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第零章 先代編(前編)
主犯
しおりを挟む「……ここは」
目を醒ました春雪。
真っ暗闇の部屋を見渡しても何も見えない。
ほのかにする花の香りはアロマオイルだろうか。
「ベッド……か?」
自分が横になっていた場所がベッドだと手探りして気付く。
「王太子宮殿?」
上質なシーツの感触とふかふかのベッド。
いつも寝ているあの宮殿の豪華なベッドのようにも思う。
「あれは夢?」
真っ白のシーツの上に描かれていた模様。
召喚された日に玉座の間の床で見た円形の模様に似ていた。
「あの後どうしたんだっけ」
掛布団を捲ったら模様があったことは覚えてるが、その先が思い出せない。
「……あ。手袋した手」
ここが叙事詩の間ならばベッドサイドのテーブルに置いてある卓上ライトを手探りで探していて、後ろから手袋をした手に口を塞がれたことを思い出した。
「もしかして誘拐されたのか?」
誘拐にしてはリラックス効果のありそうなアロマオイルを焚いたりふかふかのベッドに寝かされていたりと高待遇だけれど。
慌てても事態は好転しないと自らに言い聞かせて冷静に暗闇を手探りして確認する。
「カーテン?」
周囲に手を伸ばして触れたのは薄い布。
いや、この感触はレースか?
どこまで続いているのか上へ上へと撫でても天井がない。
「天蓋ベッドか」
この感触は少なくともあの部屋のベッドではない。
あの部屋のベッドも白と金の天蓋ベッドだけれど、カーテンはレースではなくシルクのような生地だから。
召喚の次は誘拐か。
誰が何の目的で?
勇者だからか。
誘拐されるような理由といえばそれ。
俺の勇者という立場に利用価値を見出す人も居るだろう。
だから異世界から来た俺たちは宿舎の中で護られている。
どうしたものか。
このままここに居たら殺される?
いや、殺すなら寝てる間に殺してるか。
下手に逃げた方が殺される気もする。
誰かに報せようにも通信機器がない。
自分の創造魔法で作っても受信先がない。
これは困った。
そのまま数十分ほどベッドに座ったまま考えていると、キィと金属音をさせて光が入ってくる。
「ゆ、勇者さま」
「誰?」
姿が見えたのも扉が開いた間だけでまた暗闇。
ロングケープを着た背の低い人だってことと、声で女性だということだけはわかった。
「お願いします。どうか暴れないでください。勇者さまを傷つけるつもりはございませんのでもうしばらくお待ちください」
暴れるつもりはないけれど。
殺されないのなら。
「俺はどうやってここに来たんだろう。寝てたのに」
「術式です」
答えてくれるんだ?
少なくともこの女性、いや、子供?は本当に俺を傷つけるつもりはなさそうだ。
「あの、お腹は空いていませんか?喉は渇いていませんか?」
「いいえ」
「でしたらベッドでお休みください。後で起こしますので」
「誘拐されたのに?」
「そ、それは」
知らない人が用意した食事や飲み物を口にしたくないし、真っ暗闇で見えなくても人が居るのに休めるはずがない。
「俺はこれから殺されるんですか?」
「そ、そのようなことはいたしません!」
「でも誘拐は犯罪です。犯人と喋ったから消されるんじゃ」
「私は犯人では」
「誘拐した本人じゃなくても共犯だと思います」
会話が止まり静かになったと思えばしくしく泣く声。
誘拐されたのは俺の方なのにどうしてそちらが泣くのか。
子供を泣かせた悪い大人のような罪悪感が凄い。
「逃がしてくれませんか?そしたら誰にも言いません」
「申し訳ありません。できないのです」
「俺が自力で逃げたことにすればいいんじゃないですか?」
「怒られるので無理です。申し訳ありません」
怒られる?
この子供も誰かに脅されて手伝ってるということか。
そんなことを聞いたらこれ以上言えなくなるじゃないか。
参った。
この時間だと助けは望めそうもない。
療養中の生活はだいたい流れが決まっていて、午前はシエルの面会とミシオネールさんの診察があり、昼食の後はもう夕食の時間まで俺が魔導ベルを鳴らさない限り誰も部屋に来ない。
唯一来るとすれば王太子だけど、今日は訓練校というこの世界の学校に行っているから夕方まで戻らない。
執事も俺が散歩から戻って入浴を済ませたことまで確認済みだから、誘拐されて部屋にいないなんて思いもしないだろう。
自分が人を遠ざけて気を遣わせた結果、助けは望めない。
まさに自業自得。
しくしく泣く子供の声を聞きながら春雪は溜息をついた。
・
・
・
贖罪の塔から宮殿へ戻ったセルジュとドナ。
その姿を見て使用人たちは少し驚く。
宮殿に仕える使用人にとって何かと躾の対象にされて痛々しい姿になっているドナを見ること自体は珍しくないが、セルジュがドナに肩を貸しつ戻ってきたのは初めてのこと。
「コイツの部屋へ随行医を呼べ」
「し、承知しました」
随行医まで呼ぶよう言うとは。
一体どんな心境の変化があったのか。
贖罪の塔と繋がる回廊を抜けた先の豪華なサロンを掃除をしていた使用人の数は多かったが、それを問う者はいない。
問うことが罪なのだ。
「あの女はまだ寝室か?」
「二妃はさきほど臣下を連れお出かけに」
「出かけた?ララは」
「姫殿下も二時間ほど前にお出かけになりました」
ハウスメイドからそれを聞き顔を見合わせたセルジュとドナ。
「モルガンはどこに居る」
「私どもは存じ上げません」
モルガンはこの宮殿の家令。
下級使用人のハウスメイドが動向を知る由もない。
舌打ちをしたセルジュは肩を貸していたドナを離し、散々虐げられ痛みと疲労でクタクタのドナはその場に膝をつく。
「いつまでそうしている」
「せめて治してから離していただきたかった。まあ兄さんにそのような気遣いを望むだけ無駄でしょうが」
自分に回復をかけて傷を治すドナ。
兄さん以外の者は私が回復魔法を使えることを知らないが、そうも言っていられない状況になったのだから仕方ない。
「光の間へ行く」
「はい」
光の間は第二王妃の寝室と繋がった部屋で王妃の自室。
嫌な予感がする二人は部屋へ急ぐ。
「二時間前というと私たちが塔に入ってすぐか」
急ぎ足で向かいながら懐中時計で時間を確認したセルジュ。
ドナと王太子宮殿から戻ってまたすぐに出かけたと言うこと。
「母上とララの行き先は同じ、ですかね」
「あの愚か者どもが」
強欲な第二妃と言いなりの娘。
宮殿を出た時間は違おうと行き先は同じである可能性は高い。
光の間に着きノブを回すとすんなり開く。
中には誰もおらず静かなものだ。
「寝室か」
「母上が出かけたので部屋に居るのでは?」
数の多い寵臣全員を引き連れ出かけるのは有り得ない。
特にお気に入りの数名を連れ後の者は寵臣用にあてがわれた部屋に帰らせたのではと思うドナを余所に、セルジュは部屋に入り寝室と隔てる扉の前に急ぐ。
確認のためノブを回してみた扉には鍵がかかっている。
寝室に鍵をかけることは王家の者なら珍しくないが、嫌な予感の拭えないセルジュは幾度かノブを回しガチャガチャ音をさせたあと、強化魔法をかけた拳で殴ってノブ付近をぶち抜いた。
「剣士より格闘士の方が向いてるのでは?」
「この先も悠長なことを言っていられればいいがな」
「え?」
ぶち抜いた穴から腕を入れて中から鍵を開けたセルジュ。
美しい装飾の施された扉が重々しく開く。
「……これは」
「吸うな。催淫香だ」
窓のない薄暗い部屋からむわりと漂ってきた香り。
室内には数十人は居るだろう裸体の男女。
扉を破りセルジュとドナが来たというのに行為を辞めない。
その光景は正気の沙汰ではない。
「お前は風を送れ。換気口を開ける」
「はい」
ドナには風魔法で換気するよう命じたセルジュは、正気を失い交合を続ける男女の間を通り部屋の奥にある換気口を開ける。
催淫香の香りとアルコールの香りと男女の営みによる独特の香りが混ざり合った異様なその香りに吐き気を催しつつ。
「大丈夫ですか?」
「共に来たのがお前でよかった。襲わずに済む」
「大丈夫そうで安心しました」
換気口を開け催淫香のポットを回収して部屋の外へ戻ったセルジュは、新鮮な風を送るドナの隣で数回咳き込む。
「空気が綺麗になってもしばらく効果は続きそうですね」
「後は放っておけ。香さえなければその内効果が切れる」
ポットの中の香に魔法で水をかけ消すセルジュ。
やはり吸ってしまったようで消しながらもまた咳き込む。
「これが国母の寝室とは呆れますね」
「わかりきったことを。初めて見た訳でもあるまい」
「香を使っているのを見たのは初めてです」
母上が数人の寵臣たちとお楽しみ中のところを見るのは珍しくないが、催淫香という物を使い正気を失っている寵臣たちを見るのは初めて。
「催淫香などよくご存知でしたね。経験済みですか?」
「実際に火をつけた物を嗅いだのは初めてだ。数週間前にあの女が呼んだ商人が薦めてきたが私は買わなかった」
「兄さんも好きそうなのに」
「正気を失わせてはつまらないだろう」
「理解しました」
虐げられている相手の反応を見て興奮を覚える兄の性癖には響かない商品だったと。
「しかしなぜ香を焚いたまま出かけたのでしょう。母上本人も寵臣たちと楽しむ時であれば分かるのですが」
媚薬液や媚薬丸というものがあるが、その手の商品は高価。
正気を失わせる程の代物とあらばかなりの値になるだろうが、それを寵臣のためだけに使ってやったとは思えない。
「この者たちを使ってどの程度の効果があるのかを確認したのだろう。役に立つかどうか」
「役に立つ?」
「抵抗力の高そうな者にも効くかどうか」
「……まさか」
「この香は正気を失う。正気を失った者が我を忘れて襲ったのであれば、あの女から手を出したことにはならない」
それを聞き風がピタリと止む。
「ララを先に行かせたのは監視させるためだろう。愚か者のフリをして従うお前とは違ってララは従順な駒だ。愚行にも素直に従うだろう。アイツも所詮あの女と同じ。自分が贅沢できるならば他人がどんな目にあおうとも構わない強欲な女だ」
知っている。
兄は虐げるのが好きで、私は研究が好きで、妹は贅沢が好き。
この宮殿にまともな者など居ないことは知っている。
「マクシムの失態になることは喜ばしいが、このような愚かな手段で勇者を手篭めにしようとするのであれば話が変わる。あの女一人が極刑に処されるだけでは済まない」
馬鹿のやることは穴ばかり。
正気を失わせて己の物にするようなやり方であれば、恥辱の王と罵られる過去の愚王がしたことと変わらない。
だからドナの方がマシだと嘘にも目を瞑ったというのに。
ドナならば勇者自ら研究に協力するよう事を運んだだろう。
本人が協力するというのであれば誰も何も言えない。
あの女は本当に救えない馬鹿だ。
「モルガンを探します」
ゆらりと体の動いたドナから感じる魔力。
「私の研究材料を奪うというなら許さない」
隣に居るセルジュを首だけ動かし見上げたドナの笑みは狂人。
強い魔力を隠すこともなく狂ったように嗤う。
人々は知らない。
母や兄に虐げられる不幸な王子がもっとも狡猾であることを。
使用人にも気遣う優しい王子がもっとも狂人であることを。
そのことに気付いていたのはセルジュだけ。
・
・
・
「なんか……変」
しくしく泣きながら子供が出て行って数分。
春雪の体に変化が現れる。
少し前から体が妙に火照りだしておかしいとは思っていたが、ここまでハッキリすればさすがに分かる。
これは性欲だ。
「な、なんで」
初めて変化した自分の体の一部に驚く春雪。
変化するものだと知識はあっても実際に変化したのは初めて。
人工生命の春雪は今まで性欲自体を経験したことがなかった。
「ホルモンバランスが崩れてる所為?」
自分では意図せず何故か主張するそこに焦る。
本来ならもっと前に経験するそれを、大人になってもまだ経験したことのなかった春雪が困惑するのも仕方がない。
あまりにも変化がないから不能だと思っていたくらいだ。
不能と思っていたのは主張している方だけではない。
新人類は男女という性別の隔たりを作らずただただ出生率をあげるためだけに両性として作られているため、反応しているのはわかり易く変化を見せた方だけではない。
「いや、時と場所」
耐えられずベッドに横たわる。
こうなった時の対処法は研究所に居た時に教わっていたが、誘拐された見知らぬ場所でなどできるはずがない。
そもそもこの興奮するものもない状況下で性欲が高まることが異常だが、既にホルモンバランスが乱れて症状が出ていたために春雪は別の原因があることに気付かなかった。
時間が経つほど意識が曖昧になっていく。
それまでは何とか理性で抑えていたことも、もう堪えなくていいのではないかと気持ちが変化していく。
真っ暗闇の部屋で理性と本能がぶつかり合う。
シーツを掴み、まだ何もしていないというのに呼吸は荒い。
既に意識は朦朧としているのにまだ辛うじてでも正気を失わずにいられるのは、春雪が汚染された環境でも生き延びることができるよう作られた人工生命だからに他ならない。
辛うじてある意識の中で床を照らした光。
開いた扉から射し込んだ光と人の影が三つ。
三名の人物が入ってきたことはわかったものの、その姿を直接確認することもできないまますぐに扉は閉まった。
肩に触れたひんやりとした感触。
部屋着の薄い布越しに伝わったその感触に春雪は声を洩らす。
すぐにその感触は離れたものの人の気配は感じる。
寒い外から来た三人の冷えた体から漂う冷気を。
今度は冷たい手が直接肌に触れて短い声が洩れる。
肩の時とは違って手は離れることなくぷつりぷつりと部屋着のボタンを外していく。
抵抗しなくては。
そう頭では思っていても行動がついてこない。
考えてすぐに行動できるほどの判断力はもうなかった。
ロングケープのフードで顔を隠した男が三人、ランプの淡い光で照らして春雪の様子を確認する。
「誰だこれは。勇者は男だろう?聖女と間違ったのか?」
「これが勇者で間違いない。叙事詩の間に居た」
「いやだがどう見ても」
催淫香が効いていて瞳孔の開いた目。
その黒い髪と瞳は異世界人に違いないが女性に見える。
間違って拐ったのではないかとランプで体を照らして確認すると乳房はない。
「…………」
乳房で判断するならば男性。
けれどその白い肌と細い体はどちらにも見える。
強制的に発情させられたその姿はなんとも艶かしく、男たちの喉がゴクリと鳴った。
「は、早く着替えさせよう」
「ああ」
男たちはここで勇者を王宮製の部屋着から庶民の衣装に着替えさせ迎えがくるまで誰も近付かないよう見張るのが役目。
部屋着を脱がせた理由もそれだったが、催淫香の効果を確認するためランプを灯してしまったのが運の尽き。
艶やかな黒曜石色の髪と瞳。
端正な顔立ちの美しい勇者が虚ろな瞳を潤ませ、白い肌をさらして悩ましい呼吸をしている姿に魅せられてしまった。
男たちもこのようなことになるとは想像もしていなかった。
勇者がまさかこれほど美しいとは。
男性なのか女性なのか判断が難しいことがなおさら勇者への興味をそそられてしまう。
「外の見張りを」
「ああ」
それぞれが仲間に悟られないよう冷静を装い、三人の内の二人は正面口と裏口の見張りに戻る。
もう一人はこの部屋に残り勇者を見張る役目なのだが……
「…………」
着替えをさせてベッドからは離れたものの、椅子に座ったあとも変わらず聞こえてくるのは喘ぐような呼吸。
見張り役につくのは初めてではないが、いつもならどうということはない役目でも今回は自分の理性が試されている。
これはあの者が気に入るのもわかる。
わかるが、それでもやはり手を出してはいけない相手だった。
他の者を手に入れるのとはわけが違う。
精霊王に愛されし者。
今までの凡俗の徒とは違うのだ。
ベッドの上で身悶える勇者。
着替えの最中に見た下着越しの張りで男性だともう分かっているのに目が離せない。
呼吸が、時々洩れる声が、その白い肌が冷静さを失わせる。
あまりにも悶えるものだから苦しいのかと近寄り確認すると額には汗が滲んでいる。
シーツでそっと汗を拭うとまた勇者は甘い声を洩らした。
白く細い首に直接触れると声で反応が返る。
滑らかな肌の上で指先を下へ下へと這わせると今までで一番の反応が返ってきた。
一度触れてしまえばもう止まらない。
遠慮がちだった指先が手のひらに変わって細い腰を掴む。
これが本当に男だというのか?
いや、男だとか女だとか疾うにそんなものは超越している。
「……クソが」
形のよい唇から出た下品な言葉と顬に触れた冷たい何か。
いまだ喘ぎに似た荒い呼吸をしながらも勇者はその美しい顔を嘲笑で歪ませて、反対の手に持っていた何かで天蓋ベッドの天井を撃ち抜いた。
「動くな。動けばお前の頭を撃つ」
春雪が手にしているのは拳銃。
しくしく泣く子供が出て行ったあとに創造魔法で作ったサイレンサーつきの拳銃を枕の下に隠しておいた。
「お前たちは何者だ。何の目的で俺をさらった」
この世界の飛び道具に弓や投げナイフはあるが拳銃はない。
それでも既に天蓋ベッドの天井の撃ち抜いたところを見ている男はそれが武器であることを理解している。
「撃て。口を割ることは出来ない」
落ちついた声でそれだけ言った男。
誘拐を企てた主犯はこの男ではなく、殺されてでも言えないような奴が関わっているということか。
「殺されそうなのにおさまらないのは生殖本能か?」
春雪の下半身にあたるそれ。
銃口を向けられているのに萎えることのないそれの感触に春雪はストレートな疑問を口にする。
「どうだろうか。今まで死ぬことの恐怖を感じたことが無い。だが何よりおさまらない理由は、死の恐怖よりもっと理性を狂わせる存在が目の前にいるからだろう」
死の恐怖よりも強い欲望。
辛うじて正気を失わずに済んでいようとも、催淫香が効いていることは間違いない発情した姿を見せられては止まらない。
「俺も体がおかしい。お前たちが何かしたのか?」
「気付いていないのか?香りに」
「花の香りのことか?」
「ああ。催淫効果のある香が焚いてある」
花の香りのアロマオイルではなかったのか。
地球には当たり前にあったアロマオイルの香りだと思っていた春雪は、突然性欲が高まった理由がホルモンバランスの乱れではなかったことに少し安心した。
「よく正気を失わず耐えているものだ」
「たしかに辛いけど、正気を失うほどじゃない」
嘘だ。
本当は欲求に流されてしまいそう。
ただ、初めて経験した性欲への違和感と我を忘れた後の恐怖心がギリギリのところで理性を保てている理由。
「大抵の者は正気を失って自分で始めるのだがな」
「そんなの嫌だ」
初めての経験が正気を失ってなど冗談じゃない。
銃口を顬にあてる手の力も弱まっていることを感じた春雪は溜息をつくと半分起こしていた体を再びベッドに沈ませる。
「殺すのではなかったのか?」
「なんでそんなに落ちついてるんだ」
天井を撃ってみせたのだから銃の威力はもう分かっているはずなのに、この男は命乞いをするどころか逃げる様子も無い。
勝てる自信があるのか、死すら厭わない奴なのか。
「そのように無防備になられては困る」
「実際に撃つ時のために体力を温存してる」
「なんとも可愛らしい言い訳をする」
催淫香がますます効いてきたことは男にもわかっていた。
今まで正気でいられたことの方が奇跡だ。
その精神力の高さはさすが勇者。
再び静かになった部屋。
静かなだけに春雪の荒い呼吸と時々悶えて衣とシーツが擦れる音が際立つ。
衣装の上からそっと触れれば震える体。
やはり悶えているその姿はなんとも艶かしい。
これで堪えている自分も中々の精神力ではないだろうか。
「……っ」
なけなしの理性でまだ気をやらない勇者の下腹部を撫でると声を詰まらせて喉を鳴らす。
男性であれば目立つはずの喉仏もこの勇者のものは判断に迷うほど。
ここまで中性を極めているのも珍しい。
それとも異界では珍しくないのだろうか。
下腹部を下ると自分と同じものがそこにある。
こちらはしっかり男のようだ。
衣装をずらして直に触ると勇者は眉根を顰め顔を隠す。
最後の抵抗か、必死に膝を重ね合わせて。
「…………」
堪えるのも限界だろうと楽にしてやるつもりで握った手を動かすと、偶然触れた指先にも別の感触があって手が止まる。
この勇者……
コツコツと聞こえてきた足音。
そのヒールの音を聞いて勇者から離れる。
勇者も気付いて…………いや、もう限界だったようだ。
ゆっくり開いた扉から入ってきたのはローブ姿の男。
ベッドに近寄りランプの灯りで勇者の様子を確認してから扉の外で待っている男に合図を送ると、その男ともう一人の人物がヒールを鳴らしながら部屋に入ってくる。
「ああ、なんて美しいのかしら。乱れても美しいなんて」
強制的に性欲を高められて苦しそうに呼吸で喘いでいる勇者の姿を見て悦び身悶える姿は狂気の沙汰。
とうに見慣れたその姿に何の感情も抱かなくなっていたが、改めて狂っていると思う。
「さあ、運んで。私だけのお城へ」
赤い髪と赤い瞳。
私を振り返ると真っ赤に塗った下品な唇を笑みで歪ませる。
「承知しました。アルメル妃」
勇者の体にロングケープをかけベッドから抱き上げる。
思った以上に軽い体は小刻みに震えていた。
石造りの廊下を歩く自分とアルメル妃の寵臣。
教養のなさがわかるその足音。
このような音の響く場所に革靴で来ること自体警戒心がない。
足音は敵に距離を報せてしまう厄介なものだというのに。
ロングケープで身を隠された勇者は時々モゾモゾと動く。
辛いだろうにそれでも自分で手をやることすらしない。
そんなの嫌だ。
反抗期の子供のように言ったそれを思い出して口元が緩む。
このまま勇者を連れ去るのは簡単だが、今の私には出来ない。
私にも守らなくてはならないものがあるのだから。
そう思い直して気持ちはスっとさめる。
もっと別の形で出会っていれば……
建物の前には庶民が乗る乗り合い馬車が停まっていて、勇者を抱いたままそれに乗り込む。
乗り合い馬車といっても人目を欺くためのもので、乗っている四名の男は監視。
無事に届ければ私の役目は終わりだ。
「おい。何をする」
目的地へ馬車が走り出すと監視の一人が勇者へ手を伸ばし、その手を掴んで止める。
「勇者かどうかの確認だ」
「アルメル妃本人が確認した」
「部屋を出たあとすり替えることもできる」
「そのような真似はしない」
「余所者のことなど信用できない」
「お前たちに信用して貰う必要はない」
私の方もこの者たちを信用していない。
いや、誰一人信用できる者などいない。
「アルメル妃に体で取り入っただけの者が偉そうに」
「取り入ることのできる長所もないとは可哀想に」
「なっ、調子に乗るな!」
「静かにしろ!」
御者に扮した男から怒鳴られ男は口を結ぶ。
もっともらしいことを言っていたが、たんに自分が勇者が見たかっただけだろうに。
発情している勇者をこの者たちには見せられない。
男女問わず発情している者など見慣れているはずの者ですら、勇者をただ着替えさせると言うだけで動揺したのだから。
腕の中でモゾモゾ動く勇者。
ハアハアと呼吸を繰り返し時々思い出したように喘ぐ。
せめて目的地に着くまでは私が守ってやらねば。
勇者を抱く腕にそっと力をこめた。
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お父様ッ!!!!!」
ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。
ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。
しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…?
娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。
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