ホスト異世界へ行く

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第零章 先代編(前編)

散策

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「そうか。春雪殿が自ら力を」

公務室でセルジュとドナから討伐報告を受けたミシェル。

「父上は春雪さまの能力をご存知だったのですね」

ミシェルの落ち着いた様子を見て気付くドナ。
勘のいいドナにミシェルはチラリと視線を送る。

「現在ミシオネールが調べている最中だ。この世界にはない未知の能力のため、まだ詳しくは分かっていない」

賢者ミシオネール。
秘匿性の高い勇者の能力に関わることだとはいえ彼が関わっているのかとセルジュとドナは生唾を飲む。
彼の名前を出したということは、これ以上この件について深入りするなという圧力でもある。

「お前たちは春雪殿をどう思う」
「申し訳ございません。質問の意図が分かりかねます」
「言葉のままだ。お前たちが春雪殿のことをどう思っているのかを聞いているだけで試しているのではない」

漠然とした曖昧な問いにセルジュが問い返すとミシェルはデスクの引き出しを開けて葉巻のケースを出す。

「素晴らしい能力をお持ちの勇者さまであると存じます」
「才能に溢れた御仁であるかと」

当たり障りのないのない答え。
勇者の能力にしか触れないその答えを聞きながらミシェルは火をつける。

「それだけか?」

煙を燻らせ二人を見たミシェル。
見透かすようなその目にセルジュとドナは体をこわばらせる。

「私は勇者方の能力を知った上で早めの外部訓練を行わせるつもりで許可をしたが、お前たちが春雪殿の能力を知ったのは今日。何が目的で自分たちの調査へ同行させようとした」

我々が魔物を仕向けたと疑っているのか。
そう察した二人。
勇者を誘拐した愚妃と血の繋がりがあるだけに疑われても仕方のない状況ではあるが。

「気に入ったのか」
「「え?」」

予想外の言葉に思わず素で疑問符をあげたセルジュとドナ。

「勇者の情報を他言すれば王子であっても重罰。近付かなければ知ることもないが、親しくなるほど多くの秘密を抱えることになる。用心深いお前たちが不必要に近付くとは思えない」
「私どもが魔物を仕向けたと疑っているのでは」
「Aランクの魔物をか?同行しているのが騎士団や魔導師団なのだから悪巧みで仕向ける魔物にしてはお粗末だろう」

亜種が本来の生息地以外に現れることは珍しくない。
勇者が戦わずとも国王軍の騎士や魔導師で倒せる魔物を仕向け自分たちの立場を悪くするなど二人はそんな愚かではない。

「念のため調査はさせるがオリビンボアが現れたことは偶然だろう。国王軍が同行していることを知らない者が仕向けたと言うのなら可能性がないわけではないが」

疑われていた訳ではなかったのかと内心胸を撫でおろす二人。

「なぜ春雪殿を調査へ同行させようと思ったのか。私が聞いているのはそれだけだ」

セルジュとドナはお世辞にも仲のよい兄弟とは言えない。
特にセルジュはドナやララを快く思っていない振る舞いをしていたが、今回はドナと連名で春雪の同行を嘆願してきた。
そのうえ報告もドナ一人に任せにせず自らも来たとあれば、変化した理由に春雪が関係しているのではとミシェルが思うのも当然のことだった。

「……勇者さまに森をお見せしたかったからです」
「森を?」
「先日の茶会で庭園を散歩した際にお聞きしたのですが、春雪さまのおられた世界では木や花が珍しいそうです。母上から拐われた先で初めて自然の森を見たらしく違う機会であれば森林浴をしたかったと残念そうでしたので、それならばと」

無事に生還できたからこそ思えること。
ただ、生まれて初めて見た森を楽しむ余裕もない状況にさせたのは自分の母であり、軽率に思えるドナの提案に乗るくらいにはセルジュの中にも罪悪感や同情心が芽生えた。

「そうだったか」

セルジュやドナらしからぬ嘆願を受け二人で何を企んでいるのかと調べるつもりで許可をしたが、まさかそのような好意的な理由だったとは。

「このまま森へ戻るのだろう?」
「はい。安全な休憩地でそのまま待機させておりますので」

亜種の魔物が現れたためこの後の調査をどうするか判断を仰ぎに戻って来たが、中止でも続行でももう一度森へは戻る。

「お前たちが嘆願したのだ。予定通り調査が終わり王都へ戻るまでは勇者方をお守りするように。さがってよい」
「「はっ」」

胸に手をあてハッキリ答えた二人は公務室を出て行った。

「セルジュとドナは春雪を好いているようだな」
「そのようで」

二人と入れ替わりで入って来たイヴ。
企みを調べるためとはいえ勇者を危険にさらす訳には行かず姿を隠し同行していたが、判断を仰ぎに戻るセルジュやドナよりも一足先に転移魔法で戻って来ていた。

「春雪殿が子を成せるのであればご成婚は可能です」

勇者であれば王家の者との成婚も難しくない。
むしろ国民は喜ぶだろう。
ただしそれが王女でなく王子が相手となれば、半陰陽エルマフロディットの春雪が子を成すことができるなら……が条件だが。

「春雪殿は元より中性的な容姿ですので、王子とのご成婚となれば国民も女性勇者だったのかと思うでしょう」

見た目だけなら女性にも男性にも見える春雪。
召喚祭で国民に紹介した際に性別には触れていないため、今は男性だと思っている者も王子と成婚すると聞けば自分が勘違いしていたと思うだろう。

「春雪は男性だ」

そう思いたいだけだろうに。
自分のために。

春雪殿は男性であり女性でもある。
それがただ一つの真実であっても受け入れたくないのは、受け入れてしまっては胸に秘めた感情のやり場がなくなるから。
どれだけ好いても自分の妃に迎えることはできないから。

「少々口が過ぎたようですな」

可哀想な青年。
今のミシェルは国王ではなく愚かな有識者たちに人生を狂わされた哀れな青年。

「みなが調査から戻り次第、春雪の能力については箝口令を」
「承知しました」

春雪と関わり変わっていく者たち。
ある者にとっては良い方に。
ある者にとっては悪い方に。





「えー。ここで訓練するんですか?」
「亜種の魔物が出ましたので奥へ行くのは」

続行の許可が出て軽く食事を済ませたあと、本来は魔物や素材の採取を行うはずだった予定が変更になりガッカリする美雨。

「魔物と戦わなくては森へ来た意味がないのではないか?」
「もうオリビンボアと戦いましたので」
「実戦訓練では様々な魔物を見て知ることと戦い方を学ぶのが目的と言っていたではないか」

実際に戦わないなら訓練所と同じ。
元の世界には居なかった魔物という生物を知ることや戦い方を学べると思っていた時政も溜息をつく。

「場所が違うだけの模擬訓練になっちゃいそうですね」
「うん」

最後まで食べていた春雪の隣で柊も本音をポツリ。
大自然を見たかった春雪だけでなく、訓練所や講堂と宿舎の行き来しか出来なかった他の三人も森の散策を楽しみにしていたから、入口からさほど離れていない開けた場所で訓練して終わりとなれば残念に思うのも仕方がない。

「この世界の人って俺たちをどうしたいのか分からない」
「どういう意味ですか?」
「魔王を倒せって言うのに魔物だと危ないから戦わせないって矛盾してる。実際に戦って経験を積んだ方が早いと思うけど」
「まだ早いってことでしょうね」
「さっきの魔物以上に強い魔物は居ないはずなのに?」

オリビンボアは本来この森には居ない魔物。
この森は弱い魔物しかいないと聞いていたんだから、あれ以上の強さの魔物が他にも居るとは思えない。

「あの魔物が倒せたんだから他も倒せそうだけど。もちろんあの魔物を倒せたからって舐めてかかったら危ないから、この先も気を付けて進みましょうってなるならわかるんだけど」

強くなって欲しいのか弱いままでいて欲しいのか。
言っていることとやらせていることがちぐはぐなのが不快。

「父上が続行と言ったのだから予定通りでいいだろう」
「恐れながらセルジュ殿下。勇者さまを危険に晒すのは」
「お前たちは幼児の引率に来たのか?」

見るに見かねて口を挟んだセルジュ。
勇者教育に関して口を挟むつもりはなかったが、講師や魔導師のやり方は勇者のためにならない。

「オリビンボアを倒す力のある勇者さま方ならば早々危険はないだろう。もし万が一にも危険なことがあれば我々が手を貸せばいい。なんのための外部訓練だ」

セルジュの正論に口を結ぶ講師。
相手は勇者教育に携わる者でなくても王位継承権第二位。
しかも今日の責任者はセルジュとドナのため、尚更言えない。

「私も今回は兄さんに賛成です。実体験に勝る訓練はありませんよ?勇者さま方が成長しようとしているのに講師や魔導師が自分の都合で足枷をつけるなどあってはならないことです」

セルジュに加勢したドナはニコリと笑う。
講師は教育者。
生徒である勇者自らが学ぼうとしているのに、教育者の自分たちの不安を押し付けて予定を変更するのはいただけない。

「予定通り外部訓練を行いたい勇者さまは私や兄と一緒に。基本を学びたい勇者さまはここに残り貴方がた講師から教わるという方法では如何ですか?決めるのは勇者さま方です」
「はい!私は予定通りを希望します!」

ドナの提案で真っ先に手をあげたのは美雨。
今の今までガッカリしていたのだから選ぶのは当然そちら。

「私も殿下にお供させていただく。わざわざ魔物の居る森に来て訓練所でもできる模擬訓練をする意味がわからない」

時政ももちろん実戦訓練。
それが目的で来ているのだから。

「ごめんなさい。俺も素材探すのが楽しみだったので殿下と」
「俺も森を回りたい」

最初からわかっていた結果。
勇者たちが講師の変更に納得していないことを見てセルジュやドナも口を挟んだのだから。

「講師は導き手であって生徒を意のままに操り自らの型に嵌めることが役目ではない。お前たちはここに残り今一度自分たちの役目が何かをしっかり考えるがいい」

勇者は子供ではない。
訓練校や魔導校の初等科生徒とは違う。
いつ開戦するか分からない天地戦までの期間に何を学び何を切り捨てるかは、実際に天地戦に立ち魔王の討伐に命をかけることになる勇者たちが決めることだ。

「セルジュ王子かっこよ」
「チョロすぎ」
「なんか言った?」

ボソッと言った美雨にボソッと返した柊。
腹パンされる柊を見て、懲りないなと春雪と時政は苦笑する。
でも、セルジュとドナが自分たちの意思を尊重してくれたお蔭で森を回れることになったのは有難かった。

「私は同行させる騎士と魔導師を選別する」
「はい。では勇者さま方は私と荷物の再確認をしましょう」
『はい』

四人の中でセルジュとドナの株が爆上がり。
実力もあり、自分たちの気持ちを蔑ろにしない王子と。
容易い勇者たちではあるが、セルジュやドナが強者であることも、勇者たちの気持ちを優先していることも事実だった。

「講師には少し申し訳ないことした気もする」
「真っ先に手を挙げたのに?」
「だって楽しみにしてたんだもん」
「俺もそうだよ。宿舎と講堂と訓練所くらいしか行かないし」

座って魔導鞄アイテムバッグの中身を出しながら話す美雨と柊。

「私も罪悪感がない訳ではないが、正式に外出が許されたこの機会を逃したくない。今朝の師団の発言からして私たちが外出することをよく思っていないようだからな。開戦がいつになるかは分からないが、次の機会があるのかどうかも危うい」

危ないからと講堂や訓練所で済ませたい教育者と、実戦経験を積んでいち早く強くなりたい時政の意見がぶつかるのは必然。
今までは時政が『まだ自分に力が足りないから』と我慢していたから口論にならなかっただけで、師団の発言で個人的に外出させるつもりがないことを知って不満が爆発してしまった。

「俺も時政さんと同じく実際に戦って身につけたい派。開戦までにどれだけの時間が残されてるのか分からないからこそ、例え荒療治だろうと少しでも多くの経験を積みたい。だから今日の機会を逃したくないって時政さんが言うのもわかる」

ポーションの瓶が割れたりしていないか確認しながら時政の考えに理解を示す春雪。
春雪は最初から悠長なこの世界の教育者のやり方に不満を持っていたから。

「勇者さま方は今の勇者教育が不服なのですね」
「全てが不服という訳ではありません。心配してくれることもありがたいです。でも一番教えて欲しいのは生きる術。魔王と戦って生き残れるだけの知識と戦い方を知りたいです」

ドナの問いに答えたのは春雪。
この世界に来てからずっと春雪が求めているのはそれ。

「今はどのような割合で座学と訓練を受けていますか?」
「主なのは座学で、訓練が一・二時間ほど」
「なるほど」

訓練校や魔導校での初等科カリキュラム。
時政から聞いたドナはすぐにそのことに気付く。

「座学では何を学んでいますか?」
「魔学、剣技、教養、歴史です」
「基礎知識が優先なのですね」

魔学以外は要らない。
正確にはだけれど。

「殿下はどう思いますか?今の教育の割合」
「私は勇者教育に口を挟める立場にありませんので」

春雪に聞かれたドナは思ったことを口にせずニコと笑う。
勇者教育に口を挟む権利がないことが真実だけに言えない。

「魔法のように知識や基礎が必要不可欠な分野もあることは理解しています。ただそれ以外を学んでいる時間が私たち勇者にはないことも理解して欲しいです。今私たちに必要なのは魔王に勝てる力。知識だけ詰め込んで勝てと言われても困ります」

ジッとドナを見る春雪。
美雨と柊は笑みのドナと真顔でジッと見る春雪を見比べる。

「……王子と言っても勇者さま方に関わる事柄は自由に発言できないのですがね」

そう言って苦笑したドナ。
王家の者は勇者に関わらずという決まりはないが、勇者の教育や生活に携わる者は口外しない誓約を交わしている者。
勇者の身の安全を守るために。

「皆さまのお気持ちは責任を持って父上にお伝えいたします。実際にいかされるかは保証できませんが、その際に私の考えもお伝えします。それでお許しくださいませんか?」
「ありがとうございます」

なんてずる賢い勇者なのか。
他の三人が私の前で本音を吐露したのは狙ってのことではなかっただろうが、勇者だけは私の口から勇者に関しての全権を持つ父上に伝わることを狙って。

ただの言いなり勇者ではないところが厄介。
愚かであれば楽に懐柔できたというのに。
簡単ではないからこそ手に入れるまでが楽しくもあるけれど。


騎士と魔導師の四名を連れ、残りは休息地点で待機。
当初は護衛騎士二名と講師二名を同行させ素材採取する予定だったが、講師を待機させる代わりに魔導師を同行させた。

「あ、リス」

森を散策していてリスが木を登る姿を見つけた美雨。
小さくて可愛い。

「あれはティミットという魔物です」
「え?あの子も魔物なんですか?」
「手を出さなければ何もしませんのでご安心を」

木の上から見ている可愛い姿。
セルジュから魔物と教わった途端に危険な生き物に感じるから不思議だ。

「俺たちの居た世界の動物を魔物って呼んでるだけだと思う」
「動物と魔物が居るんじゃなくて?」
「少なくとも俺が見た本に動物って言葉はなかった」

動物=魔物。
春雪が話すと美雨は首を傾げる。

「本なんていつ読んだんですか?」
「休み中。ベッドで勉強したり本を借りて読んでた」
「え。具合悪いのに勉強してたんだ?」
「俺だけ大きく遅れたらみんなに迷惑かけるから」

それを聞いて感心する美雨と柊と時政。
体調もだけれど心も傷を負っていたのに頑張っていたのかと。

「講義の内容を写して渡すつもりだったが不要だったな」
「あ、それは貸して欲しい。写すのは自分でやるから」
「そうか?では宿舎へ帰ったら渡そう」
「ありがとう。助かる」

やった勉強は基礎知識が必要な魔法のことを学ぶ魔学が殆ど。
書き写させて貰えるなら願ってもない。

「この世界にも危なくない魔物って居るんですか?」
「はい。危なくないとは言っても不用意に手を出せば引っかかれたり噛みつかれたりする危険はありますが」
「なるほど。それは動物も一緒だから、たしかに呼び方が違うってだけなのかも」

愛らしい犬や猫だって引っ掻きもするし噛みもする。
動物も幅広いように魔物も幅広い種類がいて、危険な魔物も居れば安全な魔物もいるのだろう。

「ただ図鑑を見た感じ地球の動物と比べると体が大きくて獰猛な生き物が多かった印象。綺麗とか可愛いとかの判断だけで近付くのは辞めた方がいいと思う」
「講師も魔物を甘く見ない方がいいって言ってたもんね」
「うん。少なくとも襲ってくる魔物には可哀想って感情は捨てた方がいい。こっちが餌にされる」

可哀想という同情心も命を落とす原因の一つ。
魔物も人を敵や餌として狙ってくるのだから。
まさしく弱肉強食の世界。

「なにか見つけたんですか?」
「はい。この花は麻酔に使われます」

しゃがんだドナに気付いて勇者たちもしゃがむ。
木の根元に生えていたのは蒲公英に似た黄色の花。

「素手で触らないようご注意を。かぶれますので」

そう言われてスっと手を引いた美雨。
危なく触るところだった。

「茎から出る液体がかぶれの原因なので触るだけであれば大丈夫です。ただ草花の中にも毒を持つものもありますので、知らない物を採取する際には必ず手袋をしてください」
「分かりました」

見知らぬものは触るべからず。
根っこごと引き抜いたドナは袋に入れて魔導鞄にしまう。

「ドナ殿下はお薬の研究をしてるんですか?」
「薬も劇物も扱いますよ。魔物の研究もしておりますし」
「…………」
「研究者になれば分野を決めて研究するのですが、私はまだあくまで学生なので出来る範囲で様々な研究をしております」
「そうなんですか」


その範囲が既に研究者と変わらないのだが。
ドナは天才肌のマッドサイエンティスト。
研究の為ならば自分の腕や足も切り落とす。

「人の役に立つ研究ができればと思います」
「凄い。ドナ殿下は立派な方ですね」
「俺とは人のデキが違う」
「正確には私たちとは」

人の役に立つとは思ってもいないことを。
ドナの本性を知るセルジュはそう思いつつ、ドナと美雨と柊の会話を聞き流した。

「春雪さま?どうかなさいましたか?」

一度はしゃがんで興味深く眺めていたものの、立ち上がって辺りを見渡し始めたその姿を見てセルジュが問う。

「水の音が聴こえたような」
「水?この先に泉であればありますが」
「ああ、じゃあそこで魚でも跳ねたんですね」

たしかに泉はある。
ただ、ここまで聴こえるはずがない。
魚が跳ねる音など些細な音で、単純に耳がいいとだけで済まされる距離ではない。

「念のため警戒を」
「はっ」

ドナと目で合図を交わしたセルジュは同行している護衛騎士に小声で指示をだす。
何かの音を水音と思った可能性もあるため念には念を。
普段の森ならばそれほど気にならないが、オリビンボアを見かけた今日は警戒していて損はない。

勇者たちはドナと一緒に今日の目的でもある採取に夢中。
セルジュや護衛は採取に夢中な勇者たちを守るために警戒を続けた。





「綺麗!」

辿り着いた泉。
高い木々に囲まれた透明の美しいその泉に美雨は大喜び。

「水着がないことが悔やまれるっ」
「いや冬だし」
「冬の割には暑い」
「言われてみれば」

たしかに寒くないと首を傾げる柊。
休息地点では火を炊くくらい寒かったのに。

「ここはいつも温かいんですか?」
「はい。ここは冬場でも温かいので魔物が水浴びなどに集まる場所として知られています。今は私どもが来て逃げましたが」

セルジュに聞きながらしゃがみ地面に触れる春雪。
ホットスポットと言ったらさすがに大袈裟だけど、この場所は少し地面の温度が高い。

「泉の水温は?」
「温泉とまではいきませんが他の泉よりは高いです」
「触ってみても良いですか?」
「はい。魔物が居るかも知れないのでお供します」
「ありがとうございます」

セルジュに付き添われて泉に手を入れた春雪。
たしかに温泉ほどではないがヌルイ風呂のような温度。

「春雪さん、温度どう?」
「ヌルイ風呂に手をつけてる感じ」
「やっぱり水着が欲しかったっっ」

美雨の力強い訴えに笑う春雪。
研究所にあった温水プールのような温度だから、たしかに水着があれば泳げただろう。

「水着とは」
「海やプールに入る時に着る衣装です」
「プール?」
「簡単に言えば、特大の風呂に水をはった遊泳施設です」
「浴場とは違うのですか?」
「浴場は体を綺麗にする場所ですが、プールは冷たい水やヌルイ水の中で泳いで遊ぶ場所なので似て非なるものですね」

この世界には水着もプールもない。
風呂や温泉はあるが泳いで遊ぶ場所ではないため、異界には変わったものがあるのだなとセルジュは感心する。

「セルジュ殿下!私たちも行って良いですか?」
「どうぞ。魔物はおりませんでしたので」
「やった!」

大喜びで走って来た美雨。
柊や時政も来て泉に手を入れる。

「たしかにここだけ気温も高いし泳げそう」
「だよね。泳ぎたい」
「泳いだら気持ちがよさそうだな」

この世界に来て娯楽に飢えている三人。
楽しめそうな場所を前にすれば残念に思うのも仕方がない。

「泳いで良いですか?」
「え。裸になるの?」
「上はTシャツ着てるし、下はスパッツ履いてる」
「いやTシャツとスパッツ脱いでも下着はビシャビシャで帰るはめになるし。更衣室もないのに」
「やっぱり水着!また来れるか分からないのに!」

どうしても泳ぎたい美雨は柊に反対されて嘆く。
それ以前に王家の者の前で素肌をさらすのは不敬(露出を極力控えるのが望ましい)と習ったが、それは忘れているようだ。

「薄い衣装くらいでしたら私や兄の魔法で乾かせます」
「え!泳いでいいんですか!?」
「少しであれば。今は魔物も傍におりませんので」

ドナの発言に驚いたのは護衛騎士たち。
この世界では女性は普段から極力露出を控えているが、男性も王家の前では顔や首以外の素肌はなるべく出ない衣装を選ぶ。
王家の居ない場所であれば一般国民の冒険者が水中の魔物を捕らえるため下着一枚で飛び込むこともあるが、王子のセルジュとドナの前で衣装を脱ぐなど常識から外れている。

「セルジュ殿下、よいのですか?」
「私たちが黙っていればよいだけだ。勇者さま方がそれで楽しめるのであれば可否を論じるまでもない」

調査云々は春雪を森へ連れて来るための理由。
それがこの世界の者の都合で召喚され自由を奪われた勇者たちの気晴らしになるのであれば止める理由もない。

「セルジュ殿下、ドナ殿下、ありがとうございます!」

明るくお礼を言った美雨に続き柊と時政と春雪も頭を下げる。
美雨以外は肌をさらすことが不敬だと覚えているため、二人が許可してくれたことがどれだけ特別なことか分かっていた。

装備を外して衣装を脱ぎTシャツとスパッツになる美雨。
体操服と変わらないその姿に異界人の四人は何の違和感もないが、肌の露出を控えることが美徳のこの世界の者からすればなかなかの際どさ。水着など着た日には下着と思うだろう。

「気持ちいい!」
「早い早い」

真っ先に泉へ入った美雨。
温水プールのような温度のため寒さも感じない。
女性の美雨が居るため背中を向けていた王子二人や護衛たちは美雨と柊の声で泉に入ったことが分かり振り返った。

「なんか春雪さんエッチいね」
「え?」
「女の私より卑猥に見える」
「なんで?時政さんと柊の方が露出してるのに」
「時政さんは筋肉ムキムキだなって感じ。柊はヒョロい」

泉の中から春雪と時政と柊を見上げた美雨。
下着一枚になっている柊と時政よりTシャツを着ている春雪の方が卑猥に見える。

「肌が白くて細いから女性的に見えるのだろう」
「あ、そうかも。元から細かったけどまた痩せたよね」
「うん。食欲は戻ってきたけど体重戻るのは暫くかかりそう」
「お肉たくさん食べた方が良いですよ」
「頑張ってみる」

美雨と柊と時政は元から中性的な上に痩せたから女性のように見えると結論を出したが、春雪が女性的に見えるのは半陰陽エルマフロディットだから。男性にも女性にも見えるのが当然。

楽しそうに泳ぐ美雨と柊と時政。
ただその楽しそうな三人の様子よりも、泉に足をつけ座っている春雪に目が行く王子二人と護衛たち。

薄い衣装で胸がないことはわかるため男性に違いない。
けれど、女性なのではないかという疑いも拭えない。
そう思うほどに春雪は中性を極めているのだ。

「聖女さまがおられるのだから人の目は多くない方がいいだろう。お前たちは周囲の警戒を。私とドナは泉を警戒する」
「はっ」

聖女の美雨を理由にしたセルジュ。
護衛たちが見ていたのは春雪だったが。

「無防備な春雪さまも可愛らしい」

どういう意味での可愛らしい・・・・・なのか。
愛らしい者を見る目ではないだろうに。

「春雪さまの性別はどちらなのでしょうか」
「男性だとハッキリしているではないか」
「胸がないからですか?」
「怪我がないかを確認した時に下があるのも見た」
「……私より先に見たのですか?」
「確認が必要だったのだから仕方がないだろう。あの女に連れ拐われていたのだから怪我をしていてもおかしくない」

さすがに長々と見るような失礼な真似はしていないが、あの女が怪我をおわせていないか確認するためザッと一通りは見た。
男性のシンボルがあったことは間違いない。

「そうですか。まああの時は緊急時だったので目を瞑りましょう。私が直接調べたかったのが本音ですが」

男性なのか女性なのか。
その疑問を先に解き明かされてしまったことは残念ではある。

「ただ、それを聞いてもしっくりこないのはなぜでしょう。男性と言われても女性と言われても納得してしまうのです」
「容姿が中性的で錯覚してしまうのもわからなくないが、お前がどう捉えようと男性なのは間違いない」

実際にこの目で見たのだから間違いない。
その際僅かに『女性であればよかったのに』という感情が芽生えたことは誰にも話すことが出来ないが。

「隅々まで見たのですか?」
「サッとしか見ていないに決まっているだろう。確認のためとはいえ意識のない者の体を長々と見るなど失礼にあたる」
「そういうところはしっかり紳士ですね。兄さんは」

これで民を見下している冷酷な王子と思われているのだから、人の噂や見る目などあてにならない。
目つきが悪くて性癖が歪んでいるのは間違いないが。

「私ならば確認のためと理由をつけて隅々まで調べるのですがね。隅々まで見ず万が一見逃しがあったらどうするのだと」
「お前が言うならば周りの者も心配してのことと思うだろう。人あたりのよい気弱で優しい王子を演じているのだからな」

周囲から見たセルジュとドナは真逆の印象。
王位継承権第二位という己の発言の影響力をわかっていて多くを語らないセルジュは悪い印象を持たれ、冷酷さを気弱ながら優しい王子の仮面で隠したドナは善い印象を持たれている。

どちらもまとも・・・ではないが、セルジュはしっかり王子であり、ドナは王子とはほど遠い狂人。
目の前で倒れても無事でいられるのはセルジュの方だというのに人々はそれに気付かない。

「私は私なりの方法で勇者さまに近付こうと思います」
「あの女の二の舞にはなるなよ」
「そこまで馬鹿ではありませんのでご安心を」

辞めろと止めればますますドナは酷くなる。
それを知っているセルジュは余計なことは言わず、美雨や柊や時政と笑みで会話をしている春雪を黙って眺めていた。
 
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凡人がおまけ召喚されてしまった件

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