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第零章 先代編(後編)
業を背負う者
しおりを挟むとある日の早朝。
場所は緋色宮殿贖罪の塔。
石でできた塔の長い廊下を歩く足音が二つ。
「セルジュ!ドナ!」
鈍い音をたて開いた鉄扉から入って来たのはセルジュとドナ。
牢檻越しに見た二人の姿にアルメルは椅子から立ち上がる。
王家の王子らしく品よく着飾ったセルジュとドナは、監視が置いた椅子に座った。
「お加減いかがですか?母上」
そう問いかけたのはドナ。
以前は気の弱さを表しているかのように長い前髪で顔を隠し猫背気味に小さくなっている印象のドナだったが、今では長い前髪を留めしっかり顔を出して肌ツヤもよく健康的。
猫背気味だった背筋もピンと伸ばし堂々としていて、その姿は王家の者に相応しい品格すらも感じさせる。
「よい暮らしをしているのね。私を監禁しておいて」
眉を顰め厭味を口にするアルメル。
第二王子のセルジュは以前と変わりないが、その隣に居ても王子として何ら遜色ないドナの変貌ぶりが気に入らない。
「監禁ではない。罪人を幽閉しているだけだ」
「母を罪人扱いするの!?」
「事実だろう。自分が勇者に何をしたか忘れたのか」
口を開いたのはドナではなくセルジュ。
相変わらず都合のいい時だけ母親の立場を利用するアルメルをセルジュは鼻で笑う。
「母上が抱えていた男妾や集めた使用人にも暇を出した。母上の悪事に協力した者は既に罪を償い旅立ったがな」
主犯のアルメルが王家裁判にかけられないため罪状の割に公開処刑とはならなかったが、宮殿の家令でありアルメルの執事でもあったモルガンを筆頭に、勇者誘拐に協力した男妾や使用人の数十名が極刑となった。
「そんなことどうでも良いから私を塔から出しなさい!」
「自分の所為で極刑になった者たちをどうでも良いとは」
呆れたセルジュは溜息をつく。
勇者保護法を破ることが大罪だと知りながら協力した者たちの末路としては正当な処罰であったが、今まで散々悪事を手伝わせた当の本人がどうでもいいと切り捨てるとは救いがない。
「私は王妃よ!正妃が居ない今は私が正妃と言っても過言ではないのに、こんなことをして許されると思っているの!?私が言えば二人は極刑になることを忘れないで!」
冷たい鉄の柵を掴んで牢檻の向こうにいる二人に食いかかる勢いで物申すアルメル。
「母上はもう王妃ではありません」
そう話したのはドナ。
精神衰弱した罪人として贖罪の塔に幽閉されているアルメルをわざわざ牢檻に移して面会したのは、協力した者の最後の一人の処刑が済んだこととその件を伝えるため。
「先日の王家会談にて母上は身分と全権限を凍結されました」
国王と王妃、そしてその子供である大公で行われる会談。
例年は王家の者に相応しくない行動は慎むよう互いを諌める目的で開かれていたが、今年は違った。
「取り調べで今まで母上が犯した数々の罪が明らかとなり、満場一致で王家の者に相応しくないとの判断がくだりました」
王家裁判とは違い会談で刑罰に処すことや身分を剥奪することはできないが、国王を筆頭に王家に連なる者全員が王家の者として相応しくない人物と判断すれば、例えそれが王妃であっても身分や権限を凍結することができる。
「ドナ。そのような説明をしても妃教育を受けていない母上では理解できないだろう。もっと分かり易く噛み砕いて説明してやらねば。今の貴女の身分は一般国民以下の罪人だと」
アルメルに対して口元をニヤリとさせるセルジュ。
「まだ取り返しのつく失態であれば一時的な凍結で済ませただろうが、勇者保護法を犯した大罪人に取り返しなどつかない。無期限の身分凍結は身分を剥奪されたことと変わらない」
凍結されている間は王妃を名乗れず権限も使えないというだけで王家とは無関係の人間となる剥奪ではないことが残念ではあるが、全権限を奪われた王妃などもう何もできはしない。
「そんなことが許されるはずがないでしょう!」
牢檻の柵を強く握って怒鳴るアルメル。
正妃が亡くなった今は自分が正妃と同じ権力を持つと考えていたアルメルは、自分を罰せる者など居ないと甘く見ていた。
「許されるのです。既に身分を凍結された貴女には私たちを制限する権限がないのですから。王家会談の場にて王家に連なる者全員が身分凍結に合意し陛下と王太子が調印しました」
会談は国の裁判ではない。
王家の者が身内の言動を裁くもので、軽ければ注意や謹慎、王家に相応しくない言動と判断されれば身分を凍結する。
「国王と王太子が調印した。それは何より強い行使力を持つ」
「マクシムに私の身分を奪う権利などないわ!今すぐ陛下の元に行って私が極刑にするよう言っていたと伝えなさい!」
それを聞いたドナは嫌な予感がしてセルジュをチラリと見る。
兄と冗談混じりに王家の身分階級を分かっていないのではないかと話したことはあったが、まさか本当に?と。
「母上。正妃の居ない今は自分が正妃と言っても過言ではないと申しましたがそれは違います。たしかに私どもにも優しかった正妃は無念にもご崩御なさいましたが、ご崩御後も父上は正妃の身分を剥奪しておりません。現国王の父上が身分を剥奪しない限り正妃はブランディーヌ妃ただ一人。母上はあくまで第二妃であり、国王はもちろん王太子よりも身分は下です」
ドナの話で監視についている数名は大きく頷く。
普段から塔を警備している者たちはアルメルの口から正妃や王太子を見下すような発言を幾度も聞いていて腹立たしく思っていたが、二番目であろうと自分たちよりも上の身分である者の発言を咎めることは許されなかった。
「王妃は全ての子たちの母よ!マクシムは私の下でしょう!」
「違います。マクシム兄さんは大公の中でも特別な存在である王位継承権第一位の王太子です。身分の高さで言えば、国王、正妃、王太子の順。第二妃の母上はその次です。陛下にマクシム兄さんを極刑にするよう伝えろと申されましたが、そのような不敬を口にして極刑に処されるのは母上の方です」
王妃だからと言って正妃の子である王太子より上の訳はない。
国王を除けば次に身分が高いのは正妃であり、その次は国王と正妃の間に一番最初に産まれた男児である王太子。
そんな一般国民でも知っていることを説明しなければならない馬鹿馬鹿しさと虚しさにドナは溜息をついた。
「その考えであれば勘違いしているのでしょうが、今まで母上の愚行が許されてきたのは母上の方が身分が高いからではなくマクシム兄さんが問題にしなかったからです。正妃亡きあと王位継承権を持つ自分やグレースが母上や三妃から様々な妨害を受けるだろうことが分かっていて、せめてグレースには矛先が向かわないよう自分が矢面に立つことを選んだのでしょう」
それに気付いたのは母上が幽閉されたあと。
無能に権力を持たせてはいけないという見本のような母上から解放され兄も私も心に余裕を持てるようになり、初めて自分たちの異母兄妹の様子を見渡せるようになって気付いた。
「マクシムは国王になる者として相応しい器の持ち主だ」
「私が皇后になるのだから次の国王はセルジュよ!」
それを聞いてセルジュはピクリと眉を動かす。
「その言い方は誤解をうむのではないか?皇后というのは国王の母のことだが、継承権を持つ私かドナが国王にならなければ母上も皇后になどなれはしない。今の言い方ではまるで皇后になった者の子供が国王となるかのように聞こえるぞ?」
国王となった者の母が皇后と呼ばれる存在。
どちらにせよそれは叶うことがない世迷いごとではあるが、まるで自分が皇后になることが先かのような常識の欠片もない言い方を監視たちの前でするのは控えて欲しい。
「皇后は皇后でしょう!皇后の子供が国王になるのよ!」
「……まさか本当に?」
「そのようですね」
「驚くほど頭が悪いな」
やはり『国王の母が皇后になる』ではなく『皇后の子供が国王になる』と訴えるアルメルにセルジュは深く眉根を顰め、ドナはこめかみを押える。
「母上は妃教育以前に訓練校で一般教育を受けたのか?皇后がどのような存在かなど一般国民でも知っていること。貴族であれば尚のこと訓練校に通い習うだろう。元は侯爵家の娘でありながらフォークとナイフの握り方しか教わらなかったのか?」
まさか面会でこのような恥をかかされることになるとは。
そもそも監視も母上が賢いとは思っていなかっただろうが、自分たちが護る国の第二王妃がこれとは嘸かし呆れただろう。
「母上を二妃に選んだ者は有識者とは名ばかりの無能だな」
「国家転覆でも狙っていたのかと疑いたくなりますね」
こめかみを押さえて大きな溜息をつくセルジュとドナ。
二人が優秀な王子であることはもう監視たちにも分かっているだけに、よくこの母から優秀な子供が育ったなという気分。
尤もそんな本音を顔に出すことはできないが。
息子二人に呆れられてアルメルの顔は真っ赤。
無知な自分に恥ずかしくなったのではなく、人前で恥をかかされたという盛大な責任転嫁で。
ワガママ放題に育てられたアルメルはそんな性格。
「私が居なくては王妃の務めもままならないでしょう!」
「ご心配なく。グレースやフレデリクが代行しておりますが国民は喜んでおります。フレデリクは視野が広いので様々な改善が進んでいますし、心優しいグレースは人気がありますから」
王妃の務めは立派に二人がやり遂げている。
むしろ母上が正妃の代行をしていた時より遥かに国民のためになっている。
「そんな馬鹿な」
「当然だろう?民の声より自分が気に入らない部分しか目に入らずその改善すらも実際に見ていないドナに丸投げするだけの無能な王妃と、自分の目で見て声を聞いてくれるフレデリクやグレース。どちらが民にとって必要な人物かは明らかだ」
見てもいないことを改善するという無茶ぶりでしかないそれが何とか形になっていたのはドナが優秀だったから。
「ただ派手に着飾って顔を見せるだけのお飾りが、自分が居なければ王妃の務めもままならないとは笑わせる。ドナが優秀でなければ今頃民の生活は大変なことになっていたというのに」
「生意気な!」
嘲笑うセルジュにアルメルは怒り心頭。
牢檻の柵を両手で叩くことで怒りを表現している。
「人格者であったブランディーヌ妃がご存命でないことが悔やまれる。もしご存命であれば王妃の存在が民にとって居ても居なくとも変わらない存在にはならなかったのだろうが」
この国の民にとって王妃はお飾り。
本来であれば次の国王となる世継ぎを遺す大役を務めて民に寄り添う王妃は国母として敬われる存在。
けれど今の王妃たちはどうだ。
第二王妃が療養中と聞いても貴族たちが形ばかりの見舞いの品を贈る程度で、民に至っては気にとめてもいない。
第三王妃が宮殿にこもり王妃の務めに出なくとも行事以外で見かけないことが当たり前になっていて気にもとめない。
「王妃の存在価値とはなんだろうな」
民たちの血税で贅沢をするだけの王妃。
世継ぎは遺してくれたからもう要らない、が民の本音だろう。
そうなっても民を責めることはできない。
それほどに王妃とは名ばかりのお飾りでしかないのだから。
珍しく表情を曇らせるセルジュに監視たちは胸を痛める。
王妃という以前に王子たちにとっては血の繋がった肉親であるはずの人の存在価値を疑問に思うほど、母子としての関係性は希薄だったのだろう。
「王妃の身分を永久凍結された母上が今後ご公務に出る機会はありませんのでお心静かに療養してください。僭越ながら私たちが国を支える陛下にお力添え出来るよう尽力して参ります」
母上の役目は子供を遺した時点で終わっていた。
私たちに三兄妹にとっても国民にとっても害悪でしかない。
そう思われる道を選んだのは他でもない母上自身なのだから。
「もう行きましょう兄さん。長居をしては母上のお体に触りますので。母上には一日も早く正常な精神を取り戻して罪を償うという大役がまだ残っているのですから」
目の前に居るのは王妃ではなく大罪人。
王妃としてしなくてはならないことはないけれど、大罪人としてしなくてはならないことが残っている。
「待ちなさい!母親にそんな事を言っていいと思ってるの!」
「都合が悪くなった時にだけ母を名乗るのは辞めろ。貴様は我が子を盾に陛下へ男遊びと贅沢するための金をせびっていただけで、私たちをただの一度も抱いたこともなければ愛したこともないだろう。血が繋がっているというだけで虫唾が走る」
殺気すら感じさせるセルジュの冷たい目。
母子としての僅かな情すらなくなったのだと監視たちもその殺気に自然と背筋が伸びる。
「こうなったら全て話してやるわ!」
鬼のような形相で口を開いたアルメル。
その言葉にセルジュとドナの動きが止まる。
「ドナ!貴方は陛下の子じゃないわ!王家を名乗る資格も国王になる資格もないの!処刑人との間に出来た子なんだから!沢山の人を殺した処刑人の子が王子なんて笑っちゃうわ!」
そう言ってアルメルは大笑いする。
それにギョッとしたのは監視たち。
ミシェルには全く似ていないドナが実の子ではないことは察していたが、まさかそれを自分の口で暴露するとは。
このことが民に知られれば大変なことになる。
「母上は王妃でありながら不貞行為を働いたと?」
「そうよ?美しい男性から引く手数多だった私が幼い子供と成婚したのは、王妃になれば好きなだけ欲しい物を手に入れられると思ったからだもの。それなのに子供の癖に生意気にも私にお説教するなんて。セルジュを産んだだけ感謝して欲しいわ」
なんという愚弄の数々。
国王のミシェルを崇拝する監視たちはつい剣を握る。
「その方は母上が王妃だと知っていたのですか?」
「当然でしょう?」
「では母上が王妃だから拒絶できなかったのですか?」
「いいえ?最初は拒否したわ。でも王妃に逆らうなんて許されるはずないでしょう?だから選ばせてあげたの」
「選ばせた?」
「愛する者の命か忠誠を誓う陛下か」
それを聞いたセルジュは壁を殴る。
王妃や母どころかヒトですらない鬼畜の所業に。
「それでその方は愛する者の命を選んだのですね」
「ええ。それまで沢山の命を奪った処刑人がただの庶民の女の命を選ぶなんて笑えるでしょう?最中にもその場に居ない庶民にずっと謝っているからおかしくて仕方なかったわ」
酷いことを。
罪人を処罰する処刑人は心を病む者が多い就きたくない職であって、この女のように人の命を弄んで楽しむ下衆とは違う。
むしろ命を奪う職だからこそ命を尊ぶ者が多い。
まして天秤にかけられたのが愛する者の命ならば、国王への忠誠や国仕えとしての正義感を捨てても守りたかったのだろう。
それを責めることはできない。
「勇者にも同じように選ばせるつもりだったのですか?」
怒りの伝わるセルジュの袖を軽く摘み落ち着くよう促したドナは話題を勇者のことに変える。
「いいえ?彼は反抗しなかったもの」
「はい?」
「彼を天地戦で死なせるのは惜しいわ。この世の者とは思えないほど美しいのだから。顔が美しいだけではなく体も雪のように真っ白で、潤んだ目とほんのり色づいた頬が愛らしくて」
あの時のことを思い出して興奮気味に話すアルメル。
今まで見た誰よりも愛らしく美しかったと。
「……拐っただけで未遂に終わったのではないのですか?」
「貴方たちが邪魔をしたのよ。いいところだったのに」
「拒否されなかったのですか?」
「拒否なんてされなかったわ。大人しくしてたもの」
「香の名は忘れましたがその所為で動けなかっただけでは」
「ふふ。媚薬香で動けなくとも良さそうにしてたわよ?肌は絹のように滑らかで唇も柔らかかったわ」
ミシリと軋む音のした牢檻。
表情をなくしたドナが柵を掴んでアルメルに顔を寄せる。
「香で動けないのをいいことに勇者の肌に触れたのですね?」
「……あら?ドナは彼に好意があるの?」
「答えてください。勇者に触れたのですか?」
初めて見るそのドナの姿にアルメルは笑う。
自分には逆らえずヘラヘラと笑って従っていたドナでもこんな表情をするのかと。
「ええ。体に触れて口付けもしたわ。彼は脱がせても美しかったわよ?でも残念だったわね。幾ら美しいからと言って同性では妃にはできないもの。叶わないのに可哀想に」
柵越しにドナの頬に手を寄せてくすくすと笑うアルメル。
それを聞いてドナの体からフッと力が抜ける。
「最後までは至らなかったようで安心しました」
最後まで行為に及んだのであれば気付かないはずがない。
勇者が半陰陽であることに。
衣装を脱がせ肌に触れ口付けたことは事実だろうがそこまで。
彼の純潔は穢されていない。
「処刑人に勇者。宮殿に囲った寵臣だけでは飽き足らず、母上は今までどれほどの数の民の命を弄んだのでしょう」
「あら。私はこの国の王妃よ?何か問題があって?」
「王妃ならば命を弄んでもいいと?容姿が美しいからと監禁して恥辱の限りを尽くし捨てる。それが悪事ではないと?」
眉根を顰めるドナにアルメルは笑う。
「ドナ。幾ら偽りの王子でも今日まで王家の一人として生きてきたでしょう?王妃の私の命と平民の命のどちらに価値があると思っているの?民の命は国母の私のもの。私が望んでいるのだから体でも命でもお金でも喜んで差し出すのが当然よ」
国母とは思えないその言葉。
いや、元から国母などではなかったな。
「精神を病み発狂してしまった者、脚や腕や目や舌といった体の一部を失った者、生殖器を失い二度と子宝に恵まれることのなくなった者、体内まで傷付けられ医療具なしには生きられなくなった者、命すらも失った者。母上の愚行により人生を狂わされたその者たちに対しての罪悪感は一切ないと?」
監禁され行為を強要され精神を病むだけでは済まされず、生殖器をズタズタにされ二度と使い物にならなくなった者や子宮を失った者、体の美しい部分を切り取られて捨てられた者や命を奪われ事故として処理された者もいた。
それでも王妃だからと逆らえず被害者は口を閉ざし、宮殿に仕える母の腰巾着どもに悪事の数々を隠蔽された。
「罪悪感?面白いことを言うのね。末路はどうでもみな快楽に浸り楽しんでいたのに何が悪いのかしら」
心から楽しんでいた者など母上と一部の男妾だけだろうに。
その男妾たちは既に罪を償わされたが。
「そうですか。母上のお考えはよく分かりました。色々とお聞かせいただいたので私も少しお応えしましょう」
牢檻の前からスっと離れたドナはくすりと笑う。
「私はドナ・ヴェルデ。正統な王家の血を継ぐ王子です」
「いいえ。貴方はニコラ・ダリエ・エクスピアシオンの子よ」
その名前を聞いて驚いたのは監視たち。
返り血の狂人と呼ばれた処刑人であり、数少ない賢者の一人。
真面目な彼は処刑人を続けたがため心を病んで自ら命を絶ったと噂されていたが、まさか命を絶った本当の理由が王妃から不貞行為を強要されたからだったとは。
「母上はその方を脅して不貞行為に及んだのですね」
「貴方の父よ」
「私の父上はミシェル・ヴェルデ・ブークリエです」
「強がっても無駄よ。民にこのことが知られたら王家は笑い者になるでしょうね。今まで王子だと思っていた子が実は処刑人の子だったんだもの。浮気をされた国王と処刑人の血を継いだ偽物の王子なんてどんな反応を見れるか楽しみだわ」
心底楽しそうに笑うアルメル。
それを見てドナも笑う。
「……なによ」
「いえ。母上が頭の悪い愚者で良かったと思いまして。全て自供してくれたのですからね。王家裁判にかける必要なく」
本来なら王家裁判で聞き出すところを自供してくれた。
勇者を拐ったことも、勇者に媚薬香を使って体の自由を奪ったことも、動けない状態にして手を出したことも。
そのうえ王妃でありながら国王でも男妾でもない者と不貞に及んだことも、その者との子を国王の子として偽ったことも。
「父上や王家が笑い者になる日など来ません。もう一度言いますが、私はヴェルデ王家の血を継ぐこの国の王子です」
「だから違うと言って」
「私はヴェルデ王家の血族だけが持つ神眼を使えます」
「嘘よ!使える訳ないわ!」
「ではお見せしましょう」
くすりと笑って瞼を閉じたドナ。
その後すぐにゆっくりと瞼をあげる。
「……黄金神眼」
ぽつりと呟いたのは監視の一人。
国仕えでもある彼らは普段話しかけられでもしない限り王家の前で言葉を発することをしないが、今回ばかりは仕方がない。
思わず言葉が漏れてしまうほどのことが今まさに目の前で判明したのだから。
「訓練校に遊びに行っていただけの母上でも黄金神眼はご存知ですよね?兄さんと私は覚醒して黄金神眼を得ました」
ヴェルデ王家の血族だけが持つ神眼。
その上の黄金神眼を持つ者はこの世界の歴史の中でも極稀。
現国王が覚醒して得るまで黄金神眼を持つ者は長らく現れていなかったと言うのに。
「これで信用していただけましたか?私が王家の者だと言うことを。母上は愚かにも父上を裏切り不貞行為に及んだようですが、私はその方との間に出来た子供ではなかったようですね」
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監視たちは二妃の戯言を信じた自分を恥じた。
「……そんな馬鹿なことが」
膝から崩れ落ちるアルメル。
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「鍵を」
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押さえつけていた手を離してその手をアルメルに翳すドナ。
セルジュもアルメルに向け剣を構える。
「ブークリエ国第二王子セルジュ・ヴェルデ」
「ブークリエ国第五王子ドナ・ヴェルデ」
「王位継承者権限を公使し貴殿の処刑を執行する」
静かな静かな贖罪の塔。
冷たい床に横たわる元王妃と返り血に濡れた王子が二人。
国王や王太子を欺き、自らの子供を盾や駒として扱い、勇者の御身や民の命までも弄んだ非道な王妃はもう居ない。
国のため、王家のため、勇者のため、民のため。
親殺しの業を背負い刑を執行した二人に、監視たちは胸に手をあて深く深く頭を垂れた。
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しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
無能なので辞めさせていただきます!
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はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
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