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墜落した夜の欠片たちは
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檜垣さんの口から、長いため息がこぼれた。
「今のお前は、どっちなんだ」
「言葉にすると、薄っぺらになりますけど」
一度、口をつぐむ。
大きく息を吸って、吐く。肺にたまった空気も感情も、一緒くたに夜に溶かして。
「僕も、大切な人への想いを守りたくなりました」
伸ばした警棒を元の長さに畳む。
檜垣さんは僕に近づいて警棒を受け取ると、固く目をつむる。それから、顎でトタン小屋を指した。
「……とっとと行け、卑怯者が。二度と世間様にその面見せんじゃねぇぞ」
「すみません、無茶頼んでしまって」
不幸を噛みしめるような声だった。
僕は頭を下げて、茉宵の待つ小屋へ歩き出す。
「──よぉ、坊主よ」
と、また以前のように檜垣さんが僕を呼んだ。
「お前、最後まで頭下げなかったな」
「下げた方が良かったですか?」
「いや、いい」
振り返ると、檜垣さんは胸ポケットからタバコを取り出すところだった。
「物わかりのいいガキは嫌いなんだ」
ジタンブルーのパッケージに納められた、黒タバコに明かりが灯る。
一口目の白煙を星に被せて、檜垣さんは寂しそうに笑った。
*
一週間だ、と檜垣さんは言った。
氷雨茉宵が日常を取り戻すためには、一度出頭する必要がある。すべて僕に脅迫されてやったのだと調書を取り、牟田にばら撒かれた写真で精神的なダメージを受けていたと証言する。
そこにはきっと、情状酌量の余地が生まれるはずだ。
その出頭までの期限が、一週間だった。
言い換えれば、僕の余命は既に残り一週間を切っている。
明け方のヒグラシが静寂に寄り添い、澄んだ日の出が水平線を濡らしていた。
水面に対して直角に伸びた陽の光が、あらゆるものの境界を明瞭にする。古びた小屋や草木の一本一本にまで、夜露のような光が輪郭をなぞる。
人生最後の週の始まりにしては、清々しい朝だ。
最大の目標だった茉宵の将来もある程度の保証が得られたから、この人生に未練はない。
一秒一秒が人生最後になるかもしれなかった。だから僕は、出来るだけ優しく茉宵の肩を揺すった。
目を開けた彼女は僕を見つけると、赤くなった目元を緩やかに曲げて微笑む。
「もう、終わったんスね」
その左頬には──指輪の先ほどの小さな結晶が煌めいていた。
「あぁ、」
やっぱり、聞いてたんじゃないか。
体から力が抜けていくのがわかった。
震えそうな口元をぐっと引き締めて、喉の奥底でどうしようもなく行き場をなくしている言葉を、飲み込んで。
僕は無理やり、微笑みを返す。
「終わったよ。もう逃げなくていいんだ」
「そっか。ちょっと残念っス」
「残念?」
「だって晴悟くんのこと、独り占め出来なくなっちゃうじゃないスか」
僕はどんな顔をしていいのかわからなくて、茉宵の髪を軽く撫でてやった。
膨れた頬が萎んでいく。
そのまま、彼女の頭が胸元にしなだれかかって来る。
華奢な肩は震えていた。
潮騒も木漏れ日も、茉宵の結晶を隠してはくれなかった。
だから僕の胸に寄りかかったのだろう。僕はいつまでもワインレッドの髪を撫でていた。出来ることなら、ずっとそうしていたいと思った。
墜落した夜の欠片たちは、まだ褪せた浜に散乱している。僕の心もそれと似て、茉宵の一つ一つに愛しさを感じている。
それでも、これが純真な恋なのだとしても、結晶は僕らを許してくれないのだから。この感情には、もう少しだけ蓋をしていよう。
砂浜から昇り始めた熱が、疲れた肌を温めていく。
遠くの海岸林で、疎らなひぐらしが鳴いている。それらは一つ、また一つと朝に滲み出していく。全てのものは繰り返している。
ちょうど何者にもなれない僕らのように。
「今のお前は、どっちなんだ」
「言葉にすると、薄っぺらになりますけど」
一度、口をつぐむ。
大きく息を吸って、吐く。肺にたまった空気も感情も、一緒くたに夜に溶かして。
「僕も、大切な人への想いを守りたくなりました」
伸ばした警棒を元の長さに畳む。
檜垣さんは僕に近づいて警棒を受け取ると、固く目をつむる。それから、顎でトタン小屋を指した。
「……とっとと行け、卑怯者が。二度と世間様にその面見せんじゃねぇぞ」
「すみません、無茶頼んでしまって」
不幸を噛みしめるような声だった。
僕は頭を下げて、茉宵の待つ小屋へ歩き出す。
「──よぉ、坊主よ」
と、また以前のように檜垣さんが僕を呼んだ。
「お前、最後まで頭下げなかったな」
「下げた方が良かったですか?」
「いや、いい」
振り返ると、檜垣さんは胸ポケットからタバコを取り出すところだった。
「物わかりのいいガキは嫌いなんだ」
ジタンブルーのパッケージに納められた、黒タバコに明かりが灯る。
一口目の白煙を星に被せて、檜垣さんは寂しそうに笑った。
*
一週間だ、と檜垣さんは言った。
氷雨茉宵が日常を取り戻すためには、一度出頭する必要がある。すべて僕に脅迫されてやったのだと調書を取り、牟田にばら撒かれた写真で精神的なダメージを受けていたと証言する。
そこにはきっと、情状酌量の余地が生まれるはずだ。
その出頭までの期限が、一週間だった。
言い換えれば、僕の余命は既に残り一週間を切っている。
明け方のヒグラシが静寂に寄り添い、澄んだ日の出が水平線を濡らしていた。
水面に対して直角に伸びた陽の光が、あらゆるものの境界を明瞭にする。古びた小屋や草木の一本一本にまで、夜露のような光が輪郭をなぞる。
人生最後の週の始まりにしては、清々しい朝だ。
最大の目標だった茉宵の将来もある程度の保証が得られたから、この人生に未練はない。
一秒一秒が人生最後になるかもしれなかった。だから僕は、出来るだけ優しく茉宵の肩を揺すった。
目を開けた彼女は僕を見つけると、赤くなった目元を緩やかに曲げて微笑む。
「もう、終わったんスね」
その左頬には──指輪の先ほどの小さな結晶が煌めいていた。
「あぁ、」
やっぱり、聞いてたんじゃないか。
体から力が抜けていくのがわかった。
震えそうな口元をぐっと引き締めて、喉の奥底でどうしようもなく行き場をなくしている言葉を、飲み込んで。
僕は無理やり、微笑みを返す。
「終わったよ。もう逃げなくていいんだ」
「そっか。ちょっと残念っス」
「残念?」
「だって晴悟くんのこと、独り占め出来なくなっちゃうじゃないスか」
僕はどんな顔をしていいのかわからなくて、茉宵の髪を軽く撫でてやった。
膨れた頬が萎んでいく。
そのまま、彼女の頭が胸元にしなだれかかって来る。
華奢な肩は震えていた。
潮騒も木漏れ日も、茉宵の結晶を隠してはくれなかった。
だから僕の胸に寄りかかったのだろう。僕はいつまでもワインレッドの髪を撫でていた。出来ることなら、ずっとそうしていたいと思った。
墜落した夜の欠片たちは、まだ褪せた浜に散乱している。僕の心もそれと似て、茉宵の一つ一つに愛しさを感じている。
それでも、これが純真な恋なのだとしても、結晶は僕らを許してくれないのだから。この感情には、もう少しだけ蓋をしていよう。
砂浜から昇り始めた熱が、疲れた肌を温めていく。
遠くの海岸林で、疎らなひぐらしが鳴いている。それらは一つ、また一つと朝に滲み出していく。全てのものは繰り返している。
ちょうど何者にもなれない僕らのように。
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