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第零章 先代編(前編)
王都森林
しおりを挟む王都森林に入って一時間ほど。
奥に進むほど木々が密集して少し薄暗さを感じていたところで開けた場所に到着した。
「これからここを休憩地として訓練を行います」
そう話すのは講師。
騎士や魔導師は火をおこす準備やテントの準備をする。
「実際に魔物と戦うってことですか?」
「はい。ただし騎士や魔導師が弱らせた魔物です。戦いを経験していただくことが目的ですので倒せずとも構いません」
本来は剣や魔法の模擬訓練を経験してからの実戦を予定していたが、今回の調査に同行することになり大きく変更になった。
「弱らせた魔物と戦うのって何か可哀想な感じ」
「魔物を侮ってはなりません。王都森林はランクの低い魔物ばかりとはいえ戦えない者であれば命を落とす危険があります」
「は、はい。ごめんなさい」
講師がピシャリと忠告すると魔物に同情心の芽生えていた美雨は謝る。
「厳しい物言いをして申し訳ございません。ですがこの世界の者は魔物に襲われ命を落とす者も少なくないのです。襲い来る魔物を倒すか自分が死ぬか。魔物との戦いはそういうことだと胸に留めてくださればと思います」
弱肉強食。
相手が死ぬか自分が死ぬか。
春雪は刃を向けてくる者とは躊躇せず戦うよう言ったレオの言葉を思い出して腰に携えた剣にそっと触れる。
「倒した魔物はその後どうなるのだろうか」
「どうなると申しますと?」
「幾ら訓練とはいえ命あるものの無益な殺生は好まない」
「大変素晴らしいお考えです。この世界でも無益な殺生はよしといたしませんので、倒した魔物は食肉となります」
「そうか。それならいい」
時政の発言に感心する講師や騎士たち。
この世界でも動物(魔物)の命をいただき生き長らえるという考えがあり、食べられる魔物は食肉にして食べられない魔物は火葬して天に還す。
「よし。私も気を抜かずに頑張る」
「俺も頑張ってみる」
改めて気合いを入れ直す美雨と柊。
美雨はペチペチと自分の頬を叩く。
「もし危険でしたら騎士や魔導師がすぐに討伐いたしますので勇者さま方はご無理なさらないよう」
正直ここに居る誰も勇者たちが魔物を倒せると思っていない。
たった一度の模擬訓練しかしていないのだから、いざ魔物と対峙した時に剣や魔法を使うことが出来れば御の字。
春雪に至っては模擬訓練さえ行っていないのだから上手く剣を振ることも出来ないだろう。
「私が魔物を追い込んで来ますので今暫くお待ちください」
「王子のセルジュ殿下が一人で行くんですか?」
「いえ。護衛騎士を一名連れて行きます」
「二人で大丈夫なんですか?もっと一緒に行った方が」
セルジュの身を案じる柊と美雨。
本気で心配しているのが伝わる二人にセルジュは苦笑する。
「よほどランクの高い魔物が現れない限り問題ありません。こう見えてそれなりに鍛えていますので」
王都森林の魔物であれば一人でも倒せる実力はある。
護衛騎士が同行するのも万が一のこともないよう念のために連れて行くだけ。
「セルジュ殿下は剣の大会でも優勝しておられます」
「そういえば剣が得意って第二王妃さまが言ってましたね」
「母上の戯言は忘れていただければ」
王妃の話題を美雨が口にするとセルジュはニコリと笑う。
事情を知らない美雨は気付いていないが講師や騎士はピリッとした空気になり、セルジュの笑みも作り笑いなことを春雪だけは感じた。
『怪我のないようお気を付けて』
セルジュにそう書いたスケッチブックを見せた春雪。
春雪に気を使わせてしまったことに気付いたセルジュは「ありがとうございます」と胸に手を当て礼をした。
「セルジュ殿下がここに追い込んだ魔物を先ず騎士や魔導師が弱らせますので、勇者さま方が戦うのはその後になります。今のうちに模擬訓練で教えたことを復習しておきましょう」
時政の模擬訓練をしたのは剣に特化した講師。
柊と美雨の模擬訓練をしたのは魔法に特化した講師。
三人の講師が集まり一度やった訓練の復習を始める。
「春雪さまは初めてですので剣の握り方から」
「私が教えよう」
「ドナ殿下」
「お前たちは他の勇者方と復習を」
剣に特化した講師が春雪に一から教えることを話しているとドナが入って来て講師たちは驚く。
「私は兄上のように剣の才はないが基本は全て学んだ」
どうしたものかと顔を見合せる講師たち。
たしかに王家の者であれば剣も魔法も学んでいるが、ドナは普段から戦いなど無縁な研究室にこもっている頭脳派。
『よろしくお願いします』
サラサラと書いたスケッチブックをドナに見せた春雪。
その後またサラサラと書いて講師たちに見せる。
『時政さんの足を引っ張りたくないので殿下に教わります』
一度模擬訓練を経験している時政まで巻き込みたくない。
一から教わる自分と召喚前から剣を使っていた時政の復習を一緒にしては足を引っ張ってしまうことを春雪は理解していた。
「承知しました。ではドナ殿下、お願いいたします」
「ああ。では勇者春雪さま、少し離れて練習しましょう」
さきほど書いた『よろしくお願いします』のページを開いて見せた春雪はドナに深く頭を下げた。
「先ずは実際に剣を抜いて構えてみてください」
復習をする三人から少し離れてからドナが見本で剣を抜き構えて見せ、春雪はこくりと頷き剣帯から剣を抜く。
「…………」
「?」
構えた姿をジッと見るドナに春雪は首を傾げる。
「異界で剣をお使いになっていましたか?」
そう聞かれて首を横に振る。
身を守る術として研究所であらゆる銃器の扱い方や投擲訓練は受けたものの剣はさすがに使ったことがない。
「そうですか。様になっているので経験者なのかと」
一度見本を見せただけで経験者のように真似てみせた春雪。
その才能も精霊王に愛されし勇者だからだろうかと、ドナはニヤリとしそうな口元を引き締め感情を隠す。
「構えは直すところがないので振ることに進みましょう」
そう話して縦や斜めと剣を振って見せていると真剣な顔で眺めていた春雪も一緒に振りはじめる。
これは……。
春雪を見ながらゾクゾクするドナ。
腕の振り方はもちろん体の重心の運び方も、とてもではないが未経験者にできる剣さばきではない。
これが天才か。
「さすが勇者さま、素晴らしい才をお持ちで。才能のない私が教えられることなどなさそうです」
基本を教えるまでもない。
既に基本はできている。
それを聞いた春雪は剣をホルダーに戻しスケッチブックに文字を書く。
『ドナ殿下は自分の実力を秘密にしてるのですか?』
そう書いたスケッチブックを見せながら春雪は首を傾げる。
ドナが教えると言った時に講師たちは難色を見せた。
王子自ら教えることなど畏れ多いことだからかと最初は思ったが、見せてくれた手本もわざと手を抜いているように見えた。
「実力とは?私は研究ばかりしているひ弱な王子ですよ?」
『あの日お屋敷で戦っている姿を見ました』
ひ弱な王子などとんでもない。
セルジュ王子に引けを取らない強い人だとは素人の春雪にも見て分かったし、レオも二人の実力を認めていたのだから。
「ああ……見られていたのですね」
苦笑したドナは春雪に近付いて顔を耳元に近付ける。
「私は国王ではなく研究員になりたいのです。ただそれを叶えるには戦う力のない引き留めるまでもない王子でなくては」
それを聞いて納得した春雪。
実力があることを知られれば望まない継承争いに巻き込まれてしまうからひ弱な王子のフリをしているのかと。
「私の力を知っている者は現国王の父上を含め極一部です。殆どの者は私のことをお飾り程度の剣術と魔法しか使えないひ弱な王子と思っておりますので秘密にしてくださいますか?」
第二妃が起こした誘拐事件でセルジュ以外にも実力を知られてしまったが、宮殿に仕える使用人には口外を禁じて第二妃の協力者としてあの場に居た者もじきに反逆罪で処刑される。
ミシェルとイヴについてはもう秘密にしようがないが、国王ではなく研究者になりたいことは正直に話してある。
『分かりました。誰にも言いません』
理由があって力を隠しているなら誰にも言わない。
実力があることが夢の妨げになってしまうとは王家も大変だ。
「ありがとうございます」
くすりと笑うドナ。
王太子宮殿ではあんなにも警戒心を持っていたのに、今はこうして近寄っても逃げないとは随分な変化だ。
あのことで警戒心が薄れたのであれば母上に感謝せねば。
「如何なさいましたか?」
「教えているのだから話しくらいする。春雪さまとの会話は筆談なのだから近寄るななどとは言ってくれるなよ?」
「そのようなことは」
聞きにきた魔導師はドナの言葉に言い淀む。
ドナの母である第二妃が春雪を拐っただけに多少の警戒心があることは事実で、あまり関わらせたくないというのが本音。
図星をつかれた魔導師は春雪の様子をチラっと確認してまたすぐに離れて行った。
「お見苦しいところをお見せしました」
ドナから謝られて春雪は首を横に振る。
ひ弱な王子と思っているからか、王位継承権の順位の違いか。
講師や魔導師たちの王太子マクシムに対する態度とドナに対する態度の違いをまざまざと感じた。
「さて。訓練の続きを」
ドナのその声に被って動物の鳴き声が森に響く。
「どうやら見つかったようですね」
もう?
まだ構えと振り方しか教わっていないのに。
「大丈夫。基本は出来ていました。戦いにおいて大切なのは怯まないこと。心が負ければ剣筋も鈍り怪我に繋がりますので」
今日の外出訓練の目的は魔物と戦う経験をさせること。
勇者が戦うのは兄や騎士や魔導師が戦った後の瀕死の魔物なのだから基本さえできていれば問題はない。
「春雪さま。魔物が来ますので他の勇者さま方とご準備を」
走って来た講師にこくりと頷いた春雪は教えてくれたドナにも深々と頭を下げて時政と柊と美雨の元に走って行く。
「勇者さま。また後ほど」
春雪の後ろ姿にドナは独り呟いた。
「復習する暇なかったね」
「魔力を流しただけで終わった」
「予想よりも見つけるのが早かったらしい」
「それだけセルジュ王子が有能ってことかな」
「そこまでは分からないが講師が予想より早いと言っていた」
緊張する美雨と柊。
二人とは少し離れて剣の講師と復習をしていた時政も戻って来てそう話す。
「私たちは一度習ったからまだ良いけど、春雪さんは訓練しないまま実戦になっちゃったね。危ないから後ろに居て良いよ」
「そのぶん俺たちが頑張りますから」
「無理はしないようにな」
心配そうな美雨と柊に春雪は微笑する。
自分たちも実戦は初めてなのだから本当は怖いだろうに、心配して守ろうとしてくれるその気持ちが嬉しい。
時政に関しては元居た世界で実戦経験があるだけに頼もしい。
一緒に召喚された勇者がこの三人で良かったと初めて思った。
「オリビンボア?」
セルジュと護衛騎士の後を追いかけて来たのは黄緑色の猪。
その姿を見て講師は驚き騎士や魔導師は少し騒がしくなる。
「なぜ王都森林にオリビンボアが」
「分からないが横穴から現れ襲われた」
「すぐに回復を」
走って戻って来たセルジュと護衛騎士は怪我をしていて講師から回復治療を受ける。
「な、何か私の知ってる動物じゃない」
「デカすぎない?」
美雨と柊が驚くのも無理はない。
見た目は猪であっても肩高は5メートル以上あるだろう。
「マンモスの間違いじゃないの?あれ」
「……あれと戦うのか?俺たち」
「無理ゲー」
柊や美雨が想像していたのは地球の動物。
まさか魔物と動物がこんなにも似て非なるものとは予想外。
それは同情心を見せた美雨に講師の物言いも強くもなるはず。
「兄さん。勇者さまの訓練にオリビンボアはやり過ぎでは?」
「訓練用に連れて来たのではない。私とエンゾだけでは深手を負うから魔導師たちの居るここへ連れてきた。あのまま放っておけば知らずに森へ来た国民が襲われてしまうだろう」
「まあ兄さんとエンゾでは厳しいでしょうね」
兄弟が怪我をしていても落ち着いているドナ。
怪我をしている本人のセルジュもまた落ち着いている。
「お二人では厳しいというのは?」
「オリビンボアの弱点は額。本来巨体の魔物は脚を攻撃して体勢を崩させるのが定石なのですが、オリビンボアの場合は体が剣の通りの悪い硬い石で覆われておりますので、剣特化のセルジュ殿下と護衛騎士の二人で倒すのは厳しいのです」
時政に講師が説明したそれを聞いて納得する春雪。
たしかに額の位置は手を伸ばしても届く距離ではない。
「勇者さま方の訓練にならない魔物を連れて来てしまい申し訳ございません。オリビンボアを倒したあと他の魔物を探しに行きますので、今はここで戦いの様子を見て学んでくだされば」
春雪たち勇者に頭を下げたセルジュ。
本来であれば王都森林に生息するランクの低い魔物をおびき寄せるつもりだったが、想定外に出会った高ランクの魔物を放置する訳にも行かず連れて来てしまった。
「私たちのことより怪我は大丈夫ですか?」
「かすり傷ですので」
「……かすり傷?」
異界人の勇者たちには全くかすり傷ではない。
ダラダラと血が流れているのに、この世界ではこれがかすり傷の範囲なのかと認識の差を感じる。
「亜種ですね」
「力が強いと思えばやはり亜種か」
「はい。通常種より幾分か耳や牙が長いですし、一瞬あげた前脚の蹄の色が白でしたので間違いありません」
騎士や魔導師が戦う姿を眺めていたドナ。
安全のため距離をとった位置に居るのに、ここから見ていてそんな些細な差に気付けることが凄いと春雪は感心する。
「帰城後父上に報告しなくては」
「はい」
落ち着いている二人を見て落ち着く柊と美雨。
倒せない魔物じゃないから落ち着いているのだろうと気付いて安心したというのが大きい。
「こうして見ると魔法というのは熟々不思議な能力だ」
魔法を使って戦う魔導師たち。
美雨と柊がセルジュに気を取られている間もずっと戦いを見ていた時政は、元居た世界にはなかった『魔法』という能力を改めて不思議に思う。
剣の攻撃では大したダメージになっていない硬い石も魔法の攻撃では少しづつ削られ地面にポロポロ散らばっている。
「魔導師の柊殿は特にしっかり見ておいた方がいい」
「はい」
魔法攻撃の要になるのは魔導師の柊。
聖女の美雨も聖魔法で攻撃できるが基本は回復が中心になる。
「いま魔導師たちが行っているのは氷属性魔法で表面を凍らせ動き自体を鈍らせることと、急激に冷えたところへ高温の火属性魔法を使うことで体を覆っている石を砕いております」
氷属性を使う魔導師と火属性を使う魔導師。
どういう目的で氷属性と火属性を使っているのかを講師が丁寧に教えてくれる。
「額に魔法を撃つのでは駄目なのか?」
「額に大きな石があるのが見えますか?」
「ああ。黄緑の宝石のようなものがある」
「あの額の石がお話しした弱点なのですが、厄介なことに剣の通り難い体とは反対に魔法が効きにくいのです」
時政に答える講師は魔物を見ながら溜息をつく。
体は剣が通りにくく額は魔法が効きにくいとは、つい溜息をつきたくなるのもわかる。
「魔導槍のように貫通力の高い武器を使える者が同行していれば良かったのですが、普段は王都森林に生息している魔物ではないのでそこまでは準備して来ておりません」
魔導槍というのはこの世界の槍。
槍と言っても手に持って戦う武器ではなく、魔導砲という大砲を利用して撃つ武器だと座学で学んだ。
王都を守るため城壁に備えてあるような武器をランクの低い魔物ばかりの王都森林に持って来ているはずもない。
「春雪殿。どうかしたのか?」
講師の話を聞いてソワソワし始めた春雪に気付いた時政。
春雪は少し首を横に振って戦っている騎士や魔導師たちに再び目を向ける。
「みんなが戦ってるのに、とか?」
美雨の問いに小さく首を横に振って今度は小さく頷く。
正解なのか不正解なのかも分からず、時政と柊と美雨は挙動不審になっている春雪をジッと見る。
『戦ってる人たち怪我してると思って』
視線に気付いた春雪はそう書いたスケッチブックを見せる。
「ランクの高い魔物と戦えば無傷というのは難しいです。ただ講師の私の他にも回復の使える魔導師が同行しておりますので倒し終えた後に治療いたします」
魔力にも限界があるから致命傷にならなければ回復しない。
大き目の傷を負ってしまった時は本人がタイミングを見計らいポーションを飲むが、ポーションは回復と違い怠さが出たりと軽い副作用が出る場合もあるため極力戦闘中には飲まない。
それがこの世界での戦い方。
でも怪我をしているのだから痛いだろうに。
怪我を負いながらも戦う騎士や魔導師を見ながら春雪は迷う。
なぜなら『貫通力のある武器』に覚えがあるから。
ただここで能力を使えば約束を破ることになる。
拐われた時は自分の身を守るために一度と、一度目に使ったことで能力に気付いたレオしか傍にいなかったから二度目も使ったけれど、今は王子二人や講師や騎士や魔導師も居る。
自分の身可愛さに何もせずただ見守るか、怪我を負いつつ戦っている人たちを助けるために能力を使うか。
そんな葛藤を繰り返す春雪。
以前の春雪ならば迷わず自分の身の安全を選んだだろう。
自分の身を守れるのは自分だけだったから。
でも今は違う。
騎士も魔導師も勇者の自分たちを守るために同行した。
それなのに役に立てるかも知れない能力を持っていても知らぬフリをするのは人としてどうなのか。
やっぱり怪我人が増えるのを黙って見ていられない。
そう覚悟を決めて手のひらに魔力を集める春雪。
「春雪さま?」
その突然の行動に講師たちは驚く。
自分も戦うつもりなのかと。
「……え?ええ!?どっから銃を出したの!?」
「凄っ!手品!?」
春雪の手のひらの上には二丁の拳銃。
何をしているのかと眺めていた柊と美雨は突然現れたその拳銃に驚いて声をあげる。
「それが春雪殿の特殊能力か」
時政の問いに春雪はこくりと頷いた。
「では行こう。私も安全圏で高みの見物をするのは好まない」
二本の剣のグリップを左右の手で握った時政。
すぐ行かなかったのは魔物との戦い方を知るためと、自分が行けば春雪や美雨や柊も着いてくるのではないかと思って。
恐怖心を持ったまま加勢に行っても逆に騎士や魔導師の足を引っ張る結果にしかならない。
「行ってはいけません!危険です!」
「柊殿と美雨殿を頼む」
「時政さま!春雪さま!」
講師たちが掴むより先に走り出した時政と春雪。
魔法に特化した講師が慌てて二人にストップの魔法をかける。
「……効かない」
まさかそんなことが。
まだこの世界に召喚されたばかりで子供と変わらない二人に魔導師の魔法が効かないなど考えられないこと。
「柊」
「うん」
講師たちが唖然としている隙をついて美雨と柊も走り出す。
「柊さま!美雨さま!いけません!」
「言うこと聞かなくてごめんなさい!」
「後で謝ります!」
そんな勇者たちの行動に笑ったのはセルジュとドナ。
追いかけようとする講師たちの前に手を出して止める。
「仕方がない。私たちも行くぞ」
「困った勇者さま方ですね」
大人しく守られていればいいものを。
誰かを助けるために動けるのはさすが神に選ばれし勇者。
「額を狙えるか?」
『動いてると厳しい』
春雪は首を横に振りゆっくり口を動かして時政へ伝える。
少しならまだしも攻撃を受けている魔物は怒りで大暴れ。
とてもではないが今のままでは狙えない。
「ではまず動きを止める必要があるな」
「はい!俺が凍らせて止めます!水属性レベルは高いから!」
「私はまだ攻撃できないけど補助と回復頑張る!」
「来てしまったのか」
「出来る限りのことはしないと!」
「だって私たち勇者だもん!」
後ろを走る柊と美雨。
二人のそんな言葉を聞き時政と春雪はくすりとする。
「では柊殿は魔物に氷魔法を。私は凍らせた場所を叩く」
「了解!」
「美雨殿は私たちが怪我をしたらすぐに回復を」
「ラジャー!」
「春雪殿は狙えるタイミングを見計らい撃ってくれ」
声の出せない春雪は大きくこくりと頷いた。
「勇者さま!?」
魔物の近くでピタリと足を止めた四人。
それに気付いて騎士や魔導師の動きが止まる。
「みんな危ない!」
たった一瞬。
戦いの手が緩んだ隙に両前脚をあげた魔物を見て美雨が大声をあげる。
「勇者方に気遣われるとは訓練が足りないのではないか?」
巨体の脚の下に入って受け止めたのはセルジュ。
そのすぐあと今まで暴れていた魔物の動きがピタリと止まる。
「さあ勇者柊さま。氷魔法をお使いください」
「ドナ殿下」
いつ来たのか柊の真後ろに立っていたのはドナ。
勇者の誰一人セルジュとドナが来たことに気付かなかった。
「私の停止魔法は長く続きませんのでよろしくお願いします」
「でもセルジュ殿下にも魔法があたるかも」
「物魔防御をかけてありますのでご安心を。このまま兄上が潰されては夢見が悪いですので躊躇なくどうぞ」
「誰が潰されてやるものか」
魔物の脚を怪力で持ち上げ跳ね除けたセルジュは踏み潰されそうになっていた魔導師のローブを掴んで脚の下を脱出する。
「残念です」
「貴様」
いや、冗談だよね?
と美雨はセルジュとドナを見比べる。
「動くぞ!」
ドナの停止魔法が解けて大きな鳴き声をあげた魔物。
魔導師は時政の声でハッとして再び氷魔法と火魔法を使う。
「柊!魔物の顔が下を向いた時に凍らせてくれ!」
みんなが唖然としている中でも額を狙い続けていた春雪。
一度は停止魔法で止まったものの両前脚をあげて顔が上を向いていたから撃つことが出来ず、柊にそう指示を出す。
心に傷を負って失声していたはずの春雪の声。
掠れてはいるもののたしかに声が聞こえた。
ただし本人は集中していてそれに気付いていない。
「私が足元へ行って頭を下げさせる」
「強化魔法かけるね!」
「頼む」
臆することなく魔物の足元へ突っ込んで行った時政。
美雨がすぐに強化魔法をかけ時政が魔物の脚を両手に握った剣で切りつけると魔物は痛みに鳴き時政を狙って頭を下げる。
「柊、今!」
「うん!」
たった一人の攻撃で魔物の脚を覆う硬い石が砕け散り、たった一人の魔法で巨大な魔物の体半分が凍りついた。
その光景に騎士や魔導師は言葉を失う。
そんな言葉を失った者たちの耳に届いた音。
勇者が両手に持ったこの世界にはない武器で何発も額の石を撃ち抜くと、魔物はズシンと地面を振動させて倒れた。
自分たちは苦戦していたと言うのにたった四人で。
これが神に選ばれし勇者の力。
その場にいた全ての者がそう思わされた。
「倒せてますか?」
「はい。事切れております」
魔物を確認するドナに聞いた春雪はそれを聞いてホッとする。
もしまだ生きていて暴れてはまた多くの血が流れてしまう。
それが心配だった。
「勇者さま方、お見事でした」
「討伐お疲れさまでした」
勇者の四人へ胸に手をあて頭を下げたセルジュとドナ。
それを見て騎士や魔導師も手をあて深く頭を下げる。
セルジュとドナ以外は言葉を失ったまま。
静かすぎるその状況に柊と美雨は顔を見合わせバツの悪そうな表情になり、時政と春雪は苦笑する。
覚醒前でこれほどの力を持つ勇者たち。
その力が頼もしくもあり恐ろしくもある。
守るためと理由をつけ自由を奪うなど何と愚かなことをしていたのか。
まだ雛だと思っていた自分たちの浅はかさよ。
籠の中で守るつもりだった鳥は美しいだけの鳥ではない。
そのことに、居合わせた者たちは気付いた。
「春雪さま。お声が戻ったようで何よりです」
「え?あ、喋れてる」
「今気付いたの!?」
「うん」
セルジュに言われて初めて声が出ていることに気付いた春雪。
平然と答える春雪と驚く美雨に柊と時政は笑う。
「セルジュ殿下、ドナ殿下。そして騎士団と魔導師団と講師の皆さま。私たちの身勝手な行動で皆さまにご迷惑をおかけしたことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした」
胸に手を当て丁寧に謝罪した春雪。
時政と美雨と柊も春雪に続き深く頭を下げる。
「今日の調査は勇者さま方の外部訓練も目的の一つ。勇者さま方は決められたそれに従い実戦訓練を行ったというだけ。迷惑など何一つかけられてはおりませんのでどうぞお気遣いなく」
そう話したのはセルジュ。
魔物のレベルが予定していたものより高かったというだけ。
王位継承権第二位のセルジュが言うのだからそれが事実。
「むしろ勇者さま方に救われたのですからね」
「ああ。誰も深手を負わずに済んだのは勇者さま方のお蔭。勇者さま方。王家を代表して感謝申し上げます」
ここに居るのはブークリエ国の軍人。
通常種より強い亜種であっても死者が出ることはない。
ただ近接戦の騎士の中には深手を負う者も居ただろう。
亜種が現れたというのに負傷者は数名。
それも勇者が介入する前に負った擦り傷や切り傷程度の軽傷。
高ランクの冒険者や軍人が複数人で時間をかけて戦うような魔物を、この世界に来て間もない覚醒前の勇者たちがたった四人であっさり倒してしまったのだから恐ろしい。
勇者はこの世界の救世主。
幼い頃から聞かされて育った者ならば勇者が強い力を秘めていることを知っているが、実際には想像を遥かに超えている。
勇者を敵に回せば国が滅びかねない。
同行した者たちはそう実感した。
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昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】
永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。
転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。
こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり
授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。
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