かってるし、その後にも七人の子供を授かってる」
「ってことは初子の王太子も含め八人?大家族じゃん」
「正妃との間に二人、二妃との間に三人、三妃との間に三人。最後に授かった三妃との子供は双子だった」
「へー。腐ることもなく国王の責務を果たしたんだな」
八人も子供を授かったのは凄い。
自分の時は他に王位継承者が居なくて苦労しただろうけど、子供たちには『他に居なくて』という経験はさせずに済む。
まあ多いのも争いの火種になりそうだけど。
「話を聞いて可哀想と思ったけど、お互い歳が離れてる人と結婚したからって必ず不幸になる訳じゃないしな」
「そうだね。いい妃だったならそれで終わった話だ」
「え?違ったのか?」
「十四代の不幸はまだ終わらない。三人の妃の内の正妃と二妃も病で亡くしていて、残った三妃とも離縁をして独り身に戻ったあとにも天地戦前の混乱期に四男のことも亡くしてる」
「は?」
いや、不幸すぎるだろ。
どれだけ家族を亡くしてるんだ。
「ん?一人は離縁?」
「公の発表では十四代の方から離縁を申し出たことになってるけど、実際には三妃の方から離縁を申し出たらしい」
「国王が離婚された側だと外聞が悪いから?」
「違う。最初に離縁を申し出たのは三妃だけど、駆け引きの手段で言っただけで本当に離縁するつもりはなかったらしい。でも十四代の方がすんなり認めたんだと。三妃は取り消すよう懇願したみたいだけど十四代の方がその懇願を却下した」
そのパターンか。
喧嘩した勢いで「別れる」とか「離婚する」って言ったら相手が受け入れて本当に別れるしかなくなったというアレ。
言われた側の十四代に別れたくない感情があれば引き止めただろうけど、引き止めるほどの好意はなかったんだろう。
「三妃の方から国王に離縁を申し出たとなれば三妃本人はもちろん生家の貴族家もお終いだ。国王と成婚する際に生まれた子は王妃本人が宮殿から出ることになっても連れて行けないと承知して誓約を交わしてるから王位継承者を捨てたってことになるし、国母の務めも放棄したことになるから他の貴族家が許すはずがない。だから十四代の方から申し出たことにしたんだ」
「なるほど。むしろ慈悲だった訳か」
天帝と呼ばれるほどの人物なら貴族や国民からも慕われている国王だっただろうし、王位継承者や国のために行う国母の務めを放棄したと憎まれるくらいなら何かをして離縁された者と後ろ指をさされる方がまだマシだと。
「二妃と三妃についてはろくな記述が残っていない。二妃の方は金遣いが荒く宮殿に男娼を何十人と囲っているような見た目も性生活も派手な人で、三妃の方は少年趣味で国母の公務も果たさず宮殿に篭ってたから民には印象が薄い人だったんだと」
「……十四代、女運まで悪すぎない?」
「選んだのは有識者だよ」
「有識者どころか無能者の間違いだろ」
それは離婚をすんなり受け入れたのも納得。
むしろ国王と王妃という高い身分の二人だから離婚に踏み切っていなかっただけで、十四代にとっては離婚を申し渡せる絶好の機会だったような気がする。
「でもよくそんな赤裸々な話を知ってるな」
「蔵書に残されてるから。もちろん禁書扱いだけど」
「そんなことまで書き残されるのかよ」
「それも王家の歴史には違いないからね」
「まあそうか。しっかり書き残しておかないと後世の人には国王が悪者のように伝わるかも知れないしな」
歴代国王の善いも悪いも歴史として遺す。
中には変なことを書き残すなと禁じる国王も居ただろうけど、後世の王家の人たちに教訓として遺すのは悪いことじゃない。
「俺も読めるのか?それ」
「うん。君が読んでいた禁書はドゥース卿が書き残した蔵書の一冊に過ぎない。興味があるなら時間がある時に読みな」
「そうする」
知りたかったのは先代勇者の行方のことだったからあの蔵書を選んで読んだけど、途中からは話に出てくる人物の為人が気になって最後まで読み進めていた。
せっかく閲覧許可を貰えたことだし、今度はドゥース卿が書き残した蔵書の最初の一冊から読んでみよう。
「英雄公爵閣下に敬礼!」
王城を出ると待っていたのは王宮騎士と魔導師。
左右に分かれて並んでいる軍人たちはエミーの指揮で一斉に胸に手をあて敬礼をして、俺もそれに敬礼で返した。
これから行くのは王都大聖堂。
神の月十六日の今日は月祭が行われる祈りの日。
毎年この日は早朝から国民が大聖堂に集まるらしく、俺が馬車で行っては騒ぎになって危険だからという理由で術式を使い大聖堂まで行くことになった。
魔祖渡りで行けるけど英雄の公務だからそうもいかない。
精霊族の守護者として存在する英雄だからこそ精霊族を代表して月神へ今年一年の豊穣を感謝し、来年の豊穣も願って祈りを捧げるというのが今日のお役目。
お蔭さまで聖職者でもないのに白の法衣(祭服)姿。
祭儀用の祭服とあって、普段から俺を表す色として使われている銀糸で華やかな装飾がされている。
エミーが描いた術式で辿り着いたのは大聖堂の控えの間。
「英雄公爵閣下へご挨拶申し上げます」
待っていたのは教皇と枢機卿。
普段の聖職者らしく質素な祭服と違い、今日ばかりは教皇も枢機卿も祭事用の華やかな祭服や飾りを身につけていた。
「本日は足をお運びいただき感謝申し上げます」
「年に一度の大切な豊穣の儀に参列できることを光栄に思う」
ガルディアン孤児院が教会施設だから教皇は既に顔見知り。
でも今回の訪問は英雄として来てるから正式訪問の作法に従って胸に手をあて挨拶を交わした。
「では早速ですが参りましょう」
向かうのは大聖堂の前の広場。
普段だと教皇は人前には出ず大聖堂の中にある特別な祭壇で祈りを捧げているけれど、月神に感謝を伝える豊穣の儀だけは外に出て国民と共に祈りを捧げるらしい。
教皇はブークリエ国で神に仕える者の頂点に居る人。
そんな人が国民の前に立つんだから当然警備も国王なみ。
今日の訪問は精霊族を代表して祈りを捧げることが役目であることプラス、教皇の護衛という意味合いも含んでいる。
先導するのは教皇と一緒に待っていた枢機卿。
杖をついて歩く教皇の隣には俺、後ろにはエミーと騎士団長。
年配の教皇の速度に合わせて大聖堂の扉をくぐるとワッと大歓声があがった。
手前側に並んでいるのは王都大聖堂の神職者たち。
枢機卿、大司教、司教、司祭、助祭というように階級の高い者から順に教皇が祈りを捧げる祭壇に近い位置に居る。
大歓声をあげている信徒は警護の国王軍のまた向こう。
教皇の安全を考慮して信徒の位置は遠いものの、放映石が正面にも設置されているからしっかり見られるようになっている。
忙しい年の瀬にこれだけの人が集まるんだから凄い。
ちなみに国王のおっさんたち王家は大聖堂の中でなく外で行う豊穣の儀だけは危険すぎるため不参加。
その変わり教皇が祈りを捧げる時間に合わせて王城の礼拝堂にある月神像へ全員揃って祈りを捧げるのが習わしらしい。
この日のために用意されている聖卓まで教皇を護衛したあと離れて指定されていた位置に立つ。
今日のために二度ほど予行練習をさせられたから、儀式のことを知らない俺でも迷わず行動できている(練習では年配の教皇の健康状態に配慮して枢機卿が代理をしてくれた)。
儀式の最初はまず教皇による経典の朗読から。
拡声石から教皇の朗読が始まった瞬間から大歓声をあげていた信徒たちはピタリと静かになった。
普段人族が信仰しているのは月神の御使いのフォルテアル神。
ただ、豊穣の儀での朗読内容は月神のこと。
名前の通り月の神で、大地と大気と暦と豊穣を司る神。
自分たちの種族を地上の神と言って『エルフ神』を信仰しているエルフ族でさえも月神は月神として崇めていて、神の月の祈りの日である今日は同時刻に祭儀を行っている。
月神はフォルテアル神やエルフ神よりも上位の神。
この星の『神階』で表すと万物の創造主が【最高神】で、その次の【上位神】が月神、その下の神階は【大天使】、その下が精霊王などの【守護神(天使)】、御使いのフォルテアル神やエルフ神はその次の【天使】の神階に位置する。
この世界の人は万物の創造主や月神を信仰していないのではなく、普段は直接自分たちを守護してくれているフォルテアル神(エルフ神)に懺悔を聞いて貰ったり感謝を込めて祈り、全ての生命を司る万物の創造主には『新星の祝儀』で自分たち生命を授けてくれたことに感謝を、月神には『豊穣の儀』で生きる糧を授けてくれたことに感謝をして祈りを捧げるらしい。
月神は特別な存在のため、神像や絵画にすることを許されているのは教皇の居る大聖堂と国王が居る王城の礼拝堂だけ。
万物の創造主に至っては、その姿を神像や絵にすることすら冒涜であると固く禁じられている。
だから人々は自分たちを直接守護してくれているフォルテアル(エルフ)神を偶像にして神々へ祈っているとのこと。
ちなみにこれは今日の祭儀の為に司祭さまから教わったこと。
俺はこの世界の信仰に関しては疎い。
この国の人が信仰する神がフォルテアル神で、アルク国が信仰する神がエルフ神と言うこと以外の知識はほぼ皆無だった。
朗読が終わり祈りの時間。
祭壇の左右に配置された巨大な篝火に助祭たちが火をつける。
それと同時に信徒たちが歌を歌い始めた。
「……ん?」
歌を聴いて思わず洩れた声。
聴いたことのあるそのメロディーに。
いや、全く同じではないから偶然似てるだけか?
そんなことを考えてる間にも火がともり賛美歌も終わると、教皇が手を組み祈りを捧げ始め篝火の炎が激しく燃え上がる。
それは幻想的な光景。
手を組み祈りを捧げる人々に呼応しているかのように炎はどんどん強くなりゆらゆらと揺れている。
魔力は感じないから誰かが操っている訳でもない。
不思議なこともあるものだ。
ぼんやり篝火を眺めているとじわりと身体が暑くなる。
いや、暑いではなく熱い。
まるで炎で焼かれているような熱さ。
でも肌が焼ける痛みもなければ不快でもない。
ただただ身体が熱いと感じるだけ。
それと同時に魔力が溢れてくる。
身体の中で魔力が暴走していて抑えられずここを離れないとマズイと思った瞬間、その魔力がスっと抜ける感覚がした。
「…………」
目の前に姿を現したのは、ブラジリア集落に訪問して母子を治療した時に見た白銀の長い髪をした白装束の神。
あの日と変わらず長い前髪で顔は見えないけれど、白と黒の翼で宙に浮いてジッと俺を見下ろしていた。
ハッと周りを見るとみんな変わった様子も驚く様子もない。
ということは俺にしか見えていないんだろう。
誰にも見えていないなら声を出す訳にもいかず、ただただ俺を見下ろしている神を見上げる。
まるで聖域の中に居た時のように身体が楽になるのを肌で感じて、目の前の誰かが神聖な存在なんだと改めて実感した。
「…………」
こう見るとたしかにベルが言っていた通り俺と似ている。
長さの違いはあるけど白銀なのも一緒だし、俺よりも一回り大きいけど身体の作りも自分の身体を見ているかのよう。
左右で色が違う白と黒の翼も同じ。
ただ、神がこうして姿を現したことで分からなくなった。
恩恵の〝神の裁き〟を使った時にフォルテアル神の形をしているのと同じで、あの時は発動していた〝神力〟の『癒しの光』という効果で俺が一番良く知る自分の姿が具現化したんだろうと思ってたけど、今はなんの特殊恩恵も発動していない。
特殊恩恵が発動すれば中の人が報せている。
「!?」
特殊恩恵が発動してる訳でも発動しそうな状況でもないのになぜ姿を現したのかと見上げながら考えていると再びの熱。
身体に熱さを感じているのはたしかなのに、やっぱり肌が焼けることもなければ汗ひとつ滲むことすらない。
その不思議な体感をしていると篝火の中で何かが弾けたような音が鳴ったかと思えば激しく炎をあげ、目の前の神の身体がぼんやり光り始めた。
これは一体なにが起きてるのか。
神と俺を中心に光の輪のようなものが広がっていく。
その光の輪は祭壇で祈る教皇の身体を通り過ぎ、前列に並んでいる聖職者の身体や警備の軍人の身体や信徒たちの身体すらも通り過ぎてどこまでも。
当然そんな遠くまで目視できてる訳じゃない。
でも何故なのかそう感じる。
知るはずもないことなのに、この光の輪は祈りを捧げる人々に少しずつ癒しを与えているんだと理解できている。
「……まさか月神なのか?」
豊穣の儀は月神へと祈る祭儀。
そのことを思い出して思わず呟くと、神は見えている口元に笑みを浮かべて俺の中に吸い込まれるように消えた。
【ピコン(音)!ステータスを更新。特殊恩恵〝月の導き〟を手に入れました。恩恵〝月の恵み〟を手に入れました。】
その中の人の声で確信した。
やっぱりあの神は月神だったんだと。
だから『月』に関係した特殊恩恵や恩恵を与えられた。
『中の人。月の導きの効果は?』
【ピコン(音)!平常時の全ステータス上昇、全耐性が上昇、回復魔法による回復量の上昇、聖属性魔法の魔力消費量が減少】
『恩恵の月の恵みってのは?』
【星に恵みを与えます】
『……ん?』
【大地や大気に生命力を与えることで草木を成長させることが出来ます。また、大地や水や空気を浄化することも出来ます。効果の範囲は消費する魔力量で変化します】
……とんでもない恩恵じゃね?
さすが豊穣の神の特殊恩恵と恩恵なだけある。
『それ、地上全ての大地を豊かにするってことは』
【不可能です。魔力量が不足しています】
『ですよね!それが出来たら神の所業だからね!』
まあ分かってた。
大地を浄化したら地上でも生魚を食べられるようになるんじゃないかと淡い期待をしたけど、そんなに甘い訳がない。
層や星の規模で豊穣を与えるのは月神だからできること。
『分かった。ありがとう』
【お役にたてたのであれば幸いです】
お礼を伝えるとそう返してきてプツリと声は途絶える。
特殊恩恵が解放されたからかますます人っぽくなってきた。
思えば今までに色んな常識外れの能力が解放されてきたけど、一番不思議な能力は最初からある中の人かも知れない。
中の人と会話したあと改めて祈る。
今年一年の豊穣と特殊恩恵を授けてくれたことに感謝して。
いや、特殊恩恵や恩恵はその人が生まれた時から持っているもので条件を満たした時に解放されるんだから、正確には『解放する条件を満たしてくれたこと』に感謝するべきか。
そう考えるとなぜ俺は月神に関係する能力を持っていたのか。
唯一思い当たるとすれば同じ創造主から創られたことくらい。
あちらは『神』で俺は『神魔族』だから別物だろうけど。
自分の種族や与えられた役目のこととまだ分からないことは多いけど、今は地上の人々と一緒に感謝の祈りを。
そして来年もこの星の生命に神の恵みがありますように。
教皇の祈りが終わって今度は俺の番。
祈りの間は静かになっていた信徒たちも俺が聖卓に立つとザワザワと騒がしくなる。
「本日の青く美しい清澄な空の下、諸君と共に豊穣の神である月神へ祈りを捧げる栄誉を賜ったことを喜ばしく思う」
話し始めるとピタリと止まった声。
言われて空を見上げる人も少なくなく笑みが洩れる。
「異界から来た私はこの星の神々に明るくない。この星の人々の中にも明るくない者は居るだろう。信仰は自由。それは誰かに強要されることでもなければ強要していいものでもないと私は思う。ただ、祈りの日の今日だけは一人でも多くの者がほんの少しの時間でも、命を育む糧を口にできて今を生きていることに感謝をする時間を設けてくれることを願う。時間や形は問わない。大切なことは自分が今生きていることの奇跡を喜び、生きるための糧や糧を与えてくれる全てに感謝をする心だ」
普段は信仰心のない人でも今日だけは。
生きるために必要な力を与えてくれる食糧に感謝を。
食糧を育んでくれた大地に感謝を。
神々という大きな存在はピンとこなくとも、口に出来る糧があることの幸福に感謝をするための時間。
「かくいう私もこの星の正しい祈り方は分からない。けれど感謝する心は同じ。不思議にも諸君が歌唱した神曲とよく似た異世界の賛美歌という神を讃える曲で感謝を伝えようと思う」
正直ここに立ってからのことはアドリブだったから助かった。
クズがアドリブで長々と話せばボロが出るかも知れないけど、知っている歌を歌うだけなら下手なことを言わずに済む。
それに歌ならホストをやっていて散々歌ってきたから割と得意な方だ。
「命を育む糧に、大地や大気に、草木や水に、星に感謝を。生命に必要な恵みを授けてくださる月神に感謝を」
歌ったのはアメージング・グレイス。
信仰する神は違っても日本に居ればどこかしらで聴いたことがあるくらい有名な賛美歌の一つだろう。
「……これが本物の神曲」
独りぽつりと呟いたのは教皇。
似ているのも当然のこと。
今歌っているその曲こそが原曲なのだから。
数百年前、たった一度だけ劇場で歌われた曲。
金色の粒が降る幻想的な光景の中、誰が歌っているかも不明だったその曲の美しい旋律に魅せられた音楽家が、覚えている部分の旋律を書き出しアレンジして曲を完成させたのだから。
後に歴史学者の研究で歌詞がこの星の言語ではなかったことが判明して歌唱者は異界人の勇者だったのではないかと言われていたが、神曲を知らない異界人の英雄が似た曲を歌ったことでその説が正しかったことが解明された。
拡声石を使い青く澄み渡る空に響く英雄の歌声。
直接大聖堂前広場に居る人々も放映石を通し豊穣の儀の様子を見ている人々も両手を組み、その心休まる優しい旋律と逞しくも美しい英雄の歌声に耳を傾けていた。
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異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
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2021/05/05 第二部完結
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☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
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